■長編小説「虚構の守り手」

●第三章「虚ろいの国」(1)

  一九四九年四月二十八日 満州・新京

 世界的に見ても遅い春を迎えていた満州の大地にも、日本と同じソメイヨシノの優しい色がちらほらと見られるようになった。大陸の春の証である紅黄色いヴェールの砂塵でさえ、春の情景に色を添えるようだ。
 計画的に建設された幅広の舗装道路を行き交う人々も、ようやく落ち着きを取り戻した風に見える。街の中心部という事もあり笑顔も多い。しかも、年を経るごとに行き交う人の数は膨れあがっていた。そんな情景を見ていると、ここ数年の激変など鏡の向こうの出来事のようにすら思えてくる。
 立花清少将は、頭の片隅で周りの景色を観察しつつも、久しぶりに訪れた砂上の都をそれなりに満喫していた。それが分かるのだろうか、連れ添っていた女性も明るい声を上げる。
「さすが都でございますねぇ、旦那様。大連よりも人も物もたくさんございますわ。これなら不足しているものも買えそう。大連じゃラジオの真空管がなかなか手に入らなくて困っていたんですのよ」
 明るく話す彼女を見ていると、時々自分の身の回りの変化にどうしても戸惑いを覚える。
 何しろ連れ添っている女性は、典型的なスラブ系の中年女性。年齢もあってか、彼の細君の二倍ぐらいありそうな恰幅の豊かな体つきをしている。そして彼の今の立場が、事実上の亡命もしくは流浪状態であるはずの彼に、女中付きの大きな屋敷を手にさせていたのだ。
 そんな事を考えつつも、つとめて明るく声を返した。
「マリア女史は、新京は初めてですか?」
「いいえ、旦那様。私の生まれはハルピンですのよ。けど、女学校を出てからは満鉄に務めておりまして、新京にも何度か。もう少し若けりゃ「あじあ号」のウェイトレスだって……アラやだ、私ったら何話しているんでしょうね」
 彼女は屈託なく笑う。
 しかし、彼女は運の良いロシア人だった。
 この年でハルピン生まれということは、ロシア人でも共産主義の支配を知らないロシア人だ。今のご時勢、最悪ならソ連に連行されて処刑かシベリアの強制収容所送り。そうでなくても、今や小モスクワとなったハルピンならば、共産党バッジを付けていないだけで肩身の狭い思いをしなくてはならない。建国の混乱期に、粛正を警戒して日本やアメリカ、カナダに渡ったロシア系住民も多いと聞く。一九四四年暮れ以降は、おそらく苦労の連続だっただろう。
 彼女がこうして往来を気にすることなく歩けるのは、彼女の主人である彼の地位と立場、専門技術が大きくものをいっていた。
 そして、元帝国軍人立花清と彼に付き従う女中、彼らが見る街の情景こそが、今彼らが立っている人工国家の縮図と言えた。
 新京一の賑わいと言われる日本橋通りの端にある新京百貨店の繁盛ぶりを見つつ、立花は虚ろい揺れる国の有り様を彼女と重ねて見ていた。

 「大東亜人民共和国」。
 それが旧満州地域を中心に、北東アジア中心部に広がる新たな人工国家の名前だった。
 建国当初の版図は、旧満州国全域と済州島を除く朝鮮全土、そして蒙古連盟自治政府(内蒙古)と万里の長城以南の華北の一部が含まれる。
 総面積は外モンゴル全土にすら匹敵し、日本本土の四倍以上の版図を誇っていた。世界的に見ても国土の広い国に含まれるだろう。国土の多くは赤い土が特徴的な草原だが、広い国土には農地も多く地下資源も豊富で、人工国家が依って立つには過ぎたる大地かもしれない。
 しかも、この国を構成する民族、人民と政治形態は実に複雑だった。
 もともと母体となった満州国は、日本の傀儡国家にして昭和日本の制度を完全コピーした促成栽培の国民なき近代国家だった。異論も多々あるだろうが、少なくとも建国から十年ほどで近代国家としてのほとんどのシステムを確立したことは、一定の評価に値するだろう。内実は日本的官僚専政と軍部独裁の最たる政治組織だが、完全な上意下達組織のため効率は最上級のものだ。かのスターリンですら、大東亜建国後に軍部と官僚団を激賞したと言われ、ソ連型共産国家の模範にしようとしたとすら言われる。
 他、併合から三十五年で千年前の文明レベルと言われた地域から、日本本土とほとんど変わらない地域に育っていた朝鮮統治についても同様だ。軍国主義日本の外地における完成型がそこにはあった。
 もちろん、どちらも他民族の国や地域を、日本の一部もしくは疑似コピーに仕立て上げようとした事の弊害は非常に多かった。中国共産党とソ連を資金源や武器調達源とする馬賊、ゲリラの問題は、満州国時代の慢性的病とすらいえた。従順だった朝鮮半島でも、一時期までは独立運動が激しく、共産党ゲリラが存在する。
 だが日本帝国が莫大な国費を投じて整備・建設された様々な制度・統治システムと一部では日本本土以上だった社会資本は、新たな人工国家のこれ以上ない母体となった。
 なにしろ大東亜人民共和国の真の目的は、欧米列強に屈した日本本土、日本列島、そして日本民族全ての「開放」にあるからだ。だからこそ自らも「日本」であり、「大日本帝国」であり続ける必要があった。だからこそ彼らの掲げた国名が、「大東亜」の「人民」の国なのだ。
 そして日本本土と海で隔たれた軍事力付きの日本のコピー国家は、本土を追われた流浪の彼らの依身として最上の場所だった。
 その上、四五年夏に成立を宣言した新政府は、国家全体の「日本化」と「日本人」、「大日本帝国」化に強くこだわった。
 満州の実権を日本人に留め、さらに自らの保身と栄達を引き替えに残った極めて優秀な旧満州官僚団(主に日本本土の各帝大出身者)による公学校教育などの徹底度合いは、軍国主義時代の日本より徹底していたほどだ。何しろ新たな国家では、圧倒的少数派で国家から庇護されている日本人以外に、何を押し付けても文句を言う圧力団体が存在しないのだ。
 そして日本人による新しい政府は、特に子供への教育に熱心だった。国民の教育さえ一元化してしまえば、十数年後にゲリラ問題も民族問題も自然消滅するからだ。既に成果も現れ始めている。
 そして、初等科義務教育の無料化と無料給食により、中華大陸中央からの流民に対して基礎教育を施したが、これらも全て日本語を「国語」とするための教育だった。
 教育姿勢に対する国内での消極的な反論も、日本こそがアジアにおける近代国家建設の模範となったのだから、踏襲するのが欧米に並び立ち、さらには越えるための近道であるという強引な論法で封じられた。
 もちろん必要以上に騒ぎ立てる者については、絶大な権限を持つ警察組織又は、警察以上に力を持つ憲兵組織によりしかるべき措置が成された。
 その行動はソ連やナチスの秘密警察真っ青と言われ、強制収容所収監者を含めた犠牲者の数は数万人とも数十万人とも言われた。
 また日本人以外に対して、厳しい鞭以外にそれなりのアメも振る舞われた。
 無料の義務教育の中には、それぞれの出身民族に対して「地方語」として民族語の教育が施された。何しろ「大東亜」の同胞の言葉だ。また、教育の中で厳しい資格審査を経た者には、「日本人」としての肩書きを与えて日本人と同じ恩恵を与えもした。しかも学業の成績優秀者には、民族に関わらず優先的な特待生制度と飛び級、優先的な高等教育の道も開かれた。当然ながら、優秀者の「日本人化」は大人の社会にも適応され、日本人以外の民族出身者の抜け穴として激しい競争を生み出す事になる。
 他にも社会主義的な、低所得者に対する食料・衣料の低価格販売と配給制度。格安の基本医療制度。日本人とそれ以外という決定的な差はあるが、一定の公正さを持つ治安維持組織と法制度。そして建国時は最低限ではあったが、法外や理不尽ではない租税徴収。
 全ては被支配者や奴隷、苦力(クーリー)からの解放を謳った政策であり、主に一九四〇年代の中華中央部では願っても得られないものだった。おかげで、流民として流れてきた漢民族の中には、政策発表と実施のたびに諸手をあげて大東亜の旗を振った者も多かったという。盛大なパレードの映像が、今日にも残されている。
 その上、新政府の様々な政策は、国内で豊富に産する農産物と地下資源によりまかなわれ、「アメ」の政策により国庫が傾くという本末転倒な事態もなかった。そして人々の生活安定と共にゲリラ活動も低調なものとなっていく。
 なお、満州国時代より好転したゲリラ活動は、ソ連を根元とするものだ。大陸日本とソ連の関係が良好になってからは、主に北部でのゲリラ活動は極めて小規模になっていた。ゲリラ活動家の中には、ソ連領内への亡命中にソ連が極秘に抹殺した者も数多い。ソ連にとっての満州は、今やアジアの橋頭堡にして極東開発のための金の卵なのだ。極東の安定した食糧供給と開発は、満州抜きには考えられなくなっている。
 また、中国共産党を根元とするゲリラ活動も戦中に一時は壊滅し、さらに大陸日本の一時的赤化の時に沈静下した。そしてその後の軍国主義回帰の際に、組織として完全に殲滅されている。
 だが、大東亜人民共和国という人工国家の中央政府は、軍人と官僚団の不眠不休の努力にも関わらず、なかなか安定しなかった。多くは、複数の制度、政治団体、組織が日本と東亜の矛盾を抱えながら、人工国家に流れ込んできた事が原因していた。彼らが居たからこそ、社会主義的な政策の多くが実施されたと言えば、彼らが誰であるかが分かるだろう。
 日米停戦後の改革条件であった政治犯の解放と民主化に伴い、それまで抑圧されてきた共産主義者、社会主義者、無政府主義者が解放された事が大きな変化を呼び込んだのだ。彼らの多くが、人工的に作られた新天地に流れてきたからだ。
 彼らが大挙流れてきた理由は簡単だった。大陸にある人工国家が、共産主義の総本山ソ連の強い影響下にあったからだ。また、スポンサー兼ボディガードも兼ねているソ連政府が、彼ら日本人共産主義者の入国と政治への大幅な参画を、最初は強く望んだからでもあっだ。
 そして建国から半年ほどたった大東亜人民共和国では、中立派の満州と朝鮮に元からいた優秀な日本人官僚団、ソ連の思惑により政治の主導的地位に上りつめた共産主義者・社会主義者による東亜共産党、それより先に大量に流れ込み新国家をでっち上げた軍部による三極支配体制ができあがる。
 表面的には、人民の理想を云々という共産主義のお題目を掲げた人工国家の完成だった。後はこれを、資本主義統制経済から完全な共産主義経済へと移行させれば東側国家の完成の筈だった。

 そして奇怪な人工国家の成立は、大東亜人民共和国支配領域に残った、もしくは終戦前後の混乱期に流れてきた日本人達のそれぞれにも、人生の転機、一世一代の大博打と言えるほど大きな変化をもたらした。
 簡単に言えば、たとえ着の身着のまま満州に来た開拓団の貧しい人々であっても、政府(+ソ連)からの贅沢な支援を受けて支配階級に祭り上げられたのだ。
 昨日までのゴロツキの親分が、大都市の市議会議員になった。戦前、東北や長野の寒村から墓やご神体まで持って分村してきた貧農達が、ソ連製トラクター持ちの大地主になった。開拓前の職業を持つものが以前と同じ職を望んでも、日本人というだけで好条件で復帰できた。特に技術者と日本的な専門職、伝統工芸、芸能者は優遇された。優遇政策は日本列島にも積極的に伝えられ、多くの亡命者を生んだほどだ。
 軍人たちも、少将以上の上級者以外は、最低でも無条件で一階級特進できた。中には軍曹から憲兵少佐になった者もいたほどだ。対価として彼らが棄てなければならなかったのは、日本国国民というそれまで最も大切にしてきた肩書きだけ。
 そしてロシア人→日本人→朝鮮人→少数民族→その他という支配構図ができあがる。
 この国の日本人に、他者からの尊敬や他民族との平等・融和という言葉はとりあえずは不要だった。必要なのは、スターリン政権並の鉄の規律と反逆者に対する制裁、そして国内の「日本化」だけ。
 でなければ、短期間で成立した奇怪極まりない国家を存続させることなどできない。なにしろそこには、日本人社会でありながら天皇はなく、ひどく求心力に欠けるからだ。このため国内に入った共産主義者も、日本人による態勢が固まるまでは、国内の完全な共産主義化を思いとどまったほどだ。武力と資本力だけが、日本人を支配者たらしめているからだ。
 もちろんアメとムチの原則に従い、義務教育制度や社会保障面など、表面的には日本時代よりも良くされた部分もあった。だが、真実は極端な日本化だ。アメにより多数派の中華系が従順な姿勢を示した資料も多数あるが、どこまで真実を語っているかは分からない。誰でも空腹時にパンを与えられれば、その時は従順になるものだ。
 そして日本人の上に、ソ連から入り込んだソ連の軍人、官僚、共産党員が居座り、虚ろいの国の支配構造ができあがる。つまりは、十万人のソ連系ロシア人が三百万人の日本人に「助言」を行い、七千万人(実数は七千五百万人程度)の人民を支配するのだ。
 こうして組み上げられた虚構の国だったが、国是だけは明確だった。国家の政治目的が、国名が現すように全てのアジアの国々の「開放」にあったからだ。
 もちろん最優先事項は、日本本土をあるべき姿に戻すことだ。
 彼らが自分たちの事を自ら「大陸日本」と呼ぶようになるのは、様々な混乱を経て建国から十年以上を待たねばならなかった。

 なお、この国に居住する日本人を三百万人と説明したが、その内訳は以下の通りになる。
 約二百二十万人が、もとから満州や朝鮮に住んでいた一般市民。次に多いのが軍人で、停戦後の混乱期に合流した者も合わせるとその数は約六十万人にもなる。次に中華を始め、日本外地の各地から終戦後の混乱に乗じて流れてきた人々が約三十万人。彼らは、今更日本列島には戻れない移民者、「日本降伏」に納得できず主に日本本土から流れた人々、ドイツに望みを託して移りそのまま帰れなくなった者、新天地に望みを託した者、戦後解放され流れてきた政治犯などになる。
 そして面白いのは、戦後の日本列島で特権を剥奪されることになる華族や士族の一部や、戦争犯罪者として裁かれる事になる軍人、政治家、財閥の一部が、持てるだけの財産を抱えて逃げるように移ってきた事だろう。中には、連合国から戦犯とされた有力者も多数にのぼる。
 また、国連主導により双方の交流が一時的に再会された時に、家族、一族が日本から移り住んできた総数も十万人に上る。この時日本列島を逃げ出すように後にした旧特権階級も多い。逆に、日本列島に戻った軍人の数は全体の三分の一の約二十万人にも達し、残った軍人の多くも進んで残ったというよりは、それまでのしがらみから帰れなかった軍人が多い。
 そして増減はあれど、日本人軍人の異常な多さから男性比率が相対的に高くなった。必然的に未婚者、日本本土に家族を残してたままの残留者などと婚姻関係を結ぶことで「日本人」の地位を得る他民族出身者が続出。短期間で、日本人勢力を拡大することになる。
 そして国家成立から二年と八ヶ月、立花たちが首都新京を歩いていた頃までに事態はさらに進む。
 この頃までに統計上の日本人の数は四百万人の大台に乗っていた。ソ連系ロシア人も、満州在住の白系ロシア人を彼らの視点での恩赦により水先案内人として順調に増えた。そして旧南満州鉄道沿線の大都市中心部は、日本と同じ情景が完全なまでに再現されつつあった。それぞれの街には、今までよりも多くの日本名、日本的建築物が建ち並んだ。寺社や日本橋はもちろんとして、銀座や敷島、朝日などの名を冠した街路が繁華街としてさらに整備されるなど、満州国時代より徹底していた。本願寺や真言宗を始め、果ては天理教などの宗教団体も、日本本土の政策など無視するかのように平然と自らの寺社を構え続けていた。天皇を中心に一元化されていた筈の神道(神社)も、日本本土と切り離されると言われてもそのまま現地に残った。
 何しろそこには日本人が大勢住んでおり、彼らが寺社が存ることを心から望んでいるからだ。一方で、寺社の権限が小さくなる日本本土に対する当てつけと言えなくもない。
 また地方でも、開拓団として分村してきた村は、そのまま以前の名を命名して、中心部に神社を造り寺を建立しての日本人コミュニティーが作られた。駐在(警察)に郵便、診療所、学校なども全てに日本式が取り入れられ、満州国時代より徹底された。同じ景色を日本本土に求めるのなら、北海道の一部に近似値を求めてもよいほどだ。しかも地方組織の日本化と社会資本の整備は、日本人の村から順次朝鮮、漢人の村にも拡大された。国の隅々にまで張り巡らされた強力な政府組織の存在は、日本化政策云々に関係なく民心安定に大いに貢献した。
 一方、ロシア人が真っ先に荒野に作り上げ、古くからロシア人の多いハルピンだけは、ソ連の出先機関としてモスクワのコピーのような都市へと変貌しつつあった。単純な赤化だけでなく、ソ連国内で表向き存続の難しい教会勢力、贅沢品の伝統工芸などの長期租界先としてハルピンが活用されている点も興味深い。おかげで、まさに東ヨーロッパそのものがハルピンの街を覆い尽くしていた。一時期は、日本人を含め他民族の居住が厳しく規制されていた程だ。
 また中華中央部の内戦から逃れる移民・流民と、日本本土に徴用されていた朝鮮人が、朝鮮半島や満州に戻ったことで人口は膨れあがり、自然増加を含めた総人口が八千万人の大台に乗るのは確実と見られた。
 八千万人という数字は、敗戦頃の日本本土の総人口を凌駕するほどで、これは大東亜という国名を掲げる政府にとって極めて重要な要素だった。
 もう数年もすれば、自分たちこそが「大東亜」の枠組みの中で、日本列島を抜いて多数派になるのが確実となるからだ。
 そして多数派となる事を最も求めていたのが、建国から少し遅れて日本から流れてきた、共産主義者と社会主義者たちだった。
 日本各地の監獄から解放された彼らは、大陸に渡るなりソ連共産党と深くつながった。そして新たな国家で実験と改造を続け、血の涙を流したと自ら信じて疑わない軍人達が、日本奪回の橋頭堡としていた筈の組織を自らの妄想と夢想の玩具としてしまう。
 もっとも軍部は、自らの持つ巨大な軍事力故、ソ連共産党よりもソ連の絶対的権力者、赤い皇帝ヨシフ・スターリンと直接パイプを持っていた。それが人工国家で争乱の火種を起こすことへと繋がる。
 理由の多くは軍人達ではなく、日本列島から流れてきた共産主義者達と社会主義者だ。
 彼らは、革命を自らの血で勝ち取り国家を運営してきたロシア人から見れば、とんだ夢想家だった。東亜共産党幹部に意外に元富裕層が多いと言うのも、スターリン個人の気にくわなかった。しかも奇妙なまでに日本に対する愛国者で、共産主義と決して相容れない天皇制を完全に否定しない点にあった。スターリンにとっては、彼にとって最も重要な判断基準となる武力を握り、多少は現実を見ることができる旧関東軍(軍部)と手を結ぶ方がいくらかマシだったのだ。
 日本人軍人どもを利用すれば、太平洋の出口をもう少し広くすることが出来るかもしれない。
 そうスターリンが決意したのが、四八年の新京の桜が咲こうとする三ヶ月前の出来事だとされている。

 そのような水面下での剣呑さに満ちた街を訪れていた立花清だったが、彼は女中のマリアを合流場所を決めて買い物に送り出すと、開放感と清潔感に満ちた街の中心街を進んでいく。
 彼は、旧満鉄付属地だった整然とした駅周辺部から、まずは旧長春地区へと進む。ここは古くから満州族や漢民族を始め様々な人々が住んでおり、今もここだけは日本人以外の居住が認められている。その影には、中華ヤクザの存在があるとされるが定かではない。だが彼の用は、旧市街にはない。旧市街のさらに南東側の区画にあった。
 新京市の北部を東西に貫く伊通川のほとりの一角が彼の目的地だ。
 だがその一角は、一見整然としていながら、どこか違っていた。まず目につくのが、街区を大きな壁で囲っている事。まるで城壁のようでもあり、監獄の塀ようでもある。だがそれぞれの街路に面する門扉は、派手やかであり、艶やかでもあった。
 彼は、その艶やかにデコレートされた門を、阿吽のごとく立つ屈強な男にチップを渡して中に入る。その方がこの中では都合が良いからだ。
 そして一歩彼が歩みを進めると、周囲の景色は女中と別れた清潔で洗練された市街中心部とは似ても似つかない色合いと雰囲気へと変化した。
 そこは現世から離れた場所に至らせるための場所。つまり彼が足を運んだ場所は、首都特有の男性社会に無くてはならないもの。大規模な歓楽街。そう、色町だ。
 いかに人工の街、砂上の楼閣とは言え、人の世には必要不可欠な街の「設備」だ。新京の都市計画には、この歓楽街の区割りまでが計画・実行されており、都市計画の徹底度合いが見て取れる。当然と言うべきか、上下水道も完備の各区整理までされた「計画的」な歓楽街だ。
 もちろん彼が昼間からそのようなものを求めたわけではない。彼の目的は別のところにある。その目的地が、その巨大な歓楽街の外れにあるロシア風建造物の飲食店だった。
 丈夫で重厚な焦げ茶色の木材の柱と抜けるような白壁のコントラストが見事で、さらに鮮やかな赤い屋根瓦がエキゾチックと言うよりはメルヘンチックな色合いを醸し出している。店構えも建造物に相応しく、周囲から浮き上がるような清潔感を漂わせている。建物だけを見ていると、日本橋通の洒落たロシア風喫茶として十分やっていける外観だ。
(普段はどんな客が来るのだろう?)
 そんな事を思いつつ、軽やかな呼び鈴を鳴らしつつ扉を開くと、待ってましたとばかりに驚くような美形のロシア人給仕が派手やかに出迎えた。黒と白を基調にした衣装をまとった給仕は、一度にこやかに笑みを浮かべると、全てを心得ていますとばかりに彼を奥まった席に案内する。
 入った場所は外見通り喫茶店となっており、他とは少しばかり違った趣向で現世から客を引き離してもてなす場所らしかった。上品な装飾が施されたロシア風サモワールが店の片隅で豊かな湯気を出しており、純粋に食指をそそるほどだ。
 だが、彼を軽やかにテーブルへとエスコートした給仕は、表面的な社交的態度と笑顔の仮面とは裏腹に、全く油断無い気配を放っていた。陰謀や謀略、スパイ行為に無縁な立花にあえて見せているらしい。
 彼がある目的で訪れたように、剣呑な事を行う場所でもあるのだ。
 そして他の店の者が尾行などない事を改めて確認すると、彼専属となってしばし会話を楽しんでいた美形の給仕が彼を店の奥へと誘った。他者から見れば、これからお楽しみというわけだ。
 だが、部屋の扉を閉じると、美形の給仕の態度は一変する。全く隙のない動作へと変化し、たおやかな絹がナイフへと変化した感慨を抱かせた。
 そして絹のレースなど可憐な物品で飾り立てられた個室に入り、部屋の一角を押しのけた先にあったのは、店の構造を余程知らねば分からないよう作られた裏口に続く狭い通路だ。
 入室と同時に着替えさせられ、給仕に案内されて狭い通路を抜け、さらに何度か通路を折れ曲がると小さな裏口へと出た。さらに、狭くどの建物からも窓が見えない通路の先には、シボレーの最新型がアイドリングで停車しており、彼が素早く乗り込むと走り出した。残念ながら、美形給仕のエスコートはここまでだ。確かに、あれ程目立つ人間を連れ添っていては、今の行動の意味がなくなるだろう。
 その後、街中を複雑な経路で長時間走り、その間二度車を代えてようやく案内された先は、新京郊外に新しくできた巨大な倉庫が並ぶだけの陸軍の練兵場だった。車の方も幌付きの機動車だ。アメリカ製らしく、英語表記が各所に見える。立花の格好も、陸軍将校のそれだ。
 施設の方は一見なんでもないが、新しく造成されたと分かる丈夫な道路が街の中心部に向けて伸びており、それがこの駐屯地の重要性と目的を伝えていた。かなりの重量を持つ装備が置かれている、もしくは置かれる予定なのだ。
「ほう、ここに面白い玩具があるのか」
 立花はチョットした緊張を前に軽口を呟き、従兵案内されるままにかなりの規模の施設内へと足を運び入れた。
 そして何度もボディチェックをされてたどり着いた先は、暗く巨大な空間だった。
 大量のガソリンとかすかな硝煙の香りが、この場にあるものの存在が何かを伝えていた。高高度な鋼鉄の独特の匂いもある。だが、暗くて何があるのか正確には分からない。
「オイ、私に見せたいものがあるんじゃないのか、元戦車第二十六聯隊聯隊長殿!」
 彼は珍しく倉庫中に響くぐらいの声をだした。
 こんな大声を出したのは久しぶりだったが、倉庫に充満する臭いを嗅いで叫ぶと戦場を思い出すような気分になった。
 そして彼の叫びがこだまするように響いた直後、奥から順番に鈍い照明が一列ずつともりだす。おかげで、彼はその場に軍艦が鎮座しているのかと錯覚したほどだった。眼前に並んでいるものが、重厚な威圧感を放ってこの場を支配していたからだ。
「ようこそ、大東亜人民共和国陸軍第十一独立戦車連隊へ!」
 立花の少し斜め上の位置から、おおらかな声が響いてきた。彼が、「元戦車第二十六聯隊聯隊長殿」と呼んだ西竹一その人だった。
 彼は、一番前の巨大な戦車の砲塔の上に陣取り、にこやかな笑みを浮かべていた。ちょうど子供が自慢の玩具をみせびらかした時の笑顔だ。
(こんな国にも陽気な奴はいるもんだな)
 内心で人物評と付けた立花だったが、彼はある意味不幸な人間かもしれないとも思った。
 なぜなら彼は、硫黄島への移動直前に予定された輸送船が撃沈。次の船を待っているうちに停戦し、軍の造反に巻き込まれたくちだからだ。
 もし順調に移動できていれば、日本本土でもう少し安穏とした日々を送れていたことだろう。
 もっとも優れた戦車指揮官にしてオリンピック馬術競技の金メダリストという肩書きは、貴族という肩書きがあったとしても赤いロシア人にも有効だった。元貴族、元騎兵将校出身者を中心に、ロシア人との友好も広かった。家族も人が移動しあった時に呼び込んでおり、今では完璧なまでの大東亜人民共和国軍高級将校だ。
 だから、今ではこの国の大佐で連隊長。軍どころか国内外でも階級以上の有名人。
 そして恐らくは、目の前に鎮座する巨大な戦車軍団の支配者だった。

「どうですか立花さん、私の自慢の戦車たちは。私はこいつらにぞっこんですよ」
 思いの外丁寧な言葉使いだった。
 さすが貴族、いかなる時も礼儀は忘れないと言うことなのだろうか。
「いや、立派なもんですなぁ。私はまるで軍艦がここに鎮座しているのかと勘違いしそうでしたよ」
「ハハハ、海軍さんにかかれば、ゲルマンの誇るティーゲル・ツヴァイも軍艦ですか。まあ確かに、軍艦の砲塔に少し形が似ていますね。でも、立花さんの言葉、間違いだとは思いませんよ。私はこれこそ陸の戦艦だと、見るたびに再認識している次第ですからね」
(上機嫌ここに極まれりってやつだな)
 目の前の快男児の丁寧な言葉使いの一端が、会話の内容にあると判断した立花だった。そして、彼の上機嫌とこの鋼鉄の怪物を見ていると、彼も気分が浮ついてくるのを感じた。だからしばらく、上機嫌のまま会話を続けることにした。
 そうすると、西少佐あらため大佐は、気前よく自分の新たな乗馬たちについて解説してくれた。
 「ティーゲル・ツヴァイ」。全長十メートル越、総重量七十トンに達する巨体は、立花のような軍人から見ても、とうてい戦車とは思えない大きさだった。かつて帝国陸軍が主力としていた戦車を、縦横高さ全て二倍にしたほどもありそうだ。
 また、目の前にある車両の全ては、第二次世界大戦において東部戦線で放棄されたものと、戦後ソ連軍がドイツ本土の工場で接収したものらしい。西大佐も、詳しい出所と経緯は知らないとのことだ。
 それをソ連側が、自分たちがとうてい運用できないので、捕虜にした整備兵と戦車兵をシベリアの林の中から選び出して、早いうちに大東亜人民政府にまとめて「プレゼント」したものだった。一番最初の便は、建国前に既に届いていた程だ。
 これを西大佐は、ソ連がドイツを破るだけの軍事力を持っている事の誇示と、我々に対する皮肉を効かせた示威だと断言した。もっとも西にとっては、ドイツ最強の鉄の獣が手元にあることの方がずっと重要のようだった。
 彼の説明では、総数約四十台分(ドイツの総生産数の約一割に相当)がソ連赤軍によって状態のよいまま捕獲された。さらに工場で確保された部品や治具といっしょにもららされ、それを共食いして再生したものだという。ただし一部のエンジンは、無理矢理取り付けたアメリカ製やソ連製だ。
 稼働数はちょうど二十両。ドイツ軍なら増強戦車中隊ぐらいを編成する数らしい。
 だが、贅沢など出来ない人民軍では、十台ずつで中隊を編成。これにソ連から供与されたT34/85を定数編成で二個中隊組み合わせ、旧陸軍の戦車を改造した指揮車と専門教育された選り抜きの整備中隊をつけて連隊としていた。
 しかもこの部隊は人民陸軍唯一の重戦車連隊であり、だからこそ彼に指揮が委ねられたのだ。
 宣伝にはもってこいだろうが、今は秘密兵器で純粋に兵器としての能力を求めた末の結果らしい。
 もっとも西大佐は、そんなことはどうでも良いと言いたげに鋼鉄の虎の話を続ける。
 彼がドイツ人顧問から受けたレクチャーと実地で得た教訓では、大重量の「ティーゲル・ツヴァイ」は、足回りに細心の注意は払わないといけないし燃費は最低だが、遮るもののない大平原の広がる満州にこそ相応しい戦車だそうだ。
 そんな西の自慢話のような説明を受けた立花だったが、実物を前にしていると「まあ、そんなもんだろう」と思うことにして、そろそろ本題に入るべく口調を切り替えた。
「ねえ、西さん。そろそろ中も見せてくれませんか?」
「ええ、もちろん!」
 屈託無く答えた西だったが、目がすうっと細くなる。立花の言葉が、今回の事件への了解を伝えるサインだったのだ。
 そしてこれこそが、人民海軍の重要なポストにある立花清大佐がここを訪れた理由だった。

 

 その日の夕刻、駐屯地を後にした立花は、遠く大連への帰宅を急いだ。
 彼は、駅舎を東京駅風にさらに増築中の新京駅で、大同大街(街のメインストリート)の三中井百貨店まで遠出していた女中のマリアと合流。その後大和ホテル近辺で遅めの夕食を済ませると、予約をとっていた寝台特急型「あじあ号」(新型車)で急ぎ大連へとって返した。
 独特の蒼、プルシャンブルーに彩られた二重連の「あじあ号」に寝台車を多数接続した16両編成の夜行型「あじあ号」は、夜10時新京中央駅(新京では他3駅がある)を発つ。
 同列車はソ連国境の街満州里始発の寝台特急で、朝出発するとまずはロシア人の街ハルピンへ至る。一部路線はそのままウラジオストクを目指すが、この列車は満鉄主線に入ると一路大連を目指す。そして午後6時にハルピンから乗った場合でも、豪勢なフルコースとサービスを楽しむことができる移動する一流ホテルだ。サービスを行うために従業員用の車両があると言えば、豪華さの度合いが分かるだろう。
 オリエント急行同様に従来の二等客車も多数連結されているが、ロシアの新たな貴族、テクノクラート向けの観光列車である。彼らは、赤い帝国から貴族趣味を満喫するため、わざわざこの人工の国へと足を運び、自国では味わいにくい贅沢と引き替えに多くのルーブルを落としていく。今の満州を象徴するような列車だ。
 だがこの時の立花達は深夜新京からの途中乗車なので、寝台車両で就寝している間に列車は進む。人によっては、夜間はバーとなる最後尾のサロンで過ごす者もいるが、彼らは少しばかり飲物を所望したぐらいだった。そして翌朝6時半、列車内の豪華な食堂車で少し早めの朝食を取れば、終点の大連駅、東側最大の不凍港へ到着という寸法だ。
 そして翌朝。着替えもあったので一度お屋敷と言えそうな我が家に戻ると、家の者全てに今日から明日にかけて仕事で戻れないこと同時に、今晩は出来るかぎり外出しない事をそれとなく伝え、彼の今の職場へと向かった。
 事前に呼び寄せていた軍の公用車で整備されたばかりの高速道路を走ること数十分。
 目的地は、大連から少し離れた場所にある、高地で囲まれた入り江の中心部だった。
 眼前では、いくつも巨大な土木機械が、天地創造を果たすべく任務を遂行している巨龍の群のようにうごめいていた。中心部はすでに一部が稼働しており、そこに彼の職場があった。
 巨大な縦長の溝と、廻りに敷かれたレールの上に据え付けられた巨大なクレーン。距離感を間違えそうになる巨大な倉庫。まわりでうごめくアリのような大きさの作業員たち。かつて見慣れきった光景の再現に他ならなかった。
 そこは、人民海軍の新たな拠点として徹底した大改造の進む旅順軍港だったのだ。

 ドガガガガ、バババババ、カンカンカン。
 機械の森で響き渡る様々な音が周囲を埋め尽くす中、立花は迷いなく歩みを進める。
 彼の先には新品の巨大ドックに据えられた、鋼鉄の海獣が横たわっていた。
 戦艦「武蔵」。人民海軍最大最強の戦闘艦であり、同時に東側や共産主義陣営と呼ばれるようになったソヴィエト連邦を中心にする国家グループ最強の水上戦闘艦でもあった。そして希少価値故に、人民政府が持つ有力な外交カードの一つでもあった。
(政治のゴタゴタにクーデター、くだらん事が続くものだ、まったく)
 心の中で現状に悪態をつく立花だったが、数年間も彼が根城としてきた巨艦を眺めていると、自然と心が明るい気分になるのがわかった。
 彼も西大佐と同類なのかもしれない。
 そうして彼が、自分の分身ともいえる存在を眺めていると、少し離れた場所からがなり声が押し寄せてきた。
「オイ! 立花の旦那! 何この武蔵様に見とれてやがる。それじゃまるで妾か娘を眺めてるみてえだぜ!」
 元気な初老の男が声の主だった。いかにもな白のつなぎと帽子をまとい、手には様々なメモや書類が挟まったクリップボード、首には汗と油まみれのタオルをかけている。
「おやっさん! どうですか私の娘の調子は?」
 立花は首を声の方に向けると、彼に負けじと大声で問いかけ、そのまま彼の方向に大股で歩き出す。
 その言葉にガハハと大笑いしたおやっさんと呼ばれた初老の男は、まだ距離が離れているにも関わらず、大声で調子よく言葉を続ける。
「どうですか、だと。馬鹿言うもんじゃねえよ。旅順全体の浚渫が終わったのが四ヶ月前。海水を引き入れ直したのが三ヶ月前。このドックが完成したのはつい二ヶ月前。このデカイ穴が座り込んで一ヶ月、昨日やっとばらし終わったばかり、ときたもんだ。調べるのはこれからだぜ!」
「では、しばらくは動かせませんね!」
「おうよ、ここの施設じゃ、しばらくどころか一年は無理だな。まあ、少しでも早く完成させたきゃ、露助から色々せびり取ってきてくれや。そしたら期日もうんと短くしてやるよ!」
 そうしたやり取りをしているうちに、近くの事務用の小屋に歩みを進める。小屋の中に入って二人してどっかと腰を据えると、おやっさんが入れた冷えたウーロン茶を飲みながら仕切直した。
「で、実際のところどうですか?」
「んん? まあ見た通りだ。船体は二年も海に浸かりっぱなしだったからな。まずは徹底した掃除と錆落とし、あとはボイラーの整備だな。知っての通りそっちはだいぶ進んでる。だが、露助がくれるってもんや倉庫で眠っているやつを載せるかどうかはそれからだ。作られた国や場所の違うもんだ、図面すらない艦艇に積み込むわけだから、まともに使えるかどうかすら分からん」
「やはりそうですか……」
「おうよ、吉原に来たばかりの泥くさい田舎娘を太夫や花魁にするようなもんだ」
「おやっさん、そりゃ洒落になんないよ」
 立花のあからさまな落胆を紛らわせようとしたおやっさんの気遣いだったが、違った面で立花を苦笑させてしまった。おやっさんの言った太夫や花魁という言葉が、この国の現状と「武蔵」の姿を端的に表現し過ぎていたからだ。
 軍人ばかりの日本人社会。ソ連が供与した電波兵器や高射兵器で覆い尽くされる予定の「武蔵」。
 まさに徳川時代の江戸の街と遊郭の花魁だった。
 そして田舎娘から花魁にしてもらう予定の「武蔵」が今の状況になったのには、いくつか理由があった。
 最大の原因は、人民政府の支配領域に巨大な「武蔵」が入渠できるだけのドックがない。深さ十二メートル以上に浚渫された港もなく、最大規模の港湾である国際港湾都市大連の沖に仮泊するしかなかったからだ。
 朝鮮半島南端の釜山が多少は母港の役割を果たせたが、釜山は日本列島に近すぎた。
 しかも唯一の軍港になる旅順は、明治時代に帝政時代のロシアが作り上げたままと言ってよく、喫水や施設の問題で武蔵ほどの巨艦は、港に入ることすらできなかった。日露戦争でロシア海軍が、戦艦の修理を干潮時の干上がったときに行っていたと言えば、旅順の水深の浅さが分かるだろう。
 このため逃走から二年以上にわたり、大連の片隅で隠れるように過ごさねばならず、整備兵と部品の不足など整備状況の悪化から、ここ半年はまともな稼働状態にすらなかったほどだ。
 もちろん人民政府も人民海軍も「武蔵」の重要性は認識していた。ソ連すら早く使えるようにしろと催促して色々用立てたほどだ。
 そして急ぎ彼女の新たな家を用意したのだが、完成したのが数ヶ月前ということだった。
 もっとも、軍艦を隠すのにもってこいの旅順だったが、浚渫してなお巨体を隠すには少しばかり狭く、「武蔵」にとって快適な場所とは言い難い。
 ドックからの出し入れの時は、戦前に流行った空想科学冒険小説の秘密基地真っ青の出渠プロセスが必要なほどだ。少なくとも船台型の大型造船施設などは作れない。一度に満載七万トンの巨体が海水を押しのけると、旅順の港湾施設が水浸しになってしまうからだ。
 なお、ようやく新しい家の寝床にしけ込んだ「武蔵」だが、これから最低三ヶ月は徹底したオーバーホールが予定されていた。本来なら、第二の仮想敵であるアメリカに対抗するため、時代の進歩に伴う改装工事を実施したいところだったが、まずは使えるようにするのが先決だった。
 もっとも、政府も軍、ソ連ですら、今や東側最強となった軍艦に殊の外気を使っていた。このためオーバーホールの間に、どのような改装をするかを上層部で決定し、実施される予定が立てられていた。
 現在の予定では、完全に旧式化した対空火器の刷新、ドイツとソ連製の電子機器の搭載と、それに伴う発電力の強化が予定されていた。
 おそらく対空砲はソ連製の新型十センチ両用砲、三七ミリ機銃で全身を覆い尽くす事になるだろう。火砲の新設に連動して射撃統制装置の変更も行われ、ソ連からの供与も決定していた。
 今のところ、海軍用装備を設計、製造する能力のない人民海軍には、国産や日本製のものを使うことはできなかった。
 主砲弾についても、ソ連の技術者を交えて新開発される予定の榴弾以外、日本から出てきた当時のもの以上は補充されていない。特別サイズの被帽付徹甲弾を量産するには、技術、コスト面から難しかった。
 そうした技術的な会話をしていた二人だったが、おやっさんの方はこんな時ぐらい少しは違う事を話さねばと考えたようだ。
 再びべらんめい口調で話し始めた。
「そうそう、新しいドックには色んな連中が増えたぜ。後で挨拶がてら見ていっちゃどうだ。是非会いたいっていうヤツもいるよ」
「ほう、どんな連中ですか?」
「おう、レニングラードから来たっていうガチガチの共産党技術士官殿はおいとくとして、付き合わされた露助の技師連中は意外に話せるヤツらだ。あと、是非にってのが、捕虜になってシベリアでエゾマツの数を数えていたっていうドイツの技術者と海軍の人間。で、ドイツの連中ってのが生真面目で腕もたってよお、俺ぁ連中にもし祖国に戻れねえんなら、こっちに永住しちゃどうだって話してるのさ」
「ほお、ドイツさんですか。何だか第一次世界大戦みたいですね。永住希望するなら、私が海軍に働きかけましょう」
「そいつぁ頼もしい。露助の連中も海の事となったら、からっきし弱い。ソ連共産党の連中もこっちには腰が低いから、案外うまく行くかもな」
 おやっさんと呼ばれる男は、闊達に話を続けるが、立花の見たところ彼もそのドイツさんとさして変わらないのではと思う。
 もともと彼は、戦中にシンガポールのドックの面倒を見にいって、そのあと点々と占領地の港や造船施設を回り、天津にいたとき日本のためと請われて旅順に来て、部下などのしがらみもあって残らざるを得なかったと聞いたからだ。
 自分のように、家族や一族を守るためというような理由の者は、やはり少数派だ。誰だって、不毛なケンカ別れなんて止めて、内地に帰りたいのが本音だろう。
(軍中央にいるおめでたい連中は例外だが……)
 少し暗い気分になっていた立花だったが、彼は最後に本来の成すべき事をおやっさんに告げ、事情を知る一部の部下や同士と共に事件発生の瞬間を待つことになった。
 そしてその瞬間は翌日の深夜に訪れる筈だった。


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