■長編小説「煉獄のサイパン」

●第六章 2

1945年1月15日 サイパン島

「またどこかで逢えるさ…。あばよ」
 犬神との別れは呆気ないものだった。
 背嚢に持てるだけの荷物を持った彼は、みんなが見送る中、すぐにもジャングルの中に消えていった。片手を軽く上げたあと、背を向けたまま振り向くことはなかった。
 しばし犬神が消えた茂みを見ていた法子達だったが、法子がくるりと全員に振り返る。昨日髪を洗いキレイに切りそろえたので、以前の艶やかさが戻ったかのように黒髪が宙に弧を描く。まるで感傷を断ち切るようにすら見える舞い方だった。

「さあみんな、「秘密基地」にお別れを言いましょう」
 法子達も出立の準備を始めてから小一時間ほど、俘虜になれば衣食住は米軍が支給すると考え、必要最小限の荷物とした法子達は、出来る限り綺麗な身なりで「秘密基地」の基地の真ん中に勢揃いした。
 「秘密基地」の方は、残していく荷物を出来る限り整理整頓してあり、食料さえ何とかなればいつでも戻ってこられるほどにしてある。
 全員が持つ荷物も、米軍と出会うまでに必要と思われる僅かな飲食物と最小限のものだけ。例外は、鶏2羽と奈央子が大切にしている懐中時計。この懐中時計は、法子達を人間世界の時間に止めて置いてくれたものだ。ただ、法子が大切にしていた双眼鏡は犬神に託されていた。元が軍装品なので、変な嫌疑をかけらないようにするためだ。
 法子の出で立ちも、来たときと同じ開襟シャツにデニムのパンツ、いわゆるジーンズパンツだけ。奈央子も同じで、子ども達も来たときから防空頭巾などがないだけ。まるで振り出しに戻ったようだ。
 そして口々にさよならを口にする。だが、法子の耳に残った言葉は、「またね〜」だった。「また」という言葉が、法子に奇妙な元気を与えたからだ。

「お日様の下を歩くなんて、ホント久しぶり」
「本当ですね。まぶしいぐらい」
 一寸した陸のようなナフタン山の麓からジャングルを抜けるまでに小一時間。拍子抜けするような調子で、砕いた珊瑚で簡易舗装された幅広の道路に出た。
 1月のサイパン島の朝の空は気持ちよく、地上近くになって視界がジャングルや茂みばかりなので、まるで米軍来襲前のようにすら思えてくる。
 しかし、かつてのサイパン島には珊瑚で作られた真っ白な道などなく、ジャリジャリと砕けた珊瑚を踏む音が全員を現実に引き戻す。
 そうして30分も歩いただろうか。自動車特有の音が小さく響いてきた。
 サッと全員に緊張が走るが、法子は振り向いて全員に強く頷きかける。
「いいわね、先生と同じように動いて。そうすれば絶対に大丈夫だから。それと奈央子」
「はい」
 奈央子は言うなり、手に持っていたものを掲げる。
 真っ直ぐな木の棒に、手持ちの中で最も白く大きなものを結びつけたもの。白旗だ。
 今法子達が歩いているのは、山沿いの道を抜け最初の角を曲がって半分ほど歩いたところ。頭の中に地図や地形は詰め込んであるので、200メートルほど向こうに角があり、そこからの音だと分かる。車の方は、相変わらず遠慮なく騒音をまき散らしており、角を曲がると同時に音が大きくなった。数は2台だ。
 今朝は空襲に向かう爆撃もなかったので飛行場が静まりかえっているので、尚更音が大きく響く。最初の頃は、工事の音と共に法子達をよく怯えさせた元凶だ。
 角を曲がった車では、曲がるとすぐ緊張が走るのが見えた。運転手以外ともう一人以外の全員が車を降りて小銃を構え、残りの一人は車の後部に据え付けられている大柄な機関銃に飛びつく。
 いつでも射撃開始できる状態まで、ほんの3つも数えるぐらいの短さ。車自体も速度を落とし、人の速度に合わせてゆっくりとした前進になる。数は全員で8名ほど。車の数は2台。
 それらを確認した法子は、利き腕を水平に上げて全員の動きを止め、手に何も無いことを示すように両手を上げて見せた。
 指揮官らしい者が双眼鏡を構えているので、こちらの状況は見えているはずだ。
(お願い、撃たないで)
 そう願いつつ、懸命に自身の平常心を心がけた。今もし自分が何か行動を起こせば、子ども達は間違いなく混乱するし、米兵が撃ち出す可能性は十分にある。
 遠く俘虜収容所らしきものを確認したからと言って、米兵が撃たないという保障はないのだ。
 法子にとって幸いなのは、米兵がいきなり撃ってこなかったという事と、慎重に50メートルほど進んできた所で、手を拡声器状にして叫んできた事だ。
「動くな! 両手を上げろ!」
 がなり声で訛が酷いが、何とか聞き取る事ができた。
「撃たないで。私達は降伏します」
 法子も、大きく英語で二度叫んだ。
 それでも米兵の緊張は解けない。すでに100メートルを切っており、だんだんと相手の顔が分かる距離になる。すぐ側では、白旗を掲げる法子の瞳が揺れているのが見える。既に緊張の極地だ。後ろの子ども達も、一寸した拍子で暴発しかねない。
(何か間違ったの。それとも、こんな時期に降る方のが不自然だったっていうの。けど、逃げるにしても、この距離だと逃げようがないわ)
 普段は冷静な法子も、自身の選択ミスを考え、頭は徐々に混乱しつつある。それでも、身じろぎもしなかった。何があっても動くことはできない。万が一の場合は、自分が子ども達の楯になることにもなるのだ。
 と、米兵の緊張が一気に解けた。
 指揮官の手振りと何かの叫びと共に、全員が銃を降ろし肩にかけてしまう。機関銃の兵などは、先ほどのまでの緊張はどこへやら、こちらに向けて身体一杯に手を振っている。
 距離が50メートルほどになると、指揮官らしい者が手を拡声器にしてフランクに叫んできた。
「済まねえ! とんだ間違いをしちまったぜ」
 法子達にとっては、寝耳見に水、まるで狐にバカされたようで、思わず旗を掲げ続けている奈央子と目を合わせてしまった。
「どうしたんでしょう?」
「さあ、こちらが無害だって分かったからかしら?」 
 そんな二人を余所に、全員が車に乗り直し、米兵達がすぐにも法子達の場所にまでたどり着いた。
「いや、本当に申し訳ない。こんな辺鄙なところだ、赤十字が来てるとは思わなくてな」
 車を飛び降り、その勢いのまま握手まで求めてきた米軍指揮官の第一声はそれだった。白い星マーク付きのヘルメットの下のごつい顔は、人の良さそうな笑みを浮かべている。他の兵士達も車を降りると無警戒にこちらに近寄る。だれかがポケットなどに手を突っ込んで一瞬緊張したが、ポケットから出たのは何かのお菓子だ。
「どうした、何か変な事言ったか? ああ、俺はこの分隊を預かる海兵隊のマードック軍曹だ。このマークがジャップじゃない証だぜ」
 マードック軍曹は、茶目っ気たっぷりにヘルメットの白い星マークを指さしてみせる。
 法子は、何が何だか理解出来なかった。いや、彼らは自分たちを赤十字の人間と誤解している、それは分かる。だからこそ言わねばならない事がある。
「マードック軍曹。軍曹は、勘違いしていらっしゃいます。私達は、アメリカ軍に降伏します」
「何だって? 何で赤十字が我が軍に降伏しなきゃならない?」
「ですから、私達は日本人だから、降伏すると言っているんです」
「ああ、ジャップの子どもの捕虜のレクリエーションだろ。朝も早くからご苦労なこったぜ。ただ、連絡聞いてないから緊張して銃を向けちまった。これは一応こちっちの落ち度もある、改めて謝罪する」
「いえ、ですから赤十字でもありません」
「なんだ、そうなのか。じゃあ救世軍か? それとも他の団体か? まさかそんな格好で、実はカトリックのシスターとか言わないでくれよ。 けど、どれもサイパンに来たとは聞いてないんだがなあ」
「いいえ、どれも違います。私達は日本人の民間人です。だから、こうして白旗を掲げてアメリカ軍に降伏しているのです」
「何のジョークだ、分からん事を言う人だな。アンタとその旗を持っているご婦人は、この島に派遣された赤十字か宗教関係者だろ。その白旗も念のためだろ。この辺にジャップがいないのは確認済みだ。パトロールなんて、兵隊を遊ばせないためにしてるだけさ」
「ですから、全てマードック軍曹の誤解です」
「なあ、お嬢さん。確かにこの島は女日照りだが、からかうのもいい加減にしてくれ。温厚な俺様でも、ちいっとばっかりキツイ事をいわなきゃならなくなる」
 軍曹の言葉に、周囲の米兵が笑う。誰も緊張感がない。仕方ないと思った法子は、いまだに持っていた自分の教師の証明書を出してみせる。
「これが私が日本人だという証です。それとも軍曹には、私がアメリカ人だという確信がお有りですか」
「悪いな、誰もジャップの文字は分からねえ。けど、アンタの英語は分かりやすい。まるで将軍閣下のように見事なもんだ。見たところチャイニーズ系のようだが、東部出だろ。訛で分かる。だいいち、この島のジャップが英語に堪能なんて聞いたことがないし、身なりの整ったジャップが降伏なんて話があるか。それと、そっちのお嬢さんは、俺の見立てじゃあ、スペイン系とフィリピン系のハーフだな。あ、いや、俺は差別主義者じゃないから大丈夫だ。ここにはいないが、部隊にはインディアンもいるからな」
 軍曹の言葉に、他の兵士達もヒスパニックだインディアンだ、などと勝手な憶測を早口で並べ立てる。だが、誰も法子と奈央子を日本人扱いしていない。
 隣で聞いていた奈央子が、たまらなくなって、なるべく真摯に聞こえるように質問した。見事な英語で、これも長い間に法子が教えたものだ。
「どうして、私達がアメリカ人だと思われるのですか」
 そう言った奈央子に向き直った法子は、二人を交互に見つつ、さも当然とばかりに言い切った。
「おいおいお嬢ちゃん、俺に常識を語らせないでくれよ。いいかい、ジーンズはアメリカ人が履くもんだ。ジャップどころか、他国のヤツが履くなんで聞いたことないぜ」
 法子と奈央子は目を丸くすると同時に、何やら妙に得心がいった。しかし、けっきょく話しにならないので、取りあえず彼らのベースにまで連れて行ってもらい、もっと上級者に取り次いでもらう事になった。
 その間の収穫は、軍曹殿や他の兵士から言い寄られ、法子にサイパン島が女日照りであることを思い知らせたぐらいだ。
(それにしても、慰安所を設けていないみたいだけど、米軍も意外と大変なのかしら?)

 彼らのベースに連れて行かれると、そこはアスリート飛行場側の建物だ。かまぼこ状の建物は、鉄骨の骨組みにトタンのようなもので覆われ、窓にはガラスがはめられている。地面はコンクリートやアスファルトで舗装されており、とても急造の建造物には思えない。しかもかまぼこは一つではなく、大小さまざまな大きさが無数にある。中には2階建ての立派な建造物すらある。
 周囲には彼らがジープと呼ぶ小型の自動車が多数停車しており、マードック軍曹の案内で簡単にそのベースの中に入れた。
 女性が珍しいというので好奇な視線はまるで突き刺さるようだが、口笛を吹いてきたり卑猥なヤジを飛ばすばかりで、やはり誰も警戒していない。ただ、誰もが軍曹のように自分たちを同胞だとは考えていないようで、「珍しいな、今時新しい捕虜か」などと声をかける者もいる。
(ジーンズの効果というより、ここはもう戦場じゃないんだわ)
 余りにも簡単な降伏だったので、法子も少しばかり心に余裕ができ、周囲の観察を続けた。すると、鉄製のヘルメットではなく、制帽を被った人物が近づいてくるのが視線の先に入った。他に3人を従え、うち二人は「MP」と腕章を付け小銃を両手に抱えている。
 この基地の指揮官かしら。そんな事を思っている間に近づき、法子達を一瞥すると軍曹に向き直った。
「マードック軍曹、貴官が保護した民間人というのはこの方々で間違いないか」
「はい、間違い有りません大尉殿。民間人2名、ジャッもとい日本人捕虜5名の合計7名であります。ナフタン山北西の道路上で保護致しました」
 法子の耳には、やたらと敬称や丁寧語を表すサーの発音が耳に付いた。
 大尉と呼ばれた男、いや将校は軍曹の言葉に一度だけ頷くと、さらに続ける。
「それで、民間人の二人が自分たちは日本人で捕虜になりたいと、おかしな事を言っていると言う報告も間違いないのだな」
 サー、イエッサー。道中あれほど気さくだった軍曹殿はガチガチの軍隊言葉だった。だが、言葉の殆どが条件反射や習慣によるものと推察できる。だが、今はどちらかと言えば叱責の最中。大尉に「根拠は」と言われると、さらに身体が固まっていく。そして「はい、大尉殿」と言うと、法子達に語った彼の常識を並べていく。
 そうして一通り軍曹の言葉を聞き終えると、大尉は怪訝な顔を一瞬浮かべるも顔を引き締め、法子達に向けて敬礼をして切り出した。高等教育を受けた者以上の知性と教養を感じさせる、将校というよりは学者の卵を思わせる風貌だ。
「自分は、合衆国海兵隊大尉ジョージ・マックスウェルです。申し訳ありませんが、取り調べを受けて頂かなくてはなりません。また、お二人がアメリカ市民である場合、軍は最大限の謝罪と保障を行います。それでは、ご同行願えますか」
 法子達に是非もない。当然という以上の応対だ。ただ、気になる点が一つある。
「分かりました。しかし、子ども達はどうなるのでしょうか。私は教師で、子ども達に対する義務があります。当面の処遇だけでも、お教えいただけないでしょうか」
 当然とばかりに頷いた大尉は、最初から用意していたように告げる。
「あなた方二人に関わりなく、日本人民間人の捕虜である以上、いずれススッペにある捕虜収容所に移送されることになるでしょう。ただし、今は近くの官舎で我が部隊の者が責任を持ってお預かりします。他にご質問は」
 法子はもう一つ続けた。
「私は成人しておりますが、彼女はまだ子どもです。それでも私と同様にされるのでしょうか」
「我が軍将兵の証言と、英語を話し同じ出で立ちをしている以上、やむを得ません。詳しい話は、部屋にてお願いできますか」
 有無を言わせぬ口調だ。言葉尻は丁寧だが、自身への嫌疑を法子は感じた。
 そして法子と奈央子は、子ども達と子ども達が一羽ずつに分けて入れ物に押し込められている鶏たちと別れ、トタン製のかまぼこの一つへと導かれた。
 部屋に導かれた法子は、簡単な椅子とテーブルがある場所に連れて行かれ、MPが用意した椅子に二人して座らされた。もちろん、お茶が出されるわけでもなく、明らかに何かを知りたがっているのだ。ごく僅かに目配せをした法子に、奈央子も瞳で返事を送る。
「改めまして、私は尋問を担当するマックスウェル大尉、こちらは日本語通訳担当のマイク・タナカ。日本語の文字も十分に理解できます」
 「さて」改まったマックスウェル大尉が、矢継ぎ早に質問を浴びせかける。もっとも、法子が危惧したスパイの容疑ではない。大尉は、法子達が日本人であるとは考えているが、今まで何をしていたのかを知りたがっているのが分かった。
 そこで法子は、可能な限り理路整然と自分たちの経過を説明していった。教師の証明書など、書類を出してみせる。潜伏場所だった「秘密基地」の事も教え、必要なら案内して調べてもらってもかまわないと結んだ。あまりに用意周到過ぎる言葉かとも思ったが、とにかく冷静に話すことを心がけた。
 すると、最後に大尉が苦笑してしまった。言葉尻も、先ほどまでの軍隊口調から、穏やかなものに変わっている。
「いや、失礼。まるで学生に戻った気分になったものでね。あなたが日本人で教師であると言うことも、他の生存者の証言があり、お持ちの書類が正しければ間違いないと判断されるでしょう。そちらのお嬢さんの身元もね。それにしても、英語で尋問できるのがこれほど楽だとは思いませんでした。それで、これはどちらかと言えば個人的な質問ですが、英語はどこで? 日本人だと軍人や一部の官僚や商人以外話せる者は希ですから、どうしてもスパイではないかと疑ってしまう。ましてやこのサイパン島で、捕虜からまともな英語を聞くのは初めてだ」
 冷静なまま目線を逸らすことなく法子も続ける。
「身元が調べられない以上お信じになるかどうかは分かりませんが、私の生家は古くから続く貴族です。そこで嗜みとして他国の言葉を学び、子どもの頃からアメリカ人家庭教師に英語を学びました。奈央子、彼女には私が。3年前の赴任頃から教えました」
「ホウ、なぜ教え子に英語を?」
「英語が、世界で最も通用する言葉だからです。現にこうして役立っています」
「違いない。しかし、そちらのお嬢さんの英語は、少しばかり違うニュアンスを感じるな。ああ、私は軍に入る前は大学で言語学を勉強していました。おかげで、後方で捕虜の相手ばかりしています」
 何の事はない大尉の雑談だったが、法子は奈央子に緊張が走るのを感じた。
「私の教え方が悪かったのか、個性の差なのではありませんか?」
 法子にとっては同じ英語でも、母国語として使用している者にとっては違うのだろうか? そんな事を思いつつも、とにかく奈央子を庇うのが先決だった。
 もっとも大尉は気にした風もなく軽く笑うだけだ。
「いや、失礼。いつもがさつな軍隊言葉ばかり聞いているから、珍しい発音に興味が向いただけです。それにしても立派な英語だ。日本の貴族ではなくジョンブル、もとい英国貴族と言われても信じてしまいそうだ。いや、マハラジャの姫君といった所でしょうか。今の私の素直な気持ちを言わせてもらえればね」
「それは光栄です。それよりも、私達の処遇はどうなりますか? 願わくば教え子と共に収監される事を希望します」
 穏やかな態度の大尉とは逆に、法子は緊張した姿勢を崩さない。隣の奈央子も、質問された事以上には話さず、時折瞳を法子と交差させるだけだった。
 しかし、法子の言葉にマックスウェル大尉が表情を引き締め、右手を釈迦のように小さく掲げる。
「失礼。こちらが砕けすぎた。あなた方が日本人と分かった以上は、我が軍の捕虜として他の日本人同様、チャランカノもしくはススッペの捕虜収容所に収監。身柄はジュネーブ条約により保障される。それと、あなた方の経緯は一応了解したと返答するが、最後に質問したい。なぜ降伏を決意した」
「蓄えていた食料が尽きたからです」
「それは聞きいた。確かに、我々には納得のいく答えでもある。しかし多くの日本人は、降伏を呼びかけたにも関わらず、我が軍の捕虜となるより自ら死を選ぶ者が大勢いた。あなた方は、自殺は考えなかったのか」
 その問いに、法子はキッパリと首を横に振り、大尉の目を見据えて口を開く。
「子どもには生きる権利があり、教師の私には子どもを守る義務があります。この事は、国が違えど同じだと考えます」
「見事なご意見だ。いや、お世辞ではなく。しかし、我が軍があなた方を虐待や暴行、もしくは虐殺するとは考えなかったのか。日本政府や軍は、そう教えていると他の多くの捕虜は証言している」
「私は国際法を少しですが勉強していました。ハーグ陸戦条約もジュネーブ条約も概容は存じています」
 なるほどと納得した大尉だが、そこで首を傾げた。
「知っているなら、戦闘が収まってすぐに降るのが筋なのではないのか。食料や場所を確保していても、長期間の潜伏は苛酷だっただろう」
 異なる国の軍人から同じ事を聞かれるとはと、法子は内心苦笑しつつも、自身も同じ事を口にした。
「はい。もっと早く降ることは出来たかもしれません。しかし、日本人として簡単に敵に降るのは屈辱です。やれるだけの事をやってからではないと、と考えていました。悔やまれるのは、子ども達を巻き添えにしたことに対してのみです」
 その言葉に、マックスウェル大尉が軽く両手を上げる仕草をした。口調も再び彼本来の口調に戻っている。
「参りました。貴方が軍人や政治家で無かったことを主に感謝したいぐらいです。いや、それよりも、」
「それよりも?」
 大尉の言葉に法子が思わず釣られた。
「貴方のような考え方を日本の全ての為政者や軍人が持っていれば、今頃私は故郷アイオワに帰れていたでしょう。世の中うまくいかないものです」
 一般大学出の大尉は少しばかり寂しげに笑うと、尋問の終了を告げた。

 尋問後の法子と奈央子は、そのままMPに案内され、子どもと同じ場所に一時的に収容される事になった。身元を今少し見聞するためだ。
 また翌日には、法子一人が潜伏場所への案内を命じられ、再びナフタン山の「秘密基地」へと入った。
 共に向かった米軍の最上級者は例の大尉ではなく、彼の部下という少尉とその配下の1個分隊が当てれていた。マードック軍曹の属していた分隊だ。
 道中、兵達がやたらと深いジャングルに辟易としていたのが、法子には少しばかりおかしかった。彼女にとっては既に勝手知ったる場所で全く問題ないので、だらしないわねと思う余裕があったほどだ。
 だが現地に着くと、兵士達は最初小さな歓声をあげるも、すぐに仕事に取りかかった。そして手つかずの状態の写真を撮り終わると、必要な個人的荷物だけ取るようと法子に命じる。捕虜の財産を保障するという建前だ。
 そしてあらかじめまとめておいた革製の鞄と、いくつかの小物を手に取った法子を後目に、兵士達は整理整頓されたままの「秘密基地」を銃剣で付き回し、そこら中をひっくり返して無茶苦茶にしてしまった。
 法子が手に取った荷物も入念に調べられる。
 軍曹は、「悪いな、これも任務だ」と小声で告げたが、法子にはあきらめの感情と少しばかり重い負の感情が起きるのは避けられなかった。
 そして軍曹達は、一通り問題がなかった事を調べ終わると、全ての荷物を洞窟の奥に放り込み、苦労して持ってきたガソリンを洞窟をかけて火を放った。万が一、いまだ潜伏中の日本兵に利用させないためだ。
 法子は静かに頭を下げ、自らの別れとした。
 ただ、燃え盛る炎は、法子に昭一が火葬されてしまったかのような錯覚を感じさせた。



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