■長編小説「煉獄のサイパン」

●第二章 2

1944年6月11日 サイパン島

 その日、破局は突然訪れた。
 6月11日早朝、レイモンド・スプルアンス大将率いる第58機動部隊は、225機の艦載機を南マリアナに向け発進。爆撃と空戦で、現地日本軍機の過半数以上を破壊した。この時艦載機の目的は、日本の飛行機と飛行場施設の破壊にあった。
 それは、最後の輸送船が到着して一週間ほどが経った日のことだった。
 その日までに法子が勤める国民学校の生徒は、初等科が9人だけ。中等科は勤労奉仕という名の事実上の徴用もあってまだかなりが残っていた。だが、ほとんどが大人に代わって主に畑で働いている。今し方も、中等科の先生に連れられて出ていったばかりだ。本来なら製糖工場の手伝いにも行くべきだが、米潜水艦のせいで外に運び出せないので工場は徐々に生産縮小に追い込まれつつある。
 学校の職員室には、校長にお茶を出している事務助手の奈央子と、出されたお茶を美味しそうにすする校長がいるだけ。
 少し離れた教室からは子ども達の元気な声が聞こえてくるが、数が減ったことを実感させられる。
 他の学校と違い建物は軍に徴用されていないが、これでは学校の用をなしていないに等しい。
(さあ、朝から気落ちしている場合じゃないわよ)
 内心で自分を鼓舞した法子が、勢いをつけて席を立とうとした時、サイパンにいる全ての日本人とってのジェリコのラッパが全島に響き渡った。しかしラッパにより堅固な城の石垣をうち崩されるのは日本人達の方であり、街に入ってくるのはラッパを吹き鳴らすアメリカ軍だ。
 2キロほど離れたアスリートの飛行場からは、空襲警報を告げる重く陰鬱なサイレントと共にいくつもの爆音が突如響き始めた。他方面への転出で数を減じているとは聞いていたが、彼ら海鷲達こそがサイパン島の守り手だ。
 大量発進の時は五月蠅く思っていた爆音を今日は頼もしく思いつつ、校長、奈央子と順番に視線を向け、お願いしますと言う校長の言葉を背に、子ども達の待つ教室に向かった。
 教室前まで走り一度小さく深呼吸して扉を開くと、教室内は緊迫感に欠ける情景だった。
 男の子達は、飛行場の見える窓に群がって口々に歓声を上げて、それを女生徒が冷ややかに見たり、机から防空頭巾を出すなどしていた。見たところ取り乱した生徒はいない。子ども達も何度も空襲を体験したが、その時自分たちは大したことなかった事と、以前の空襲体験そのものが心理的余裕をもたらしていた。
 それを見た法子も、子ども達が混乱していないのなら自分もできる限り平静を保った姿勢を貫くべきだと思い直し、なるべく落ち着いた足取りで教壇に立った。
「さあみんな、防空壕に移動するわよ。訓練通り、落ち着いて行動してね。大人や兵隊さんの邪魔にならないように、しっかり動くのよ。さ、祥子ちゃんも席に戻って防空頭巾を持って」
 法子の声を聞いた生徒達は、様々な反応をしつつも行動を開始する。ただ、一番下の子供はまだ一年生の女の子なので法子が準備を手伝い、手を引きながら廊下に出る。廊下に出ると、貴重品や書類を持った校長と奈央子がすでに来ており、奈央子に一年の女の子を託し、校長に視線で合図すると次の行動に出た。
 そして法子が先頭、校長が最後尾を務めつつグラウンドに出ると、アスリート飛行場からの離陸が真っ盛りだった。離陸しているのは主に零戦で、男子生徒たちが「ゼロセンだ〜っ!」などと騒ぐのをたしなめがら、数百メートル向こうの防空壕へと向かう。
 途中頭上を戦闘機が猛烈な勢いで通過するのを仰ぎ見ながら、入口にまでたどり着く。ここまで特に戦闘が始まった様子はなく、大人達を安堵させた。
 法子は防空壕に着くと扉の前で止まり、ロウソクを持った奈央子が先頭になって入り、校長が入ったのを見届けてから自分も扉をくぐる。その時ふり仰いだ空の向こうに、風に乗った戦場音楽が遠雷のように届いてくるのがわかった。
 扉を閉めると、気休めと分かっていてもつっかえ棒を何重にも重ね厳重に閉じ、それを見届けた奈央子がロウソクを台に置いて終了。普段からしている避難訓練では、このあと10分間暗闇の中で過ごしてから出るが、今日はいつ出られるか分からない。
 防空壕は、30人ほどが入られるように作られ、別の場所から通気用の竹筒を横向きに通しているので、扉を閉め切っても窒息する事はない。小さな丘の側面にあった石灰岩の小さな洞窟を拡張したものなので強度もそれなりにあり、アスリート飛行場から呼んで見てもらった工兵の将校も、大型爆弾の直撃でない限り大丈夫だと太鼓判を押してくれた優れものだ。
 しかし、壕内は快適からはほど遠い。洞窟特有の湿気と多人数が詰め込まれている熱が、不快指数を急上昇させているからだ。いちおう扇子や団扇、団扇代わりになるものは持ち込んでいるが、ほとんど気休め。今までは10分だから耐えられたようなものだ。
 しかし、いつも出る10分を過ぎようとする頃、突如地面がビリビリと震えた。
 爆撃だ。
 近くのアスリート飛行場を爆撃しているのだ。
 2月にも体験したので間違えようがなかった。振動と共に壕内の空気は一気に緊迫し、小さく息する音だけがやけに目立った。
 それぞれの目が辛うじて分かる程度の光が隙間から射し込んでいるが、どの目も緊張と恐怖をにじませ、法子と校長はそれぞれの目線と交差するたびに、頷くように上下して安心させようとした。

 結局、その日の空襲は、2月の大空襲と大差ないように思えた。
 もう安心ということで外に出て見ると、飛行場や港のある辺り、そして各地に設置されたという砲台の辺りから黒煙が立つのが見えた。
 飛行場もかなりの被害を受けていたが、遠目には軍人の姿も多く取りあえずは安心できそうな雰囲気があった。軍の方も、個々人の話を聞く限りは空襲だけと言い、多少訳知りの者は、他方面でも交戦中なのでサイパン島攻撃は陽動だろうと言い切った。
 しかも軍は、飛行場ばかりでなく破損した道路の回復を優先するなどしているから、地方人と言われた一般の人々の間にも、米軍の上陸はまだ先という当面の安心を実感する者が多かった。
 だが法子にとってはようやく破局が訪れたという感覚しかなかった。だから、空襲が一段落して子ども達を一端家に帰すと、校長の許可を得て自宅に留め置いた荷物を持って「秘密基地」へと足を運んだ。
 しかし空襲で軽便鉄道が止まっているので、全てを徒歩で行かねばならなかったし、目的地のナフタン山の辺りには陸軍が布陣を急いでいて殺気立っていたから、さらに迂回を余儀なくされた。また、道々で兵隊や憲兵からも何度か呼び止められたが、教師の証明書を見せ、用意しておいたそららしい理由を告げるとそれ以上問いただす者もいなかった。サイパン島は、まだ日常の中にあったのだ。

「なんだよセイセー、遅かったなあ」
「本当です。昭一君と話すだけだから飽きました」
 どうにか「秘密基地」にたどり着くと先客がいた。昭一と奈央子だ。
 二人もそれぞれ追加の荷物を持ってきたらしく、兵隊の使うような背嚢や木でできた背負子が脇に置かれている。見れば行李の数も増えていた。
「大人には色々あるのよ。それより、二人とも家やご家族は大丈夫なの?」
 昭一は愚問だとばかりにニコリと笑い、奈央子も髪をゆっくりたなびかせながら首を横に振った。実のところ法子は奈央子の家族や同居人についてそれぞれから話された以上の事を知らず、当人も必要外は話したがらないので信じるより他なかった。
 朝から緊張のしっぱなしだった法子は、そんな二人を前に少しばかり気を緩め、フワリとした笑みを浮かべる。二人もそれに応えて笑い、一通り笑い通した後で、法子が音頭をとった。
「さあ、今この「秘密基地」にどれだけの物があるか調べて、これらからの対策を考えるわよ」
 するとそこに、奈央子が一冊の大学ノートを差し出す。
「昨日までの事は、ここに整理しておきました。今ここにあるもの、まだ足りないもの、出来れば揃えたいもの。ここまでの経路。全ての生徒の住所とそれぞれのおおよその距離、親御さんの勤め先も。後は、今日みんなが持ち寄った物を書き加えれば、一通り情報は揃います」
「流石、奈央子姉ちゃん。数字には無敵だな」
 すかさず昭一が突っ込みを入れるが、法子も内心同意見だった。高等女学校どころか、帝大でも通用するんじゃないかとすら思えてくる。
 そんな内心が顔に出ていたのか、奈央子が顔をのぞき込んでクスクスと笑う。
「学校の事務をお手伝いしていても暇な事が多いので、余った時間の間にまとめておいたんです。手品を使ったワケじゃありませんよ」
「じゃあ、ここにあるもん全部覚えていたってのかよ」
 再度昭一がツッコミを入れる。だが呆れ顔から尊敬に近いものに変化していた。さすがに法子も苦笑するしかない。
「記憶力とかは先生も自信あるつもりだったけど、奈央子にはかなわないわね。ありがとう、有意義に使わせてもらうわね」
「センセーって帝大合格したんだろ。じゃあ奈央子姉ちゃんも今すぐ行けるって事か。たまんねえな」
 どちらの言葉に対してか、曖昧な笑みを浮かべる奈央子だが、それよりも今は情報の整理が先決だった。
 米軍はすぐそこまで迫っている筈だから、明日にでもそれぞれの家を回って子ども達をここに避難させなければならないのだ。
 表情を引き締め紙面を開くと、そこには几帳面な字で丁寧な表組みや文章が並んでいた。このまま本にして出版できそうなほどだ。
(前からノート整理が巧いと思っていたけど、これほどとはね)
 感心しつつ、読み進めていく。法子自身も記憶力には自信があるので状況はある程度把握しているから、読み進みは早かった。横で見ている昭一などは途中で追いかけるのを諦め、むしろ二人を怪訝な目で見ている。ホントに分かってるのか、と。
 運び込んだ様々な物は、洞窟内にある木箱、行李、背嚢、鞄、瓶、飯盒、麻袋などにそれぞれ分けて詰め込まれ、これも持ち込んだ棚などにも壺や瓶、缶詰、その他の道具が並んでいる。
 揃えられた品々は、保存に適した食料とマッチやロウソク、ナイフ、水筒など野外生活に必要な道具。桶やバケツ、食器などの生活道具。洗濯板まである。他にも、小さな黒板にチョーク、帳面と筆記用具、懐中電灯と電池、防水用の油紙。正露丸を始め多少の医薬品もある。それに防寒用の毛布や、古びているが軍用のポンチョや雨合羽まで持ち込まれていた。道具の中を占める軍用の品々や珍しいものは、物々交換で得たものの他に、基地の側で拾ったもの、それに沈船から浜辺に流れ着いたものだ。
 食料は、米と麦、若干の乾パン、それに各種缶詰が中心だ。他に、トウキビの茎が一角に山のように積まれ、湿気の来ない場所にはザラメが麻袋に詰めて置いてある。副食の中には麻袋に詰めた塩だけでなく、味噌や醤油、食用油、鰹節やお茶葉、果ては小さな壺に漬けた糠漬けまである。兵隊からスコッチと交換した様々な缶詰には、牛肉の大和煮や漬け物、パイナップルやおいなりさん、鰻飯まであった。他にも、乾燥野菜や保存の利くサラミやベーコンなどの肉類や魚の干物も若干あり、足りないのは生鮮食料ぐらいという有様だ。お酒も、余ったスコッチを治療用や気付け用にと残してあった。甘味もザラメだけでなく、ドロップ缶やコンペイトウなど保存の利くお菓子も置いてあり、後で利用価値が高いからと苦労して瓶詰めのジュースまで持ちこんである。
 量の方も、保存食ならどんな状況でも集めて置いて損はなかろうと、お金と交換物の続く限り収集を行い、気が付けば膨大な量になっていた。法子など、三ヶ月もの間今までの数倍の買い物を毎日のように続けたのだから、当然と言えば当然だ。
 節約すれば大人十人が三ヶ月は食べていけるぐらいあり、奈央子が書き記したカロリー計算まで含めた数字を信じるなら、子どもばかり十人ほどなら半年でも過ごせそうだ。これには早めにお米を買い込んだ事が効いている。短期間なら、いつもより贅沢な食生活が送られるほどだ。
 また、人の生活に一番必要な水も、洞窟の奥に小さなわき水があり、5人や10人が生活するには十分だった。しかも、他との流れを作らずそのまま地面に染み込む程度のわき水なので、水源を辿られて見つかるという事がないのは最高の条件だった。水質の方はもちろん確認済みだ。水なら、サイパン島で一般的な雨水を貯めるなどの手も使えるが、よどんだ水では赤痢の危険も大きい。サイパンでは、マラリアの危険を考えなくていいのが救いだが、清浄なわき水があるに越したことはない。
 いっぽう、「秘密基地」自体の整備も完成に近かった。洞窟はほぼ真っ直ぐ5メートルほど奥に伸びて唐突に行き止まりになる形だった。側面に僅かな亀裂があるので不必要に湿気は篭もらず、小さな火なら中で焚くこともできる。そこに苦労して運んだ板きれなどで寝台を作り、毛布や布団を持ちこんで寝床を作った。先に書いたように、行李や木箱も何カ所かに分けて湿気を帯びないように積み上げてある。ここでも亀裂による空気の流れが助けになっていた。
 基地で一番の問題は、生き物である以上切っても切り離せい問題。排泄物の問題だ。岩のくぼみの外は視界の悪い熱帯ジャングルだが、見つかる可能性は可能な限り下げた方が良い。それに臭いが風に乗って見つかる可能性もゼロではない。
 そこで、昼間はすぐ側の小さな窪みを少し掘り下げた場所を用意し、暗闇となる夜用には洞窟に繋がる広間の一角を使うより他なかった。
 ただ排泄物を貯めすぎてはいけないので、バケツの一つを入れ物にして、毎朝定期的に棄てる事にした。そして法子のちょっとした思いつきから、お手洗いを西洋風の便座式にした。ちょうど一部が壊れた丈夫な木箱が目に入ったからだ。
 これには昭一が「こんなんじゃきばれねえ」と反論したが奈央子には好評で、多数決で決まった。そしてお手洗い持ってきたトタンで仕切り、恥ずかしいという過半数の意見も何とか解決。
 かくして、家主の名を取って命名された「喜納秘密基地」は完成した。二週間前の完成のおり、昭一方は子どもらしく無邪気に喜び、二人も最低限の事ができたと満足感と共に頷きあった。
 そして一通りノートを確認し終えると、今日持ち込んだ物をそれぞれ披露しあった。三人共とっておきと言うか、普段身近に置いているものが主になっているので、すぐに食べられる食料品と贅沢な道具が多い。
 法子は親族から記念にもらったと自ら説明した高倍率の双眼鏡。奈央子は常に持ち歩いているドイツ製の懐中時計。そして昭一はジャジャジャーンと自前のファンファーレ付きで、溶接用のバーナーと交換用タンク数個、分厚い鉄の皿を幾つか背嚢から取り出した。
 バーナーなど何に使うのかと怪訝な二人に、昭一はこれで煙を出さずに煮炊きができるぜと自慢げに説明したものだ。
 そして最後に昭一が言った。
「しっかし、良く集めたよなあ。俺様の計画の十年分が三月で揃っちまった。けど、アメ公が来るなら一つ足りないもんがあるぜ」
「何?」
「武器だよ。せっかくの秘密基地なんだから、ゼロセンやチハとは言わないけど、大砲の一つぐらいほしいよな。なあ法子センセー」
 いったい何が足りないのと言いたげな奈央子の問いに、昭一は少しだけ悔しそうに答える。それを男の子らしいと思う法子だったが、ゆっくりと、しかししっかりと首を横に振った。
「私達には必要ないわ」

 その後、夕刻遅く校長のもとに行った法子は、危機感を同じくする校長に子ども達を学校側で預かっていち早く避難できないかと相談した。だが、軍が大丈夫と言う以上どうにもならないというのが、苦渋に満ちた校長の答えだった。軍が大丈夫と言うのに、おおっぴらに先走るわけにはいかない。
 ただ、一部の父母は仕事や徴用のため忙しく、校長の家に寝泊まりしている生徒が数名いるのが、法子にとってのわずかな救いだった。
 校長と話している間、家の外で待たせていた昭一と奈央子は、昭一はこれからいつ会えるか分からないから今日はチャラン・カノアの製糖工場の父親の元に行くと言い、奈央子は今家には誰もいないと言ったので、法子から自分の家に泊まるように進めた。奈央子の何かに耐えるような姿にたまらなくなったのだ。
 そして奈央子と二人で昭一をまだ動いている軽便鉄道の線路際まで送り、法子の家へと向かった。
 昭一との別れ際、お互い特に気にする風でもなく「じゃあ明日」と言葉を交わしてゆっくりと走り去る軽便鉄道を見送った。
 法子の家は、万が一を考えて学校近くに借りた木造の借家で、今で言う2K。和室が二間に米と煮物が出来るよう2つの小ぶりな釜の付いた小さな炊事場があるだけ。建物も簡素で唯一家風呂が贅沢だ。
 しかも法子は、食料の買い出しのために最低限必要な物以外売ってしまっており、教師として必要な物と革製の丈夫な旅行鞄が一つある以外ほとんど何もなかった。あまりに閑散とした室内に、奈央子が目を丸くしたほどだ。
 なお、爆撃があってもなおまだ電気も維持されていたので、特に不自由する事はなかった。水の蓄えもまだ十分ある。その夜は法子が久しぶりとなる風呂を焚き、奈央子が食事の準備をしてゆったりとした夜を過ごすことができた。誰かと一緒にお風呂に入るなど久しぶりで、思わずはしゃいだりもした。ただ、二人ともこれが最後の日常になるという意識があり、必要以上に騒いでいたとも言えただろう。
 そして翌朝も夜明けには起きるように準備し、朝食も夕食の段階でおにぎりを作り置くなど準備をして、枕元には非常袋や鞄を置いて床に就いた。
 できれば無駄な努力になれば良いと。

 そうして法子達のサイパン島攻防戦初日は暮れたが、多くの人がおかしいと考えるようになったのは翌日からだった。その日も先日と同じように米艦載機の大空襲があったのだが、今度は規模と執拗さがまるで違っていた。まるで前日の空襲は予行演習とでも言いたげなほどだ。
 空襲は一度きりではなく反復され、規模は前日の二倍以上。目標もそれまでの港や飛行場だけでなく、砲台、砂浜のある海岸部に攻撃が行われた。
 しかも、初日の攻撃で電探が破壊されていたため早期の空襲警報はなく、空襲が始まっても飛び立つ零戦すらないような有様だった。
 その日法子たちは、夜明け前の午前5時には起きして、簡単な朝食を済ませると30分後には校長宅に向かった。二人の格好は、この時代の日本には珍しいジーンズ姿。アメリカ合衆国内では普及しているが、法子が内地に居る頃に横浜で購入したものだ。これからは激しく動く事になるだろうからと、奈央子にも裾を折って着せていた。「もんぺ」という選択肢もあったが、彼女の若さがあか抜けない姿よりはとジーンズを選ばせたのだ。
 そんな活動的な姿の二人が歩いた道すがらの印象は、夜明け頃は特に普段と変わった印象はなかった。かなり破壊されたように見えるアスリート飛行場が一晩中騒がしかったのがいつもとの違いぐらいだ。早くも軽便鉄道は走り始め、サトウキビ畑に向かう人々すらいた。
 前と同じく、空襲は一度きり。今は普段の生活を取り戻すのが先決。そんな感じの早朝だった。
 だが、日常は二度と戻らなかった。
 日が昇って間もない頃、空一面を覆い尽くすような悪意ある群青色の群が現れる。
 法子達も、校長宅に寄り校長以下計5名となって学校へと向かっているところで空襲警報のサイレンを聞いた。
 昨日と違うのは、警報とほぼ同時に米軍機の群が押し寄せ、飛行場を爆撃し始めた事だ。零戦も飛び立たず、高射砲の音も遅れて響く。もはや登校どころではなく、まずは学校近くの防空壕へと急いだ。
 避難の途中、飛行場から近かったせいか一度機銃掃射も受けて大混乱となったが、幸いにして死傷者はなく掃射も短いのが一度きりで、泣き崩れる子どもを抱えながら防空壕に逃げ込むこともできた。
 そして空襲が一端収まったところで法子が学校の様子を見に行ったが、機銃掃射を受けて窓ガラスや屋根、木製の壁のそこかしこに大きな穴が空いており、近くのアスリート飛行場は昨日の比ではないほど破壊されているのが分かった。
 ただ、分かったからと言っても何もできなかった。結局その日は、夕方近くまで防空壕を出たり入ったりを繰り返しただけで終わった。
 唯一の救いは、自分たちの周りに死傷者がなかった事だけ。どうやら米軍機は、ほとんどが軍事施設ばかりを狙い、学校が機銃掃射を受けたのも、飛行場爆撃のついでという程度のものらしいと推察できた。
 そして空襲が終わると共に生徒の安否の確認に走り回ったが、すでに避難を始めた家族もあって、完全に安否確認を取ることはできなかった。
 特に父親の務めるチャラン・カノアの製糖工場に向かった喜納昭一の消息は全く分からず、かといって一人の生徒の為にチャラン・カノアの街まで行くことも適わなかった。
 そうして法子と校長、奈央子、中等科の先生と生徒達が、銃撃で破壊された学校の後かたづけをしている夕方、国民学校に一人の訪問者があった。
 校長と法子に用があると中等科の男子生徒が伝え、面会のため校舎出口まで赴くと、一人の中年男性が立っていた。
 中肉中背の国民服。真面目そうな外見。どこにでもいるこの頃の日本人男性の姿だ。しかし二人を引きつけたものがある。彼の顔だ。
「わたくし、喜納義男と申します。お察しかもしれませんが、喜納昭一の父にございます」

「さて、昭一君のお父君が、本校どのようなご用件でしょうか。昭一君に何か」
 面会の後校長室に真似き入れると、校長がなるべく平静を装って聞く。法子には、校長のわざとゆっくりした口調に、最悪の事態を想定して心の準備をしたのが分かった。同席した法子も心の中で数字を数え、落ち着けようと努力した。
「はい。昭一が本日朝方死にました。その旨をお伝えしようとお伺いした次第です」
「なぜ、どうしてですか!」
 校長は最悪の事態に瞬間嘆息し有るべき言葉を探しているスキに、法子は叫ぶように聞いてしまう。努力は全くの無駄だった。
 父親の喜納義男は、絶望した人間特有の無感情さで、淡々と言葉を並べていく。
「今日の米軍の空襲で製糖工場が爆撃を受け、かなりの被害が出ました。その折り息子は、私どもの制止を聞かず飛び出したのですが、その時米軍機が息子から、そう10メートル程離れた私どもの勤める工場に爆弾が落としまして。その爆風で吹き飛ばされ首の骨を折り、即死状態でした」
 それからは、お悔やみ申し上げます。という型どおりの言葉が校長と昭一の父親の間で続く。そして校長が葬儀の言葉を出すが、淡々と断られてしまう。
「今のこのご時世、息子一人にかまけている場合では御座いませんでしょう。息子は当面私と行動を共にしていると皆さんにはお伝え下さい。それと先生方は、残された生徒さんの事をくれぐれも宜しくお願いいたいます。息子昭一も、死ぬ前夜に俺がみんなを守るんだと言っておりました。この言葉を息子の遺言とお思いください」と。

(昨日はあんなに元気だったのに)
 まだ身体に感触が残ってすらいる昭一がもういない。手をギュッと握りしめ、余りにも呆気ない人の死に悲しみ以上に憤りを感じる法子だが、感情に任せる時間を校長は与えてくれなかった。
 校長は、これからは何度でも起こりうる事だが、当面は他の生徒には伏せておく事にしようとだけ言葉にした。確かに、軍人以外の死傷者が方々で出ているのだから、全体で見れば子どもの死も起きて当たり前の事件だった。昨日までの当たり前の日常はもうあり得ず、これからは非日常こそが日常となるのだ。
 校長の目も、かつての軍人に戻った目でこれからの事は覚悟をしておけと言っている。
 法子は、女性というだけで差別する時代にあって、自分を男と平等に扱ってくれる校長が気に入っていたが、それも善し悪しだなと無理矢理苦笑して、気分を落ち着け校長に力強く頷いた。
 そして子ども達の元に戻るとき、すべきことはまだまだある。泣くのも悲嘆に暮れるのも後でもできると、自身を言い聞かせた。



●第二章 3 へ