■長編小説「煉獄のサイパン」

●第六章 3

1945年2月19日 サイパン島

 その後数日は平穏な日々が続いた。法子達はいまだ他の者と同じ捕虜収容所に送られることはなく、島の警備隊の施設の片隅を間借りしている形になっていた。書類手続きが遅れているのだと説明を受けた。
 しかし、衣食住は完全に保障されている。雨露をしのげる丈夫な住居、やたらと栄養価の高い食事、洗濯された服に綺麗なシーツと毛布、お風呂は生活習慣の違いで望めなかったが、多少のお湯と石けん、タオルは支給された。
 毎度変わる当番兵の一人が妙に紅潮しながら言うには、他の捕虜もある程度は似たような配給は受けているとの事だった。
 ただ、法子達にとって自分たちが行うべき事がないのが苦痛に近かった。今までは苦労しなければ手に出来なかったもの、いやそれ以上のものが何の努力もなく手に入る。食事など、あまりの量とカロリーに残しそうになるほどだ。しかし捕虜なので、何もさせてくれない。全ては、妙に親切な海兵隊員に任せるより他無かった。
 仕方ないので、法子と奈央子は子ども達の授業を口答で行ったり、今まで同様におとぎ話などを語って聞かせたり、時には歌ったりもした。
 ただ、歌の方はなるべく明るいものと、舶来音楽に歌詞を付けた唱歌にした。唱歌には外来の音楽に日本の歌詞を付けたものが多く、羽生の宿や蛍の光など外来の唱歌から、敵性音楽ではないのでよく歌ったドイツ民謡のローレライなどに及んだ。元が外国の歌を選んだのは、米兵にいらぬ感情を抱かせないようにする彼女なりの配慮だ。
 もっとも、効果は予想以上あったらしく、窓や扉の外に米兵がいる気配がするばかりか、一緒に本来の歌詞で歌う者、中には自前のハーモニカで伴奏している者もいた。それを咎めよとする無粋な将校下士官もいない。例のマードック軍曹も、彼なりの気持ちの現れか、何くれとなく差し入れと持ってきて、ハーシーのチョコレートなどお菓子の数々は子どもを喜ばせた。
 その間B29の大量発進が1月19日に一度あったが、警備の海兵隊に大きな変化はなかった。むしろ、法子達女子どもが一角に置かれている事で、ほんの少しばかりだが和んだ空気があったほどだ。
 だがいずれ変化は訪れる。
 捕虜になってからちょうど一週間が経過した、1月22日昼過ぎ、昼食の食器を下げに来た当番兵が下がるのと入れ替えに将校が二人従兵を連れて入ってきた。一人はマックスウェル大尉で、もう一人は少し年かさの将校だった。態度からマックスウェルよりも上位であることが法子にも分かった。
「全員の処遇が決まった」
 軍人口調なマックスウェル大尉が切り出した。顔に陰りはなく、少なくとも彼にとって悪報でないのは見て取れる。
「全員が、正式に日本人民間捕虜と認定された。よって、これからススッペ収容所に入ってもらう。後の事は、彼から説明がある」
「英語で失礼する。私はデイビッド・ストレーガー合衆国海軍少佐だ。民事を担当し、主に捕虜の労働と交渉を担当している」
 となりの上級将校が続いて口火を切る。ひなびたお寺の住職でも似合いそうな柔らかな顔に、精一杯の軍人らしい威厳を浮かべている。
 二人してならんでいると、いかにも戦闘が苦手で後方に下げられたという印象を受けそうになる。犬神とは正反対の雰囲気だ。
 その住職は、目の前の女子どもをゆっくりと見渡して、一度うなづいてから言葉を再開する。
「先に申告があった名前や元の住所から、子どもの親の何人かが同収容所に入っているらしい事が分かった。また、山科法子、星埜奈央子の両名には、捕虜として労働に従事してもらう。これは国際条約で認められている事だし、僅かだが賃金も出る」
 二人の顔に緊張が走るのが分かるが、小さく手を挙げて住職がそれを制した。
「何、大したことではない。他の日本人もしている事だ。ただ二人には専門技術を活かして、こちらから要請したい仕事がある」
「できる限りの事でしたら」
 答える法子の脳裏に、少し嫌なものが浮かんだ。米兵の慰安を言われるのではないかと考えたのだ。
「そう固くならないで。何か勘違いをしているようだが、してもらいたいのは通訳だ。他の日本人捕虜と我々の間のね。何しろ、日本語と英語双方に堪能な者は常に不足している。にも関わらず、1万人以上の日本人がこの島の収容所で暮らし、正直大小の問題に手を焼いている。しかし捕虜は合衆国が責任を持って管理せねばならないし、誤って傷付けるような事があっては、合衆国の名誉に関わる。そして、少しばかり円滑な意志の疎通を図ることで、合衆国ばかりか日本人の負担も軽減されるのだ。両者にとってこれほど良い話はないと思うのだが」
 法子達に否応はなかった。
 そして、法子達にとっての本当のサイパン島での捕虜生活は、その日の午後から始まることになる。

 ススッペ収容所。それが法子達の新たな居住地区の名前。外観を簡単に言えば、鉄柵と鉄条網で囲まれた粗末なバラックの町だ。建物は、ところどころ欠けていたり焦げが付いている事から、かつてのチャラン・カノアやガラパンの町の残骸を再利用しているのが分かる。トタンなど材料などは米軍から一部拠出されているが、米軍のかまぼこ型兵舎の方がよほどしっかりした建物だ。もっとも、一部の建物は同じかまぼこ型兵舎を利用したものだ。日本の長屋より立派に立ち並んでいる区画がある。
 そうした住居に、現地住民、日本の民間人、日本軍人、朝鮮半島出身者に分けて収容され、それぞれの境目にもまた鉄柵と鉄条網があった。また、生き残った僅かな数の日本軍人の多くはすでにアメリカ本土に送られており、法子達が目にすることはほとんど無かった。
 そして法子達が最初に送り込まれたのが、この収容所で最も賑やかな場所、いわゆる市場だ。市場には、パン屋、理髪店、時計修理店、洋服仕立店、裁縫店などが粗末ながらも軒を連ねており、同じ捕虜相手ばかりでなく米兵相手の商売も請け負っていた。中には味噌を造る工房まである。
 店を開いているのは、米軍侵攻前の技術を活かしている本職が多いので腕は確かだと説明を受けた。
 その中で法子達の目的地は、収容所内での日本人をとりまとめている事務所の様な所だ。
 法子が驚いたことに、収容所内では日本人によるある程度の自治が行われ、代表者は日本人による選挙で選ばれていた。悪事に対しても簡単な裁判も行われており、店があるように収容所内ではドルやセントの流通が行われていた。しかも、店をしていない者は、男は自分たちのための耕作以外に米軍のための野菜栽培や区画を限定されての漁業を行い、女達には副業のような形で米兵相手の日本の民芸品製作がアメリカ側から奨励されていた。他にも米軍宿舎の掃除や死体の世話、病院船が入ったときなどは、病院の看護助手や雑益に駆り出される女性もあった。
 収容所の人々の服装も、今現在の法子達同様に米軍の中古支給品で姿こそ日本人らしくないが、明らかに法子達が予想したものとは違う光景が広がっていた。
 言うなればそこはアメリカ領となったサイパン島の姿であり、法子達に自分達が浦島太郎であることを思い知らせた。
 そして法子達を出迎えたのが、収容所となったススッペで選ばれた代表者達だ。
 彼らは事前に連絡が届いていた事もあって、法子達が入るなり諸手をあげて歓迎し、よくぞ子ども達を守り通してくれたと涙を流す者もあった。
 そんな彼らを見て、ようやく自分たちが置いてけぼりをくらったサイパン島のこれまでの状況が見えてきた。その日のうちに聞けた話の多くは、言葉では言い表せないような事ばかりだった。収容所の多くの者ですら、運がよかったのだと自分たちの事を語るほどだ。
 しかし法子が望んで聞いた事なので、なんて酷い事をと顔を覆って泣くわけにもいかず、身じろぎもせずに聞き入ることしかできなかった。また、戦闘が本格化する前に隠れた法子を、賞賛こそすれ非難する者が誰一人いなかった事も法子の心を重くさせた。何も知らないまま潜伏に入った自分に、負い目を感じていたからだ。
 翌日からは、贖罪を背負ったかのように、子ども達の両親探し、もしくは最後の消息を掴む事が法子の日課になった。
 幸いにして最初の3日間は、米軍も法子達の通訳の仕事を猶予してくれたので、とにかくまずは子ども達と親を引き合わせる事に専念する。
 法子が連れていた5人のうち3人は、親族の誰かが無事だったので引き取ってもらえた。うち2人は、その日のうちに事務所に来たので探す手間も省けた。残り2人のうち1人の親は目撃者がいたためほぼ絶望的と分かり、もう1人は誰に聞いても結局分からずじまいだった。そして3日後、親のいなくなった残り2人は、収容所内の孤児施設のような場所に強制的に引き取られることになった。
 また法子達の国民学校の者の消息は、多くが分からなかった。校長の消息も、ターポッチョ山中で高等部の生徒と共に見かけた者がいたのを最後に消息は分からなかった。念のため収容所内を探し歩いたが、収容所にいない事を実感させられただけで終わった。
 ただ、沢山の友人知人が死んだというのに、不思議と涙は出なかった。それを法子は、心理的衝撃の連続に心が麻痺しているのだと自己分析して、納得させることにした。また、子ども達の身元確認と、自身の収容所での生活の確保が問題なので、感傷に浸る暇も無かった事も影響していると自分を言い聞かせた。
 なお、収容所生活を始めるに当たって少しばかり問題となったのは、奈央子の処遇だった。年齢的には米軍が子どもでないとする15才に達していたが、家族が誰もいないと当人が言い切り、また他の誰も見た者がいないため、孤児扱いとするか15才なので対象外とするか決めかねたのだ。けっきょく、通訳の件があったので法子が預かる事を米軍民生部が認め、米軍の余った資材で日本人大工達が作り上げた小さな建物を新たな住居とした。
 なお、奈央子の鶏2羽は個人財産として所有が認められ、無事家族の一員として加わっている。
 そしてそれからは、淡々とした収容所生活という日常に、呆気ないほど簡単に雪崩れ込んだ。
 昼間は、収容所の日本人代表部や米兵から呼び出されて、ほとんどが当たり障りのない通訳の仕事に従事した。たまに鉄条網の外に出で米軍の仕事をする事もあったが、別に米兵から銃を突きつけられるわけでもなく、せいぜい好奇の視線や卑猥なヤジが飛んでくる程度だ。また、収容所の警備自体がほとんど形式だけなので、丁度良い気分転換ですらあった。
 子ども達と離れ、教師としての仕事をしなくてもよい事は、当初大きな虚脱感を法子にもたらしたが、反面肩の荷が降りたと感じることも否定できなかった。それに、暇を見つけては子ども達には会いに行くようにしているし、子ども達は収容所内で有志により開かれている学校に通っているので、心配事にならないのはやはりありがたかった。
 そして米軍配給の高カロリーな食糧をもらい、これまた配給の小麦で作られたパンを買って、被服なども支給品を着て過ごした。
 風呂も、銭湯として収容所の日本人達が苦労して作り上げたので、順番ではあったが週に1度は熱い湯舟に浸かることができた。
 せいぜい不便なのは、水が共同場にいかねばならない事と、米軍が設置した手洗いが共同便所だった事ぐだいだ。それでも洞窟暮らしを思えばはるかに文化的であり、それまでの生活に慣れていた法子にとっては十分快適なものだった。特に米兵に怯えなくてもよいというのは、日々の安眠に絶大な貢献をしていた。
 そして通訳という仕事は、法子にとって思った以上にやりがいのある仕事でもあった。また、些細なことばかりとは言え、様々な情報が労せず入るというのも彼女の精神安定に貢献していた。どうにもこの数年は、情報を集めるという行為が日常化していたので、何も知らない事ですぐに不安に陥る傾向があったからだ。
 そして持ち前の記憶力の高さと博識もあって、日本人、アメリカ人を問わず評判は高く、すぐにもアメリカ軍の側から指名をもらうほどになっていた。通訳に関わった良心的なアメリカ軍将校の中には、語学と学力の才能を見込んでアメリカへの移民を勧める者がいたほどだ。
 いっぽう奈央子は、通訳自体の評判は法子同様に良いのだが、年齢故に簡単な仕事がほとんどだった。と言うよりも、日本人、アメリカ人共に同情心から遠慮している風がある。気のいい将校が、祖国で養子先を探してやろうかと持ちかけた事があったほどだ。
 そして、二人に米軍がそんな話をする事自体が、戦争が終わりに近づいている事をいやが上にも二人に教えた。

 捕虜生活が始まってから約一ヶ月、その日は珍しく法子と奈央子の二人ともが、米軍基地の方に呼ばれていた。捕虜とした日本軍将校の通訳のためだ。念のためアメリカ軍からも通訳が出るが、いつも通り正確に通訳をしてくれれば良いと、係官は好意的に言ってくれた。係官は、法子が僧侶とあだ名を付けた少佐の部下で、外に出る時は彼に関わる仕事が多い。
 そうして、やや立派な建物の一室に通され中で中で待っていると、まずは日本人二人がMPにつれられて入室する。ついで10分ほど経過してから、アメリカ側の将校が入ってきた。副官将校付きの高級将校だ。
 高級将校が入ると、彼の指示でさっそく尋問が始まる。法子が高級将校の翻訳を行い、奈央子が日本人の通訳を行う。後で聞いた話だが、寸暇を惜しんだその高級将校が取り入れさせた手法だ。
「私は、第21爆撃群司令カーチス・ルメイ少将。日本軍将校に単刀直入に質問する、君たちの属する第22戦隊の目的は何だ?」
 有無を言わせぬ力強い言葉と、言葉と口調を裏切らぬ角張ったごつい顔から注がれる強い視線を前にして、日本軍将校はすっかり萎縮していた。それ以前に、将校の威厳というものがほとんど感じられず、うなだれた無気力さばかりが先行している。法子にしてみれば、その辺を歩いているごく普通のおじさんと言われた方が納得言っただろう。そんな事を思いながらも、正確な翻訳を続ける。すでに専門用語の多くも得ていたので、通訳に全く支障はない。
 奈央子の口からも、翻訳機よろしくな正確さで、それでいて彼らの語る日本語よりも丁寧な口調に直された英語が紡ぎ出される。
「我々、第22戦隊、通称「黒潮部隊」の任務は、太平洋上での偵察・監視です。敵を速やかに発見、そして各部隊に連絡する事が任務で、それ以上の事は知りません。また我々は商船学校を出た予備将校であり、軍機に関わることは多くを知らされていません」
「ならば、貴官らの監視船に電探は搭載されているか」
 男達は首を横にだけ振る。
「では、目視による監視しか行えないのだな」
 今度は首肯した。
「常時何隻程度が、どの場所でどの程度あるのか」
「最近は、東経一四〇度、北緯三十度を中心に12〜20隻程度が常時任務に就いています。漁船改造の特設監視船なので補充が簡単にでき、我々を沈めても無駄です」
 二人の男はスラスラと喋っていく。軍機という言葉を使ったのに、彼ら話していることは敵に教えても良いことなのだろうか。頭の片隅で疑問を感じたが、しばし沈黙した後のルメイの言葉が、翻訳機となり心を閉じていた筈の法子の心を不意打ちとなって貫いた。
「愚かな。生きた爆弾の次は、生きた警報装置というわけか。今のは翻訳するな」
 最後の言葉は遅かった。衝撃が強かった事と作業がルーチン化していた事から、最後の言葉以外の全てが既に伝わっていた。
 それを聞いた日本人は、一瞬顔に朱を刺したが、すぐに前以上にうなだれてしまった。
 法子はルメイに謝罪したが、ルメイは小さく右手を上げただけでそれを受け、何事もなかったかのように尋問を再会する。
 その後もルメイは、口数少なく必要最小限のことを聞いていくだけで、結局30分ほどで尋問は終了した。
 法子達も共に退出を言い渡され、進行方向の関係でしばらくルメイの少し後を歩くことになる。もっとも、法子達にとってルメイといっても偉い将軍という以上の事はサッパリだ。
 ルメイの方も、日本人捕虜の通訳の事など気にもしていない。人種偏見というより、単に些末なことなんだと理解できた。そんな会話が、二人の耳にも入ってきた。
「今日の通訳は使えるな。ステイツから呼んだのか」
「いいえ、日本人捕虜から選抜しました」
「そうか。今後も続けさせろ。いや、機密漏洩の危険は大丈夫か」
「日本人が、ここに来る手段か、逃げ出す手段でも考え出さない限りは問題ないかと」
「侮るな。B29だけで150機以上失った相手だ」
「しかし、今日は同じ150機が出撃可能です」
「当然だ、それだけの準備を整えた。それより、B24の部隊に北緯30度ラインを徹底的に叩かせろ。それと、電波妨害機と気象観測機、F13の追加手配はどうなっている」
「気象観測機とF13は、数が不足しています。特に人材面で補充がしきれていません」
「パールハーバー・イブの襲撃というやつの影響か」
「はい。例の空襲で熟練者の乗った先導機とF13がまとまってやられました。人材の方は育てるより他無く、今だ満足いく人材が充足しておりません」
「だから、侮るなと言った。しかし今日明日がチャンスだと言うのに痛いな」
「海軍がエラク頑張ってくれたおかげで、関東の防空網はガタガタですからなあ」
「そうだ、邪魔者なく無差別爆撃の実験をするチャンスだと言うのにな」
「無差別爆撃……」
 ルメイの言葉に、5メートルほど離れて歩いていた奈央子が、引きつるように同じ言葉をもらしてしまった。法子は慌てて顔面蒼白となった奈央子を庇うように前に立ったが、ルメイと副官が振り向く。ルメイは無表情だあ、もう片方は強く睨みつける。
「営巣入りさせますか」
「無用だ。それに大尉の言った通りなら、情報を知り得たとて無駄なのだろう」
 ルメイの目は、特に何かの感情を示すものは無かった。事実と結果を並べているだけにすぎないという目だ。法子としても、その目を見るまでは無視するつもりだったが、目を見た途端に感情が勝った。正直、優越感に浸るか、蔑むか、さもなくば加虐的な目をされた方が感情的には納得がいっただろう。
「閣下、失礼を承知で質問してよろしいでしょうか」
 薄い板で仕切られた廊下に、法子の凛とした声が大きく響きわたった。そこに、興味なさげに法子に目線を合わせたルメイが淡々と口を開く。
「いいだろう日本人、3分与える」
「今し方、無差別爆撃と仰られたのは事実ですか」
「事実だ」
「では閣下は、捕虜を厚遇される一方で無差別爆撃をなさるのですか、なぜ!」
「捕虜は送還されるまで合衆国の管轄だ。捕虜としての労働に従事させるのは権利だ。それに能力が有れば使う。また、日本列島は敵の領土であり生産拠点だ。攻撃するのに何の不思議がある。全て当然の事だ」
「しかし、無差別爆撃は無辜の市民を!…」
「無辜ではない、敵国の市民だ。そして今時大戦は、殲滅戦争だ。感情の入る余地はない」
「しかし、何故無差別爆撃という非人道な行いができるのですか」
「簡単だ」
「簡単?」
「そうだ、簡単だ。日本がアメリカの敵国だからだ。もし日本が我が国の同盟国であったのなら、私は日本人と肩を並べてナチなりアカなりを叩いていたかも知れない。また合衆国が負けていれば、私がアメリカ本土で防空戦を指揮していたかもしれない。現状は、それだけの違いだ。他に質問は」
「あ、ありません」
 あまりの言葉に法子は完全に飲まれていた。だが、ルメイは話し始めた時そのままだ。
「よろしい、理論が通じる相手で何よりだ。これからも貴様の仕事をしろ、以上だ」
 ルメイは、全てを淡々と言い切ると、法子達の前から立ち去っていった。それはまるで、人殺しも議論も同じ事象と言いたげなほどだった。そして法子は、彼なら眉一つ動かさず、無差別爆撃を行うであろうと確信した。


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