■長編小説「煉獄のサイパン」

●第五章 3

1945年2月9日 ハワイ真珠湾

 アメリカ合衆国準州ハワイ・オワフ島のほぼ中央部の奥まった場所にパールハーバーと名付けられた風光明媚な軍港がある。
 シンガポールが大英帝国東洋支配最大の拠点であるなら、ハワイ諸島真珠湾に建設された巨大な海軍施設は、アメリカ合衆国のアジア・太平洋戦略最大の拠点だった。
 一見風光明媚な場所に、のんびりと軍艦がたむろっている印象を受けるが、もし近づく事ができる他国の専門家がいたのなら、基地の機能、設備に驚嘆しただろう。
 無数の倉庫、工廠施設、乾ドック、クレーン、60万トンもの重油を飲み込むタンク群、無数の桟橋とブイ。施設のほとんど全てが、1939年より整備が開始され41年に実働し、太平洋戦争の勃発に伴い拡大され続けた施設群だ。
 だが、開戦から3年以上経た今日、ハワイ真珠湾軍港は、巨大というレベルを超えたアメリカ海軍にとって、重要ではあるが後方の一拠点に過ぎない。特に、数百隻の艦艇、数隻の船舶が往来する太平洋にあっての兵站機能は、中継点という以上に機能出来なくなっている。あまりに巨大な軍団に、いかに巨大とは言え、一つの軍事施設でまかないきれなくなっているのだ。
 しかも前線拠点は、戦争の流れの結果主にソロモン諸島に集中されており、前線そものもの今やフィリピンだ。部内でも日本本土にチェック・メイトをかける日も近いと言われている。
 だが、パールハーバーには重要な機能があった。
 その証拠に、パールハーバーの奥まった一角にある台形の一辺を取り除いたような形の建物側のポールには、合衆国国旗と共にアメリカ合衆国海軍の元帥旗がへんぽんと翻っている。
 ほんらいアメリカ軍に元帥は存在しないのだが、第二次世界大戦による軍の肥大化とイギリス軍に元帥があり指揮権の問題もあって、陸海軍双方に置いて有力者が任命された。そのうち、太平洋で元帥位を持つのは、国民的人気の高かったウィリアム・ハルゼーと、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツの二人だけだ。当然ながら、パールハーバーに将旗を掲げているのはニミッツ元帥になる。
 つまり、パールハーバーこそが、大日本帝国を戦略的にすら追い込みつつあるアメリカ海軍の頭脳であり中枢なのだ。
 そしてその司令部施設の一角で、中堅幹部達によりちょっとした議論が交わされていた。

「この暗号解読をどう見る?」
「どうも何も、シンガポールにいる残存艦隊がどこかの拠点を攻撃する準備だ。戦艦がいるんだぞ」
「言い切れるか?」
「日本軍は、定型化された行動を取りたがる。マリアナ、フィリピンのどちらもシンガポールに一度艦隊を集めて動き出した。今回も同一と考えるべきだ」
「だが、日本海軍に往年の力はない。残存した艦隊主力も、既に日本本土だ」
「なら、日本に逃げ帰るというのか。だが、それはおかしいぞ」
「日本本土で石油資源が枯渇し始めているからか」
「し始めている、なんてもんじゃない。連中の通信が確かなら、活動を停止している艦艇すら出始めている。もう窒息寸前さ」
「だから日本本土に帰るのではなく、どこかを叩くための出撃か」
「そうだ。しかし、目標が絞り込み辛い。ルソン島の橋頭堡を襲う可能性だが、普通に考えれば時機を逸している」
「ミンドロ島のような奇襲を狙っている可能性か」
「ああ、そうだ。だが、大規模な艦艇を投入するには、上陸直後でないと意味がない。他の地域へは、我が軍が行動していない以上、動きようがない」
「事前配置の可能性は?」
「わざわざ沈められるための事前配置になるだけだ。連中もそこまで馬鹿じゃない」
「となると、目標は一つだな」
「やはり、そうなるか」
「ああ、マニラだ。コレヒドールでもいいかもしれない。ここに我が軍が突撃したところでヤツらがやって来て、海からの艦砲射撃と陸から10万以上の軍団の反撃だ。成功したら酷いことになるぞ」
「それが最も妥当な線だな。では、マニラ防衛を最優先に配置の変更を命令しよう。レイテ島みたいな冷や汗はもうご免だ」
「ああ、全くだ。それで何を向ける。シンガポールからマニラまで最短で3日ほどだぞ。マニラ前面に作戦行動中の艦隊がいるが、動かすことはできないぞ。スプルアンス御大の艦隊は論外だ。日本の首都近辺の航空撃滅戦の作戦がすでに動き出している。他に動かせるわけがない」
「ああ、水上艦隊を動かす必要はない」
「じゃあ、潜水艦か」
「そうだ。他に、陸軍のB24やB25は使えないか」
「陸軍どうこう以前に、B25は無理だな。どの基地からも海上では距離が有りすぎる。単発機も、マニラの近くまで来てもらわないと同じだ」
「となると、B24か。いけるか陸軍だぞ」
「出すだろうさ。こっちが潜水艦をわんさか向けると言えば、要請を出さなくても功名心で動いてくれるさ」
「で、潜水艦はどれだけ動かせる」
「そうだな、付近で作戦中で任務を与えて支障なさそうな潜水艦隊は4グループだな。これを、シンガポールからマニラにかけて配置変更しよう。うまくいけば、魚雷の十字砲火で全滅だ」
「十字砲火ねえ。そう言えば、あの辺りの潜水艦から奇妙な報告があった」
「突発的な磁気嵐の報告だろ」
「ああ。だが少し違う。磁気嵐の中で巨大な黒い影を見つけたが、速度が速すぎてすぐに見失ったというものだ。日本海軍式の回避運動もしていない。20ノットほどで視界ギリギリを突っ走られた上に、レーダー、無線、無電の全てがアウトで何もできなかったというものだ。しかも、二例報告されている」
「磁気嵐を利用して、ジャップが潜水艦の警戒を抜けていったという事か」
「分からない。見たこともない巨大な船。片方の潜水艦は未知の空母だったと報告している。しかも、随伴している駆逐艦から考えて、最低でも5万トンの巨大空母という事だ」
「あり得ない」
「と言い切れるか。ミステリアス・ヤマトは2隻も実在したぜ。5万トンのマンモス空母は、日本の技術で建造可能だ」
「で、エイハブ船長は、モビー・ディックをどうしたいんだ」
「別に、ただそう言う報告を思い出しただけだ」
「しかし、巨大空母だとすると厄介だな。もし今回の部隊に含まれていたら、空襲の危険が出てくる」
「所詮空母1隻だ。100機の艦載機で何ができる。陸軍航空隊がモミ潰すさ」
「しかし、全てが自殺攻撃だったらどうする。10月末は、少数機に護衛空母を2隻も食われているぞ」
「各方面に警報を出す。攻撃予測日の前後2日は、マニラ上空に編隊を多く送り込むように陸軍に要請を出す。念のためボスに警戒を強めるよう報告を上げる。そんなとこだろ」
「何かあったら、ウルシーからスプルアンス御大が出てくるかな」
「出さない、いや出せないだろう。硫黄島攻略支援の日本本土攻撃が最優先事項だ。さっきも言ったが、第58機動部隊はもう動き出している。万が一ここで躓いたら、沖縄侵攻のスケジュールが遅れそうなんだ。ブルじゃないから、スプルアンス御大が小規模な艦隊相手に出てくるとは考えられないな」
「となると、我らが海軍としては潜水艦に期待するしかないな」
「うまく行くか?」
「去年の11月には、戦艦を仕留めている。マリアナでは、輪形陣の中の大型空母もだ。SJレーダーと魚雷データ計算機があれば、遠距離からでもズドンさ。最近も面白いように沈めているんだぜ」
「だが、モビー・ディックには一杯喰わされている」
「何、磁気嵐のせい、ただの偶然さ。それにミステリアス・キャリアーの存在が確認されたワケでもない」
「しかし、横須賀で大型艦の建造があったのは事実だ。戦艦か大型空母はどこかにもう1隻いる」
「もう、沈めた後かもよ。戦争前から浮かんでいる軍艦で、いまだ消息のよく分からないのも多いんだ」
「もういい。関係ないことを議論するな。それとだ、その不明空母の部内呼称はモビー・ディックでいくぞ。給料分の仕事をしてから、軽口を叩け。いいな」

「ついに、来ましたなあ」
 2月13日の正午頃、海上から30メートル以上に陣取る、足下にひれ伏せさせている人工物の支配者が、双眼鏡を顔に張り付けながらも悠然とした口調だ。戦艦《伊勢》艦長中瀬泝少将だ。となりには、第4航空戦隊司令にして「完部隊」司令の松田千秋少将も、同様に悠然と構えている。
 もちろん、悠然と構えているのには理由がある。中瀬が再び口を開く。
「見張り長、どうか」
「スコールまであと1分です。艦隊全てが入るまで約3分。すでに先頭の《霞》はスコール雲に入りました。発光信号以外、目視不能です」
「敵機到着まで、あと5分」
「よし、《信濃》に信号。ブロッケン作動停止、だ。全力でスコールに入るぞ。陣形を崩すな」
 そこまで聞いていた松田が、威勢よく号令を発する。
 スコール雲の反対側では、1個中隊ほどのマスタングことP51戦闘機が加速をかけてくるがもう遅い。その後ろに続くB24では話にもならない。そしてスコール雲に艦隊がいる間は、彼ら米軍機は闇雲に真っ黒な雲の中に突っ込む以外「完部隊」を攻撃する術はない。雨の中でも同様だ。
 そして分厚いスコール雲や豪雨の中に飛び込んでまで攻撃しようという無謀な指揮官やパイロットが居るとは思えない。仮に無謀な勇気を持ち合わせていても、最悪何もしないまま自らの位置を失い、勝手に墜落してしまうだろう。
 案の定、敵機が目視で十分識別できるまでに艦隊全てがスコールの降りしきる海域に突入するも、爆音が近寄る様子はない。
 しかもスコール雲はかなりの規模で、しばらくスコールに合わせて行動しておけば、飛行機は脅威にならない。今の時代、まだ豪雨の中に入れるような全天候型の飛行機は存在しないのだ。
「司令、どうします」
「そうだな、一応戦闘配置中だ。洗濯や風呂は止めて、オスタップに水をためるぐらいにしておけ」
「あの、そうではなく」
「ああ、すまん。まあ、しばらくこのまま我慢比べだな。向こうも遠距離から出張っているだろうから、特に戦闘機の燃料が保たんだろう」
「我慢比べですか。対空戦闘と言うよりは、潜水艦と駆逐艦のようですな」
「是非もないだろう。今こっちは、松明が浮かんでいるようなものだ」
「はい。それに身重ですので、前みたいにヒラリヒラリと避けるのも難しいと思います」
 やや間の抜けた司令部の会話となっているが、「完部隊」を取り巻いている状況は深刻そのものだ。
 「完部隊」は、本土への商船帰還率2割という悲壮な海に向けて、1945年2月10日午後4時にシンガポール・セレター軍港を出港した。しかも翌日には、早くもどこからともなく飛来したコンソリ(B24)の接触を受けることになる。
 B24自身は、商船狩りをするための偵察だったのかもしれないが、見つかったのは同じだ。米軍が、このまま戦艦2隻、大型空母1隻の艦隊を見逃してくれるとは考えられなかった。
 そこで松田司令は、ルソン島のアメリカ艦隊攻撃を目標とする進路をその日一日前進させる。これにより主要航路から外れて定期哨戒機をかわせる可能性があるし、米軍に自分たちの意図を勘違いさせられる可能性があったからだ。
 そしてその翌日、偵察機がいないことを確認すると、一転して艦隊全てをベトナム沿岸に向けさせる。今度は、フィリピン方面を固めつつある米軍部隊をかわそうとしたのだ。
 松田の意図は当たり、最初の発見から二日間「完部隊」に大きな障害は立ちはだからなかった。一度潜水艦の接触と遠距離からの雷撃を受けたが、互いの位置が幸いして全て回避する事ができた。
 敵潜水艦の方も昼間で自らの危険が大きいと、それ以上の追撃はなく、また《信濃》に積載した新兵器が威力を発揮していた。
 ブロッケンの発動により自分たちも目や耳ばかりか口すら封じられるが、艦隊は昔ながらの発光信号で意志疎通は可能だし、艦隊自体無線封鎖中だから困るのは電探による探知ぐらいだ。
 しかも電探も米軍を探知する事よりも逆探知を警戒して、松田は使用を最小限に止めるつもりだった。何しろ今回の任務はケツに帆かけて逃げるのが最優先だ。こちらから情報を与えるよりも、逃げ隠れする方が理に適っている。
 そしてブロッケンによる暴力的な電子戦により、電波の目と口を封じられた潜水艦は、潜望鏡と水中索敵装置の圏外に出られた時点で何もできなかった。追跡する事もできなければ、すぐ側にいる筈の同グループの友軍潜水艦にすら連絡を取ることすら出来ないのではお手上げに近い。さらに聴音により掴んだ概略位置に爆雷攻撃を少しばかりして警戒感を植え付けたので、無事振り切ることができた。
 もっとも行程そのものはあまり消化できていない。
 その代償としてうまく逃避行を続けることができたが、まだベトナム南部沿岸にさしかかったばかりだ。
 そして行動開始から三日。ついに米軍の物量が発揮され始める。
 通常より多い偵察機が南シナ海南部に放たれ、彼らに導かれた空から攻撃隊を送り込んできたのだ。
 この間松田は、ブロッケンの作動を最低限としていた。理由の多くは、装置の有効範囲が半径30キロ程度なのと、米軍の密度の多さにあった。松田はブロッケンの能力を米軍に捕まれることを警戒したのだ。情報が不完全でなければ、新兵器や秘密兵器のハッタリはすぐに通じなくなる。それに空からの偵察と空襲の可能性が多い海域で、ブロッケンは威力を発揮しきれない。
 だが、その日は今のところ松田に味方していた。
 艦隊が突っ込んだ豪雨降りしきる真っ黒な世界の中で、松田は内心安堵しつつ次の対策を考えていた。考えが自然に表に出る。
「米軍は、どう出ると思う」
「スコールが切れるのを見越しての攻撃か、追加の航空隊といきたいところでしょう。が、基地との距離を考えれば連中は長くここに居られませんし、時間的にも二の矢はないかと。偵察機を継続的に送り込むのが精一杯でしょう」
「となると、次はまた潜水艦か」
 はい。答える戦隊参謀長に松田は嘆息に近い言葉をもらした。スコールで航空機を封じたとは言え、慎重かつ大胆な潜水艦が近くにいたら、雲から出たところで待ち伏せされている可能性があるのだ。
 取りあえず松田にできるのは、対潜警戒を厳にせよと命じるしかない。
 しかも今は、ジリジリと移動するスコール雲に注意を注ぐべきであり、進路すらスコール雲の赴くままだ。
 そうして1時間以上が経過した時、ついにスコール雲が途切れるときが来た。入ったとき同様、先頭の《霞》が最初に外に出る。
 ただ、空に対する緊張感は低い。10分前の短時間の電探作動で、敵機が目視できない距離にまで離れつつあることを掴んだからだ。
 艦隊の注意は、今は水面下もしくは水上に向けられていた。
 見張り員達の行動も、発光信号も全て対潜警戒に向けて動いている。しかも松田は、砲員には俯角付けて水面下を睨むように命令を出しており、彼の徹底度合いと発想力の広さが感じられる。
 そして艦隊将兵全員の努力が報われる報告が来る。
「《霞》より信号。水中聴音機に反応あり」
 他概略方位や距離、深度などが報告され、制圧に向かうための位置変更が報告されたときだった。時間は、午後1時40分。
「《霞》より信号。……魚雷音探知! 数、六」
「方位〇六五(度)、距離三〇(3000メートル)、雷速四〇(ノット)、雷数、六!」
 前者は信号員、後者は見張り員からの報告だ。
「機関全速。面舵一杯。魚雷に平行走れ。それと、高角砲は魚雷に向け射撃開始」
 中瀬が伝声管に叫ぶとほぼ同時に、右舷の高角砲4基8門が火蓋を切った。その後は4〜5秒に一発の割合で次々に砲弾が送り込まれる。魚雷の到達まで2分半。こちらも接近しているので1分半ほどだ。
 そして、よく見れば他の艦も射撃を開始しており、海上の喧噪は潜水艦掃討をしている駆逐艦から苦情そのものの信号が届いたほどだ。
 だが今回は防空戦闘ではないのと混乱を避けるため、25ミリ機銃の戦闘参加は禁止されている。おかげで機銃員は見物客と化しており、最初の水柱は機銃員の歓声が全艦に事態を告げることになった。
「敵魚雷一撃破。残り五本、依然接近中。方位〇二〇。距離二三(2300)」
 高角砲員も、通常なら歓声の一つも上げたいところだが、あと5本あるので次々に砲弾が送り込まれる。
 各高角砲では、他からの応援もあって人力装填とは思えぬ早さで矢継ぎ早に給弾され、水面に突き刺さって爆発する。また大きな水柱。魚雷撃破の印だ。
 しかし、戦闘は意外に静かだった。本来高角砲が火蓋を切るような戦闘なら、甲板上はもはや怒鳴り声ですら聞きづらい有様だが、艦が魚雷の正面にむき始めているので、《伊勢》に搭載された後部2基の高角砲は早々に射撃不能となり、艦橋周辺の6基も時間が経つにつれて射角が狭められ、俯角も取りづらくなる。まもなく交差距離だ。
「全艦応急準備」
 中瀬艦長の声が響く。そこにもう一つ水柱。ほとんど真っ正面だった。
 大きな水柱を前に、さすがに艦がどよめいた。
「魚雷、通過っ!」
 どよめきとスコールのように降りしきる火薬で濁った盛大な水しぶきの中、魚雷が相対速度60ノット(112キロ)以上で交差する。
 本来なら息を呑む一瞬だが、3本撃破したせいか残り3本の距離は開いており、思ったより開いた間隔で通り過ぎていった。
 そして後部見張り員の魚雷完全通過の声と共に、艦の全て歓声が上がった。
「バカヤロー、なめんな」「俺たちゃ、エンガノで数え切れないほど爆弾避けたんだ」「そんな、ヘッピリ腰の魚雷が当たるかよ」
 もはや言いたい放題だ。歓声が収まったのは、左舷前方で新たな水柱が奔騰するまで待たねばならなかった。そして乗員達が見れば、霞が爆雷投射を開始しており、安堵感はますます大きくなっていた。
 だが、海水は砲撃と爆雷で大きく乱されており、潜水艦にはむしろ有利と判断した松田は、高速での離脱を指示。潜水艦を制圧中の霞、朝霜以外は全艦隊24ノットの速力で振り切る事になった。
「前も似たようなものでしたが、空母や航空戦艦がいるのに、艦載機なしというはやはり寂しいですなあ」
「何、飛行機は収容に色々動き回らなければならない。今回はむしろ必要ないと思っておこう。それより、敵潜水艦の機動に気を付けさせよう。ヤツらはケツにも魚雷発射管を付けている」
「まったく、潜水艦まで贅沢な限りですな」
 《伊勢》の艦橋では、司令の松田と参謀長が中瀬艦長の様子を見ながら、次の方針を指示していく。
「ああ、贅沢だろうな。今日はこれで打ち止めかもしれんが、明日はもっと大勢押し掛けてくるぞ」
「今日が全く戦果なしですからね」
「それに、飛行場の設営が事前の情報通りなら、液冷の新型やコンソリ(B24)でも明日が攻撃できる限界点だ」
「では、やはり夜は仮泊ですか。新兵器を使えば空襲圏外に突っ切れそうな気もしますが」
「米潜水艦の夜間雷撃は危険だよ。一つの機械に全幅の信頼は置きたくはない。それに装置は、一晩中の運転に耐えられるか微妙だと聞いた。ここは堅実にいこう。空を気にして足下を掬われては話しにならない」
「全くです。ただ、明日が正念場になりそうですね」
 ウム。参謀長の言葉に、松田は深く頷いた。

 だが、2月14日の午後1時頃、松田少将率いる艦隊はまたも分厚いスコール雲の中にあった。
 朝の早い時間からB24の接触を受けていたので、乗員全てが腹を括るべきと考えていたが、松田は第21駆逐隊を先行させてまでして、根気強くスコール雲を探させていた。それに駆逐艦を先行させれば、潜水艦の事前制圧にもなる。
 そしてまたも幸運が松田に味方したのだ。
 「こりゃ、一生分の運を使い果たしそうだな」松田は苦笑したが、今度は約80機ものB24で襲来した米軍こそがいい面の皮だった。
 友軍の誘導に従い現場に到着してみれば、誘導機が最後の辺りで言った通り、昨日逃した獲物はまたも真っ黒な雲の下。しかも自分たちは昨日以上に遠距離進出しているので、長時間上空に居座るわけにもいかず、虚しく周辺海面に爆弾をばらまいただけで帰る羽目になった。
 日本艦隊が傍受した無線には、近距離無線で互いに罵り会う英語が流れてきて、その日の平穏を全艦隊に知らせる事になった。
 レイテで全ての攻撃をかわしきった松田は、今度は艦隊全てで総数130機もの攻撃をかわしたのだ。また「完部隊」のために潜水艦の多くが普段のシフトを外れて動いて疲労させている。
 しかも、マニラ付近にいる巡洋艦を中心とした艦隊は、レイテ島の恐怖やミンドロ島での失態が脳裏をよぎり、一歩も動くことが出来なかった。
 これはこれで、立派な大戦果と言えるだろう。

「それで、「北号作戦」部隊は今どこにいる?」
 赤煉瓦こと海軍省及び海軍軍令部の入った永田町にある見事な煉瓦造りの建造物では、小さな噂が飛び交っていた。
 「北号作戦」と勇ましく作戦名を送ったシンガポールからの資源輸送部隊の消息が、要として知れないのだ。一部では米機動部隊の大空襲を受けて全滅したのだという噂すら飛び交ったほどで、様々な憶測情報が飛び交っていた。
 しかも「完部隊」と命名された松田千秋少将麾下の艦隊は完全すぎるほどの無線封鎖をしているため、正確な位置は常に分からなかった。
 そして海軍中央部の焦りは、最短到着予定日の2月16日を超えた辺りから強くなっていった。
 そんな中、軍令部第1部課員となった山科博大佐は、作戦立案に関わった事もあり、正確な情報を集める作業に余念がなかった。加えて、「完部隊」の無事到着なくして、彼の本来の目的完遂は難しくなるので尚更熱心だった。
「で、山科大佐、現在位置は」
 軍令部第1部長の富岡定俊少将が、夕闇迫る建物内で山科に座りながら直に問いかけた。山科が第1部首席部員、通称甲部員と呼ばれる部署にいてデスクも近いせいだ。
「陸海軍各部隊から、ようやく各地での仮泊報告が入ってきました。2月13日仏印・カムラン湾、16日香港、17日福州、今朝は揚子江河口に仮泊中の姿を多数の船舶が目撃しています。着実に日本本土に近づいています。今まで報告が入らなかったのは、「完部隊」の松田少将が、現地部隊に「完部隊」に関する無線連絡を一切しないよう要請していたからです」
 山科の言葉が進むにつれて富岡の顔に赤みが差していくのが分かる。
「なるほど、慎重にして大胆な行動だな。しかし、揚子江とはえらく迂回したものだ。むしろ航行距離が伸びて危険な気もしてくるな」
「恐らく、敵潜水艦を警戒しての事でしょうし、1月の米機動部隊の事もあります。それに、沖縄近海は危険と判断されたのではないでしょうか」
「次の戦場だからか。で、最終経路の予測は」
 富岡が頭の回転の速さを見せる。
「はい。恐らく、黄海を横切ってまずは朝鮮半島南端へ。根拠は、黄海に入る米潜水艦はまだ報告されていないからです。そして朝鮮半島南端から五島列島沖、甑島列島、坊の岬、佐多岬、日向灘、豊後水道というルートが有力です。このルートなら米潜水艦も近寄りがたい本土沿岸になりますし航行も楽です。加えて、先日関東地方を空襲した米機動部隊をやり過ごせる可能性も高くなります」
「よろしい。では、到着は、明後日の朝といったところだな」
 そう言うと、富岡は妙にせわしなくなった。山科の方は、説明を終えると鞄に書類などを詰め込み始める。そうした二人の様子を他の課員が不思議そうに盗み見していると、富岡が立ち上がると切り出した。
「山科君。私も君と共に呉に向かうぞ。軍令部として礼の一つも言わねば申し訳ない」
 軍令部第1部に来てからも雅な顔に険しい色を浮かべる山科の顔が、瞬間目を丸くしてからすぐに素に戻る。だが、富岡は気にした風もなく、自身も側にあった鞄の準備を始めている。
「部長、私はこれから夜行の汽車でまずは大阪へ、そして翌朝から呉に向かい、迎え入れの準備をすることになっておりますが」
「分かっているよ。だから今から出るのだろう。私もすぐに準備するから、少し待ってくれたまえ」

 その後、道中を富岡と共にした山科だが、富岡は「北号作戦」を昨今希な成功例だと松田少将を褒めちぎり上機嫌で饒舌だった。ただ、上機嫌な富岡は、山科にとって厄介ごとに近かった。
 既に軍令部といえど飛行艇を簡単に飛ばすことが出来ないご時世なので、東京から夜行列車や特急を乗り継いでの呉乗り込みとなったので、ほぼ丸一日上機嫌な富岡の相手をさせられる事になるからだ。
 しかも途中、山科の予測通り艦隊が朝鮮半島南端に現れた事で、富岡の機嫌度合いは急上昇。今から、松田が持ち帰る石油精製物をどう使おうかと、捕らぬ狸の皮算用を始めている。
 その間山科は、本当にしなければならない書類の処理や、たまっている睡眠不足の解消で長広舌から逃げようとした。しかし、大佐と少将以外は副官クラスの下っ端将校ばかりなので、自然山科が相手をするしかなかった。加えて富岡は、理由は分からないがどこか山科を気に入っている風があった。
 だが時間は進むもので、2月19日の昼過ぎには呉に到着。山科は富岡と別れると、さっそく艦隊を迎え入れる準備に入り呉や柱島を忙しく動き回った。するべき事、会うべき人物は山のようだ。この時を狙っていたとすら言っていいほど揃っていた。
 そして最低限のやるべき事を山科が終えた頃、「完部隊」部隊が呉へと到着した。2月20日午前10時の事だ。直線距離で約4700キロ。これを十日で完走し、しかも損害は皆無だった。
 《伊勢》、《日向》、《大淀》、《霞》、《朝霜》、《初霜》、そして《信濃》。
 全艦艦のあらゆる所にドラム缶や生ゴム、錫などの物資を満載し、決して誇らしい姿でも勇ましい姿でもなかった。だが甲板に整列する乗組員も、腕や帽子を振りながら迎え入れる人々も、作戦達成の喜びと満足感で溢れ返らんばかりだった。
 山科は、ちょうど7隻の艦艇が船に物資を満載しているので、「まるで七福神だな」と埒もないことを思ったが、富岡などは入港する艦隊を見ながら、ありがとう、ありがとう、と繰り返し呟いている。
 それを見ながら山科は、そう言えば半年ほど前は逆の状況で呉に戻ったんだと自らを思い出した。
 そして、日本海軍はなんでそんなになるまで戦っているのだと、不意に思った。
 

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