■長編小説「虚構の守り手」

●第七章「対決」(2)

   一九五二年六月六日 対馬海峡

 この日、人民軍は何か行動を起こす。
 国連軍による様々な偵察情報がそれを伝えていた。偵察型に改装されたB36による長距離偵察。諜報組織からの敵国内部の様々な情報。後方から前線に向けての物資の流れ。前線での激しい攻勢。そして海軍と輸送船舶の根こそぎ動員。
 すべての情報を複合した結果、国連軍は上陸の難しい長崎もしくは佐世保方面に対する強襲上陸と、陸上からの二面作戦による同方面の無力化。人民軍はそれを目指していると判断した。
 全ての兵力の動きが示している。
 もちろん異論もある。一番のものは、北九州の人民軍に長期の攻勢に出るだけの備蓄物資はないというものだ。しかし、短期的な長崎、佐世保方面の攻略による敵物資の奪取と、安定した港湾の確保にあるという反論を前に沈黙した。
 開戦以来、人民軍が略奪的攻撃を企てたことは一度や二度ではない。ロクな渡洋作戦能力もないのにと、アメリカ軍は馬鹿にしたものだ。逆に、一年以上に渡りそれなりの戦力を維持しながら居座り続けた事には高い評価も下していた。
 特に、人民空軍と人民海軍には高い敬意と敵意を抱いていた。彼らこそが、侵攻と北九州制圧と維持を可能とした本当の原動力だからだ。
 だから、今回彼らの総力が出撃してきたことは、国連軍は敵海空戦力殲滅の千載一遇の好機と判断していた。
 次の戦闘で敵海空戦力さえ殲滅してしまえば、北九州に残された人民軍は根無し草となり、降伏するより他なくなれば戦争も手打ちだ。当初予測した以上の成果を以て、戦争を終わらせる事ができるだろう。
 そうした楽観論と期待が、米軍を主とする国連軍を安易な迎撃作戦へと動かしていた。
 そしてこの中で、一つだけ国連軍が間違っていない事がある。それはあと三日以内に戦争の帰趨を決するような戦闘が発生するということだ。
 おそらくは六月六日がDディだ。なぜなら、彼らが欲しいのは政治的な勝利だからだ。でなければ、わざわざこの日に事を起こす理由がない。

 剣呑な海を「大和」は航行していた。後ろには、戦後の軍縮を何とか生き抜いた愛宕級と妙高級混成の重巡洋艦群、左舷には比較的新しい駆逐艦による水雷戦隊が見える。
 また右舷には、アメリカ海軍の「インディアナ」「ノースカロライナ」が大戦後に就役したデ・モイン級の新型重巡洋艦を引き連れていた。もちろんその向こうには、日本海軍に倍する駆逐艦を抱える水雷戦隊も見える。
 だが、米艦隊は徐々に遠ざかっている。
 「大和」とアメリカ製の防空装備で身を固めた高雄級、妙高級重巡洋艦を中核とする日本艦隊の方が、この海域から離れつつあるのだ。
 そして東シナ海には、贅沢極まりない編成の日米の空母機動部隊がなんと三群。その少し後方には、日本の空母群よりさらに小さいイギリスの空母機動部隊も控えている。
 また日本海側には、ソ連義勇艦隊を牽制するためのアメリカ海軍を主力とする打撃艦隊。北九州沿岸を包囲するように配備された駆逐艦を中心とする封鎖艦隊。柱島には、緊急事態に備えたアメリカ海軍の打撃艦隊がさらに控えている。
 圧倒的戦力と言うべきだ。
 何しろ相手は、多めに見ても人民海軍の戦艦「武蔵」とソ連義勇艦隊の巡洋戦艦「セヴァストポリ」、「クロンシュタット」だけ。実は戦艦「扶桑」はソ連から船体などが返還されて人民海軍籍に残されているが、主砲、機関その他を撤去して代わりにダミーの張りぼてを付けた記念艦にすぎない。他に日本列島生まれの巡洋艦が数隻いるが、戦艦と空母多数を抱える国連艦隊の敵ではない。問題は「武蔵」だが、いかに巨大戦艦とて空と海からの飽和攻撃にはひとたまりもない。
 また、開戦以来約一年にわたりミグ回廊を形成していた人民空軍も、このところ完全に息切れしていた。今回の攻勢作戦で無理を押して出撃しているが、それも圧倒的多数となった国連空軍の横合いから空母機動部隊が殴りかかれば、十分息の根を止められるだろうと判断していた。
 国連軍はそれだけの戦力を整えたのであり、また準備もしてきたのだ。兵士の中にも、すでに勝利したような気分があふれている。
 そして国連軍は、膨大な動員軍を用いて行う最後の戦争を楽しもうと、勇躍戦闘配置につきつつあった。
 
「で、あんな場所に陣取るのはいいが、ホントに「武蔵」は来ると思うか? 巌流島はゴメンだぞ」
 「大和」の第一艦橋では、第一戦隊司令の有賀幸作将補がすっかりくさっていた。
 有賀を「大和」艦長の能村一佐がなだめるというのが、ここ数日の日常となった光景だ。
「いくら名前が武蔵だからって、遅れて来るって事はないでしょう。それより私は来るかどうかより、展開水域の危険度の高さが気になります」
「連中の飛行機も飛ぶ対馬海峡の外れだからな。しかし空からは来んだろ。ソ連の義勇パイロットが多数南朝鮮に居るというが、向こうに戦艦を攻撃する余裕はない。そんな余力があるなら、どこか地上を爆撃してる筈だ」
「確かに。しかし、アメリカさんも去年の事がよほど悔しいんでしょうね。この百キロ圏内に彼らの戦艦だけで四隻。作戦全体じゃあ本艦と「長門」も含めて九隻ですからね。これでは向こうも簡単には手は出せないでしょう」
「まあ、普通ならな。しかし、来なければ北九州で暴れている連中は見殺しだ。作戦が動いている以上、海での動きがないというのはあり得ない。連中は来るよ。どこに来るかは、文字通り「神」のみぞ知るかもしれんがな」
「そりゃいい。神の旦那なら、必ずどこかに艦隊を突っ込ませそうだ」
「まったくだ」
 そういって笑った二人だが、大きな期待は抱いていなかった。
 人民軍が攻勢に出る気で博多に来るなら、一週間前に来ていなければいけない。機雷で半分も機能していないとはいえ博多は荷揚げ港であり、補給物資や地上部隊を下ろす北九州全体の橋頭堡だからだ。「大和」を中心とするタスクフォースが危険度の高い対馬海峡の西側に展開するのも、後詰めというより念のための海上封鎖の強化という意味が強い。
 もしくは、最新鋭の電子機器を搭載して強化された索敵機能を買われ、打たれ強い斥候艦の役割が期待されていた。
 有賀や能村にしてみれば、改装がかえって仇となったような気分だった。

 そうして時間はいたずらに流れ、六月七日に事態は激変する。
 いまだ九州中部の各地では激しい攻防戦が続いていたが、状況は徐々に国連軍が優位になりつつあった。
 案の定、虎の群が一度長崎方面の前線を食い破りM4による戦車大隊を粉砕した。だがそれも、局地的な事象でしかなかった。攻撃後すぐに引き下がったし、後続の攻撃がほとんど続かなかったからだ。あれほど激しく長崎方面での突破戦闘をしかけてきた敵の攻勢に陰りが見えた何よりの証拠だ。熊本方面など、中遠距離からの砲撃が時折行われるだけで攻勢の気配もない。
 昨日の昼の段階では、熊本市後方に待機している精鋭の機甲部隊を投入するのも時間の問題という報告もあった。特に米軍の第一騎兵師団は、最新鋭のM47戦車を持ち込んでやる気満々だったほどだ。
 だが、それから半日が経過したとき、国連軍全体としては反撃開始どころではなくなっていた。
 人民軍にまんまと裏をかかれたのだ。
 今まで人民軍は、補給線として常に黄海と東シナ海の側のルートを主に使ってきた。日本時代に整備された優良港湾施設が多数存在したからだ。特に国際港として整備された遼東半島先端部の大連の存在は大きかった。
 だが今回、彼らは日本海側からやってきた。
 しかも昨晩、国連軍のスキを突いた数十隻の大船団が博多に入港していた。
 この船団を見落とした理由は色々ある。人民軍は日本海ルートを補助的なものとしてしか使わないという先入観。国連軍が、ソ連に遠慮して日本海北部への偵察をあえて疎かにしていた事。しかも日本海側の警戒部隊が、必要以上に南下してきたソ連義勇艦隊に気を取られていた事。そして、ソ連から大量の高速大型船が、朝鮮半島北東部に義勇部隊として多数来ていたのを見落としていた事。
 春以降の楽観的な戦争展開を前にした油断といってしまえば簡単だが、そのツケは大きかった。
 大船団の博多入港で本格的な地上での反撃作戦は吹き飛び、昨日から各部隊は敵の本格的攻勢を警戒して陣地に籠もりきりとなっている。
 加えて、敵船団を撃滅すべき海空軍の活動も低調となっていた。海軍の主な理由は燃料不足。六月六日にあわせて行動していたため、主に軽艦艇の燃料が不足し、拠点や補給ポイントに引き返している部隊が多かった。特に空母機動部隊が、本格的投入の機会のないまま燃料補給のため下がったのは痛かった。向こう半日の洋上戦力は、半分以下に低下している。
 いっぽう空軍の方は、ここ数日の向こう側の形振り構わないような航空殲滅戦を前に息切れしていた。なまじ損害率やローテーション、補給状態を気にしたため、博多上空から釜山にかけての制空権に対する挑戦は、自らの損害を無視しない限り、あと二十四時間は不可能となっていた。
 しかも船団が博多港に入られたら、海軍は海上封鎖以外の役には立たない。
 突破船団が引き返すときが汚名返上のチャンスだが、それも突破船団の平均速度が十四ノット以上という報告を前にかすんでいた。十四ノットということは、半日で博多から釜山に逃げ込まれてしまうのだ。しかもいつ引き返すかは全く分からない。もしかしたら、そのまま全て博多湾で朽ち果てるつもりかもしれない。
 「カミカゼ・アタック」を繰り返してきた人民軍なら、その程度のこと平気でするだろうと考える者も少なくなった。
 そうして国連軍首脳部が、これからの地上戦の短期的見通しについて途方に暮れた翌日の早朝、さらに事態が変化する。
 「船団に動きあり」と。
 しかも決死の思いで強行偵察してきた者たちの報告が正しければ、全ての船の喫水は深く荷物を満載している事になる。埠頭での動きも極めて活発だ。そして一日経ったというのに喫水が深いと言うことは、下ろしているのではなく積み込んでいるのだ。
 ここでようやく国連軍は悟った。人民軍は攻勢など考えていない。全てを抱えたまま、勝ったまま満州の穴蔵に引き上げるつもりなのだ、と。
 そう考えて見れば、様々な事象が攻勢でなく、撤退のための攻撃もしくは偽装と分析できた。だが気付いた所で、地上からの攻撃では彼らの九州退去を止めることはできなかった。
 人民軍の決死部隊が、交通の各要衝で死守線を張っていた。ゲリラ化もいつも以上。場所によってはどこに隠されていたのか、それとも今回運ばれて来たものなのか、使い捨てのカチューシャが断続的に猛烈な砲撃をしかけて攻勢や進撃どころではなかった。短期的な死傷者数も鰻登りだ。
 空軍も、事が博多上空と対馬海峡とあっては、まだ手が出せない。いかなる犠牲を払おうとも、というレベルの命令がない限り、今の戦力で対馬海峡に突っ込むことはできない。となると、事態は海軍に委ねるしかなくなる。
 かくして国連軍司令部は命令を発した。
 いわく、「戦艦の巨砲で船団を粉砕せよ」。
 それで戦争に実質的決着が付く筈だった。
 幸いして国連軍最強の「大和」が、封鎖任務で東シナ海東部を遊弋中だった。ほかにも米戦艦二隻からなる艦隊が、船団を捕捉できそうな海域に展開している。しかしカードはこれだけ。
 他の戦艦は、一隊がソ連義勇艦隊の追いかけっこを一旦切り上げて舞鶴で補給中。別の一隊は、空母部隊の護衛として動いたため後方に位置しすぎていて、残念ながら作戦参加は難しい。
 戦艦以外には、敵を補足可能な二つの艦隊に対して、無理にでもエアカバーをかけるべく空母部隊が一つ動いていた。
 時間的には「大和」が対馬海峡に突入する頃に、ぎりぎりエアカバーを提供できるタイミングだ。ただし、戦闘機だけ出せる無理矢理の出撃なため、これまで何度も船団攻撃で効果的だった対艦攻撃は期待できなかった。

 そんな追いつめられた状況だが、「大和」艦長の能村次郎一佐は昨日とは打って変わって我が世の春とばかりに上機嫌だった。
 いっぽう、戦隊司令の有賀将補も誰に邪魔されること無く戦艦同士の殴り合いができるので上機嫌かと思いきや、いささか複雑な表情を浮かべている。見方によっては思い詰めていると言っても良いだろう。
「どうした、有賀提督」
 そんな二人の少し後ろから声がひびいた。
 キングス・イングリッシュとは違う訛が少し感じられる。しかし丁寧な発音の英語だ。
「いや、色々思うところがありまして、バーク提督」
 声の主はアーレイ・バーク中将。彼は、今回の急な出撃に際して観戦武官として、今したがヘリで「大和」に来たばかりだった。
 早朝までは日本艦隊の旗艦として鹿児島湾に停泊していた旗艦大淀で松田千秋大将と共にあったのだが、米海軍司令部から「いいから見てこい」とばかりの命令で派遣されたものだ。彼以外にも、佐官クラスの者が数名付き合わされていた。佐官の中には、突然死地に送り込まれたような顔をしている者もいる。
 もっともバーク提督は、どちらかといえばご機嫌の部類の表情だ。
「色々……やはり、出てくる可能性の高い敵の事か」
「そう、敵……です。人民軍の発表が正しければ、今回も立花さんが「武蔵」に乗っている筈ですよ」
「今や世界一有名な艦長だな。少将にして人民英雄。しかも二隻も新型戦艦を沈め、史上最強の戦艦を一方的に撃破した史上最強のファイター」
「撃破と言うが、どっちも不意打ちだ」
「そうだが、短時間で有効弾を与えた手腕が見事な事に違いない」
 有賀の少し荒げた言葉に、バークが冷静な一言を加える。
「確かに、近距離砲戦を極めた腕はたいしたもんです。だが八年ほど前の停戦直後話した内容から推察すれば、彼は家族や一族を守るため造反したという雰囲気を感じました。そして私は、彼の造反を止めることが出来たかもしれないのです」
「ほう、それは初耳だな。いや、情報部の報告書にそんなものがあったか……だが、もう過ぎた事だ。君が悔いる事ではあるまい」
「確かにそうです。ですが、彼は家族や一族を守るためだけに造反したというのは、軍人として受け入れられません。言うまでもありませんが、軍人とは国家にこそ従属しなければならんのです」
「そうだな。だが、彼にとっての国とは、家族・一族の安寧にあるのだろう。理解はできるよ。それに……」
「それに?」
「ウン。彼らが建国を宣言してから早や七年。満州国建国から数えたら約二〇年にも達している。向こうに住めば、向こうの生活や人間関係もあるだろう。長く離れている本土の人間よりも関係が深い事も多いはずだ」
「つまり、連中は違う国の人間と思えと?」
「それもある。ただし私が言いたいのは、彼らにも守るべきものがあるのでは、と言うことだ。そして守るべきものがある者は強い。それを私達は、先の戦争であなた達から学ばされたよ」
「なるほど、言われてみれば十年ほど前と何ら変わらんかもしれませんなぁ」
 バークの言葉に、有賀は日本語で独白してしまった。おかげでバークが軽く首を捻っている。
「ああ、失礼。言いたいことはよく分かりました。これは我々も、その……フンドシを締めてかかりたいと思います」
「フンドシ? ああ、気合いを入れるね」
 バークは日本人らしい物言いに軽く笑い、そして付け加えた。
「そう、対等の立場にある敵手には、最高の敬意と持てる力の全てをぶつけるべきだ」

 いっぽう、その敵手たちは、大わらわな友軍の傍観者だった。
 博多湾口に仮泊する「武蔵」は、撤退船団の博多入港で混乱する国連軍の目を盗んで、今日の黎明に博多へと入っていた。
 いの一番に、重量物の積み込みが開始された。舷側が門扉のようになった改造船が多数接岸して、人や物資を飲み込んでいる様が見える。
 いっぽう砂浜では、今し方前線から戻ってきたばかりの鋼鉄の虎たちが、戦車揚陸艦にソロリソロリと歩みを進めている。まるで、檻の中に戻るサーカスの猛獣のようだ。
 そんな光景を、立花はぼんやりと眺めていた。
 第一艦橋は、人材の限られる人民海軍の現状を現すように、いまだ立花の支配するところだ。
 もっともこの場の最上級者は彼ではない。彼の側には、中将の階級章を付けた神重徳が、仁王立ちで周囲の情景を見つめている。
 彼は司令部次長の地位にありながら、自らの作戦を見届けるのが義務だと言い張り、前線まで出張ってきたのだ。
(次長も物好きだねぇ)
 立花は、神にそれほどの不快感は持っていなかった。司令部で命令だけするか、兵棋演習しか知らない秀才馬鹿よりはるかにマシだからだ。
 そんな風にぼんやり眺めていたせいか、神の方から声をかけてきた。視線は向けていない。
「艦長、何が出てくると思うかね」
「ハイ。一番可能性が高いのが「サウスダコタ」と「ワシントン」でしょう」
「ほう、第三次ソロモン海戦の復讐戦ができそうだな。他には」
「偵察や無線情報が正しければ、「大和」が近海を遊弋中です」
「……それはやっかいだな。つい最近近代改装を行ったんだったな」
「そうです。こちらもしましたが、入手された情報を見る限り向こうの方が強力です。しかも電子装備では大人と子供」
「電子装備か……攪乱片などで無力化できんか」
 神の言葉に立花は少し眉間にしわを寄せた。
「難しいでしょう。周波数が分からないと効果はうすい筈です。それに電子妨害なら向こうの方が遙かに上手です。米軍は全周波数帯で妨害をかけてくると、ドイツ人技官が言ってました」
「全周波数帯か、アメリカ製は贅沢なもんだ。……もし戦わねばならないなら、晴天の昼間を願うしかないな」
「天気晴朗なれど波高し、という状況が最高ですね。「大和」相手でも五分だし、アメリカの戦艦相手なら波が高ければ優位になれるかもしれない」
「秋山閣下にでも願うか」
 神がいつになく冗談を返して笑った。どうやら気分が高揚しているらしい。戦艦という玩具を前に内心はしゃいでいるようだ。
 立花はそうあたりを付けたが、大きな間違いはなかった。この作戦で神は、旗艦は最も残存性の高い艦である方が相応しいという、もっともらしい理由でこの場にあった。だが、最後になるかもしれない戦艦同士の殴り合いを見るために「武蔵」に旗艦を定めたのだ。もちろん、当人以外は誰も真実を知る事はない。
 そして神の気分にあてられた立花も、それに合わせようと思った。
「それより次長、ソ連がくれた近距離無線装置ですが、通信の連中が面白いことを言ってました」
「面白い? 盗聴でもできるか?」
「半分正解です。実は、向こうの周波数を掴んだので、その気になれば向こうと肉声で会話ができるそうです」
「ホウ。相手に啖呵切りながら砲撃戦ができるというわけか。そりゃ悪趣味だ」
「司令部の計略よりマシでしょう」
「ま、確かに。ところで、「大和」に誰が乗っているか分かるか?」
「向こうの人事異動が正しければ、能村が向こうの艦長です。強敵ですよ。あと戦隊司令は有賀です」
「有賀さんか、因縁だな。これは本気で話してみる必要があるかもな」
 そう言った神は、腕組みをして考え込んでしまった。どうやら本気で交戦相手と話してみる価値を考えているらしい。
(おいおい待ってくれよ。話した相手と殺し合いなんて出来るもんじゃないぞ)
 そう思う立花だったが、いっぽうで話してみたいという感情が沸き立つのも感じていた。

 ◆

「……本船団にはソヴィエト連邦船籍の民間船が多数含まれています。戦闘行動を中止されたし。繰り返す。国連軍へ、本船団にはソヴィエト連邦船籍の民間船が多数含まれてい……」
 無線からは、霞遙かに見える敵船団からの通信が延々と続いている。無線以外でも、電信、光信号、ありとあらゆる手段で接近中の国連艦隊に戦闘停止を求めている。ご丁寧に、長短双方のラジオ放送でも同じことを放送している。
 そして国連軍が行動を起こしたとき、敵船団は幾つかのグループに分かれると、ミグの傘の下、朝鮮半島に向けての突進、いや逃避行をすで開始していた。しかも最後のグループには、暗灰色をした人民海軍の戦闘艦艇がピッタリと張り付いている。
 平均十四ノット程度ながら、十時間もあれば海からは手が出せなくなってしまう。その上、敵船団の反対側からはソ連義勇艦隊が急接近しつつあり、この艦隊の動きも予断を許さない。
 対する国連軍は、東シナ海の米戦艦部隊が後方から追撃。「大和」を中心とする日本艦隊には、迂回して西水道から頭を押さえるよう命令を発する。
 この行動により、一つしかない人民艦隊はどちらかの艦隊が戦闘をしかけて拘束し、残りの片方が敵船団を葬ることになっていた。
 そうすれば人民軍はジ・エンドだ。
 放送などブラフでしかない。国際法上の正義はこちらにある。
 そしてこの複雑化した追撃戦を、国連側は多数の偵察機や電子情報によって制御、各艦隊を適切な位置へと導いていた。

「各参謀、現状を方向」
 有賀が前方を双眼鏡で見つめながら短く命じる。
「ただ今本艦および本艦隊は、対馬北西海上八キロを航行中。あと十三分で対馬海峡・西水道に入ります」
「敵配置に変化なし。敵船団まで約四五〇。護衛艦隊までは三六〇。護衛艦隊は増速、依然進路をこちらに向けています。まもなく視認可能。数は戦艦一、重巡二、駆逐艦四ないし六。他の小型艦は潜水艦を警戒してか別行動を取っています」
「ソ連義勇艦隊が対馬海峡東水道に入りつつあり。このままでは、あと三十分でA任務部隊と船団の間に割って入ります」
「「武蔵」がこっちに来てる理由はそれか」
 三人の参謀の報告の最後に有賀が独白した。
 その時、別の方向から大声が上がる。
「右舷見張りより報告、敵マスト確認。距離三五八、方位六〇。「武蔵」です」

 ◆

「「大和」視認しました。距離三五八、方位零度」
「よし、全艦隊に指令。第四戦速。進路四十度。イヤでもこっちに付き合ってもらうぞ」
「ヨーソロー。全艦第四戦速。進路四十度」
 実質的な艦隊指揮官の神の指令に能村が応え、さらに随伴する各艦艇も見事な操艦術を見せ、陣形を崩すことなく進路を変えていく。大陸に行っても、帝国海軍の血は少しは衰えてもいないと言いたげな美しい動きだ。
 そして「大和」戦闘群は、頭を押さえられたく無ければ変進するしかなく、船団を捕捉するのなら「武蔵」に同航しなくてはならない。これが、立花がいったゲームだ。しかも互いに同じ剣、同じ鎧を持つので、ある意味チキンレースだった。互いに世界最強を謳われた重巡洋艦をお供に連れているが、一騎打ちの邪魔にはならないと考えられていた。
(距離二五〇あたりからが勝負だな)
 距離30000メートルからの砲撃を命令しようとしていた立花だが、それを神が制した。
「艦長、やる気満々なところ悪いが、少し時間を借りるぞ。うまくいけば時間が稼げる」
 そう言うと、近距離通信装置のマイクを握ると、今最も通信帯を占めている常套文句を唱えだした。
 相手はもちろん、目の前の日本艦隊だ。
 今日の対馬海峡は比較的視界も良かったが、まともに見えるにはまだしばらくかかる。しかし、近距離無線でも出力を強めているので、声は届いている筈だ。
「当船団がソ連船籍を主張するなら、戦闘意志が無いことを示し、ただちに停船。当方の臨検に応じられたし。国際法上問題がなければ通行を許可する」
 数分すると、向こうからも近距離無線が入った。
「おい、立花艦長。聞き覚えがあるか?」
「ハイ。……有賀だと思います」
「あのごっつい男か。確か戦隊指令だったな」
「そうです。今の艦長は能村の筈です。あと単に話し合うなら、艦隊司令(正式名称は違う)の松田さんか観戦武官のバーク提督が最高位ですね」
「こっちの情報じゃあ松田さんは後方だ。観戦武官は佐官クラスが間違いなくいるだろうが、俺以上の見物人だ。話すに値せん」
 神はそう言ってしばらく思案に耽るが、すぐさま決断すると再びマイクを口元にもっていった。
「オイ、こっちの声が聞こえるか。こちらは大東亜人民共和国海軍海軍次長・神重徳中将。そちらの最高責任者と話したい」
 二度繰り返した。
 そして数瞬。
「聞こえている。こちらは日本国海上自衛軍将補・有賀幸作。現在は国連日本援助海軍D任務群の最先任指揮官である。何度も繰り返すが、話し合うというなら停船し砲を向けるのを止めるべきだ。でなければ、国際法上話し合う理由はない」
 有賀の言葉を聞きながら、神は立花に「ニッ」と男性的な笑みを向けた。思うツボというわけだ。
 ソ連そのものの存在と、ソ連の持つ核兵器が生み出した虚構の時間の完成だ。
 なぜなら、アメリカは既に核のカードを切って失敗し、次このカードを切る権利を持つとされるソ連が同じ事をしては、苦労して作り上げた局地戦争という状況ではなくなってしまう。
 そして虚構を利用した、神の長広舌が始まった。有賀も自分たちの正当性を明確にするためいちいち反論せねばならず、数分間水掛け論が続く。
 そうして距離が30000メートルに近づきつつあった。戦闘を行うならタイムリミットだ。しかも国連艦隊側は、同航戦を強いられ船団との距離も離されつつあり、躊躇している時間ではなかった。
 そんな焦りにも似た声がスピーカーから響く。
「議論に出口はないと判断する。よって通信をこれにて遮断する」
 ちらっと時計を見た神も潮時と判断したようだ。実質的に時が稼げなかったのは残念かといえば、顔はそうでもない。自分が前座であることを知っているような顔だ。そんな顔のまま、さらにマイクに向かう。
「了解した。サラバだ有賀君。そして日本海軍の諸君も。それと、敵手から言うべき言葉ではないが、諸君らの壮健と日本列島の繁栄を祈る。ただ、あと少し待ってくれ。もう一人そちらに交信したい者がいる。一分くれ」
 ぬけぬけと言って、立花にマイクをわたす。神は日本列島に対して決別の言葉を言うために、わざわざこんな茶番をしたのだ。
 そんな神の突拍子もない行為に少し混乱した立花だったが、マイクを静かに受けとる。
「私は立花清。軍艦「武蔵」の艦長だ。有賀提督、そしてこれを聞いている全ての人へ。今の会話で日本と日本列島を守るべき軍が、本来あるべき姿だと確認できた。ありがとう。そしてさようなら」
 最後の言葉と共に通信兵が回路を切り、立花と神は互いに顔を見合い、納得した表情を浮かべた。

 ◆

「立花! 神! 誰でもいい、応えろ!」
 最後の言葉と共にプツッと通信が切れる音が聞こえたとき、有賀は思わず叫んでしまった。
 まだこちらの言いたいことをは言ってない。一方的に言いたいこと言って、気分良くなってんじゃない。
 有賀はそんな事で感情がいっぱいだった。これが心理作戦なら、見事なまでの成功というべきだろう。
 そんな有賀の肩を叩く者があった。バークだ。
 彼は静かに顔を横にふると、次には決断を促す強い表情になる。
 バークの仕草に気分を無理矢理切り替えた有賀がうなづき、艦長の能村に命じた。
「射撃開始!」

 有賀の命令と共に、一旦停滞を命じられていた「大和」の戦闘力が次々に解放されていく。また有賀は、全艦隊にも戦闘命令を伝えており、各艦艇が敵への突撃を開始する。
 「大和」が、まるで幾重にも重なる鎖を解かれた野獣や魔物のようにうごめきだした。
 まずは、戦中では考えられなかった電波のビームが「武蔵」を絡めるのが見えそうなほど鋼鉄の枠組みから放たれる。連動して、既に敵に向けられていた四十六センチ砲が微調整を開始。目では分からないほどゆっくりと旋回しながら、徐々に主砲を天空にもたげ出す。さらに、新たに搭載した大量の防空火器がうごめきが、「大和」の凶暴さを演出する。
 ほんの数分で完全な凶器となった「大和」は、マスターである艦長の命令を待つばかりとなった。
 そしてその瞬間はもうすぐだ。
「距離三〇〇!(30000メートル)」
 同時に各所から報告が入る。戦闘距離だ。
「撃っ!」
 能村が鋭い一言を発しきる前に、「大和」が咆哮した。いきなりの斉射。九門の主砲全てを使った一斉射撃。一発あたり四五二〇〇メートル/トンもの運動エネルギーを持つ暴力が解き放たれた瞬間だ。
 この時だけで「大和」の主砲では三トン近い高性能火薬が消費され、各砲口からは大量の火薬が生み出した火焔が数十メートルも先に伸びる。
 しかも発砲時の衝撃波は、主砲を中心に球形を作るように付近の海面を押しつぶした。「大和」のまわりの海が一瞬目に見えない超巨大レンズを押し付けたようになるのが見える。
 そして初速七八〇メートル/秒で飛翔する砲弾は、約六〇秒後に彼女の妹の周囲に弾着する事になる。
 だがそれは自らも同じだ。
 まるで鏡に映したかのような情景が、全ての状況を見定めている様々な双眼鏡から確認できた。
 状況を一瞬で見極めた有賀は思った。
(大見得なんぞ切ったからって手は抜かんぞ立花)

 ◆

「敵一番艦発砲。二番艦以降は隊列を離れて増速中。先頭は高雄型」
 様々な報告が各所からもたらされる。
 しかし一旦一騎打ちが始まった以上、艦長は意外にすることはない。
 撃つのは砲術長、動かすのは航海長、損害復旧は内務長もしくは副長。それぞれ役割が決まっている。今艦長がすべきは、状況の変化を見極めるべく注意深く戦況を見守ることぐらいだ。
 しかも今は、互いに第一斉射目。着弾を数えるストップウォッチを読み上げる声だけが響いている。その声を聞きながら、一瞬だけ心にゆとりを持った立花は周囲を見渡してみた。
 第一艦橋からは艦前方から中央部にかけてが一望できる。
 なんとか木張りを保っている甲板とそこに陣取る二つの巨大な砲塔。副砲を取り除いた上に新たに乗っかっている、防空戦闘用の巨大な射撃管制装置。艦の両舷に大量に据えられた、ソ連製十センチ連装両用砲と三十七ミリ連装機銃。
 それらが、夜間での活動を主眼にした暗い灰色に彩色され鈍く光り輝いている。
 ここからは見えないが、艦橋の真後ろには新たに太いマストがそそり立ち、ソ連製の電探も設置されている。もっともソ連製といっても、アメリカ製のコピーにドイツから奪った技術を付け足したようなものだ。もちろん精度も能力も、今のアメリカ製のものとは比べものにならないぐらい低い。何しろ技術レベルは第二次世界大戦程度だ。だがそれでも、旧帝国軍が使っていたものよりずっと性能が高い。
 各射撃管制装置に付けられた電探も同じだ。
 曲がりなりにも光学照準と電探射撃が実用レベルで併用できているのだ。おかげで開戦時は、ライバルとされたアイオワ級戦艦二隻を不意打ちとはいえ撃沈できた。
 そういったシステム自体に思うところがないわけではないが、技術など使う者次第。立花はそうも割り切っている。
 それに長い間の改装は、悪い事ばかりではない。
 水密隔壁の増加や各隔壁の増厚など、間接防御力は著しく強化されている。しかも主缶もソ連の技術陣が取り囲んで温度、気圧も強化していた。従来の機関もリミッター解除で十六万八千馬力まで強化可能だが、ロシアの冶金学は予想した以上に高く、それ以上にパワーアップしている。排水量が二〇〇〇トンも増えたのに、最高速力が一ノット以上向上しているのはそのためだ。
 こればかりは向こうは知るまい。
 それを思うと少し児戯に似た気持ちがわき上がる。どこかで連中を出し抜けないものかと。
 しかし、そんな事を思ったのも一瞬だ。
 なにしろストップウォッチを数える声は、五〇を越えた。もうすぐ双方とも着弾だ。
(しかし、一撃目が当たることはない。勝負は五分経ってからだろう)
 立花は、経験則から予測した。
 そして戦闘開始から五分。距離は同航しながらも4000メートル近く縮まり、双方五度の砲火を交わした。そこで「武蔵」がようやく挟叉した。遠距離ということと海峡の波がもたらした時間だ。
 だがこの時、「大和」が改装後の力を現し始めた。
 距離28000メートルの第三射目で挟叉を出し、この第五射目で命中弾を叩き出したのだ。
 射撃・照準能力の差がもたらした差だった。
 立花や神が陣取る第一艦橋は、凄まじい揺れに襲われ、周囲では悲鳴や怒号が飛び交っている。
「各部被害報告!」
「艦尾航空機格納庫被弾」
「右舷短艇格納庫にて火災発生」
「応急班、損害復旧急げ」
「各砲塔異常なし」
「射撃指揮装置異常なし」
「電探正常稼働」
「機関全力発揮可能」
「全艦異常なし!」
 聞き終えた立花は、内心ホッとしながらも態勢を立てなおしつつ吠えた。
「次弾急げよ! 向こうは待ってくれないぞ!」
 彼の横では、神が口から赤いものを吐き出し、口の中を少しもぞもぞさせた。どこかにぶつけて、口を切ったか歯でも折れたのだろう。それが終わるとお国なまり丸出しの気合いを入れ、次の弾着までの数十秒間まるでなにかを待つように、再び双眼鏡を掲げ外を注視した。
 そして次の着弾の寸前、神の口元が崩れた。
 悪魔の微笑みだ。

 ◆

「対空戦闘用意!」
 今は「大和」司令塔に詰めている能村艦長から、各部署に命令が飛んでいる。随伴艦艇からも、アメリカ製に置き換えた対空砲が打ち上げられ始める。
 対艦戦闘中に思わぬ乱入者があったのだ。
 くせ者は、「Tu4」。アメリカのB29をソ連がコピー生産したものだ。それが突如距離20000メートルに出現。往年の海軍航空隊のように、高度三十メートル以下の超低空を這うようにやって来た。
 もともとのB29からは考えられない機動だが、速度もオリジナルより速く低空での伸びが違うことから、機械式タービン付きの大型エンジンに換えた派生型と分析できた。
 だが今は分析どころではない。
 Tu4改とでも呼ぶべき機体が六機、低空から日本艦隊目指して突進してきたのだ。その六機は、低空のまま突進するものと上空目指して翔のぼるものに分かれると、他には目もくれず「大和」に向けて突進する。
 そこに詫びの言葉を叫びながら、「信濃」を根城としていた空母艦載機隊が戦闘区域に乱入。自軍の対空射撃もお構いなしに、B29のコピーに機関砲弾をたたき込んだ。
 攻撃により、上空の二機のうち一機が搭載弾の誘爆で爆散。もう一機が片方の翼を失い、激しく回転しながら海面に激突。盛大な水の前衛芸術を作り上げた。
 しかし航空機による迎撃もそこまで。
 「大和」がようやく対空射撃を開始する頃、距離10000メートルからまずは高度3000メートルまで登った機体がかなり大型の爆弾を投下。ついで、距離3000メートルで残りの一機(あとの二機は弾幕射撃ではたき落とされた)が翼下と弾倉内のロケット弾をぶちまけた。
 なお、「大和」の方が急ぎ変進したため砲撃戦は一旦お預けとなり、それまでに放った砲弾はそれぞれ見当違いの場所に虚しく深紅の水柱を噴き立てていた。
「面舵一杯!」
 敵が距離8000メートルまで詰めた時点で能村艦長が号令。癖のある進路変更を見事に決めた「大和」だったが、迎撃と回避は万全とはいかなかった。投下された爆弾が、自らも進路を変えながら目標を捉え続けているからだ。
 着弾の寸前バークが呻く。
「フリッツX!」
 そう、上空から落とされたのはナチス・ドイツの亡霊、誘導爆弾、もしくはその派生型だ。
 恐らくソ連がドイツ占領時に奪ったものか、新規に生産したものを、人民軍に機体共々供与したものと思われた。しかし、今の今まで戦争に姿を見せなかった兵器だっただけに、奇襲効果は大きかった。
 さしものアメリカ最新鋭の迎撃システムも、低空からの奇襲と誘導爆弾の同時攻撃を防ぎきる事はできなかった。
 「大和」には、投下された四発のうち二発が直撃、至近弾となった一発がどす黒く大きな水柱を奔騰させる。
 また、低空から突進した機体が放った無数のロケット弾が「大和」艦上に十数発が着弾。
 当面の損害集計を受けた有賀を蒼くさせた。
 1000ポンド程度の爆発威力と思われるフリッツXのうち、一発は艦首甲板を貫き爆発。ただし強化した隔壁のおかげもあって被害は最小限。兵員居住区の多くを破壊、まるで地層のような艦内区画がむき出しになったが、戦闘に影響はない。
 だが残りの損害がある意味致命的だった。
 フリッツXのもう一発が、司令塔近くで炸裂。1000ポンド程度の爆発威力では司令塔の装甲を破壊するには至らなかったが、周囲の無防備部を破壊。さらに爆風が司令塔内部を襲い、能村艦長以下主要なスタッフの半数以上が負傷。彼らの任務続行も多くが不可能になっていた。
 また、多数放たれたロケット弾は、多くが艦橋構造物周辺に集中。ほとんどはむき出しの対空火器を破壊したに止まったが、一部が前部マストと後部艦橋を直撃。さらにマストが倒壊するとき、艦橋トップに据え付けられた射撃電探をかすめてしまう。
 このため、水上捜索、射撃管制能力は大幅に低下。レーダーによる射撃管制はほぼ不可能となっていた。上がかすめ取られただけなので、主砲射撃管制所や十五メートル測距儀は無事と思われたが、こちらは実際撃ってみないと分からない。
 何にせよ、砲戦能力低下は避けられないだろう。
(クソっ!)
 有賀内心ひどい罵り声をあげた。この攻撃ために戦闘を引き延ばす会話をしてきたのかと思ったからだ。
 だが、冷静に判断すれば思い違いとすぐに分かる。だいいち、それほど彼らの軍全体の統制が取れているとは考えられない。また、戦闘開始時間自体に変化はない。偶然と必然の結果という、悪魔の計算が成し遂げた成果なのだ。
 冷静になったところでバークの声がした。
「有賀提督。指揮を」
 まるで主人をうながす従者や乗馬の声を聞くように気を取り直した有賀は、一瞬怪訝な顔をした。
(「大和」が被弾しただけ、艦の指揮なら艦長か副長が……)
「ありがとうバーク提督。……砲術長聞こえるか、緊急事態だ。本職が艦の指揮も代行する。君はそのままそこを指揮してくれ。損害が気になる」
 バークへの礼もそこそこに艦内電話で砲術長に用件を伝える。砲術長の方も、自らが詰める指揮所が気になるらしい。本来艦の指揮を引き継ぐべきだが、有賀の言葉に安堵しているようだった。
 そして指揮権を掌握した有賀は、全艦に改めて命令を発した。
「全艦最大戦速。空襲を警戒しつつ砲雷撃戦に復帰。缶室へ、二十分でいい、限界まで圧力をあげてくれ。今は足が欲しい」

 ◆

「距離二六五、「大和」進路戻ります。船団に向けて進撃再開。速度上がります」
 見張りから報告が入るが、状況は立花や神からも遠望できた。大和級戦艦の巨大な前檣楼からは、双眼鏡を使えば三十キロ近く先の艦艇を見ることもできる。
「敵進路固定しだい諸元算出、砲撃再開」
 すかさず立花が命令を発する。それを横で聞きながら、神が小声で話しかけてきた。
「艦長。敵の様子どう思う。見張りは電探用マストが倒壊したと言ってるが……」
「ハイ。ですが、まだ戦闘可能ということです。向こうはアメリカからも指導を受けた海軍です。無茶なことはせんでしょう」
「そうだな。で、こっちも大丈夫か?」
 神はそちらの方が気になるらしい。
 なにしろ「大和」の第六斉射でさらにもう一発の九一式徹甲弾を受けたのだ。
「ヴァイタル・パートを打ち抜かれ、発電用ディーゼルの半分が全壊。アンテナの一部も損傷。電探の能力が落ちました。ですが、全力発揮は可能。この天気と距離なら光学照準だけで十分です。けど、こっちも接近しますよ」
 言葉の最後に立花が挑戦的な顔を向ける。
 それを目にした神は、しばらく神妙な顔をしたあと破顔した。
「立花どん、よか顔ばい」
 そんな神に立花の態度もほぐれ、また戦意が高まるのを感じた。
(そう、ここを凌がなければ、西たちの乗る船団を、そして国を守ることができなくなる)

 ◆

「バーク提督。A部隊はなんと?」
 敵に向けての突撃を再開した「大和」指揮中枢は、再び重苦しい雰囲気で包まれていた。
 それは、バークが最高位ということで通信長から受けた電文にこう記されていたからだ。

発:国連日本援助軍司令部 宛:作戦参加全部隊
 国連日本援助海軍A部隊・D部隊に、人民空軍よる大規模な攻撃あり。
 D部隊は健在。A部隊は主力艦二隻に大損害。
 さらにA部隊はソ連義勇艦隊の追撃を受け、現在残存艦艇が交戦中。
 なお、A部隊司令部は敵船団追撃を断念せり。

 バークから受け取った紙面を見ながら、有賀の顔が無表情に近くなった。緊張、嘆息、重責への心理的圧迫。様々な想いが顔を無表情にさせているのだ。
 だが逡巡も一瞬。表情を改めた有賀は、バークへの言葉をかけようとした。もっとも、バークの方もすでに心理的衝撃からは立ち直っており、有賀の気持ちに気付いて小さくうなづき返す。
 そこに、危険分散のため第二艦橋で操艦に当たっていた航海長から通信が入る。
「進路固定完了」
 続けざまに通信が続く。
「敵艦隊との距離260(26000メートル)。その後方の船団との距離430(43000メートル)。敵艦隊速力24ノット。完全に反航しました」
「射撃装置正常に作動中、いつでもいけます」
「敵艦発砲!」
 最後の報告を聞いた有賀は、六年半ぶりの命令を発した。
「撃っ!」

 それからは、激しい砲火の応酬となった。ただし双方電波の目がかすみ、相対距離50ノット(時速90キロ)ではなかなか命中弾を得る事は難しい。
 距離はますます接近していたが、十分もあればすれ違う。その間十数斉射が精一杯。四十秒に一度斉射弾を浴びせるとしても、二十回が限度。しかも進路は少しずつ朝鮮半島に近づいており、「大和」の方は交差するまで戦闘をするわけにはいかない。その上「武蔵」を撃破するか振り切るなりして敵船団に達しなければ、作戦目的を達成できない。
 しかも国連軍全体で、目の前の獲物を捉えることができるのは、今や「大和」ただ一隻。そして全ての障害をはね除け目的を達成したとしても、行う事は十万人の将兵の大殺戮だった。
 任務は苛酷になるいっぽうだというのに、達成したとしても人として喜べるものではない。
(二律背反とはこのことかもな)
 相変わらず真っ赤に奔騰する、場違いなほどカラフルな水柱を見ながら有賀はそう思った。

 ◆

「損害報告!」
 今日何度目かの同じ命令を発した立花は、今一度大和級戦艦に惚れ直していた。
(すごい艦だ。自分と同じ武器をちゃんと弾いてるぞ。遠距離で貫かれた時はどうかと思ったが、どうだか、たいしたもんだ。しかも向こうも同じだ。命中弾の半分以上は弾く上に、いまだに元気いっぱいだ。よほど中身を強化したんだろうな)
 ただ、思うだけでは済まされない。それに損害は着弾のたびに確実に増えていた。
 不沈艦といえど無敵ではない。しかも鏡に殴りかかっているようなものなのだから当然だ。
 もっとも、地獄の扉が徐々に広がっているというのに、隣りに立つ神はいまだに上機嫌だ。
(ただ眺めているだけなんで、神の旦那は気楽なもんだな)
 立花は内心悪態をついておいて、矢継ぎ早に指示を出す。次が来るまでたったの四十秒。人間の方が被弾の衝撃から回復する時間を差し引けば、三十秒あまりしか時間は与えられない。
 そして、今日十数射目になる轟音が響き渡った。
 相変わらずの全門斉射だ。
 自分と同じモンスター相手に、交互斉射などしていられない。
 だが、それももうすぐ終わりだ。
 それを象徴する報告が、敵弾着弾の数秒前飛び込む。
「距離180(18000メートル)」
「ダンチャ〜ク、今!」

 ◆

 着弾の瞬間、今までにない衝撃が襲う。思わず有賀は七年前を思い出したほどだ。そして、彼の感覚は間違っていなかった。
 ヴァイタル・パートをまともに貫かれたのだ。
 今までにない激しい衝撃に、隣のバークが尻餅をついている。
(どうだい、バーク提督。これが四十六センチだぜ)
 尻餅をついたバークにチョットしたおかしみを感じた有賀は、ほんの少しだけニヤリとすると、次の瞬間にはこちらもお馴染みとなった言葉を次々に口にしていく。だが、今までになく緊迫感を含んだ声となる。
 そう、今のはかなりやられた筈だからだ。
「左舷外側機械室被弾。機能停止。死傷者多数発生」
 有賀が思った瞬間、決定的な報告が舞い込んだ。
 有賀が命令を発するより先に、内務長や副長が迅速に対処しているが、4つタービンのうち一つが完全に破壊されたことは疑いない。
 他の隔壁を貫かれたり、誘爆しなかっただけ幸運だと考えよう。ソフト、ハード両面でのアメリカ製防御方式のおかげだ。戦中の「大和」なら、どうなっていたか分からない。
 しかも生まれ変わった「大和」も「武蔵」に負けていない。
 有賀が「武蔵」を一瞥したとき、堅固なはずの三番砲塔からの発砲炎がなかったからだ。

 ◆

「やってくれたな有賀」
 先ほどの上機嫌もどこへやら、「武蔵」を大きく傷つけられた立花の怒りは大きかった。
 カウンターで浴びた「大和」の砲弾が二発、まとまって三番砲塔前楯に激突。650ミリの装甲は貫通こそされなかったが、主砲のうち一本が衝撃で折れ曲がり、九万トンもの運動エネルギーでバーベットリングが歪んで旋回も不可能となった。
 内務長からは、砲塔内の誘爆なし、ただし砲塔員の過半が昏倒という報告もあった。
 誘爆していないのはけっこうだが、これで戦力は三分の一減だ。
(手早く片づけなければ)
 この戦いで始めての焦りが立花に押し寄せた。
 そう、相手はいまだ全力で砲撃可能な大和級戦艦なのだ。前年倒したヤンキーのブリキ戦艦とはワケが違う。
 しかし、次の発砲をする頃、ヤンキーの力によりさらに巨大無比となったはずの「大和」に変化が訪れた。足が鈍りだしたのだ。

「左舷外側機械室被弾の影響で、内側のタービンも機能低下。最大速力概算は二十一ノットです」
 追撃を断念するかどうかの数字だ。巡洋艦や駆逐艦だけでは、まだ戦闘力を維持している「武蔵」に追いつく事は出来ても、砲撃で追い散らされるだけだ。「武蔵」以外の艦艇も、大きな脅威となる。
 しかも状況はもっと悪い。だからこそ有賀はあえて問いかけた。
「主舵は大丈夫か。事実上の右軸二つで無茶をできんだろう」
「はい、できれば十六ノット。長い時間走らせるなら十二ノットがいいところですね」
 艦内電話から航海長の残念そうな声が響く。
 だが有賀は、その雰囲気を押しのけるように続ける。
「だが、惰性でしばらくは持つ。それまで砲撃の諸元のため二十一ノットで持たせろ。あとは十六ノットあれば、敵船団にはギリギリ追いつける。全艦隊も、こっちに合わせさせる」
 有賀の言葉は、「大和」が釜山沖で朽ち果てる可能性の極めて高い言葉だ。二ノットの差では、船団を捕捉できても朝鮮半島ギリギリ。たとえ停泊に入るであろう船団を壊滅できたとしても、自らも沿岸砲台や遮二無二攻撃してくる空軍の餌食になるだろう。しかも他の友軍艦艇も巻き添えだ。
 そして国連軍司令部が、そんな無茶を認める筈がない。随伴する重巡洋艦や水雷戦隊からは突撃の許可を求める通信が入っているが、「武蔵」が健在な以上、許可するわけにはいかなかった。
 だから、それ以上有賀は言葉を続けない。
 今はただ砲撃戦を凝視するだけだった。とにかく相手の戦闘力を奪えば、彼の勝利なのだ。

 双方がそれぞれ重大な損害を受けた後、戦闘は下火へと傾いた。3分ほどは同じように殴り合いを続けていたが、「大和」は数分で速力が定まらなくなり、「武蔵」は相手の速力低下にかえって翻弄された上に、火力の三分の一を失っていたからだ。強いて言うなら、砲力で勝る「大和」優位というレベルだ。
 通常なら、双方とも撤退を考えなければならない潮時といえるだろう。
 立花の目にも、「大和」の速力が大きく低下しているのが分かる。だから数分前の焦りも消え、希望的考えを持ちつつあった。
(おそらくこれで……)
 そんな想いが通じたのか、それとも冷静に判断しているのか、神が双眼鏡に目をつけたまま独白するように口を開いた。
「立花どん、そろそろ潮時じゃなかか」
「しかし次長。このまま押せば「大和」を撃沈できるかもしれません。それに「大和」はまだ戦闘力を失ってはいません」
「そげん気張らんでもよか。「大和」ば沈めても意味はなかよ」
「……次長」
 立花の次長という言葉にようやく我に返ったのか、双眼鏡を下ろすと立花に静かに告げた。
「失言だった。だが、我々の任務は殿として船団の護衛であって、敵艦隊の撃滅ではない。同じ日本海海戦だからといって、東郷さんに習わなくてもいいとは思わないか」
 神の顔はいつもの憑き物が落ちたような穏やかさだった。その顔は告げている。
 もう国へ帰ろうと。
 そこに衝撃は訪れた。
 超越者の気まぐれか、それとも人の執念か、「大和」の砲弾が一発命中したのだ。もちろんこの距離、舷側装甲を打ち抜かれている。
 神の言葉を聞いた後では、なんだか「大和」までがもう帰れと殴ってきたように感じた。
 そんな「大和」にも、「武蔵」の砲弾が一発命中している。どうやら艦首喫水下に命中したらしい。
 これで彼らの船団撃滅は、完全に不可能だ。
 立花も決断した。
「分かりました次長。帰りましょう我々の国へ」
 神は静かに頷くと、各所に命令を発し始めた。
 全艦隊、最大戦速にて戦場を急速離脱せよ、と。

 ◆

 「大和」の第一艦橋では、煙を噴き上げる巨大戦艦が悠然と立ち去るのが目撃できた。
 見張りの報告では二十七ノット以上出ているらしい。随伴する妙高型の重巡洋艦や駆逐艦も、こちらの動きを警戒しつつも同じように離れつつある。それに引き替えこちらは、最後の被弾で頑張っても十四ノットが限界だ。四十ノットでる駆逐艦もいるが、突撃させるわけにはいかない。
 さすがの有賀も、追撃を断念するしかなかった。
 しかしその瞳は「武蔵」を見据えたままだ。
 そんな有賀の肩に静かに手が置かれた。
「有賀提督。いや、幸作。もう終わったのだよ。君は十分任務を果たした。もうよいのだ」
 手の先には険しい顔の中にもやさしい目を湛えたバークがいる。
「それに見たまえ。彼らは帰るのだよ、彼らの国へ」
「彼らの国へ、ですか」
「そうだ、彼らの国。彼らの祖国(ホーム)へだ」
 最後にバークは力強く言った。
 それに釣られるように有賀も呟いた。
 リターン・トゥ・ホームと。


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