■長編小説「虚構の守り手」

●第六章「悪戦」(1)

 一九五一年十二月二二日 熊本

「九州はもっと暖かいと思っていたけど、違うんだね島田一佐」
「まったくです、閣下。平地は中途半端に雪が降られて困っています。溶けた雪で地面が柔らかくて、アメリカ製の車輌は簡単に立ち往生。小競り合いで、イージーエイトが機動性でスターリンに遅れを取る始末ですよ」
「その報告は聞いたよ。たまらんな、露助の重い戦車ですら楽々動かれては。しかしここ阿蘇山麓は雪で埋もれてるから、どっちもどっちだよ。カルデラとはいえ、日本有数の大山だからね。まあ、一緒に暖まりながら話そう」
 そう言って島田豊作一佐を招き寄せたのは、栗林忠道陸将。九州防衛軍総司令官の任に当たっている貧乏くじを引かされた男だ。今年で還暦を迎え、本来なら定年で退役するところだが、米軍からのご指名あって、対外的には陸軍大将扱いで最前線に身を置いていた。
 しかし彼の勇名は、この秋の防戦成功をアメリカが派手に宣伝した事で全世界に轟いた。彼が戦争の天王山とした熊本戦線は、全世界の注目を浴びたほどだ。
 戦闘のクライマックスは、人民軍の攻勢開始から三日後の熊本市前面十キロでの防衛戦。ここで機動防御を成功させ敵一個軍団を殲滅した陸上自衛軍第五師団とアメリカ第一騎兵師団は、第二次大戦後では世界一有名な師団となった。
 日本の子供達で、カープ(鯉)とキャバリアー(騎兵)の名を知らぬものはない。
 もっともその後の戦闘は、熊本県に少し入った菊池川を挟んだ睨み合いと小競り合いばかり。秋に人民軍側が敗退してからは、どれほど世界中が注目しようとも動きようがなかった。あるフランス人従軍記者は、「熊本戦線異状なし」という皮肉を込めた報告を送ったほどだ。
 だからといって、熊本戦線の重要性が薄れたわけではない。熊本全土が陥落するようなことがあれば、佐世保鎮守府司令だったこちらも退役間際の太田実海将のもと、決死の防戦を続けている長崎戦線の崩壊も意味するからだ。佐世保の米軍海兵隊だって、船で本国に戻るより他ない戦線だった。
 いかに海上輸送能力に優れる国連軍とはいえ、包囲され橋頭堡となる場所がなければ安心して物資を揚陸できない。
 そして佐賀から福岡の県境から少し南に移動した戦線を中心に、双方合計二十万人以上の軍団が向かい合っていた。今の熊本戦線も、県北部の菊池川で対陣している。
 兵力は、人民軍側が集成編成の三個師団規模。国連軍が、先の戦いでも活躍したカープ(第五師団)とキャバリアー(第一騎兵師団)だ。
 ほかの熊本戦線には、後方にこれまでの戦闘で消耗した在郷の第六師団などがある。
 なお、ローテーションの偶然で最初の戦闘を戦った第四師団は、二度と戦線に出れないほど消耗して、まるごと郷里の近畿に戻っていた。
 また、国東半島を支える大分戦線では、九州在郷の第十二師団が開戦からずっと頑張っており、長崎ではなし崩しの増援で旅団編成にまで膨れあがった海軍陸戦隊とアメリカ第二海兵旅団が、それぞれ長崎と佐世保を守るべく踏ん張っている。
 ほかにも、国連軍という事で多数の国が大は旅団から小は中隊レベルで兵力を派遣。国名をあげるだけでも、十五ヶ国におよんでいた。
 そして全ての最高位にあるのが、阿蘇山麓に陣取る九州防衛軍総司令部と、総司令官栗林忠道陸将だ。なお、陸将は海外での中将に相当するが、司令官という肩書きによって大将に相当する地位にある。
 対する人民軍は、富永大将麾下の七個師団、十二万人から十三万人が前線にあると見られていた。ほかは、対馬海峡全域にかけられたミグ戦闘機の傘によって全貌が掴めない。主に半島を用いた補給線も、朝鮮半島南部を廃墟にしつつある米戦略爆撃兵団の妨害、日米の空母機動部隊の通り魔のような不意打ちにもめげずなんとか維持されていた。太平洋戦争終盤に日本を苦しめた潜水艦も、ミグ回廊を我が物顔で飛ぶ対潜哨戒機が搭載する磁気探知装置(MAD)や小型の対潜艦艇のアクティブソナー、各種対潜装備の前に形無しだ。多くはアメリカや列島日本が前の戦争中に原型を開発したものだが、損害の酷さに合衆国海軍が当海域への出撃停止を命じた程だった。
 このため人民軍の九州への海上補給路は維持され続け、ほんの一週間にも、かなりの規模の突破船団の博多入港を許したばかりだ。
 なお、人民軍の支配領域となっている福岡県と佐賀県の人口は、信じられないほど低下していた。噂では、住民の数より人民軍の数の方が多いぐらいだと言われた。
 これには様々な要因がある。
 ひとつは目は、人民軍が包囲を完了する前に脱出した数がかなりにのぼったこと。特に北九州市で顕著で、関門トンネルを人民軍が封鎖するまでに、国鉄が全力を挙げて市民の脱出を図った。最後の列車は事実上の装甲列車となり、人民軍の銃撃を受けながらのトンネル突入だった。
 ふたつは目は、人民軍の当初の仁政が、憲兵や兵隊の些細な横暴によって旧軍の悪しき幻影として支配領域の民心の面で崩壊したこと。
 みっつ目は、補給線が当初予定より細った事で、市民に十分な食料が配給されなくなったこと。
 よっつ目は、人民政府の手により帰りの輸送船で多くの人が満州に送られたこと。もちろん目的は、大陸日本での日本人人口拡大のためだ。彼らの宣伝によれば、非常に良い待遇を受けているらしい。
 そして五つめ目が、占領後の徒歩での脱出。これが最大派だった。食糧供給も後方への移送も難しくなると、情報漏洩の危険がないと判断されると、人民軍の側が戦線の隙間からの脱出を黙認するようになったのだ。この裏には、脱出民に紛れてスパイや特殊部隊兵を多数紛れ込ませる作戦もあったが、最大の原因は占領地の食糧不足を原因とする住民暴動を恐れたからだ。
 そしてすべての結果、人口密度が高い場所は占領地域にある炭坑と港湾部だけで、ほかは全くのゴーストタウンと化していた。北九州市の八幡製鉄所も完全に火が落ちて操業停止状態だ。こうなっては、高炉は作り直すぐらいの修理が必要だろう。対岸の下関市から見える景色は、鋼鉄の廃墟に他ならなかった。
 なお、博多、北九州、唐津など古い伝統を誇る北九州の街々の息吹が全く失われたが、戦後町の活力を再生できるのかが、双方の後方担当者にとっての最大の問題とすら言われていた。九州南部や中国地方などに逃れた難民対策も、政府の頭を悩ませていた。

 人民軍はそんな地獄に、半島からのわずかばかりの補給線を頼りに閉じこめられており、引くことも押すこともできないと国連軍は判断していた。米軍を中心に熱心な戦略爆撃と空母機動部隊による襲撃が行われていたからだ。
 しかし、今阿蘇山麓の地下要塞で向かい合っている二人の指揮官は、楽観からはほど遠かった。
 好々爺のように手をストーブであぶりながら、栗林が切り出した。
「来るかね、連中は」
「来ます。前線での動きはこの秋によく似ています」
「確かに船団が入ったという情報は来ているが、攻勢をかけられるほどなのかな。国連海軍の潜水艦が輸送船狩りをしている。ほかに見逃しているとは思えないんだが」
「食料を犠牲にしてでも、燃料と弾薬を持ち込んだんでしょう。もしかしたら増援も。食料の方は、攻勢の後にほったらかしの田んぼで収穫していたという住民の情報もあります」
「秋の攻勢も、熊本に集中した理由が収穫物が狙いだったていう噂もあるしなあ」
 ピーッ。栗林の言葉の最後をストーブ上のヤカンの沸騰を告げる音が遮った。
「おお、コーヒーが暖まったぞ。本場ものだ。我々が世界中とつながっている証だ。まあ、飲め。暖まるぞ」
「はい、いただきます。……確かに、補給体制の潤沢さは帝国陸軍時代とは天と地ほどの差ですね。この点だけは、アメリカに完敗だったとつくづく思い知らされますよ」
 ズズズッ。熱そうにコーヒーをすすりながら、島田が嘆息する。従兵も下がらせた栗林の個室なので、すべてセルフサービスだ。
 栗林も手酌でヤカンからスチール製のカップにコーヒーを注ぎながら話しを続ける。
「だが今は最も頼りになる同盟国だ。問題が皆無ではないが、一番日本で血も流してくれている」
 栗林はかつての事より今を重要視していた。そのままの少し重い口調でかたり続ける。
「で、前線の様子はそれほど慌ただしいか。第一騎兵からは変化なしという報告しか上がってないぞ」
「あっちは沿岸部ですからね。しかし、内陸寄りの第五師団ではそう思ってないようです。それで、師団司令部の人間が離れるわけにいかないという事で、後方で待機している私にお鉢が回ってきたしだいです。ご迷惑かと思いますが、しばらくおつき合いください」
「相変わらず、私は将校から嫌われてるなあ。君も貧乏くじだな、こちらこそお察しするよ」
「恐縮です総司令」
 自分の振る舞いを自ら笑った栗林に応えた島田は、敵が動き出す兆候を話した。
 特に島田の報告は、後方待機ということで時間的ゆとりがあったことから、前線の将兵からも多数の言葉を聞いているだけに真実みを帯びていた。同じ戦車兵同士という、階級を越えたネットワークも有効だった。
 そうした報告書にはない情報を彼が話し終わるのを待って、栗林が言葉の爆弾を投げ込んだ。
「概要はだいたいわかった。だが、それだけでは済みそうにないぞ」
「と申されますと」
「ウン。司令部直属の地元出身で固めた長距離偵察隊がついさっき戻ってきたんだ。で、彼らが見たものが正しければ、虎が出てくる」
「西少将の重戦車旅団ですか……戻ってきてたんだ」
 島田は絶句してしまった。開戦当初の彼らの活躍、そして恐ろしさは現地で戦う敵味方双方にとっての語りぐさだった。
 小山のようなドイツ製の重戦車と空想科学小説から飛び出してきたようなソ連製の戦車が、アメリカから供与された第四師団の戦車連隊に属するM4の群を手もなく粉砕した事は、同じ戦車乗りとして恐怖以上の何かだった。
 だが、開戦当初猛威を振るった後、凱旋パレードのため満州に引き揚げたと残地諜者から報告があった。事実、博多占領のパレードを新京で行っている姿を捉えたニュース映画も入手された。彼らの大本営発表並の下品な放送もそう言っていた。
 だがそれは、ダミーか別の部隊だったのかもしれない。それともアメリカの爆撃で吹き飛ばされた部隊の変わりがないので、再び舞い戻ったのかもしれない。真実は、向こう側に聞くしかないだろう。どちらにせよ、北九州に陣取っているという事だ。
 加えて言えば、米軍偵察機が見落とすことなど日常茶飯事だった。その点に関しては今さら驚くまでもない。だが、重戦車旅団の再出現は十分驚きに値した。
 そんな思いが顔に出たのか、栗林がコーヒーをすすりながら質問した。
「どうかね島田君。君の戦車隊で防げるかね」
「人として正直になって構いませんか?」
 島田は答え、黙ってうなづく栗林を確認すると言葉を重ねる。曰く、「出会ったら即、尻に帆かけて逃げたいですね」。
 あまりにアッケラカンと言ったので、聞いた栗林は口にしていたコーヒーを噴き出しそうになった。そしてそれを回避すると、そのまま苦しそうに笑った。
「そりゃいい。私もごいっしょしていいかい」
 そして二人して大笑いした。恐らく扉の向こうの従兵はおかしな顔をしている事だろう。ウチの将軍はついに頭のネジが緩んでしまったのかと。
 だが、二人とも全く別の意味で本気だった。逃げることができないのも理解している。だから一通り笑い終えると、島田が決然と口火を切った。
「閣下、我々は悪戦します。後方から新しい玩具もいくつかもらいました。易々と突破は許しません。ですから、我々が止めている間に、爆撃と砲撃で何とかしてください」
 そして島田は最後にこう続けた。
 場合によっては、我々ごと吹き飛ばしていただいても結構です。西さんの部隊を吹き飛ばせばこの冬は乗り切れるでしょう、と。

 ◆

「ぶえぃっくしょん!」
 陸上自衛軍の恐怖の象徴とされた男は、大げさな身振りとともに大きなくしゃみをした。
 例年より寒い九州の冬を前に、せっかく満州より温かい場所に来たというのに、これでは貴族の伊達男も台無しだ。まわりの兵たちも礼儀で笑いをこらえているが、彼の見えない場所で笑い者にする事は疑いない。
 伊達者の指揮官にあるまじき失態だ。しかたないので、目のあった兵に向かって「ニッ」と強く笑っておくことにした。こうしておけば、少なくとも悪い印象にはならないだろう。
 そこに、何事もなかったかのような顔のアイゼンビュット曹長がやって来て、ドイツ軍人らしい見事な敬礼を決める。
「閣下。通信参謀の間島大尉が、旅団司令部までお越し願えないかとの事です」
「分かった。まあ、遅れていた整備中隊、補給大隊の到着に関してだろ。ところで、偽装の方はどうなっている」
「ハイ、各車両の偽装完了と、連隊長を通じて全中隊長から通信が入りました。本車両も今通信を受けたところです」
「了解。ほぼ順調だな」
「ほぼ? 何か問題でもありますか、全ては許容範囲と思われますが」
「ああ済まない。全て順調だ。十分に補給できない前線ということを思えば、今以上の望むのは難しいな」
 西はいかにもドイツ人らしい完璧主義と、日本語の曖昧さの魅力の差について講義しようかとも考えたが、今さらと言う気持ちが勝り、適当に誤魔化すと乗車へと足を進めた。
 彼が歩みを止めた先には、一メートル以上掘り下げられた大造りな壕に、狭そうに伏せる一匹の虎がいた。
 ティーゲル・ツヴァイだ。だが、砲塔は他と大きく違っていた。あえて言えば初期型のポルシェ砲塔と呼ばれる形状に似ている。砲塔から突き出ている砲身を見ると、自然と口がにやつくのが自分でも分かった。
 そこにいつの間にか横に並んでいた曹長が口をはさんできた。
「閣下、本当に今回もこれで出撃なさるのですか?」
「曹長は、旅団長なんだから後方の装甲指揮車にいてくれ、といいたげだな」
「その方がはるかに合理的かつ効率的です」
 アイゼンビュット曹長の答えに淀みはない。本気でそう考え、そして意見しているのだ。
 旧帝国陸軍ではあり得ないし、今のこの国の軍隊も似たようなものだが、西の支配する部隊は例外に近かった。また軍事顧問としての役割が多いドイツ系軍人には、下士官以上には将校並の発言が公的にも許されている。
 そして彼は、はるか雲の上の階級の上級将校に、与えられた権限を躊躇なく行使していた。
 そんなドイツ人の生真面目さに少しおかしみを感じた西は、少しからかってみる事にした。
「確かに曹長の言う通りかもしれん。だが、この虎の中なら一番生存率は高いと思わないか。それに搭載弾薬を減らして通信装置も強化してある」
「ですがこれは、もともとは中隊指揮官用です。また戦車からの視界は極めて限られており、前線指揮にも限界があります。大隊や連隊レベルなら指揮可能かもしれませんが、複合的な編成の旅団指揮はまず無理です」
「よく分かった曹長。では、君がこれからこの虎の車長だ。この虎のことを一番知っているのは君だからな。頼むから無事連れ帰ってくれよ。私は少し後ろで見物させてもらうぞ」
「ハッ!」
 反射的に敬礼した曹長だったが、次の瞬間「エッ、エッ」とばかりにとまどっている。それを見ると流石に声を出して笑い出してしまった。気が付いたら腹をかかえて笑っていた。
 そこに曹長が少し怒った声がする。
「冗談なのですか閣下」
「アハハハ…。いや、笑ったことは済まない。でも、冗談じゃないぞ、本気だ。後で文書にもしてやる。明日の攻撃開始までに適当な砲手を見つけておけよ。戦車に乗ったままの突撃なんて、福岡突破戦で懲りたよ。何も分かりゃしない」
 最後に虎を見ながら、憮然と腰に手を当てた。
 それを見た曹長は少し安心したようだ。
「了解しました、閣下。本車両を無事新京の駐屯地まで連れ帰れるよう、最善の努力をさせていただきます」
「ウン、頼むぞ。この虎はとびきりの美人だからな」
 あくまでも真面目な曹長に、相変わらずの軽口で答えた西だったが、本当に無事に帰られれば良いと思った。
 なお、彼らの前に鎮座する虎は、世界的には幻の虎と言われる車両だ。福岡突破戦の先陣を切った車両であり、その後の新京凱旋パレードで西大佐改め少将が座乗した車両だからだ。
 しかもこの虎は、人民軍がスクラップとソ連からの資材で作り上げた鋼鉄の合成獣だった。
 もとは、初期型のポルシェ砲塔を搭載したティーゲル・ツヴァイだが、新京に運ばれた時点で主砲が途中からバッサリ折れていた。
 本来なら部品取り用だったが、エンジンが完全に無事で状態も良好だったため主砲が届けられるのを待つことになった。
 しかし、待てど暮らせど使い回せそうな主砲は届かなかった。それどころかシベリア鉄道でやってきたのは、虎とは直接関係のない戦車と部品の山だった。四号戦車がそのまま貨車で送らてきた時には、さすがの西も頭がクラクラしたものだ。だが、後期型のパンターは共通化された部品も多かった。砲塔のないツヴァイなど、試作車両のガラクタとしてとどけられた最終型の砲塔を無理矢理改造して載せているものもあったほどだ。
 また、ティーゲル・ツヴァイと同じシャーシを使っている筈のヤクート・ティーゲルが、巨大なガラクタとして二週間もかけてシベリア鉄道を使い大陸を横断してきた。どうやって貨車に乗せたのか、疑問しか出てこない荷物だった。しかし、届いた時点で主砲が取り外されており、車輪などを予備部品として取った以外何の役にも立たなかった。
 工場の側で数両分山積みされた錆びかけの巨大なシャーシは、工兵と安山製鉄所職員が来てバーナーで時間をかけてバラバラに分解し、喜んで持ち去っただけに終わる。彼らいわく、最高級の「屑鉄」だそうだ。
 そんな日々を過ごしていたが、結局目の前にあるツヴァイのための砲塔は、ガラクタの山の中にはなかった。このため他の残骸と共に共食いをまたしようという話しになったが、どうせ員数外なんだからと、技術者や工員達が今後のために何両かまともに走るやつをくれと言いだし、この車両を含めた何両かが拠出されてしまう。
 そしてそれから数ヶ月。西が北九州に出発する数ヶ月前に今の形になって戻ってきた。
 戻ってきた本車両の最大の特徴は、ソ連軍の最新鋭の戦車砲、「D10T 100mm砲」を装備している点だ。
 艦載砲からの転用だが、砲の破壊力、速射性などまさにポスト大戦型の主砲だ。この主砲を搭載したT54戦車が、49年からソ連軍に量産配備が始められていたが、主砲そのものは既製品の改良のため供与が成立したらしい。
 だがこの主砲を装備するために、主砲基部と前楯、天上装甲がまるで違う装甲形状に変化していた。しかも巨大なはずのツヴァイの砲塔に収まりきらず上に少しはみ出し、工員が鋳造工場に無理矢理ねじ込んだ特別あつらえの装甲で覆われていた。装甲厚も半ばやけくそ気味に最大二〇〇ミリある。
 このタイプは他にもう一両あって、民間ルートで入手したアメリカ製大出力無線機をしつらえて、その他様々な場所に手を入れた末にスクラップ予備軍から「新鋭戦車」として帰ってきた。そして西の元に来て以後は、第一中隊直属車両として保持されている。
 工員達は、各中隊の指揮官用にと考え無線機などしつらえたらしいが、もととなったティーゲル・ツヴァイのエンジン信頼性を思えば、それはさすがに危険すぎた。
 なお、工員達はこれを元の王虎にかけて「カイザー・ティーゲル」と呼んでいた。
 また、同じ対戦車砲は他にも十数門あって、ソ連から供与された一番大きなシャーシのスターリン2型の車体の上に搭載していた。装甲は申し訳程度しかないが火力は絶大だ。これが同じく部隊にやって来きて、これをドイツ人たちはナスホルン・ツヴァイやヤークト・マルダーと呼んだ。なお、同じ砲を装備したSU100突撃砲が供与されなかったかのも、T54と同じで秘密兵器扱いだったからだ。
 そしてこの事は、大戦中最強の戦車といえど、既に時代に取り残されつつあるという事の何よりの証拠といえた。救いは、相手も同じか自分たち以下の装備ということだろう。
 しかし、エンジンもアメリカ製プラグや部品を使うことで信頼性を強化し、その他出来る限り第三国ルートで入手した耐久性の高い優秀な部品に交換、もしくは元の部品を加工して使用している。時代に追いつくことは難しいが、まだ歴史の中に埋もれたわけではなかったのだ。
 もっとも、大戦中に使用されていたソ連軍の旧式突撃砲が、装備を主砲からドーザーに切り替えて、虎たちの壕を掘って回っていたことは、戦車の末路を皮肉る存在として、関係者を憮然とさせていた。

 そうした曰く付きの装甲車両の伏在地を後にした西は、少し離れた旅団司令部へと足を向けた。
 偽装された司令部には、ソ連が「特別に」供与した新型の4×4装輪装甲輸送車が数台止められていた。そして装甲車を楯がわりに、間にテントを張って無線機を机の上に並べた野戦司令部が開設されている。
 数百台の装甲車両、自動車両を指揮統制するにはこれぐらいの規模は必要なのだ。
 テントに足を進めた西は、さっそく各所に命令を発令。作戦発動に向けての準備を急がせた。
 作戦は今からほぼ丸一日後の二十三日深夜に開始され、四十八時間以内の作戦完了が見込まれていた。
 作戦目的は、この秋に奪取しそこねた熊本平野の制圧。第一線の突撃部隊が敵第一線を引きつけている間から突破戦力を担う西の戦車旅団が進撃。爾後国道443号線を突っ切り熊本市の反対側の緑川に達し、そこから海岸線を目指して一気に熊本市を包囲してしまうのだ。
 平地を失った敵は、熊本の半分を明け渡さざるを得ない。そうなれば有明海は奪ったも同然で、長崎、佐世保前面の山間部で踏ん張っている敵海軍部隊を側面や後背から攻撃する事も可能になる。
 それが人民軍の表面的な目論見だ。
 そして表向きのもう一つの本音は、政治的な限定勝利を目的としたものだった。
 国連軍の軍事力、旧軍の影に怯えるだけの列島日本人。この二つの事をまともに考えれば、もはや日本本土の軍事的、政治的解放など、物心両面で幻想に過ぎないことは明らかだった。
 そして解放に代わりうる政治的代案が、何とかして長崎、佐世保を落として港と街を破壊。列島に巣くう連中が企てた「侵攻」計画を長期的に「とん挫」させるというものだ。つまり大陸日本に対する策源地の破壊こそが、今回の遠征の最大の目的と言うことにすり替えられたのだ。
 今回の作戦は、その第一段階にあたる。この後もう一度突破船団を編成し、その増援兵力で一気に勝負を決する予定だった。そして「作戦目的」を達成した人民軍は大陸に凱旋。戦争は一方的に終了する。
 これが新たに書かれたシナリオだ。
 何しろ自衛軍とやらも国連軍も、侵攻するための軍隊ではない。それにソ連の影があっては、大陸に侵攻するなど出来ようはずはない。
 そんな希望的観測にのっとった手前勝手なシナリオだった。
 しかし裏には、もっと切実な問題があった。
 今回計画された一連の作戦を半分以上成功させなければ、戦争はいずれじり貧で終わり、来年の夏を待たずして北九州にある全軍は降伏を余儀なくされるのだ。
 しかも十万人以上展開した戦力を、一度に引き返すだけの船はもうない。ソ連からの援助で維持されている限定的制空権が維持できる保証もない。
 だからこそ、一度攻め切らねば引き返すこともできない。
 それが人民軍の置かれた現状だったのだ。
 そして前線にある将兵達は、状況をよく理解していた。また、もし降伏を余儀なくされれば、奪回にやってきた列島日本人達にどのような復讐をされるのかという恐怖が、無謀に近い作戦を心理面で後押ししていた。
 もっとも旅団司令部で指揮を取ることにした西に、不安そうな側面を見ることはできない。
 いつ如何なる時も絶望しない戦士の姿がそこにあった。そのせいだろうか、絶望に近い感情の溢れた北九州の大地に急ぎ送られてきた旅団将兵の士気はすこぶる高かった。
 あとは、相手が適度に弱ければ作戦は成功するだろう。西はそう思いながら、司令部の情景を見つめていた。



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