■長編小説「虚構の守り手」

●21世紀初頭の各国概況

 アメリカ、ルーズベルト大統領の急死により大きく変化した第二次世界大戦と戦後の戦後情勢。ここでは、戦争の結果変化した北東アジア情勢を中心に各国概況を説明していく。
 当然ながら、民族の政治的分裂という一番の変化を強いられた、大陸日本と列島日本を中心に紹介する。

●概容 
 アメリカの外交政策の変更と日本の早期降伏、そして欧州での米ソの占領合戦の結果、北東アジア地域でのソ連の圧力が強まってしまう。
 原因の多くは、ソビエト連邦の独裁者スターリンの独断にあった。彼は欧州、正確にはドイツで手に入れることが出来なかったものを幾らかでも補填するため、当時造反中だった旧日本帝国の残存組織を支援して満州を中心に国家を建設させてしまう。
 これに対してアメリカ合衆国を中心とする連合国は、手に入れたドイツと西欧を第一に守るべきだとする消極的な姿勢もあり、連合国によるドイツ占領とソ連による満州独占がトレードされた形になった。
 結果北東アジアでは、満州地域を中心にした「大東亜人民共和国」が成立。大日本帝国の残滓を浴びた東側陣営国家が成立する。しかもこれ自体、ソ連や各共産党が認めたというよりも、スターリン個人が認めたと言う背景が強い。故に、本来ならいずれ消滅する筈の国家であった。だが、スターリン没年の少し前に自ら大規模な戦乱を起こした事が、結果として国家の存続を国際社会に黙認させてしまう。
 そして以後半世紀近く、北東アジア情勢は「大東亜人民共和国」と呼称する、旧大日本帝国の残党によって左右される事になる。

●北東アジアの国家及び政体(1950〜80年代・順不同・GDP順)

・日本国(列島日本) = 立憲君主の資本主義国
・大東亜人民共和国(大陸日本) =東側陣営の資本主義国(満州王国、高麗王国、蒙古王国、他 形式上は連邦国家)
・中華人民共和国  = 一党独裁の共産主義国
・中華民国(台湾) = 一党独裁の資本主義国
・大韓人民共和国  = 一党独裁の共産主義国
・モンゴル人民共和国 = 一党独裁の共産主義国
・東トルキスタン人民共和国 = 一党独裁の共産主義国


●各国詳細

■大陸日本(コンチネンタル・ジャパン)

正式国名/大東亜人民共和国(※1989年より東亞細亞連邦共和国)
元首/大統領
 (※冷戦中は昭和天皇の名代としての地位もあり。1989年より天皇に関する記載は消える。)
政体/
 中央/大統領を中心にした官僚と軍部による中央専政。
 (※1989年より軍部の権限は制度上でも大幅に低下)
 地方/自治政府による連邦国家制。民族ごとに王を立てた名目上の立憲体制による自治国制度も有り。ただし、内政自治権以外はない。
 ※なお、名目上日本の天皇を至尊とするため、各地に王族・貴族が制度として残されている。1989年以後は、精度の多くを名誉面以外で廃止。
国土/旧満州国、内蒙古東部・中部、朝鮮半島北部
総人口/約1億4600万人(2012年時点)
人種構成比率/日本人/9、ロシア人/2、ドイツ人/1、東欧系1、ユダヤ系1、
漢人/65、高麗(朝鮮)人/16、満州人/3、蒙古人/1、ほか/1=100(%)
 ※日系の1/3は主に欧州系との混血。
主要言語/
 第一公用語=日本語
 第二公用語=ロシア語、高麗語(朝鮮語)、中国語(北京語)、ドイツ語、ヘブライ語
宗教/神道、仏教、ロシア正教、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教、ラマ教、(儒教) など
主な産業/鉄鋼、機械、製油、穀物(米、各種麦、大豆、トウモロコシ、てんさいなど)、牧畜、林業など
主な地下資源/石炭、石油、鉄鉱石など

国家の特徴/
 「日本帝国の亡霊」が、冷戦時代の最大公約数になる。対外的にも、「コンチネンタル・ジャパン」と呼ばれるよりは「インペリアル・ジャパン」や「オールド・ジャパン」と呼ばれることが多い。また冷戦時代はソ連と並んで「悪の帝国」の代名詞であり、冷戦の矢面に立つことが多かった事も手伝って、ナチスと並んで軍事国家として有名になる。日本帝国時代に建造された巨大戦艦《武蔵》など、象徴的な兵器も多かった。
 建国の経緯は、第二次世界大戦で日本停戦後のクーデター未遂を経て、徹底抗戦を唱える軍部や国粋主義者の一部が中心となって旧満州地域を中心に籠城した事が建国の発端。これをアメリカ(資本主義陣営)との対立に利用したソビエト連邦が支援する形で国家として形成される。
 だが当初は、ソ連、特にスターリンからの信任と援助があったため、独立を保てたと言って間違いない。それまでは単なる軍事テロリスト集団に近かったが、自ら引き起こした「東亜動乱」を経て国際的にも認知されるようになる。
 日本軍部と在満州、在朝鮮日本人社会が中心に居続けたため、社会主義国、共産主義国になることはなかった。一般的には、軍部独裁の国家社会主義体制と言われるが、官僚専政の国家資本主義の方がより正確だろう。

 共産主義陣営にとっては、東アジア先端部の橋頭堡にして牙城であるが、共産主義陣営でそれなりの市場経済(社会主義市場経済とされる)を維持した国として知られる。ただし官僚専制の軍国主義で一党独裁国家のため、国際評価は常に低かった。日本国(列島日本)との対立と国家の成り立ちの経緯もあって、正式に国交を結んでいる国も多くは無かった。
 維持されていた市場社会での企業も、大日本帝国時代から続く東亜鉄道(東鉄、旧満州鉄道)、満州産業(満業(旧日産)=現/東亜産業)を中心にしている。しかも官僚専政が極めて強く、ソ連からの影響もあるため、本当の意味での市場経済や資本主義には遠かった。また経済の9割以上は、日本人とロシア人など欧州系が牛耳っている。このため、旧日本軍国主義や国家社会主義の生きる化石と言われ続けた。西側からの国際非難も常に強かった。
 もっとも東側陣営の中では、工業化も進み資源が比較的多く農業が盛んで、世界レベルで見てもそれなりに豊かな国として存続し続ける。また、資本主義も貧富の差も認めてる政府だったため、公式上でも富裕層、特権階級が一定レベルで維持されている。この面では日本列島の天皇を認めるため、いまだ王族、貴族の制度が残されている点が有名だ。それでも社会の安定度は、悪名高い憲兵や列島日本同様に優秀な警察に頼らずとも比較的高かった。これは国民に対する還元、つまり社会福祉が制度として行き届いていた点が大きい。
 冷戦崩壊後は突然のように民主化と改革解放を行い、連邦国家としての再編成が行われる。元々虚飾に満ちた国号や国家体制だったため、時代の変化で不要になったので自ら捨て去ったと言えるだろう。
 以後、直轄地以外は、満州、内蒙古、北朝鮮地区に王領(自治国)、その他自治区に細分化された本格的な連邦国家となっている。この点は、国家自体がかりそめのままだった事が影響していると見るべきだろう。
 しかし建国以来、教育と国家方針のおかげで民意が一つの方向に傾けられすぎていた影響で、列島日本との経済統合に際して、国家連合という新たな枠組みが作られると元の鞘に収まりつつある。各民族の王権や地方自治も、「東亜」という名目の日本人社会での地方社会としての一面しか認められず、21世紀現在も「東亜」の中の一角という側面しか持っていない。
 また、日本人(+ロシア人)の圧倒的優位という人種差別と貧富の差は民主化以後も強く残り、国際的にも問題視されているが、半世紀近い間に国土に定着してしまい解決の糸口はない。

民族構成の特徴/

 もともとは、満州族を始めとする遊牧民族が住む先祖伝来の地域として、清政府が移民、居住を厳しく制限していた。だが、19世紀末のロシア進出の頃より、漢民族にも開放され農地を求めた流民が流れ込む。
 このため、それまで清国が100万人ほどに抑えていた人口は、年間で最大約100万人もの流民が発生して急速に拡大する。
 その後、進出してきたロシア、日本資本により開発が進められ、圧倒的多数の漢人流民に加えてロシア人、日本人、朝鮮人が増えていった。
 1932年の満州国建国により、強大な軍事力を背景にした日本人の勢力が極端に強くなる。そして第二次世界大戦末期の日本本土の混乱に連動して日本軍部の一部が建てた政府により、日本人による国としての側面が極めて強く打ち出される。
 建国時の総人口は、満州が約5000万人、朝鮮半島が約2600万人。これに戦後の強制帰国者を差し引きして約7500万人となる。
 1940〜60年代は、政府の強い方針で大東亜主義や民族平等のスローガンとは裏腹に、国民と国家そのものに対して徹底した「日本化」が推し進められた。以後20年程で、国民の9割以上が日本語を話せるようになっている。社会制度、生活習慣の多くも、手厚い保護政策に連動して日本式が可能な限り取り入れられた。20世紀末には、表面的には現代の日本列島より日本らしい文化や習慣、街並みを持つに至っている地域も多い。都市部と一部農村地帯において顕著。戦前の北海道と少し似ていると言われることも多い。
 なお日本化政策では、政府が認めない民族自決などの運動に対して、軍隊を用いた大規模な弾圧、粛正が行われているほど徹底された。
 そして建国当初流民や亡命者がほとんどだった中華系民族は、その政府に最低限であれ庇護を得ていた事もあって反発する事もなく、また政府に従うより他無かった。一方で国籍上日本人になれば、豊かな生活保障が政府より自動的に与えられた。また日本的生活をすれば様々な社会的恩恵があったため、住民の側から日本化する向きの方が圧倒的強かった。このための資金は、地下資源と武器の売買、ソ連からの援助や同盟国価格での資源輸入の恩恵から得られている。
 「日本化」の例外は、宗教関係者などの例外を除くと、政府が認めた自治国、自治区での生活と活動、他は各民族の特権階級と高い税金を納めた者だけが例外だった。しかし、ほとんどの者が表面上は日本化している。
 なお、「東亜解放」の政治的象徴とされたのが、各民族文化と宗教、そして旧来の特権階級の表面上の保護である。
 満州族と蒙古族、高麗(朝鮮)族各民族の特権階級と、他にはラマ教特区、ユダヤ人特区になる。中でも満州文化、モンゴル文化、ラマ教文化など少数民族文化が重視され、各地に民族都市、宗教都市が存在する。これらの例外が認められたのは、国政、経済、軍事の全てを日本人が握っており、その程度は認めても問題なく、アメと鞭政策の一環でもあった。事実、内乱や叛乱は表面的には一度も起きていない。
 また、建国後にロシア人の牙城と化したハルピン市と周辺部も例外となった。冷戦間はソ連租界、ロシア租界と呼ばれるほどで、冷戦崩壊後はロシア本国からの人口流入でロシア人人口が激増した。このため現在では、リトル・モスクワと呼ばれるほどロシア人社会が形成されている。
 さらに、他の共産主義政権国家からも否定された宗教的なものや贅沢品の伝統工芸などの保存先として重宝され、様々なコミュニティーが旧東側諸国の民族博覧会のごとく形成されている。このため各正教、カトリックの大きな勢力が国内に存在し、修道院やミッションスクールなども本国からの手厚い裏からの援助で存在し、現在も大きな勢力を持っている。そしてこうした組織を仲介として、大陸日本と共産各国は強い関係を持つことになった。
 少し変わっているのがドイツ系で、ドイツ軍捕虜ばかりだったので移住者は男性が殆どだったため、他民族との結婚が多く大都市を中心に国全体に浸透している。そして国が欧州系には寛容だった事もあって、ドイツ文化は国に広く浅く広まることになる。ロシア系などが一部地域に限定されていたのとは対照的だ。

 いっぽう本来の民族比率は、国民の約三分の二を漢民族系が占める。しかし彼らは、流民として1940〜50年代に流れてきた人々が半数以上を占めた。それ以外に住んでいた多くも、以前は苦力(クーリー)と呼ばれる低所得層が多かった。農民となった者も、豊かな土地は日本人などに取られた為、建国までは貧しい暮らしの者が多かった。
 しかし彼らは、自分たちの生活を維持するためだけに、自ら政府が推し進める日本人化を積極的に行った。建国からしばらくは、流民として政府からも低い扱いを受けたが、東亜動乱で一部に変化が見られる。大躍進直後の共産中国との軍事衝突以後待遇が大きく改善され、70年代には政府の重要な支持基盤の一つとなっている。また、共産韓国に行かなかった朝鮮人は、自ら日本人化に強いこだわりを見せている。このため1970年代には、国民の三分の二以上が政府が推奨した「日本人=大東亜人」としての生活を持つに至っているし、21世紀初頭の現在も「日本化」による「大東亜文明的」な生活に疑問を持つ者は少ない。彼らにとっての王族や貴族も、精々民族の記憶の保存者や祭りの御輿程度でしかなく、民族のアイデンティティーの拠り所としては弱い。彼らが守った自らの庶民文化は、一部の食文化だけとすら言われる。

 なお、建国当初流民や亡命者として流れて来た漢人(主に中華民国系の人々)は、強引な国内法により財力のないものは男は国内での使い捨ての肉体労働者もしくはソ連への「輸出品」として、女性は家内労働力、一部は男性社会であった支配層(主に日本人とロシア人)の子孫を残すための配偶者と見られ、1960年代に入るまで低い扱いを受けていた。それでもこの国を離れなかったのは、離れてきた時の中国の全般的状況がもっと酷かったからだ。旧中華民国系の人々が本土に戻らない理由は言うまでもないだろう。
 また、自ら「日本化」政策に熱心だったのが、高麗(朝鮮)民族で、戦前から日本人となることを強要されていた彼らは、新たな日本人の国家でも日本人であることを望む者が多かった。このため国内では、自治国を建設させて日本人になる事を阻止し、東亜動乱後に独立国まで作ったと言われている。
 いっぽうで、冷戦時代を通じて日本民族もしくはロシア民族、ドイツ民族として認められた人が、ほぼ自動的に特権階級としての位置を占めていた。今現在でも、国内富裕層の8割以上が特定の人種によって占められている。官僚や軍人、企業での優遇も強い。ただし、冷戦崩壊後はソ連共産党系の多くが没落している。
 ロシア人は、革命以前から住む人々よりも、ソ連時代に支配者として移り住んできた軍や共産党系の人々が多く、冷戦崩壊後は経済難民化した人々が多数派となった。いっぽうドイツ系は、大戦後にソ連で強制労働をさせられていた元軍人や技術者出身がほとんどで、古い世代の過半は男性になる。ソ連占領地域だった東部ドイツからの移民者もかなりの数に上る。
 また、建国から10年ほどは東側全般において、いわゆる嫁集めを熱心に行っており、東欧系の血を持つ日本人の数もかなりの比率を占めている。これは大陸日本の日本人社会が、圧倒的に男性が多く、逆にソ連などではWW2の影響で男性が酷く不足していた為だ。
 民主化以後、国内での人種差別は制度上廃止されたが、今でも根強く残り、進学や就職、結婚などで民族的出自が非常に重要視される。冷戦時代の状況は南アフリカ共和国と少し近いが、現在では経済発展により中流層が多く形成されたため、進んで問題にしようと言う国内勢力は少ない。また、出自を名目上タブー視する向きも強くなっている。

 なお民主化以後は、列島日本への移民が激増しており、双方で社会問題化されている。いっぽうで、中華本土からの移民、流民、亡命は徹底的に取り締まられており、こちらも社会問題化している。

※教育制度の特徴

 旧日本帝国の制度が強く残り、その上にロシアの教育制度が多少の合理化を行っている。
 教育そのものも旧日本の教育が重んじられ、公用語の日本語教育と道徳としての精神教育、武道、習い事の鍛錬には多くの努力が注がれている。これが、大陸日本の「日本化」を推し進める強い原動力の一つとなった。女性に対しても、日本的な教育が重んじられた。
 また戦後の列島日本と違い、今に至るも特進制度(飛び級)が存在し、国民全般での教育熱も非常に高い。優秀なら、漢族、朝鮮族でもかなりの出世が出来る影響も強い。中産階級以上だと、幼稚園から私学で学ぶのが当たり前で、富裕層を形成する日本人、ロシア人では公立学校に行く方が少数派である。また、正教系のミッションスクール、仏教、神道系の私学も多く設立されているのも、東側社会だったことを考えると特徴的と言えるだろう。列島日本と大陸日本の双方に学校を持つ宗教学校も存在する。
 尚、教育勅語は旧日本のものを一部改訂しただけでそのまま残され、今も受け継がれている。大幅改訂され現代語訳に変化した列島日本との違いは大きい。


外交、経済の特徴/

 冷戦時代を通じて、ソ連極東経済と密接にリンクしていた。満州からは豊富な穀物や畜産物がソ連極東・シベリアに供給され、ソ連からはシベリア鉄道やパイプラインを伝って大陸日本で足りない各種資源や工業製品が、同盟国価格の安価で届けられていた。これを用いて、国内の重工業化と大規模機械化農業を達成している。ソ連の極東開発も、大陸日本の資源や食料、労働力により飛躍的な向上を見せており、ソ連にとっても無くてはならない存在だった。またオホーツクの魚介類も、ソ連から輸入されている。
 また、東側唯一の非共産主義国という立場を利用して、多くは水面下や第三国経由ではあるが西側経済とも結びつきを保ち、資源や食料とのバーター取引で西側の工作機械や製品をやり取りして、自らの発展と技術向上を維持していた(ココム違反は日常茶飯事)。
 一方、世界から爪弾きにされた国であるイスラエル、南アフリカ、さらに台湾などとの関係も深かった。台湾との関係は、共産中華が正統な中華国家と認められて以後急速に進み、反共産中華で強く結束している。
 独自性の強いインドとの関係も、大陸日本が東側の資本主義国ということと、中華人民共和国という共通の敵が存在する事もあって常に深かった。インド以外でも、共産主義、NATO諸国と距離を置きたい国も、大陸日本との関係を深めている。
 また、市場経済を曲がりなりにも維持していたため、西側との経済格差、技術格差は東側陣営で一番小さい。民衆も市場経済や資本主義を理解しており、民主化以後の経済発展の下地ともなっている。国内の企業も出来うる限り海外進出をしており、驚くべき事に一部の第三国では列島日本と関係を持ってすらいた。
 そして以上のような経済、貿易の状況から、東側陣営のフィンランドと言われる事もある。
 なお冷戦時代は、共産主義国でなく王権や特権階級が認められているので公で贅沢品が認められ、宗教の自由も憲法上でも認められており、ロシア、東欧の宗教や伝統産業の保存先としても発展している。
 日本の伝統的な分野についても、政府の全面的支援によって手厚く保護され、冷戦崩壊頃には列島日本より盛んな工芸、伝統芸能や武道も多いほどとなっている。首都新都などには、立派な歌舞伎座なども作られている。特に軍人達が伝えた各種武道は列島日本よりも盛んで、剣道、柔道、空手の強さは世界的に有名。興業相撲、プロ野球も大衆娯楽として盛んで、冷戦崩壊後は列島日本との交流試合も日常化している。21世紀に入ってからは、プロ野球は日本と合同による4リーグ制度化に向けて話が進んでいる。
 また列島日本と違い、共産陣営内での付き合いとしてフットボール(サッカー)は1960年代から盛んでプロリーグも存在しており、ワールドカップには列島日本より出場している。

 冷戦崩壊後は、雪崩を打って列島日本の膨大な資本、企業が世界に先駆けて深く入り込み、大陸日本の特権階級や官僚、企業と結託してこの国を瞬く間に西側同様の資本主義国に作り替えてしまう。特にこの時期列島日本が、「バブル経済」と呼ばれる膨大未曾有の好景気の末期にあり、「虚」を「実」で生き残らせるため日本資産の流入と開発は凄まじかった。
 21世紀に入る頃には経済発展も一定段階を過ぎ、GDPの大きさから世界貿易の重要な一角と認識されるようになり、列島日本との経済統合が進められている。
 また、冷戦時代の関係を通じてモンゴル、東トルキスタンの開発を熱心に進め、これら二国を経由して冷戦後独立した中央アジアとの結びつきを強めている。21世紀に入ると、中央アジアからの石油や天然ガスのパイプライン敷設の計画すら進んでいる。このアジア政策では、共産中華との対立も強いが、経済的な優位と中華を嫌う国の方が多いため優位に運んでいる。

※東亜鉄道と東亜産業

 東亜鉄道通称「東鉄」は、旧南満州鉄道株式会社を始まりとする鉄道会社。満州国建国と共に、国策会社の多国籍企業から鉄道会社へと変更。一見勢力を大きく減退させる。しかし、満州全土の鉄道を一元支配し、総延長は大陸日本の建国時で1万キロを超えていた。しかも鉄道および鉄道付属地での限定的な治外法権はそのままとされ、大陸日本成立後も自治国、自治区制度があったため、限定的な警察権(鉄道警察)などの特権を保持したままとなる。しかも、北はソ連国境から南は大連、東は内蒙古の包頭から西は朝鮮半島の釜山と日本本土の4倍の面積に張り巡らされた鉄道を全て支配下に納め、事実上の「国際鉄道」として運営される。しかも、シベリア鉄道の一部も同社により改良されるなど、影響力は大きい。21世紀初頭には総延長は10万キロにも及び、独自の航空会社、海運会社も保有する東アジア随一の巨大輸送企業となっている。ただし冷戦崩壊以後は、航空機輸送、自動車に押されている。他業種を拡大しているのもこのため。
 看板列車に、満州国時代から有名だった「あじあ号」の運行はいまだに続けられ、国内路線全ての高速鉄道化に従って、1970年代にはフランス新幹線とよく似た形式の超高速鉄道にまで進歩している。1990年代には、日本の新幹線技術も導入。そして、一部の「あじあ号」をあえて低速で運行する超豪華寝台特急として運用して象徴とされた。また一部の路線はモスクワなど、ユーラシア共産圏に到達しており、東鉄の営業力、影響力の大きさを伺わせる。なお21世紀初頭の現在、対馬海峡海中トンネル構想が日本と合同で進められている。

 東亜産業(東業)は、当時日本の新興財閥だった日産(日本産業)を中心に満鉄から取り上げた資産を加え形成された満州産業(満業)が名称を改めたものになる。
 当初から満業は満州国全土の主要産業を占め、大陸日本建国後も内蒙古、朝鮮半島へと影響力を拡大した。拡大の一因には、最終的に国営にするべく一旦は1企業に集約させようとした当時の共産政党による政府の思惑があった。だが国の共産化は中止され、国と一体化した巨大財閥として歩む。このため1949年のクーデターは、東業が裏で糸を引いていたのではと陰謀史観で語られることが多い。
 1970年代には西側と張り合える自動車の完全一貫生産にも成功し、自動車、飛行機、鉄鋼、造船、製油、繊維、食品などありとあらゆる国内産業の上位に位置した。
 そして国策と東側全体の政策もあり、1960年代より第三国を中心に海外進出を順次強化。次第にコングロマリット(多国籍企業)となって現在に至っている。また、イスラエル、南アフリカなど国際的に肩身の狭かった国への進出が強く、ソ連製ライセンス生産兵器を始めとした武器輸出企業としても有名。冷戦崩壊後も、いち早く西側の技術を広範に取り入れ、国際競争力の強化を行っている。
 なお、会社組織自体は拍子抜けするほど合理的かつ民主的で、列島日本でよくドラマで語られるような財閥一族による支配などは行われていない。ただし、岸伸介との繋がりはずっと維持されていたと言われる。

軍備/

 冷戦最盛期には、常備軍120万人、戦車4500両、重砲3000門、空軍作戦機2000機、主要艦艇30隻、潜水艦20隻を主力としていた。
 東側では、ソ連以外で唯一独自の核軍備と原子力潜水艦を有し、核戦力は原爆と中距離弾道弾、戦略爆撃機を保有する
 自ら引き起こした「解放戦争」と呼称する戦乱(東亜動乱)が有名だが、共産中国とは何度も大規模国境紛争(事実上の戦争)を引き起こしたり、ベトナム戦争、アフガン紛争など東側の主要な戦争の多くに参加しているため大日本帝国の亡霊や、悪の軍事国家という国際イメージが根強い。
 共産圏の特徴である政治士官や秘密警察は存在せず、逆に大日本帝国時代に悪名を轟かせた憲兵(MP)の力が非常に強い。また国策として、職業軍人は名誉な職業とされた。特に高級将校の待遇は破格のもので、一部で世襲化の動きがあり軍人貴族や旧日本の武士階級のような階層が形成されているほどだった。

 軍備そのものは、「東亜の真の解放」特に列島日本の解放を国是にしていたため、名目上は渡洋侵攻のための海軍が重視されている。しかし外洋の出口を列島日本やアメリカに押さえられており、また予算、技術的な問題もあって戦艦や戦闘空母(航空巡洋艦)、一部象徴的な艦艇を保有する以外、沿岸海軍の域は出ていない。原子力潜水艦も有する潜水艦隊は例外で、実質的な主力扱いとなっている。
 また、反乱時に日本から持ち出した旧海軍の大型艦艇は、戦艦「武蔵」を除いて1970年代まで運用された。
 空母保有が念願だったが、ソ連も持てなかったのと同様に遂に正式な空母は保有せず。しかし東側最大級の戦艦を保有し、不凍港を有するため、西側からの注目度は高かった。ソ連からも大型艦の輸入を行った。大型艦ではイワン・ロゴブ級強襲揚陸艦が2隻(「神州」「秋津」)と、ミンスク級航空巡洋艦「山城」、キーロフ級重巡洋艦「陸奥」を購入している。また冷戦崩壊後に、旧ソ連で未完成だった空母を購入して「飛龍」と命名し、皮肉にも冷戦崩壊後に空母を運用するようになっている。
 原子力潜水艦は、1980年代まではソ連からの輸入でその後国産に切り替えたが、詳細についてはいまだ明らかにされていない。現在では全ての潜水艦が国産化されている。原子力潜水艦は登場当初から主力艦扱いで、日露戦争当時の戦艦、装甲巡洋艦の名を引き継いでいる。
 なお面白い点は、列島日本との艦艇名が被らないように旧海軍の艦艇名を命名している点で、他国からは命名だけは水面下で相談していたのではないかと言われるほどだった。
 前述したように、冷戦時代はソ連から積極的に艦艇を輸入していたが、徐々に独自建造を行うようになる。最終的には原子力潜水艦も自力建造するようになる。そして潜水艦隊は、日本、アメリカなど極東アジアの西側陣営から最も恐れられた。

 空軍も東側特有の規模の大きさの割に機体の更新速度は早く、一部を国産とする他はソ連製の機体を購入もしくはライセンス生産して東アジア最強、東側第二位を誇っていた。しかも電装品(アビオニクスなど)も、第三国経由で西側部品を密輸したり自国製を作り出すので、ソ連製よりも性能は高いと言われ一部は事実だった。
 また、ヘリコプターや軽航空機を設計から生産するので、西側からの注目度はこの点で高かった。ライセンス生産から自力設計まで行う満州飛行機は、今では世界有数の航空機メーカーにまで成長している。
 また空軍が強力と言われるが、それは保守、整備が共産陣営で最もしっかりした体制を整えていた為で、平均稼働率は6割近くを保持していた。搭乗員の練度も、日本への対向から半数以上の部隊が東側平均を上回っていた。加えて、実戦経験が時代を通じて豊富な為、東側最強と言われることも多かったし、現在でも世界有数の練度と言われる。

 本来主力を占めると見られている陸軍は、国是を思うと規模は大きくなかった。
 「東亜の真の解放」が陸軍にとっても主な任務だが、陸軍主力は常に中華人民共和国国境の長城線や黄河沿岸に向けられ、その過半が実質的には国境防衛隊となっている。一部に東亜解放のための戦力、実質は機動防御用の機甲部隊があるが、陸軍の一部の数個師団規模しかない。冷戦崩壊後の一時期は、関係が悪化した共産韓国側に兵力の多くが移されているが、こちらも国境防衛軍としての性格が強かった。唯一の例外は冷戦中朝鮮半島南部に駐留し続けた「親衛隊」的精鋭さを持つとされる「列島解放軍」だが、規模は最大でも20万人程度でしかなかった。そうした中で西側から本当に恐れられたのが、空中騎兵第一旅団と呼ばれる一種の特殊部隊で、旧陸軍の伝統を受け継ぐ特殊戦部隊は、ベトナム、アフガンなどでソ連のスペツナヅ同様に悪名と勇名を馳せている。
 陸軍各部隊の編成は、一部にソ連型を取り入れているが、基本的には旧日本帝国時代の流れが強い。戦略基本単位となる師団の規模も大規模なままで、ソ連軍より西側に近い。戦車部隊の基本も連隊と中隊で、ソ連陸軍との違いが大きい。
 なお、陸軍装備の8割近くがソ連製かソ連兵器のライセンス生産もしくは改良型で、独自開発の装備は多少見られる程度。
 また共産中華が実質的な主敵となったため、1970年代には戦車は対戦車戦闘よりも対歩兵戦闘重視になり、時代を先駆けたような装備と外観に変化している。この点では、水面下でイスラエルと技術交換もあったと言われている。
 また制空権は奪われれるものだという考え方がドイツや列島日本同様に強く、常に防空装備は重視されていた。
 なお、全軍を通じて装備の基本はソ連製もしくはソ連製のライセンス生産または改良型だが、一部に国産兵器がある。海軍艦艇は一部ソ連製を除いて日本色が強く、陸空軍の装備はどこかドイツ系の装備を思わせるものが多い。ただし日本と違い、銃器生産はコピー以外諦めたと言われている。また冶金技術の蓄積の少なさから、大砲製造の能力も低い。
 ちなみに、建国時から東亜動乱の頃には、旧日本および旧ドイツ軍装備が多数見られ、21世紀初頭の現在博物館などで見ることができ、貴重なものも多数ある。

 通常戦力以外となる核戦力については、列島日本に対抗するように開発・整備された。しかし、技術上の問題から大陸間弾道弾、戦略潜水艦を持つには至っていない。保有できたのは、原爆(大型原爆まで)と搭載する巡航ミサイル、中距離弾道弾(スカッドの改良型)、旧式の戦略爆撃機(ソ連製)までだった。
 核戦力については、列島日本との和解以後も、国家プレゼンス維持のための最小限に削減されている。冷戦崩壊後は、核拡散防止条約にも正式に加盟した。

 冷戦崩壊後は民主化と経済発展のために大規模な軍縮を実施し、兵器の専門化の進行と経済発展による労働力確保もあって志願制軍隊に移行している。冷戦時代の国防費は概ね30%以上を占めていたが、冷戦崩壊後は三分の二程度にまで削減された。
 また、1990年代半ば以降は民主化したが、兵器に関しては装備体系など様々な問題からソ連由来の兵器を使い続けている。逆に潜水艦は他国に輸出されるようになった。
 それでも一部装備は列島日本から輸入を行うようになったが、長い間アメリカが供与や売却を拒んだ為、いまだほとんど実現していない。このため、一部装備はヨーロッパ各国から輸入している。戦車など陸戦装備は冷戦崩壊後交更新が滞っていたが、21世紀に入ってドイツから大量に中古戦車、装甲車などを大量に購入している。
 ただし、国の経済発展に従って独自兵器は増え続けている。新型の対戦車ヘリに代表されるように、日本との共同開発も徐々に増えている。
 冷戦崩壊後は、共産韓国の民主化以後に、主に共産中華国境に配備されており、兵員数の面で徴兵を不要として志願制軍隊へ移行できた。
 悪の軍事国家として語られるのも、21世紀ではもはや過去のものとなっている。


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