■長編小説「虚構の守り手」

●第七章「対決」(1)

  一九五二年三月十日 新京

 五一年の人民軍の攻勢、西側通称「クリスマス攻勢」が失敗して以後、北九州に居座る人民軍がいつ降伏するか、一か八かの大規模な撤退を画策するか、それとも自暴自棄になるかに焦点がしぼられるようになる。
 そして大東亜人民共和国の意志最高決定機関でも、同じ議題が今議論されていた。

 新京の国務院内の会議場には、政府、軍の主要なスタッフも全て揃っている。政府関係者は大統領の板垣征四郎と以下、一九四九年春のクーデター後に再編成された内閣だ。
 副大統領には、復権した満州王族の張景恵。軍務大臣に河本大作。外務大臣は、戦後の混乱の紆余曲折で列島からの亡命を余儀なくされた広田弘毅。内務大臣が土肥原健二。財務大臣には戦後列島日本で戦犯とされて監修後に、隙を見て亡命した星野直樹などが詰めている。星野は、岸伸介が亡命させたと言われ、今までの人脈から列島日本に「残った」岸や日産総裁の鮎川などと繋がりを保っていると言われている。
 要するに、今まで満州国に関わった者達によって形成されるに至った、虚ろいの国での大本営状態だ。既に死去した石原完爾がいれば完璧だっただろう。業界では知らぬ者のない石井四郎軍医「大将」までもが、専門家としての特別顧問で列席している。
 他、各自治国を代表して、満州自治国(王国)君主となる儀傑(満州国皇帝だった溥儀の弟)が出席していた。彼は日本の有力貴族嵯峨家の令嬢浩と結婚しているため、日本人を中心とした会議の中でも発言権は無視できないものがある。もっとも、賢明な儀傑は民政以外で殆どの場合沈黙している。
 そして実にこの国らしいのが、国内最大級の企業である、過半の重工業を牛耳る満州産業と、交通の全てを支配する満州鉄道の代表(※満鉄最後の総裁だった満鉄生え抜きの小日山直登が責任感から満州に残り、そのままこの時も在職中)が出席している事だろう。
 また、ソ連の「外交顧問」がいない点は、少なくとも板垣らの政府首脳を評価すべきかもしれない。何しろ首脳陣ばかりでなく他の多くが、日本列島にいては戦犯など具合の悪い人間が殆どだ。彼らの努力は評価に値するだろう。だが、軍人が過半数を占める場で事実上の国家方針が決められようとしているところに、この国の有り様を現している。
 そして今行われているのは、名目上の議会に提出される議案を決める場だ。
 大臣や軍上層部以外では、板垣が強く望んだため北九州にいる師団長や軍団長クラスも出来る限り出席していた。中には、命からがら潜水艦で来たものもいる。しかも彼らは、会議が終わり次第、また危険な帰路につかなくてはならない。
 部隊を置いて急ぎ舞い戻った西少将、そして海軍実戦部隊最強の存在の主人である立花もそんな将軍の一人だ。
 会議場の中心のテーブルには政府、軍部首脳が二十人ほど向き合っている。ちょうど軍指導部と大臣らが向き合った形だ。大統領の板垣はその中間の上座に位置しているが、議会の長というより力のない調整役のようにも見える。
 そして西や立花など実戦部隊を預かる軍人たちは、別のテーブルにまとめて隔離されている。
 なお、会議そのものは全ても者の発言が許される事になったリベラルな体裁が取られていたが、愚かなことをする下っ端はいない。
 そんな雰囲気の中、この場で国家の命運が決められようとしていた。
 議題は一つ。
 国連を介して行われている停戦交渉に応じるか、勝利するまで戦争を継続するかだ。
 今は戦争継続派が主流だ。何しろ人民政府が出した最低条件の「九州割譲」を、日本国も国連も一顧だにしないからだ。そればかりか、九州・対馬など日本国が戦闘開始前から主権を維持していた地域全てからの無条件全面撤退と、朝鮮半島の国連主導による自主独立を最低条件に提示していた。
 もっとも、外相の広田ほか国際政治の分かる者は、国連の席でまともに交渉できている事、日本もアメリカも国連も満州や内蒙古の主権については何も言わない事をこそが、大きな外交的勝利と考えていた。事実上国家として黙認されたも同じだからだ。このため停戦派は、全面撤退を受け入れその代わりソ連を含めた全ての国連加盟国による朝鮮半島独立には前向きな姿勢を示そうと提案していた。朝鮮を独立させれば自分たちも独立させないと話しにならないので、この時点では十分な外交的勝利だからだ。
 それに、国連安保理の一角を占めるソ連の手が入れば、全てを失うことはない。逆に、爆撃で瓦礫の山となった南朝鮮を復興する国力は、今の大陸日本にはない。それが文官官僚達の言い分だ。
 だが軍事を担当する者、戦闘継続に何らかの損得が関わっている者は、今一度攻勢をしかけ有利な停戦をすべきだと譲らなかった。まるで、数年前の大日本帝国の末期と同じだ。
 もちろん面子から朝鮮独立など論外だし、九州からの撤退も、双方が戦闘停止した後に国連軍が何の邪魔もしないという最低限の確約がない限り受け入れる気はない。
 そしてこの議論は、堂々巡りのまま一ヶ月以上経過していた。まさに、会議は踊るされど進まず、もしくは小田原評定の典型だ。そして半ば藁をも掴む気持ちで、今の最前線を知る人々がわざわざ会議に呼ばれたのだ。

「さて、おおよその事は理解してもらえたと思う。恥ずかしいが、後方にいる我々だけの見識だけで結論を出すのは非常に難しい。そこで最前線にいる君たちの忌憚のない意見を聞きたい。率直に言ってくれれたまえ。……まずは、解放軍集団総司令の富永恭次大将」
 ひととり議論が終わったところで、醒めたそれでいて独特の雰囲気を放つ人々に、板垣大統領が視線を向けた。板垣の言葉は疲れ果て、かつて満州事変を実行した男とはとても思えない。
 だが、彼の新たな言葉によって、日本本土解放軍集団の意見陳述が開始された。やはり多くは主戦派だ。派閥の理論、自らの保身、前線を見過ぎた事による感情論、様々な理由はあったが、自分たちが多くを言えないことは全ての者が知っていた。
 これは茶番なのだ。主戦派、停戦派双方をそれなりに納得させるためのもの。ただ、それだけだ。
 この後、特に戦略目的もなく一戦した後の停戦という方針が固まり、自分たちの多くは戦死するか、運が良ければ捕虜になっての本国帰還だろう。それを納得させるために呼ばれただけなのだ。
 だが下っ端のさらに下っ端として加わっていた者たちは違っていた。会議場の空気が揺らぐ。
「立花少将。もう一度言ってみろ!」
 大統領を取り囲むテーブルの末席から、鋭い語気が飛ぶ。今では人民海軍司令部次長の地位にある神重徳中将だ。
 立ち上がり睨み付ける神に、全く冷静な視線を保ったままの立花が畳みかける。
「ハイ。何度でも申し上げます。海軍実戦部隊の一角を預かる者として、即時停戦すべきだと判断します。本職は、自分の考えに何ら揺らぎはありません」
 5メートルほど向こうの神中将は、今にも掴みかかりそうな剣幕で睨み付けている。
(オイオイ、あまりにも演技くさいぜ)
 まだ順番が回ってこず、傍観者を洒落込んでいた西少将は、二人の茶番劇を内心楽しげに眺めていた。
 内部に停戦派を多く抱える海軍は、陸軍とは違う何かを考えているのだ。その証拠に、大東亞戦争以前から威勢がよく、あまりの異端ぶりから「不規弾」とあだ名されていた石川信吾大将は一言も発せず、本戦争での主戦派急先鋒の小園安名少将も黙りこくっている。他の連中も、徹底抗戦を唱えた過去が嘘だったかのように、半ば傍観しているかのようだった。
 ちなみに緒戦で勇名を馳せた小園の部隊は、対馬海峡や南朝鮮で徐々に劣勢に追い込まれる制空権獲得競争の末、現時点では国連空軍に徐々に細切れに解体されつつあった。噂では、このままでは夏まで持たないので、ソ連義勇空軍の本格参加があるといわれていたほどだ。
 なお、海軍軍人に対して陸軍は口出せない。それが今のこの国での不文律であり、最低限の礼儀だ。しかも大統領臨席の場であるだけに、横紙破りが常套手段といわれる辻政信少将も黙っている。
 そして最高首脳部の眼前で、海軍少将二人の口げんかが開始された。
 神の方は突き詰めてしまえば、一戦そして勝利せずして停戦はあり得ないの一点張り。そこを立花が突いた。
「では次長は、我が軍にもう一戦に及ぶだけの戦力・物資があると判断されるワケですね」
「当然だ。露助からもむしり取った。準備もしている。貴様が預かる「武蔵」の工事完了も近い筈だ」
 立花は頷くと、さらに突き込む。
「では、その一戦に及べるだけの戦力を、攻勢防御に転用できませんか」
「立花少将、詳しく言いたまえ」
 一番奥まった席の板垣が言葉を挟み込んだ。立花の言葉に興味を持ったのだ。
「はい、大統領閣下。本職がお預かりする「武蔵」を始め、軍では国防の観点もあり最低限の国防戦力は常に保持されています。それは今、神次長のお言葉で確約いただきました」
 板垣がうなづく。興味が増した証だ。それを確認した立花も言葉を続ける。
「であるならば、その戦力を用いて、対馬海峡の制空権、制海権を一時的に完全確保。残余の船舶全てを投入して一気に南朝鮮に撤退。国土の全てを固めた時点で改めて停戦交渉に及ぶのです」
「ダンケルクか。なかなか興味深い案だな。しかし、その程度なら今すぐ停戦して、平和になってからでも出来ることなのではないかね、少将」
「はい、大統領閣下。国連軍、いやアメリカがそこまで甘いとは思えません。確かに捕虜の送還には応じるでしょう。ですが、装備は全て接収する可能性は極めて高いと判断できます。そして停戦後に制空権、制海権をなくす我々にそれを奪い返す力はありません。
 しかも、捕虜となった兵士がいつ帰ってくるかすら定かではありません。そうなっては国防に大きな穴が空くのは必定。戦力を無くした我々は、最低でも朝鮮半島の独立を認めざるを得ません。加えて、近隣各国に対する立場も悪くなります。
 ですが、今北九州にいる軍主力がそのまま手元に帰ってくれば、敵も停戦と朝鮮独立のカード取得のため同じテーブルに座らざるをえないでしょう。列強とは力のある者としか交渉しない。それが本職の考えであり、積極的撤退作戦を推す大きな理由です」
 一気に言い切ると、一礼して座り込む。
 その後はしばらくざわついた。手近な者と意見を交換する者が続出したからだ。
 それを鎮めた板垣は、次の人物の発言を求めた。全てに公平な発言権。それが大原則だったからだ。
 もっとも少将まで進んでいたので、残る者はあと僅か。陸軍に二人しかいかなった。
 解放軍集団最先任作戦参謀の辻政信少将と、現地で最も高い戦力密度を誇る重戦車旅団を預かる西竹一少将だ。
 辻は立ち上がる途中、いいお膳立てをしてくれたと言いたげな小さな笑みを浮かべる。その笑みは、立ち上がる仕草の際に顔を伏せた時だったので見た者はいない。当然ながら、すぐに完全に立ち上がるときには宗教家のような顔を作り上げ、会議場一杯に広がる声で「演説」を始めた。
 大半は、いつもの権力のかさを着た空虚な論法だ。内容も、停戦を前提の大攻勢ならば望むところというものだった。
 そして全員が、「なんだいつもの大演説か」と思ったところに不意打ちを仕掛けた。
「いっぽう、先ほどの立花少将の案には看過できない欠陥があります。もちろん皆さんもお気づきでありましょう。そう、海空軍が全力を挙げて撤退を支援するとしても、我々を囲む形で対陣する国連軍と逆賊どもが我が軍の整然とした撤退など許しはしないということであります。そこで本職は、万が一立花少将の案を採用するのであれば、まずは北九州に残る全ての備蓄物資を使い一戦し、敵前衛を完全に撃滅。しかる後の転進作戦を愚考いたします。さすれば、ゆうゆうと我が全軍は転進できるでありましょう」
 辻の言葉のあと、さらに議場は騒然となった。特に陸軍関係者のざわめきが大きい。
 当然だった。主戦派急先鋒と見られていた辻が、事実上の裏切り発言をしたのだ。
 解放軍総司令官の富永大将など、悪し様に辻に罵声を浴びせた。辻と関係の良いと言われる陸軍司令の牟田口大将が立ち上がってなだめている始末だ。もはや政府・軍首脳の会議とはいえない。これでは中学の生徒会だ。
 しかしそれでも室内を何とか鎮めた板垣は、最後の西へと話を振らせる。とにかく会議を終わらせなければいけない。もはや議事進行だけが目的と化しているようだった。
 そんな板垣の言葉を受けた西は、颯爽と立ち上がると一度周囲を見渡した。
 今度は人民英雄が何を言い出すのだ。周りの目は、そう語っていた。
 彼の発言力は権力の場では小さなものだが、ひとたび民衆や兵士の前となれば効果絶大だ。その人望と馬術の巧みさは、日本人のみならずロシア人や満州人など騎馬民族にも好評だ。大衆扇動という点では、辻の言葉以上に注意すべきと判断されていた。口さがない者など、満州のロンメルやパットンと言うほどだ。
 そんな周囲の目におかしみと小さな満足感を得た西は、当初予定していた言葉を引っ込め、他の連中同様に大見得を切ることにした。
「まずは、混乱した会議の中、本職に発言の機会を与えてくださった大統領閣下及び列席された全ての皆様に感謝いたします。さて、皆様もご存じの通り、本職は一介の武人に過ぎません。馬と戦車のことしか知らぬとも自負しております。この場に呼ばれた事にすら、自分自身大きな違和感すら覚える程であります。ですから本職から言える事はひとつです。私の部下たちに、今一度納得出来るだけの航空支援をお与えください。私の可愛い虎たちに、腹一杯の砲弾とガソリンをお与えください。さすれば、いかなる戦場であろうとも一度は勝利してみせましょう」
 最後に男性的なほほえみを加え、一礼の後着席。
 伊達男の面目躍如と言える大見得だった。
 その後議会は収集つかなくなり、けっきょく明後日首脳部のみの会議を開くことが決まっただけだった。
 しかし、会議の浮ついた気分は解散が命じられても続いていた。会議場から続く廊下、近くの控え室、少し離れたサロン、様々な場所で機密に触れない程度の会話が交わされている。
 もっとも最初に言葉の爆弾を投げつけた立花は、何が不機嫌なのか口を真一文字に結んだままズンズン歩いている。
 そこに西が追いついてきた。
「立花さん。お久しぶりです」
「ああ、これは失礼。挨拶がまだでした」
「いえ、構いませんよ。それよりも、どうなさったのですか? 私などは提督のご意見を拝聴し、いたく感動したしだいですが」
 冗談めかした西の言葉に、立花はますます機嫌を損ねた風だ。
「あんな事になるとはね。私は、少し後ろから見える当たり前の事言っただけなんだけど。……ところで、辻閣下のあれはなんですか?」
「さあ、私にも分かりません。同じく北九州に長くいたとはいえ、ほとんど言葉交わしたこともありませんからね。まあ、帰りの船で一緒になるんで聞いておきますよ」
「いや、そこまでしなくとも……」
「私が気になるんですよ。それより、ありがとうございます。このままの勢いでいけば、少しはやり甲斐のある戦争ができそうです」
「……まあ同じ転ぶんでも、ただで起きるのは損ですからね。それに会議で言ったことは本音です。あなたたち全部を九州から引き戻さないと、ジリ貧になりかねません」
「さすが研究熱心ですね」
「ええ、このところ暇でしたからね、分析する時間だけは掃いて捨てるほどありましたよ」
「なるほど。で、ジリ貧とは?」
「我々のこれからの睨み相手は、どちらかというとロシア人とシナ人です。どちらも、こちらが弱いとつけあがる。まあ、そう言うことですな」
 立花の言葉を西は、火遊びする暇があるなら国を守る事を考えろ。そう取る事にした。
「なるほど、そういう事ですか。なら、今の仕事を急いで片づけて帰らないといけませんね」
「まあ、急くことはないでしょう。ゆっくり楽しんできてください。帰りは武蔵御殿で迎えに行きますので」
「そりゃあいい。乗り心地もよさそうだ」
「ええ、格別ですよ。楽しみにしておいて下さい」
「分かりました、では」
 軽口を終えた西は、きびすを返すと颯爽と歩き去った。見送る側の立花はもう一度心の中で呟く。
(ああ、約束だ。必ず迎えに行くとも)

 新京での最高会議から一週間後、深夜の帳を突進する高速船が数隻。対馬から一気に北九州へと向かっていた。
 将軍のお歴々を乗せた小さな船団だ。
 普段より警戒レベルを引き上げ、陽動の攻撃すら行っていたが、陸の上でないという事で陸軍の将軍たちも気が気でないというのが、お客さんとなった将軍達の本音だった。
 そんな中、西少将は甲板の上でぼんやり海を眺めていた。残念ながら灯火管制でタバコは禁じられていたが、辛気くさい船室にいるよりマシというのが西の感想だ。辻少将とは、船の降りぎわにでも少し話せればと考えていたので、今は頭の隅においやっていた。
 そんな真っ暗闇の甲板上の西に、一人の男が近づいてくる。
(規則正しい軍靴の音。相手がエリート軍人である事だけは確実だな)
 そう思ったところ声がしてきた。辻政信だ。
「闇夜の海は怖くありませんかな。それとも、さすが英雄といったところでしょうか、西少将」
「少しばかり船酔いしましてね。風に当たっているところです。船は戦車とはまた違った揺れ方をするので困ります」
「ほう、虎戦車はそれほどに揺れますか」
 意外に素直な声だ。公私の違いが大きい人間なのかもしれない。そういうことにした西は、しばらく辻との会話を楽しむ事にした。
「揺れますよ。不整地を走った後など、しばらく体の揺れが続いているような感覚が抜けないものです。馬とはまた違った揺れ方ですね」
「少将には遠く及ばないが、馬なら私も分かりますぞ。しかし意外ですな、見た目には小山が動いているように見える虎戦車がよく揺れるというのは」
「ハハハ、今度乗車されますか。私の言葉を実感できますよ」
 それは是非に。そう答えた辻は、しばらくどうでもよい事ばかり口にする。一見緊張した人間のそれに近い。それとも本当に雑談がしたくなっただけなのかもしれない。
 判断をつきかねた西は、突撃してみることにした。それが騎兵というものだ。
「ところで辻最先作戦任参謀。先日の会議、さすがの私も驚きましたよ。おかげで大見得まで切ってしまった」
 言葉尻に笑いながらも、真剣な眼差しを向けてみる。向こうも闇夜に見える目だけを向けて答えた。いつもながら、真意が分かりにくい宗教家のような眼差し。だがそれも一瞬の事だった。
「本職は……ああ、止めておこう。ところで西少将、富永閣下が普段どこに在陣されているかご存じかな?」
「は? 異な事をおっしゃる。博多の総司令部でありましょう。赴いたことはありませんが、百貨店の地下を強化した司令部にいるのでは」
「そこでの最上級者は、ほとんど本職だ。閣下とその取り巻きのうらなり参謀どもはめったにおらん」
「?」
「富永閣下曰く、ピカドンがいつ博多に落ちるかも分からないので、危険回避のため司令部を二分されているということだ。特に秋以降は、今はほとんど廃墟になった釜山郊外におられるよ。もちろん、新京のごく一部と我が司令部の者以外知らない極秘中の極秘であるがね」
「最先任参謀、そのような・・」
 西は流石に絶句した。つまり秋以降の攻撃的な作戦指導をしていたのは、名実共にこの男なのだ。言われてみればそんな気もしてくる。もっとも告白した当人は、何かを悟ったかのように淡々としている。
「案ずるな、ここなら盗聴はありえん。それにこの風では、どこかに仕掛けていてもどうせ粗悪なロシア人製だ。聞こえるのは風の音だけだろ。そういう事は、自分の方がよく知っておるよ」
 辻の的を外れた言葉に西がうなづくと、辻は視線を逸らすと言葉だけ続けた。
「よいか、西少将。不肖辻政信は常に勝利してきた。これからもそうだ。だから君たちは何ら迷うことなく全力を尽くしてくれれば良い。そうすれば後は私が良きように計らう。これは口約束だが、私辻政信個人としての確約だ。では、またいずれ。……人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢まぼろしのごとくなり」
 これから去りゆく予定の者への弔辞のように、ことばの最後に有名な歌の一節を気持ちよさげに歌い上げながら辻は立ち去っていった。どうにも芝居がかりすぎだが、もしかしたら本心で謳っているのかもと思えてもくる。
 数々の勇名悪名はあるが、辻はどこまでも辻だった。何か心境に変化があったようだが、根本は変わっていない。
 勝ち馬を見つけるとすかさず乗り込み、さらに西に根拠少なく勝てと言いながら、これまでの責任は富永総司令に全てをなすり付けると言って、西も共犯にしてしまったのだ。そして彼の想定通りなら勝利は彼のものとなるだろう。ゆくゆくは、大東亜陸軍司令長官にでもなるのだろうか。
「ま、あなたの考えている通り進めばいいけどね」
 去りゆく辻の気配を感じながら、その背中に小声で呟いた。その声は船の作り出す合成風に吹き消され、自分の耳にすら届かないほどだ。
 そして西は続けて呟いた。
 辻さん。あなたが臆病者でないのは認めるが、ケンカには相手がいるんだよ。いまだにその事に気付かないのかい? と。

 ◆

 同じ時期、西たちのケンカ相手も勝つための様々な算段を行っていた。
 人民軍のクリスマス攻勢(日本人からはプリンス攻勢とも呼ばれた)を航空優勢により比較的簡単にしのいだ国連軍は、冬の間陣地固守に終始。戦線から離れた後方で軍の再編成と反撃戦力の蓄積に力を注いだ。
 そして三ヶ月。
 準備していた艦艇、船舶、航空機、そしてさまざまな地上部隊の多くが、九州から最も近い国際港を抱える大阪湾へと集結しつつあった。
 実戦部隊の一部は、施設の関係から呉や柱島近辺にたむろしていたが、無防備な船団は空襲の危険を考慮しての配慮だった。
 またアメリカが、何を考えたのか歩兵部隊を巨大客船で送りつけたため、これが接岸できる港が横浜か神戸しかなかったという理由もある。そして横浜は部隊集結点には遠すぎた。
 おかげで神戸とその周辺部は、五一年の秋口ぐらいから外国人で溢れかえっていた。神戸や大阪にある外国人にも対応したホテル・旅館などは、高級将校や外国の民間人によって常に満員御礼状態だ。既存だけでは足りずに、俄に増築されたり建設中の西洋型ホテルも多数あるほどだ。
 歓楽街も飲食店街も商売繁盛。その上、長期来日する人々のため外人居留区のような地区が作られ、キリスト教教会が俄に立派になったり新しく建設されたりもしている。しかも大阪は、陸軍最大の兵器生産工場が都心部にあるため、今や軍需景気と外資投入の中心部と化していた。賑わいは、首都東京を完全に圧倒しているほどだった。
 そんな象徴が、神戸港の大型船用の突堤に停泊していた。
 アメリカ海軍所属・戦艦「インディアナ」だ。
 その艦橋構造物から神戸港を眺めていたアーレイ・バーク中将は、彼の上司から新たな辞令をもらった後、気分を紛らわすためデッキで風に当たっていた。
 辞令は、彼が日本に長く関わりすぎたため、内観戦武官と連絡将校を兼ねたような地位を伝えるもの。呉の海上自衛軍との調整役だ。
 しかし、反撃作戦が決行されれば、日本の艦艇に乗る機会もある。バークはその時出来れば「大和」に日本海軍が司令部を置くこと、もしくは米海軍が「大和」と艦隊行動を取ることを期待した。そうすれば彼女に座乗して、最後になるかもしれない水上戦闘を体験できる可能性があるからだ。
 本来なら米艦艇への勤務を希望したいところだが、「武蔵」打倒に燃えている米太平洋艦隊は、余分な者の乗艦を許可してくれなかった。
(噂じゃ、半ダースも現役復帰させたバトルワゴンを持ち込むっていうのにケチなものだ。これは何としても松田提督に「大和」に座乗してもらわないといけないな)
 埠頭から出ていく、戦車や装甲車を満載したLSTの出港を見送りながら、考えているのはそんな事ばかりだ。
 先月に改装中の「大和」を目にしてからは、最後の戦闘ばかりが気になっていた。しかも「武蔵」も、旅順沖で改装後の演習姿が偵察写真で捉えられていた。加えて、ソ連極東艦隊が「大東亜義勇艦隊」へと名称を変更し、朝鮮半島北東部に入り込んでいる。
 彼らの次の作戦か、こちらの攻撃に呼応して出撃してくるだろう。そうなれば、史上最後となるかもしれない戦艦同士の殴り合いが見られるかもしれない。
 思えば思うほど、水上戦への期待が高まっていた。不謹慎この上ない事だが、最後のチャンスという予測が理性を押しのける。
 けっきょくバークは、そうした感情を内心抑えることのできないまま、やって来たランチに飛び乗り、鉄路呉へと舞い戻ることにした。
「辞令はもらった。後は好きにするさ」
 うそぶいたバークの口振りは、まるで子どもが遠足にでも行くようだった。



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