■長編小説「虚構の守り手」

●第六章「悪戦」(2)

  一九五一年十二月二十三日 熊本

 突如、島田豊作一佐の眼前に地獄が出現した。
 皇太子誕生日の午前二時半、菊池川中流域は、ソ連製122ミリ榴弾砲、152ミリ榴弾砲、旧軍の様々な火砲、そしてカチューシャロケットの一斉砲火で天変地異すら凌駕するような破壊で満ちあふれた。
 砲撃は一時間。密度は高いが、彼らにしては短い。物資が不足している証拠だった。おぞましくも美しい情景を作り上げたカチューシャの一斉射撃など、最初の一回しか行われていない。
 しかも、こちらの航空自衛軍の反撃も効果を発揮していた。
 いまだまともな全天候型の能力がないミグ15のいない夜の空は国連軍のものだった。米英製の優れたレーダーを搭載した夜間作戦機は、前線の航空統制士官などの誘導に従って手当たり次第対地攻撃を実施している。
 開戦当初あれほどいたソ連製中古戦車を粉砕したのも、彼ら鋼鉄のミミズクたちだ。
 そして今回の敵の攻撃を直前で是とした米軍は、緊急に重爆撃機の群の夜間爆撃すら実施し、膨大な量の爆弾を敵の鉄道、道路上にぶちまけた。
 そして今も頭上を超低空でフライパスしていく編隊がわかった。轟きが、遠雷のように聞こえてくる。
 旧軍時代から使われているレシプロ機が、エンジンなどを換装していまだ現役で頑張っているのは島田もよく知っていた。
 美濃部正一佐率いる夜間襲撃部隊だ。
 北九州の戦場で彼らに危機を助けられた事も、一度や二度ではない。今夜も見事な攻撃だった。
 彼らの投下した各種爆弾、油脂焼夷弾、ロケット弾によって、敵が吹き飛ばされるのが遠望できた。残念なのは、攻撃がほんの十分程度で終わってしまったことだが、こればかりは彼らの使うレシプロ機の性能のため如何ともしがたい。
 だが、彼らは最後まで任務に忠実だった。
 激しい対空砲火が襲いかかる中、大型の照明弾をあるだけ投下するのを最後の仕事に取りかかっていた。
 アメリカ製の大型照明弾によって、今し方叩かれていた敵軍が浮かび上がる。
 そして浮かび上がった情景を見てゾッとした。
 人の海が損害を無視して押し寄せてくる様は、何度見ても見慣れるものではない。
 大東亜人民陸軍が行う人海戦術、通称「カミカゼ・アタック」が今回も第一派だ。彼らのために、苦労して設置した地雷原は無かったことになるだろう。
 コンクリートトーチカに潜んだM2ブローニング重機関銃と少し後方に多数展開する迫撃砲による無慈悲な弾幕射撃で大地に帰るであろう彼らを見ていると、哀れさや恐れよりも嫌悪感が何よりもまず先にきてしまう。
 数はおよそ二万人ぐらい。先の突破船団で送り届けられたのだろう、装備はそれほど悪くないようだ。
 短機関銃で武装しているのが見える。50メートルの槍を持った無防備なファランクスの突進だ。
 彼らはアルコールとヒロポン――朝鮮北部の化学工場で戦前から大量生産されている一種の覚醒剤で意識を高揚させている。しかも、無為に生きて帰ったりしたら家族共々銃殺刑なのが分かっているので、よほどの事でもない限り前進を自ら止めることはあり得ない。
 きっと第一線は酷いことになる。
(こっちも少し早めに動くしかないか)
 そう考えた島田は、第二線に配備されている支援部隊に榴弾の装填を命じた。
 人の海の後ろから現れる戦車よりも先に、人の海そのものを何とかしないと、飲み込まれたらそれで終わりだ。
 しかも、見る間に眼前の地獄が広がっていく。
 人間に向けるような火砲でない機関銃の、でたらめなまでに凶暴な弾幕射撃。無限に続く迫撃砲弾の発射と炸裂。鋼鉄の嵐をつき抜けてきた敵による短機関銃の一斉射撃。平等にうち倒されていく前線の歩兵たち。そして始まる白兵戦。
 人の海は半分ほどに減ったと見られたが、代償に第一線が消滅。津波に飲み込まれたような瞬間を島田は目撃した。予想以上の密度の攻撃が、こちら側の防御力を上回ったのだ。
 だが戦いはこれから。
 その証拠に、人の海の後ろからまともな装備を持った本当の歩兵達が遮蔽物を探しながら急接近してくる。
 彼がこちらがまともな対戦車戦を想定して構築した第二線を突破するための戦力だ。
 ちらほらと無敵のT34/85も見える。
 しかし視界の悪いT34は、近距離からのバズーカにはからきし弱い。距離五〇から側面を狙われればまず助からない。
 それを知っている彼らも、歩兵と共に慎重に前進してくる。
(だが、思うつぼだ)
 島田がそう思った瞬間。斜め側面から一斉に音速を超える流星が飛翔した。
 彼の部下達が放った対戦車砲弾だ。
 数は戦力半減した一個戦車中隊だったが、効果は絶大だった。一度に半ダースもの戦車を失った敵は狼狽。一部がこちらの射撃ポイントを見つけて反撃するが、今は半壊してしまった森の中の深い壕に潜っての射撃中。そうそう見つかるものでもないし、砲塔しか露出していないので視界が悪く照準装置の甘いT34では当てるのは至難の業だ。T34は数に頼んで来ないかぎり、決して恐るべき相手ではない。
 彼の乗る車両の無線機からは、混乱が広がる敵の無線を傍受した無線班からの報告がいくつも舞い込んでくる。ペリスコープから見える戦場パノラマも、その様子を余すことなく伝えている。
 しかし、それも今日は折り込み済み。このパターンの戦闘も、以前行ったものとほとんど変化はない。向こうもすぐに立ち直って、本命の第三波を投入してくるだろう。だからこちらも、これから起きるであろう事を予測して、手札の多くは伏せたままだ。
 今夜の彼に分からないのは、敵の本命が彼の目の前の陣地帯なのか、それとももう一つのポイントに来るかだ。もしかしたら、日没後に移動して第一騎兵の前面にきているかもしれない。
(まあ考えてもしかたない。一応どこに来てもいいようにしてある。しかし、できればこっちに来て欲しい。西さんには借りがあるからな)
 当然それなりの歓迎の準備はしてある。前よりも酷い事にはならないはず、そう願いたいものだ。
 そう思う島田だったが、彼の期待と願いは半分は期待通り、もう半分は逆の形で眼前に現れる。

「停車! 徹甲榴弾、三時、虎戦車、距離1400」
 連隊長車の島田自身が、ついに乗車の命令をしなくてはならなくなった。
 連隊の予備戦力が尽きたと言うことだ。
 車内では、彼の命令を忠実に果たしている操縦手、砲手、装填手の姿が見える。
 この戦車は5人乗り。あと無線手がいるが、彼は無線機にかじり付いている。夜間の混戦にあって情報は何よりも貴重だ。
 戦車内の連携は理想的だ。優れた主砲とジャイロスタビライザーも正常。停車後すぐに砲を目標に向け固定。砲手が即座に発砲する。
 そして命中。そして跳弾。
 赤黒い弾道が、闇夜でも白く見える小山に命中したあと、見事に弾かれるのが見えた。

 敵第二線接触から三〇分後、島田の希望は叶えられたが、決して喜べるものではなかった。
 敵出現位置は第五師団と彼の戦車連隊の予想通りだった。第二波攻撃の開始と共に、虎の群は今度は前衛部隊として堂々と正面から出現。第一波が無力化した地雷原と第一線陣地をやすやすと入り抜けると、再構築された第二線の蹂躙にとりかかった。
 そして初戦で活躍した別働隊の戦車を熟練部隊特有の嗅覚で一瞬で蹴散らすと、第一波が攻めあぐねていた第二線を圧倒的な鋼鉄の濁流となって突破した。
 今は、前線から五キロほど下がった第二次防衛線で激しい混戦が続いている。
(畜生。さっきの連中とはまるで練度が違う。さすが関東軍……いや人民軍最精鋭だ)
 当初は、島田にはまだそんな事を思う余裕があった。第二次防衛線で連隊主力を投入したので、数の上で自軍が優位にあったからだ。
 しかし、見る間に友軍戦車がうち減らされていく。しかも派手に炎を吹き上げる車両が圧倒的に多い。M4が燃えやすいとバカにされたのは先の大戦中だけ。島田に与えれたのは改良型の後期タイプのはず。にも関わらず簡単に火を噴くというのは、深く装甲を引き裂かれているのだ。
 双方の戦車の距離は平均一五〇〇メートル以下。
 島田連隊に対するドイツ生まれの虎は、持ち前の頑健さを見せつけていた。自重七十トン近いドイツ製の重甲冑は伊達ではない。しかも虎たちの牙、タングステン弾芯の71口径88ミリ砲も猛威を振るっている。アメリカ製の戦車と中の日本製の兵士は、文字通り串刺だ。
 もちろん、自衛軍側も手もなくやられているだけではない。基本的にダッグ・イン戦法を多用し、何より戦車の中にM26パーシングが含まれていたからだ。
 M26が搭載する90ミリ砲は虎たちの牙にこそ少しばかり劣るが、接近戦もしくは側面からなら十分相手を撃破する事ができた。事実、かく座し、煙を噴いている虎もある。
 残念なのはM26の装甲の薄さ(!)だった。おかげでキルレシオは3対1以下。手もなくやられているシャーマンよりマシだが、決して許容できるものではない。なにしろパーシングは、連隊全体の4分の1。まだ一個中隊しかないのだ。本来なら全て変更される筈だったが、南樺太の向こう側のソ連赤軍が大幅に増強されたため、以前から駐留する自衛軍精鋭師団に最優先で回されてしまったのだ。
 これに対して、相手は虎だけで二個中隊。
 虎のさらに外縁から、不整地を平然と突破してくる宇宙人の戦車のようなスターリン3型や、後方で異常な火力を見せている対戦車自走砲を加えると、蹂躙されていないだけ前よりマシという状況だ。
 しかもこっちは、今さっき最後の予備隊を投入したところ。第五師団の戦車隊も加わって数はまだ多いが、それも時間の問題に思えた。
 いや、戦車が少しばかり生き残っても、戦線突破されては意味がない。第三次防衛線などあってなきがごとしだ。
(やはり……例の支援を頼むしかないか)
 諦めるわけには行かない島田は、ついに最後の決断を下すべきか選択に迫られていた。今も他とは違う形の虎が、島田の隣の車両を派手に撃破したところだ。友軍車両の爆発が周囲を明るくする。
 それを見た島田は決断した。そう、何としても突破させるわけにはいかない。
 彼は無線手からレシーバーを受け取ると、無線手が調整した相手先に地獄への片道切符取得を申請することにした。
「アニマルハンターよりビッグマウンテンへ。状況黒。繰り返す、状況黒。送れ」
 状況黒。それは最悪の事態を告げる符丁だ。
 あと十数分もすれば、予備として拘置されている戦力を中心にして、そこら中からこの戦場めがけて爆弾と砲弾の雨が、敵味方を構わず降り注ぐ事になっている。この後、少し後ろで戦線を支える最後の予備隊の移動も始まった筈だ。
(それまでは戦線を支えなくては)
 気持ちを固めると、先ほど僚車を撃破した異形の虎を探す。しかし呆気なく見つかった。戦場が作り出した禍々しいイルミネーションの中に、それはいた。相変わらず、自慢の牙を彼の部下達に突き立てている。
 だが、真っ白に迷彩された虎は美しかった。
 鋼鉄の上に塗られた白に映える炎の色が特に見事だ。そして乗り手達は、戦車乗りとしての腕も卓越していた。余程場数を踏んだ相手だろう。噂に聞く、地獄の東部戦線とやらから再び地獄に舞い戻ったというドイツ兵かもしれない。
 彼が絶望にも似た思いで、眼前の強敵に相対しようと号令を出そうとした時、周囲の情景が一変。
 一面灼熱色に覆われた。
 巨大な紅蓮の炎の壁が、敵自走砲が車列を敷いていた辺りにそそり立ったのだ。誘爆の美しい火球も随所に見える。
 それはまるで、目の前の白い異形の虎の演出のようにすら見えたほど美しかった。
 だが違う。その証に、レシーバーからはそれまでとは違った声が響いてきた。
「こちら新選組。ヤンキー・ステーションよりただ今見参! 翼下の友軍へ、少し早いが海軍からのお年玉だ。受け取ってくれ!」
 希望の光明が射した瞬間だった。
 なお、「ヤンキー・ステーション」とは、通常は対地支援を行う空母機動部隊の遊弋ポイントのことだ。ローテーションを組んだ日米の空母群は、東シナ海に最低でも攻撃空母一隻を浮かべ、九州の友軍を支援していた。
 だが、新選組という符丁はそれまで存在しなかった。ニューフェイスが加わった証だ。
 しかも爆撃規模は大きく、夜間での攻撃でもよどみなく遂行している。それは母艦が大型で、載せている機体も最新鋭であることを伝えていた。その証拠にジェットの爆音も聞こえる。
 また、日本語の符丁ということは、日本の母艦であるとの証でもあった。そしてそんな母艦は日本に一隻しかいない。
 建造開始から十年以上も横須賀のドックに居座り続けていた「信濃」に他ならなかった。

 「信濃」。彼女の運命は、姉もしくは兄たちに劣らないぐらい波乱に満ちたものだった。
 もともとは、一九三九年の艦艇整備計画で建造が進められていた大和級戦艦の三番艦だった。だが、日支事変の進展にともなう資材不足で工事が停滞。大東亞戦争開戦と共に工事はほぼ停止してしまう。その後行われた工事も、他の艦艇を建造するため、ドックを空けるための工事でしかなかった。
 建造に関係した者たちが、未完成のまま朽ち果てさせるのではと疑ったほどだ。
 もっとも、未曾有の大戦争を始めてしまった日本海軍に、戦艦としての彼女を完成する力があったかは極めて疑わしい。
 しかし、彼女の運命に変化が訪れる。有名なミッドウェー沖海戦での日本海軍空母機動部隊の惨敗が、彼女に空母になることを強要したのだ。
 しかも空母化の工事も二転三転する。
 当初は、常識的な改装空母として、破格の大きさの船体を利用した通常の大型空母の方針が示されていたという。だが、改訂された海軍拡張計画で、異常なほど防御力を重視した洋上移動基地としての役割を持つ空母への改装が決定する。
 最も目立つ特徴は、甲板の全てを分厚い装甲で覆ってしまう点だった。同じ装甲空母の大鳳が、離発着に必要な最低限の飛行甲板しか装甲化しなかった事と比較するとその極端な防御姿勢が分かるだろう。
 アメリカやイギリスの同種の空母でも、ここまで直接防御を徹底した艦艇は存在しない。重装甲のため、基準排水量は世界最大の六万二〇〇〇トンが予定されていた。
 そして苦しい資材をやり繰りしつつ建造が進められたが、戦況の逼迫化にともない工事も停滞。それでも無理矢理の突貫工事により、四四年十一月就役が予定された。だが、その年の八月の停戦で全てが流れてしまう。
 そして停戦により早期建造の必要もなくなり、停戦に伴う軍縮で解体すら噂されるようになった。何も空母なら、戦争を戦い抜いた「瑞鶴」と、新たに就役しつつある「雲龍級」空母三隻で十分だった。軍縮などされては、とても六万トンもの空母は持てない。関係者がそう考えることに、何ら不思議はないだろう。
 しかし「信濃」を救ったのは、意外にもアメリカ海軍と大陸日本の存在だった。
 停戦後、日本各地に乗り込んできたアメリカ軍、特に海軍は日本中の基地に残る軍艦を綿密に調査した。中でも、日本からの情報が遮断されて以後の艦艇に強い興味を示した。
 彼らにとっては、ビックリ箱を開こうとした子供のそれに近い心境だったという。
 神秘の巨大戦艦「大和級」。覆面巡洋艦「最上級」。当時建造中だった「伊四〇〇級」潜水空母。そして重装甲空母「信濃」。
 それら全ては、アメリカ的合理性では考えられないコンセプトの存在たちだった。
 だから、事実上の敗戦とはいえ停戦した日本政府に対して強い圧力を加え、軍縮にかこつけて自国に持ち帰った艦艇も多い。建造中だった「伊四〇〇級」など、わざわざ資金と資材を援助までして完成させてから本国に持ち帰ったほどだ。
 しかし、さすがに「大和」と「信濃」を日本人の手から取り上げることはできなかった。そして戦艦には感情面以外ではあまり興味を示さなかったが、空母となった「信濃」には格別の感心を向けていた。停戦から半年にも満たない間に横須賀を訪れたアメリカ海軍高官の多さからも、関心の高さを伺い知る事ができる。
 なお、アメリカが「信濃」に強い興味を示したのは、自国でも似たようなコンセプトの艦が建造中だったからだ。しかもそれは、ミッドウェー沖海戦を契機として建造が開始されたものだけに、心理面での感心の高さもかなりのものといえた。
 このアメリカ製空母の存在は、戦後長らく活躍した「ミッドウェー級」として知られる新世代の航空母艦だ。
 彼女は、計画当時の艦艇で最も大型だった「モンタナ級」戦艦の船体設計を流用した装甲空母。つまり、「大和級」戦艦の船体を利用して建造された「信濃」とコンセプトが似ていた。
 そして「ミッドウェー級」は、日本との戦争が終わった事もあって建造半ば。対する「信濃」は完成直前。興味を示すなと言う方が難しいだろう。
 そして約半年の調査の後、アメリカ技術団が下した結論は「優秀な素質を持つ空母」だった。レポートには、正価で購入しても十分費用対効果があるだろうとされていた。
 だが、購入はさすがにできない。かといってこれほどのものを解体しろと言ったら日本海軍が怒るのは目に見えている。
 とりあえず結論が出せないので、その後も調査など理由をつけて保留状態を維持した。アメリカをして解体を躊躇させるだけの巨艦だったのだ。
 そうしてしばらく無為な時間を過ごしたが、やがて転機が訪れる。一九四九年の大陸日本での軍事クーデターと膨脹傾向の再燃だ。
 これにより、少なくとも列島日本の海軍力再建は必要とアメリカが判断。日本側からも強い動きがあり、彼らの日本侵攻を最も躊躇させるであろう母艦戦力の再編成が急ぎ行われることになった。
 しかし停戦時、日本海軍の大型空母は「瑞鶴」一隻だった。マリアナで全てを失っていたからだ。
 ほかには、「雲龍級」空母三隻と「信濃」が就役間近で、ほかは軽空母数隻が残るだけ。
 しかも戦後の軍縮で、軽空母の何隻かは不足する輸送船やタンカー、果ては復員船に使われて元の空母に戻せないものも多かった。船として幸運だったものの中には、客船に舞い戻れた船もあったほどだ。
 もっとも、米軍の大柄な機体を運用するには軽空母では小さすぎ、必然的に未完成空母群に注目が集まった。
 そして改設計の後に工事が再開され、順次母艦として就役。「雲龍級」空母三隻などは、計画当初よりはるかに贅沢で性能も向上して完成した。
 だが「雲龍級」は、レシプロ機運用が前提の改設計しかされていなかった。艦としての規模が小さかったからだ。
 これに対して戦後唯一の稼働状態を維持していた「瑞鶴」は、「雲龍級」就役に伴いドック入り。動乱開始時は徹底した近代改装の真っ最中だった。
 そして、最も大規模な改装が行われる事になったのが「信濃」だ。大改装の理由は様々だが、最大の理由は艦の規模が破格的に大きかったからだ。
 しかも米軍は、この艦を自軍のこれから建造される同種の眷属たちのテストベッドにすべく大規模な支援を決定。さまざまな最新装備を提供し、図面を書き換えていった。
 列挙すれば以下のようになる。

・飛行甲板の延長と拡大
・艦首のエンクローズ化
・船内水密隔壁の増加と強化
・サイドエレベーターの追加
・アングルドデッキの追加
・飛行甲板装甲の変更(重コンクリートの排除)
・格納庫の拡大
・対空火器の刷新
・電子装置の刷新
・間接防御システムの強化

 以上、ほとんど改装をやり直すような工事が四九年に入ると開始された。
 そして二年以上の改装を経て、一九五一年夏にようやく完成。改装期間が長期にわたったのは、改装中にさらに新装備の搭載が決まり、そのための設計変更など時間のかかる作業が多かったためだ。だが、時間をかけただけに、その姿は先進的だった。
 エンクローズ化された艦首。その上に伸びる二本のカタパルト。横に張り出したサイドエレベーター。右舷中央部にそびえる電子装備を満載した煙突と一体化した艦橋構造物。アングルドデッキを斜めに横切る着艦用区画。
 その姿は、日本艦艇の姿を借りた米艦艇に他ならなかった。諸外国には、日本の空母と言うより、アメリカの新鋭空母と紹介した方が通用しただろう。そう思わせる姿だった。
 だが、それでも彼女は「信濃」に他ならず、日本艦艇である事を示す菊の御紋を掲げる存在だった。
 なお、艦載用戦闘機には当初はF9Fパンサーが予定され、就役の遅れからFJフュリーを搭載することになった。攻撃機はもちろんA1Hスカイレイダーだ。「信濃」は都合一〇〇機近くも搭載し、他に小型ヘリなども搭載、一隻で一個航空戦隊を編成する予定になっていた。
 そして五一年のクリスマス直前に熊本上空に現れた機体が、母艦と共に編成され、「信濃」から発進した航空隊だったのだ。
 この時「信濃」は、前日の昼間に紀伊半島沖で航空隊を全て収容、四国沖で訓練の予定だった。それが、前線から敵の攻勢近しという緊急報告を受けてヤンキー・ステーションに急行。
 急ぎ現地部隊の指揮下に入った彼らは、予備戦力として拘置され、敵第二波の攻撃開始あわせて戦場に姿を現したのだ。
 このため日本国内にいた人民政府側の諜報組織は、横須賀を出て訓練中の空母は戦力外と判断し、配備予定の航空隊も同様と考えていた。
 事実「信濃」の腹の中には一回分の出撃を満たす弾薬しかなく、この後は僅かな護衛艦艇と共に通常の訓練へと復帰している。
 だがこの時の緊急出撃が、国連空軍に貴重な時間を与えたのは確かで、翌朝からの十分な攻撃を可能としたといえるだろう。

 そうして飛来した航空隊の攻撃の有様を眺めていた島田は、自分が今戦争のターニングポイントに立ち会っているのを不意に実感した。
 人民軍の精鋭戦車隊の後退と自衛軍の新鋭空母の登場。恐らく戦争は変化するだろう。まあ、あの虎たちが大人しく大陸に帰らない限り自分たちの苦労は続きそうだが、戦争に大きな変化が訪れるに違いない。
 紅蓮の炎に彩られた戦場を去りゆく鋼鉄の白い悪魔達を遠望しながら、島田は無線手に状況の変更を伝えるよう指示した。
「アニマルハンターよりビッグマウンテンへ。状況に変化あり。状況白。繰り返す。状況に変化あり。状況白。送れ」
 状況白。それは脅威が去ったことを告げるサインだった。

 いっぽう、島田とはまったく正反対の立場から戦場を見ている男がいた。
 人民軍英雄西竹一少将だ。
 彼は少し後ろの装甲指揮車から戦場を動かしていたのだが、新撰組と叫んだ航空隊の爆撃で全てを無茶苦茶にされていた。
 自走砲部隊は壊滅。後方の段列も大混乱。混戦状態の戦車隊は優勢に戦いを進めていたが、部隊の突進力と戦場のイニシアチブを失ったのは確かだ。
 こうなっては攻勢どころではない。耐久力のない我が軍は、今回の攻勢に失敗した以上、全てを失わないためにも少しでも早く持久体制を作り上げるしかない。
 後方の司令部は、何があろうとも前進せよと言っているが、適当な言い訳をつけて攻勢を止めるしかなかった。でなければ、取り返しのつかない事になる。今ならまだ傷は最小限だ。今日の夜明けから本格化するであろう爆撃を受ける前に、偽装陣地にしけ込むしかない。
 決意した西は、司令部への言い訳を伝えきると、指揮権の及ぶ全てに後退を命令した。

 後退してしばらくすると、苦労して泥のようになった農道を走る装甲車をよそに、易々と田圃を走る白い影が目に入った。よく見ると彼の元乗車だ。ペリスコープ上のハッチには、周囲を怠りなく警戒する曹長の姿も見える。
 彼を確認した西も装甲車上のハッチを開き、外に上半身を出してみた。なんとなく凱旋気分だ。もっとも、足下では身を乗り出すことを制止する部下の声が聞こえてくる。
 そして、旅団長の行動に気付いた将兵が、追い越し際もしくは追い越される時に歓声を上げたり敬礼をしている。
 全てが彼の決断の正しさを称えているのだ。
 少し横には、彼の元乗車が寄り添うように走っている。車長であるアイゼンビュット曹長は何も言ってこないが、護衛のつもりらしい。他にも同様の行動をとる車両が散見できる。
 そんな部下の好意に、少し気分が良くなった。
 なんだか負けたという気がしなくなっている。事実、彼らは勝ちつつあった。予想外の空襲がなければ勝利しただろう。もう勝ち負けなどどうでもいい事だが、帰ったらこの不意打ちを防げなかった事で上層部を糾弾すればいいだろう。
(それが済めば後は、部隊丸ごとどうやって国に帰るかの算段だ。でなければ、真面目な曹長が私との約束を果たせなくなってしまうからな)
 最後には戦略的にどうでもよい視点に想いをめぐらし、西は少しばかり晴れやかな気分になった。
 ようやく心が定まったと言うべきだろう。
 そう、彼は彼の新たな国を見つけたのだ。



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