■長編小説「煉獄のサイパン」

●第二章 1

1944年7月7日深夜 サイパン島

 ゴロゴロゴロ。
 空気の振動がおどろどろしい音となって、北北西の方向から響いてくる。何気なく聞いていると、連続する遠雷の轟きのように聞こえる。だが今が雨期とは言え、この地の地表近くで雷光が煌めくことはあり得ない。それに注意深くしていると、地響きが伝わってくるのも分かる。
 眼前には、夜明けをあと数時間に控えた深い暗闇に覆われた大地が広がっている。だが、視界の左右は違った色の闇に彩られ、そこが島だという事を教えている。また、光は中央部の闇の盛り上がり、つまり島で一番高い山の向こうから漏れ、雷のような音の方も、光から十数秒遅れて到着しているものだった。
「まだ……まだ、戦っているんですね」
 悲嘆に暮れたようなか細い声が、闇の中に響いた。
「そうね、ここ数日激しい音も聞こえてこなかったものね。でも、遠いわ。タナパグの港の辺りかしら」
 か細い声に、芯の強そうなしっかりとした口調の声が答える。声の主はいずれも女性。周囲は完全な闇で覆われており、月明かりや星明かり、そして一部の地上の輝きを除けば、彼女たちが見ている戦闘の輝きだけが光源だった。
 おかげで南洋の植物が生い茂る中に潜み、わずかに顔を覗かせているだけなので周りから姿が分かることはない。ただ、後者の声の主は携帯用の双眼鏡を覗いているので、闇夜に馴れた者なら遠くからでもレンズの反射光が分かったかもしれない。
 もっとも周囲に人気はまるでない。地獄の底から聞こえてくるような轟きに、夜の生物たちも一様に沈黙している。一番近い人工の灯りも、米軍占領下にあるアスリート飛行場近辺まで行かなければ見られない。
 そして二人が見つめる向こうでは、戦闘が作り出した人工の光と音が満ちていた。よく目をこらせば、花火のような輝きも見えてくる。
 再度双眼鏡で遠方の地獄を確かめると、声のしっかりした方の女性が後方に向けて注意深く動いた。もう一人の声の主もそれに続く。
 茂みから後退していくと小さな空間があり、木々の間からはわずしばかりだが月明かりも漏れている。
「さあ、戻りましょう」
 双眼鏡を胸に下げた女性が、一瞬月を仰ぐと何かを振り切るように力強く歩き出した。
 今のサイパン島では、島で気兼ねなく光を発する事の出来る者、アメリカ軍こそが支配者なのだ。

 サイパン島を巡る攻防戦は、1944年6月15日の米軍上陸開始によって一つの頂点を迎え、今まさに最後の頂点に至ろうとしていた。だが、双方の準備段階から見ると、戦闘そのものは数式のイコールの向こう側の答え程度の価値しかないのが分かる。結果が最初から分かっていた戦いなのだ。
 元来サイパン島は、軍縮条約の影響で委任統治を任されていた日本も基地設営ができなかった。だが、条約脱退を決めると、基地施設の工事を開始した。
 その頃建設されたのは、飛行場や港湾施設がほとんどで、わずかに沿岸砲台があるぐらいだった。
 主な施設も、島の南部にあるアスリート飛行場と、水上機基地も兼ねたタナパク港だった。その後の情勢逼迫を受けて基地施設の強化は続けられたが、念のための砲台以外は中継基地としての役割しか考えられていないに等しかった。砲台に据えられた明治時代の旧式砲が、日本軍全体の姿勢の多くを物語っているだろう。
 大東亞戦争開戦後も、内地と前線の中継基地でしかなく、サイパン島の防衛には海軍部隊の海軍第五特別根拠地隊が駐留するのみだった。重装備も持たない、警備部隊に毛が生えた程度のものだ。
 そんな暢気な状態が変化するのは、ギルバート諸島のタラワ島が陥落(玉砕)してからだ。米軍の反撃開始に慌てた大本営が、昭和18年9月に「絶対国防圏」策定し、ようやくマリアナ諸島などの防備が強化されることが決定した。
 しかしそれぞれの島の防衛のための指揮権を、従来通り陸軍と海軍で別々にするなど問題点も多かった。一番の問題点は、まともな陸上兵力がサイパン島はもとより、他の重要島嶼にも配備されていない事だった。
 しかも大本営が泥縄式に送り込もうとした兵力は、その多くが米海軍の潜水艦の餌食となった。
 44年2月頃まで輸送はうまくいったが、肝心な輸送作戦そのものが本格化していなかった。そして3月頭に到着した兵士たちは、1個連隊が丸々戦闘力をなくすような損害を当たり前のように受けた。これは本来分散して乗船させるべき兵士と装備を、1隻の輸送船に無理矢理過積載した事も原因している。そしてここに日本の輸送船舶の逼迫を見ることができる。
 だが、大きな損害にもめげず輸送作戦は続けられた。以前からいた海軍部隊などを併せて、サイパン島には3万人を超える兵士が守備についた。現地徴用を含めた守備隊の総数は4万人を越えており、これらが準備万端であったのなら情勢も随分違っていただろう。全島を要塞化して十分な武器弾薬を整えておけば、鉄壁とは言わないまでも、独力で一月や二月は抗戦できたはずだ。
 しかし日本の防衛計画は、まったくの後手後手だった。なぜなら守備隊の多くが潜水艦が撃沈されてサイパンに留め置かれていた兵員と装備を無くした部隊が多かった。防衛の主軸となる名古屋の第43師団が到着し始めたのが、米軍の侵攻まで三週間に満たなかったからだ。当然ながら、深い洞窟陣地やコンクリートで固めたような永久陣地、トーチカを作る余裕などなかった。機材、資材共に著しく不足するため、簡単な塹壕を築く程度の時間的余裕しかなかった。その上、部隊の度重なる配備の変更があり、防衛体制はまったく整っていない状態で戦闘を始めなければならなかった。それ以前に着いていた他の部隊にしても同様で、雑用に追われて陣地構築所ではなく、東条首相以下大本営が期待した「要塞」とはほど遠かった。
 だからこそ、「水際撃滅」という防衛する側も大きな犠牲を覚悟しなければならない、失敗すれば取り返しがつかなくなるような博打にも似た作戦しか選択する余裕がなかったとも言えるだろう。
 いっぽう米軍は、日本以上に戦争を決するほどの作戦と位置づけており、乾坤一擲と言える態勢で作戦に望んでいた。
 サイパン島に上陸する地上部隊だけでも、第5水陸両用軍団に属する第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団を基幹とした約7万人にも達していた。
 上陸を支援も強大だった。主力は、15隻の高速空母と900機の艦載機を主軸とする第58機動部隊を中心した。船団は、戦艦や護衛空母などを無数に従え、侵攻部隊全体の艦船数は洋上を踏破するための大型ばかり200隻、小型艦船を含めると700を超えていた。同時期に西ヨーロッパ正面で、「オペレーション・オーヴァーロード」俗にノルマンディー上陸作戦や史上最大作戦と言われる大規模な軍事行動を行いつつ、これだけの作戦をアメリカ単独でできるのだから、最重要拠点一つの防衛すらおぼつかない日本との国力差はもはや測る事すら愚かしいほどだ。
 当然ながら、軍隊が持つ装備の質は高く量も多く、攻防戦が始まってからは日本軍が1発撃てば100発は打ち返すような状況だった。
 そして戦闘は、6月11日の空襲をもって開始された。米軍は開戦数日で絶対的とも言える制空権を確保すると、ニューギニア西方のビアク方面の陽動に引っかかった形の日本艦隊が戻ってくるまでに、サイパン島への上陸すら済ませてしまう。だが、それでも日本軍守備隊は大きく落胆していなかった。戦闘初日は、まだ米軍が上陸をしてくるとは考えていなかったからだ。また、よしんば米軍が上陸してきても、上陸して間のない米軍など、「得意」とする夜襲で一戦で撃滅できると踏んでいたからだ。そしてけ落とした米艦隊は、聯合艦隊が必ず撃滅してくれるとも信じていた。
 なにしろマリアナ諸島は、日本軍が決戦場所として長年考えていた場所なのだ。
 しかし現実は全く甘くなかった。サイパン島の米軍は既に多くの兵力を揚陸して準備を整えており、日本軍守備隊の水際撃滅作戦、得意としていた夜襲は、照明弾により無力化された。夜襲は単なる強引な突撃となって、弾幕に自らを晒して壊滅的打撃を受けてしまう。そして米軍の圧倒的な火力の前にに戦局を挽回できないまま島の中部、そして北部への退却を余儀なくされた。
 いっぽう海上での戦闘も、6月19日から20日にかけての戦闘で、日本の空母機動部隊が壊滅的打撃を受けた。そして陸でも空でも完敗すると、大本営は防衛に自信満々だったとされるマリアナ諸島について、6月23日になって天皇に奪回不可能であることを上奏するに至る。
 だが、島の人々の逃避行は、米軍が上陸する前から始まり、日本軍の組織的抵抗が終わってからも長く続く事になる。

 1944年2月23日の空襲後、サイパン島はいちおうの平穏さを取り戻していた。空を覆い尽くすほど表れた米艦載機も、主に港や飛行場など軍の施設を中心に攻撃したため、市街を始め一般施設や住居にはほとんど被害はでなかった。
 法子達の国民学校も特に大きな被害はなく、翌日には授業すら再開された。アスリート飛行場の兵隊や、買い出しなどの名目で足繁く通っているチャランカノア、ガラパン、タナパグの港に出入りする人の話からも、米軍の上陸部隊が来ているという話は聞かれなかった。
 教え子達の疎開を急がねばならない事に変わりなかったが、数日は胸をなで下ろす日々が続いた。
 しかし、空襲から6日後の2月29日、タナパグの港を訪れた法子達は呆然となった。沖に停泊する軍艦(駆逐艦)の姿から軍隊を乗せた船が到着したのだろうと港に急ぐと、埠頭に横付けされた別の軍艦からゾロゾロと人が下りるのが目に入ったからだ。
 人の列は服装から陸軍の兵士と察しがついたが、彼らは一応にやつれきった顔をして全身の精気がなく、まるで遭難者のようだった。いや、まるでではなく、遭難者だったのだ。なぜなら、遭難者の特徴として、全身を重油で黒く汚れていたからだ。
 港では箝口令が厳しくほとんど何も分からなかったが、看護助手の訓練を受けていたツテを使って病院に行くと実体がおぼろげながら掴めてきた。
 1個連隊を満載した輸送船が、米潜水艦の雷撃を受けて短時間で撃沈。乗っていた者の多くが、逃げる間もなく溺死してしまったというのだ。
 看護助手の振りをした法子に、比較的健常で病院の庭にいた兵士が語った言葉が多くを物語っていた。
「船に乗せられて数日、蚕棚みたいな船倉に押し込められてそこをドカンだ。だから、そのへんを含めて他の連中に接してくれ。俺は船酔い醒ましでちょうど外にいたからまだましだが、船倉にいた連中はそれは酷い目にあったからな」
 法子は慄然とすると共に納得がいかず、海軍さんはどうしていたのですかと問いただしたが、答えは素っ気ないもの。同じ兵士は言った。「そう言ってやるな。連中も頑張ってはいたみたいだけど、俺達をすくい上げるのが精一杯だったんじゃないか。助けてくれた軍艦の連中を見てると、こっちが気の毒になるぐらいだったからな」と。
 法子は、何も知らないことが恐ろしくなった。色々手を尽くしていたつもりだが、状況が刻一刻と悪化しているのに何も知る事ができなかったのだ。そして気が付いたら、狩りで落とし穴の中に落ちた獣のような状態に追い込まれている事にその時気付かされた。
 人一人が出来ること、特に国家が総力を挙げた戦争中に出来ることが限られているのは誰かに言われなくても分かっていた。分かっている積もりだった。
 だからこそ、何かができないかと外地の島の臨時教員になり、赴任してからも懸命に努力し、色々と手を尽くしたつもりだった。しかし、どうしようもない事もあるのだ。
 だが、法子は途方に暮れてもいけないし、本人も絶望するつもりはなかった。隣にはよく連れ歩いている奈央子いるのに、必要以上に不安にさせる事などできなかった。
「法子先生」
 案の定、不安げな声が法子の心に突き刺さる。法子は、心の中で三つ数字を数えて自身を落ち着けると、教え子を正面から見据えた。
「大丈夫、とは言わないわ。けど、まだ出来ることはある筈よ。道すがら話しましょう」
 その言葉と表情に、希望を見いだしたような笑顔の奈央子が頷き、真相の一端を披露してくれた兵士の怪訝な顔を置き去りにして二人は帰路を急いだ。

「まずは、子ども達の疎開を止めるわ。奈央子も、できるだけ早く内地に疎開させようと考えていたのだけれど……」
「そんな、私は先生と一緒に!」
「勘違いしないでね。私も子ども達を引率しなければいけないから、その時は一緒に疎開するつもりだったわ。それに軍や役所から学校には、老人と女子どもは疎開させるようにという通達も来ていたしね」
「けど、止めるんですか」
「そう、今までの兵隊さんたちの話を総合すれば、サイパンに向かった船のうち3隻に1隻は沈んでいる事になるわ。しかも海軍さんが守っているのに、ね」
「はい、だから疎開を止めるんですね」
「ええ。それに、状況は悪化する一方だと思うわ」
「私もそう思います。沈められる船が増えると考える方が自然ですね」
 法子は相変わらず先が見えすぎている教え子に一瞬苦笑いを浮かべるが、次の瞬間には意志を込めた瞳を向けつつ次の問題に移った。このまま奈央子に話させていたら、自分の言葉に不安がるに違いない。
「そう。だから疎開は止めて、別の手段を考えるわ」
「別の、手段?」
「ええ、逃げられないのなら、隠れるしかないわ。子ども達だけでも戦火から守らないと」
 逃げる、隠れるという言葉を平然と使う法子の言葉に瞬間目を丸くした奈央子だが、言葉の意味をかみしめるように頷いた。
「けど、隠れると言っても、島の中でですか」
「そうよ。島は思っているより大きいわ。何千人も兵隊が来ている筈なのに、特定の場所にいかなければ出会わないでしょう。万が一米軍10万人が押し寄せても、ジャングルに覆われた島を隅から隅まで探すのは、少なくとも短期間では不可能に近い筈よ。それに、買い出しがてら店の人なんかにも色々聞いたのだけれど、目ざとい人はもう山間部の洞窟に荷物を隠しだしたりしているわ」
「確かに、島のあちこちには洞窟がありますね」
「そうよ。サイパン島は遙か昔の火山噴火で出来た島だから洞窟が多いわ。それに島ができる過程でサンゴ礁の堆積と浸食から生まれた鍾乳洞もね」
「けど、主な場所は兵隊さんが使うんじゃないでしょうか。これからも沢山の兵隊さんが来るというし、珊瑚でできた洞窟ってすごく丈夫でしょう」
「フフフ、別に大砲が入るような大きさや、何百人も入れる場所はいらないわ。十数人ばかりが隠れられる場所があればいいのよ」
「そうですね。万が一の事があっても、兵隊さんがアメリカ軍を追い出すまでの間、隠れられればいいですよね」
 先は見えるが何かにつけて大きく捉えがちな奈央子に微笑んだ法子に、奈央子も年相応の笑顔で返す。
 しかし法子は、奈央子の最後の言葉には内心賛同できなかった。何百機もの飛行機で襲ってくる米軍を、兵隊すら送り込むことに難儀する日本軍が、簡単に相手を撃退できるのだろうかという強い疑問があったからだ。
 だが疑念や不安よりも、今は行動すべき時だった。それに動いていれば、不安を表に出すこともない。
 法子は、微笑みとともに、今や癖になった奈央子の頭を横からなでる仕草をしながら、今後の方針を並べていく。
 まずは、一週間前ほどの前言を撤回する事になるが、疎開船の危険を子ども達の親に伝えて、島への残留を考えさせること。
 そして学校になるべく近い場所に、子ども達の避難用の防空壕の設置。これは空襲があってから地域の人の手も借りて既に始められている。アスリート基地の軍人から助言も受けているので、かなりしっかりしたものが完成しつつあった。
 次は、米軍が上陸した場合の避難場所探し。理想的な場所は、山頂はもちろん尾根や谷、もちろん道や軽便鉄道からも外れた誰の目にも付かないような山間部の小さな洞窟。近くに水源があれば尚良し。たとえ一時的に米軍に周りが占領されても、見つからなければ何とかなる法子は考えていた。
 そして隠れている間必要な保存食の確保。できれば、様々な野外生活用の道具も欲しい。保存食などは、普段から買いだめするようにしているが、ほとんどが配給制な上に島で産する以外の物が常に不足するサイパン島で一定量を集めるのはかなりの難問だ。
 しかし、全ては不可能でない。口で難問ばかりを並べつつも、最後に自身も鼓舞した。
「さあ、これから忙しくなるわよ」

 それからしばらく、法子は忙しい日々を送った。
 教師としての課業の合間に、人里離れた場所に行っての避難場所探しと町での買い出し。さらには今までも行ってきた情報集めも怠れない。何しろ状況は、今まで以上に悪化してきている。
 そうした中、3月に入ると疎開船として2隻の輸送船が用いられる事になった。小さな船団は、島の女子どもばかりを2000人ほど慌ただしく乗り込ませると、タナパグ港を後にした。
 この時は、幸か不幸か法子達の疎開は後回しにされた。様々な思惑と時間の問題から、主にガラパンなどサイパンの中心地に住む人々が優先されたからだ。しかし2隻のうち1隻は米潜水艦に撃沈されたという噂を後で耳にして、予測が正しかったことを認識すると共に、自らの行動になお一層力を入れた。
 しかも、その後来る船来る船団のことごとくが、重油まみれの濡れ鼠となった兵隊を満載している事がほとんどだった。もう自分の予測が正しかったと納得している場合ではなくなりつつあるのが、実感として理解できるようになっていった。
 料亭の芸者から耳にした噂では、今年の秋までサイパンは大丈夫で、その頃には陸軍の大部隊が陣地を作って展開すると陸軍の将校が言っていたそうだが、とてもそうは思えなかった。
 確かに島に敵の飛行機が表れることは希だが、米軍の潜水艦が片っ端から船を沈めているという現実を前にすると、今にも米軍が押し寄せてくるのではと思えてしかたなかった。
 そんな中、法子の悩みは深まっていた。
「どうしたの、法子センセー。眉間にギューッてしわ寄せて、早く老けちゃうぜ」
 南の島の昼下がり、校庭の側の木陰で座り込んで考え事をしていた法子を、生徒の一人が少しばかり心配そうにのぞき込んでいた。
 初等科6年の喜納昭一。この頃の子どもの象徴である丸坊主のいがぐり頭に、サイパン島の日本人人口の八割を占める琉球系の名前が示す通り、南方系の大きな目を持つ男子生徒だ。名前まで昭和の一文字を取っているように、実にこの頃の沖縄出身者らしい。また、気っ風がよく下級生の面倒見もいいので、初等科のガキ大将でもあった。
 口癖が中等科を出たら少年飛行士になるという点も、まさに軍国少年の典型と言えた。
 だが法子にとっては、子ども達の統率役として頼りにしなければならないし、昭一が自分に淡い憧憬の念を持っているのを知っていたので、子どもとしてではなく話をすることもあった。
 ただ、今抱えている問題があまりにも深刻なので、普段なら怒るふりをして冗談を言うとおkろが、少しばかり顔を弛めて笑顔になっただけで言葉は生返事となってしまった。おかげで昭一は怪訝な顔をしている。
「センセー、ヘンだよ。それとも何か怒ってる? 俺達仲はいいぜ。芋掘りもサボったことないし」
「うん、知ってる。あのね、先生ね、少し捜し物をしてるんだけど、見つからなくて困っているの」
「へー、何? 芋掘り終わったら、俺達全員で探してやるよ」
「う〜ん、難しいわよ」
「だから何? 言うだけでも言ってみろよ。この辺りの事なら、俺達センセーより詳しいから」
 法子は、熱心に問いかけてくる生徒に口が滑った。
「先生ね、アレみたいなやつで、誰にも見つからないような場所を探しているんだけど、コレっていうのが見つからないの。どこかいい場所知ってる昭一君?」
 法子が片方の手を顎に乗せながら別の手で指さした先には、運動場の向こうの小さな丘の基部に設けられた防空壕の入口があった。
 すると昭一は、防空壕と法子の顔を数度見て、しばらく大仰に腕組みをして唸って考える素振りをしてから、破顔して腕を腰に当て胸を張った。
「なんだ、そんな事かよ。この昭一様に任せな。昼からの芋掘り終わったら連れてってやるよ」
 意識せずにしていた会話のあまりの展開に、法子はただ「ええ」と頷き呆気にとられた。

 そして数時間後。案内された場所に、法子は驚きと歓喜に似た想いを爆発させた。
 放課後、午後三時を回った頃、教師としての一日の仕事を手早く片づけた法子と昭一は、昭一が指定した学校近くのサトウキビ畑の三叉路で合流した。法子と一緒に来た奈央子に、一瞬気むずかしげな顔をした昭一だったが、「まあ、しゃあねえか」と呟くと、こっちだよと足早に歩き始めた。
 昭一も港や街に法子と何度か行った事があり、法子が何をしているのか薄々感じていた。そして自分より年長で頭もいい奈央子がよく同行者に選ばれるのを、少しばかりやっかんでもいたのだ。今日、法子に自分しか知らない場所を案内するのも、子ども特有の競争心からではないかと法子は踏んでいた。
 しかし今しようとしている事は、先生一人でできる事ではないと道すがら昭一に話し、何をしようとしているかも分かりやすく大まかに説明した。もっとも昭一は、皇軍が負けるはずないとの一点ばりで、その点だけは譲ろうとしなかったが。
 法子も「そうね」と答え、本当にそうなら良いのにと心の奥底で嘆息した。
 もっとも法子と奈央子が会話をしていられたのは、山道に入るまでだった。学校から早足で一時間近く。途中、サトウキビを満載した軽便鉄道の貨車にこっそり乗って疲労と時間を抑さえたが、ジャングルの中に入ると言葉を交わす余裕はなくなっていた。
 場所はサイパン島南東部。標高119メートルのナフタン山を控える一寸したジャングル地帯だ。山間部なのでサトウキビ畑どころか最近急増の芋畑すらなく、それどころか道一本走っていない、ほとんど未開地帯だった。最近の変化は、3月に到着した陸軍部隊が山頂と西側山麓に陣地を作り始めたぐらいだ。
 法子は内地の家にいた頃から多少鍛えていたし、サイパン島に来てからも自転車や徒歩で動き回ることが多いので足腰にはかなり自信を持っていたから大丈夫だったが、女の子らしい外見の奈央子の方は、ついて来るのが精一杯で肩で息をしている。
 だが法子の方も、ジャングルと足場の悪い道なき道に方向感覚すら失いそうで、馴れた足取りで進んでいく昭一の背がなければ迷っていただろう。
 しかも昭一の話では、この辺りは兵隊が持っている磁石(コンパス)が狂うらしく、目立つ場所以外には入ってこないそうだ。確かに、周りには昭一の言葉を肯定するように、溶岩石のゴツゴツした岩肌がジャングルの合間に散見できる。法子は鉄の含有率の多い岩場では、磁石が狂うと聞いたことがあった。
 だが、その岩場がまた歩くのを困難にさせて、昭一以外の二人は昭一の背を見ながら歩くという行為に専念せざるを得なかった。
 そして30分も歩いただろうか。突然昭一の姿が目の前から消えた。草場に隠れたというような感じではなく、文字通り消えたように見えた。
「昭一君。昭一君どこ!」
 たまらず隣の奈央子が叫んだ。すると、先ほどまで昭一がいた方向から笑い声が聞こえてくる。
「そのまままっすぐ来なよ。大丈夫だから」
 言葉を聞いた時点で、法子は改めて場所を再確認した。大きくはナフタン山の麓。東の海側に面していて、場所全体が複雑な地形の窪地のエリアにあり、周りから非常に分かりにくい。少なくとも意識していなければ、見つけるのは不可能だ。
 そして確認を終えると言葉通り進み、昭一が消えた辺りで歩みを慎重に進めて草や枝をかき分けると、少しばかりだが急に視界が開けた。
 岩を中心にした直径5メートルほどの小さな窪地。他から1メートルほど低い地面は下草が覆う程度で小さな平地になっており、南面には2メートルほどの穴がぽっかり口を開けている。奥が真っ暗なので、相応の奥行きはありそうだ。天井は周りと同様に樹木が生い茂って空をほとんど隠している。
「いいだろ、俺の秘密基地。他の大人には内緒だぜ」
 平地の真ん中にある岩の上で、昭一が得意そうな顔をして「秘密基地」の解説を続ける。
 何せ秘密基地だからな、けっこう色々なもんを運び込んであるんだぜ。雑魚寝できるように、奥には板も敷いてある。ホラ、トウキビもこんなに。わき水も奥にあるし、米やマッチ、缶詰なんかも置いてあるから、二、三日なら全然平気さ。近くは蛇も結構出るから、野ネズミもほとんど来ないしな。
「見つけるの苦労したんだぜ。とっておきだから、絶対誰にも言うなよ。俺、気に入らない事があったら、ここに来て過ごすんだから」
 言葉の最後が、半ば呆然としていた法子を現実に戻した。昭一は早くに病気で母親を亡くした父子家庭で、父親も南洋興発の役員だが開戦からは砂糖の増産でまともに家に帰っていない。不憫に思った法子や校長が自分の家に泊めることもよくあった。
 そんな彼の寂しさを見せまいという振る舞いが法子の心を締め付けると共に、ついに探していたものが見つかったという喜びも同時に心に溢れてきた。
「ありがとう昭一君! これで難問解決よ!」
「く、苦しいって。んな喜ぶことかよ」
 感情の赴くまま昭一に抱きつき、胸元でギュッと抱え込んだ。自分の質素なブラウスの合間から片目だけを覗かせる昭一を見ながら、法子は久しぶりに本気で笑った。笑いながら周囲を見ると、全てが面白く見えてくるほどだ。
 昭一は法子に抱きつかれて胸元で顔を真っ赤にしており、すぐ側では奈央子がジトーっと自分たちを見ている。抱きつく二人に少しばかり嫉妬しているのだ。
「法子先生、昭一君。さ、もういいでしょう。さっそくこれからの事考えましょう」
「「は〜い」」
 奈央子の少し怒ったような声に二人が返事した。

 それからは、「秘密基地」と学校、そして買い出しに出た街などを往復する日々が続いた。
 詳しい事情は、学校で法子以外で唯一の大人である校長にしか証さず、「秘密基地」の「設営」を急いだ。
 もう3月に入っており、米軍襲来まで一刻の猶予もないと思えたからだ。事実、3月半ばに来た千人程度の陸軍部隊が、飛行場を中心にして陣地構築を始め、「秘密基地」から1キロと離れていない場所にも陣を構えた。
 「設営」に参加したのは、法子と奈央子、それと基地司令官である昭一だ。校長は年齢が年齢なので、買い出しの資金面などで協力しかできなかった。
 だが、買い出しは予想以上に日増しに困難となっていく。同じように島内での避難を事を考える人々が出始め、街で商品が不足し始めたからだ。配給もあったが、配給では日々の食事すら足りないぐらいだから、余分を手に入れようとすれば高い代価を払って購入するより他なかった。
 法子は、二月の空襲の後から南洋銀行から有り金全部を引き下ろして買いだめを始めていたが、それでも苦しいぐらいだった。
 そんな中、機転を効かしたのが奈央子だった。
 早いうちから奈央子は、サイパン島内で比較的余裕のあるザラメなどの加工された砂糖製品、南洋興発がサトウキビから作る本物のオールド ・スコッチ・ウイスキー(「サザンクロス」や「かちどき」)やポートワインを買い貯めすることを提案した。「兵隊さんが増える状況になれば、お金はあまり意味がなくなると思います。それよりも、兵隊さんが好きなものの方が物々交換できて役に立つと思うんですが」と。
 満面の笑みで提案を受け入れた法子は、子ども達のために貴重な砂糖を分けてはくださいませんかと、一度ならず製糖工場にまで行って製造関係者と交渉をしたりもした。
 この作戦はうまくいき、船便が止まって一時的に余剰が出ていた砂糖製品とスコッチ、ワインをかなり買い込む事ができた。そして兵隊相手に行商や闇市紛いのことをして、必要なものを手に入れるようになった。
 だが6月7日、またもショッキングな光景を目にする事になる。
 軍隊の出入りが激しく、以前より船が多いぐらいのタナパグの港に、陸軍を乗せた船団が入ったというので行ってみたら、というお決まりの状況だった。だから情景そのものは、ある程度は予測していたため、心理的な衝撃は小さかった。だが、それでも見たいと思う光景の正反対の情景が眼前に広がる。
 またも無数の濡れ鼠となった惨めな姿の兵隊が、桟橋に横付けした軍艦から下りてきた。しかも無事入港した輸送船はたったの1隻。輸送船以外の軍艦から下りる兵隊の多さを考えると、苦難の道のりだった事を雄弁に伝えていた。
 4月についた輸送船は、強そうに見える戦車や大砲を下ろしたりしていた。5月19日に到着した船団などは、1万人もの兵士でガラパンの街を行進したので心強く感じたものだが、もう大規模な船団でもダメなのだ。
 念のため事情を調べようと、スコッチを餌に話を聞いてみた。スコッチの威力は絶大で、すぐ話を聞くことができた。
 法子は行商のフリをして、なるべく立派な階級章を付けた者を探し、ややくたびれた感じの海軍将校(大尉)から話を聞くことができた。彼は、横付けしていた『鴻』という名の軍艦に乗っているという。残念ながら、法子に詳しい軍隊の知識がほとんどないのでそれ以上聞いても仕方なかった。だが、船団自体の話は、身内が乗っているかも知れないと言うと、身につまされた表情と共に語ってくれた。
 船団に乗っていたのは、名古屋の辺りにいた第43師団。サイパン島防衛の主力部隊として、肝いりで船団を編成して内地を出発。今回は19日に無事到着した部隊の第二陣に当たる。
 そしてその第二次輸送は、7隻の輸送船で1個連隊を中心に7000名以上の兵士と重装備を輸送したものだった。だが、マリアナ諸島に至る航路には無数の米潜水艦がウヨウヨしており、船団は潜水艦の好餌となったのだ。
「まあ後は見ての通りだ。無事だったのが、傾いたのを含めて2隻だけ。前来た船団や他の船も帰りにかなりやられたらしい」
 陸軍の服装とあまり代わり映えしない土色の軍服を着た海軍将校は、最後に言葉の爆弾を投げつけた。
「そんなっ! サイパンから出た疎開船は無事でしたか。5月の末に出た船には、サイパンから疎開した老人や女子どもばかりが乗船していたんです」
「いや、詳しいことまで知らないよ。なあ、勘弁してくれお嬢さん。本当は、今のも話せない内容ばかりなんだ。ただ……」
「ただ?」
「船が沈んだからと言って、全滅するわけじゃないよ。ああして助かる者も多いんだ。じゃあ、気を落とさんようにな……それと、これヤッパリいいよ。護衛してた船のご遺族かも知れない人の酒は飲めないよ」
 将校は、会ったときの数倍うなだれた様子で、その場を去っていった。だが、剣幕のあとの法子の耳には、くたびれた将校の言葉はトドメとなった。将校は疎開船が沈んだと言っているようなものだった。
(何て事。あの船には、学校の子ども達が半分も乗っていたのに!)

 その後は、どうやって帰ったかも記憶がないほどだった。唯一感じたのは、一人で来ていて良かったという事ぐらいだ。
 近頃二人には、「秘密基地」への荷物運びをしてもらっていたせいだ。背負子や行李を担いでいる子どもを咎める者は少なく、せいぜいご苦労様と声をかけられるぐらいだからだ。兵隊の中には、お菓子をくれる人もいたと昭一などは話してもくれた。
 そして法子は、学校が見えた時点でどうにか正気に戻る事ができた。誰かに声をかけられぼんやりと前を見ると、学校が見えてきた。と言うより、それまで何も意識されていなかった脳に、目からの情報が入ってきたという感じだ。
 周囲を見渡すと、自身は軽便鉄道の石炭車の隅っこに腰かけており、声の主はのんびりと石炭をくべている初老の機関士のものだった。
 ボーッとサトウキビ畑の間を歩く年頃の娘を危なげに思った機関士が乗せてくれたのだと降り際に説明を受け、深々と頭を下げ学校の側で降りた。
 降りてもしばらくは立ちつくしたような状態の法子だったが、気を取り直すと目を閉じて数字を数え心を落ち着けることにした。
(そう、落ち込んでいる場合ではないわ)
 それに数日前まで共に騒いでいた人が死んでしまったかもしれないなど、子どもが知るべきではない。校長以外には話さない方が良いだろうとも思った。
 そして法子は、学校の向こうにある、以前より寂しくなった軍の飛行場を見つつ思った。いや、悟った。本日をもってサイパン島は完全に鉄の輪で閉じられ、二万人以上の民間人が取り残されたのだ、と。



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