■長編小説「煉獄のサイパン」

●第九章 3

1945年3月9日 17時46分 サイパン島

 17時46分28秒。最初の零式通常弾が炸裂した。
 《大和》及び《榛名》から放たれた合計17発の同砲弾は、約25000メートルを平均時速マッハ2で飛翔すると、地上に接触する0・5秒前にそれぞれの目標上空で炸裂。9発の46センチ砲弾は約1100メートル、14インチ砲弾は約700メートルの危害半径内に灼熱した鋭利な弾片をまき散らした。
 なお、ガダルカナル島砲撃で有名になった三式通常弾、通称三式弾が、今回の主力砲弾として使われなかった理由は意外なものだった。
 三式弾は、従来型対空射撃よりも効率的な対空射撃を行うために開発され対空用砲弾の一つだった。
 砲弾内部にはマグネシウムなどをベースにして、可燃性のゴムが入った焼夷弾子と非焼夷弾子が詰まっており、一種のクラスター爆弾となっている。
 このため三式焼霰弾と呼ばれる事もある。
 同砲弾は発射後、零式通常弾と同じ零式時限信管により、敵航空機編隊の前面で弾子が放出される。焼夷弾子は三〇〇〇度で約5秒間燃焼し、敵航空機を炎上させる狙いがあった。そして弾子放出の0・5秒後に残った弾殻も炸裂し、破片効果を発揮するよう調整されていた。
 こうして書くと一見非常に高い効果が見込めるように思われるし、日本海軍も燃焼による高い破壊効果を期待していた。
 だが欠点も多かった。その一つが砲弾が爆発地点から円錐状に広がるため、高い照準難易度を要求した事だ。また、球状の危害半径を持つ零式通常弾に対して、円錐状では効果が低い事が多く、致命的に近い欠点が危害半径が零式通常弾よりはるかに小さい事だった。
 その一方で燃焼する弾片が高い効果を及ぼすとされているが、零式通常弾の炸裂による弾片そのものは、三式通常弾の弾子よりも小さかったが、鋭利で、かつより高速で飛散するので、概ね威力が大きい上、炸裂時に高熱になっているため着火性能でも同等だった。
 実際、何度か実戦で使用した日本海軍も、レイテ沖海戦では零式通常弾を輸送船攻撃に使うことにしており、この時《大和》《榛名》の弾薬庫を占める砲弾の多くも、レイテ同様零式通常弾のままだった。というより、レイテで使い損ねたものが腹の中に多く残っていた。
 しかも今回の《大和》《榛名》は、定数以上の砲弾を腹に抱えていた。それぞれ通常一門あたり100発の砲弾を120発ずつ搭載し、その6割が零式通常弾で占められていた。
 対艦攻撃用の九一式徹甲弾も依然として多数搭載されているが、今回に限り滑走路や弾薬庫、トーチカなど硬度目標を破壊するために持ってきたに等しい。
 本作戦における第一遊撃部隊は、最初から飛行場を破壊する事以外全く考えていないと結論しても良いだろう。
 この点からも、同作戦が発作的に起きたものではなく、周到に計画されたものである事が伺える。逆を言えば、沖縄侵攻のためアメリカ軍は侵攻部隊に戦闘部隊を集中させすぎていたのだ。
 そして3月9日の夕刻、零式通常弾17発が、サイパン、テニアン島上空で炸裂した。
 標的とされたのは、既に100発以上の砲弾を受けて大きく破壊された、サイパン島のイセリー、コプラー両飛行場。こちらには《大和》の砲弾が集中した。一方、自然の地形をねじ曲げて重滑走路1本が完成したばかりのテニアン島の北飛行場には、《榛名》の少し小振りな砲弾が8発襲来し、混乱が広がりつつあるテニアン飛行場に惨劇を振りまいた。
 この時、二隻の日本戦艦とサイパン島南西のアギンガン岬との距離は約20キロメートル。飛行場まで25キロ。アギンガン岬からは、既に目視で《大和》の姿を捉えており、繋がっている限りの有線電話で各所に報告を送り続けていた。発砲。また発砲。友軍駆逐艦撃沈、と。
 しかし、この時サイパン島、テニアン島は混乱のまっただ中だった。
 敵の兆候を掴んで動き出したのが1時間以上前とは言え、日本艦隊の突然の艦砲射撃開始から僅か16分。
 突如砲撃されるまで、サイパン、テニアンの各飛行場では総数約290機ものB29が、燃料と焼夷弾を満載して今まさに飛び立とうとしていたのだ。
 おかげで出鼻を完全に挫かれた形の米軍は、立ち直る暇が全く与えられなかった。しかも西方沖合に偵察に出した艦艇や航空機が、連絡を絶つか目視で撃破されているのが確認されるという有様だった。
 しかも、滑走路の重要部を破壊した最初の徹甲弾による攻撃に続いた、距離三万メートルからの二度目の砲撃は滑走路脇の施設破壊が行われた。
 結果、一部が各滑走路脇のエプロンに及び、連続発進のため行儀良く並んでいたB29を次々に誘爆させていった。それぞれのB29は、約6トンの焼夷弾と8000ガロン(約3万リットル)の高オクタンガソリンをまき散らし、また自らを火葬するために引火していった。
 しかもタチが悪いのが、爆弾槽に満載されていたM69集束焼夷弾だった。詰め込まれたジェル状の油脂燃料は、一度引火すると手が付けられず、しかも様々なものに付着して燃え上がり、これが爆発の衝撃でまき散らされたガソリンの導火線となっていった。
 正確な資料はないが、この時点で米軍は約半数の約150機のB29を全損で損失し、残りの半数も無事な機体は五割を切っていたと見られる。人員の損害も甚大で、直撃で破壊された機体は当然として、火災に巻き込まれたクルーの過半も既に焼死していた。あまりの燃焼に、焼死以前に酸欠で死亡した者も多いと考えられている。数にして、クルーだけで1000名以上。整備兵や飛行場要員など基地全体の兵員で見ると2000名に達していたと見られる。わずか十数分の出来事としては未曾有の惨事であり、しかも被害は幾何級数的な拡大を続けていた。人の逃げ足よりも、火の手の方が早いのだ。
 そしてクライマックスの到来を告げるべく、日本戦艦2隻による間断ない艦砲射撃が始まった。
 それまで距離3万5000、3万メートルで行われた砲撃は、距離による不正確さと効果を確認するため5斉射ずつ、合計10斉射でしかない。具体的な数は46センチ砲弾90発、14インチ砲弾40発だ。
 投射された砲弾も射程距離の長い徹甲弾で、点の破壊に長けた威力でしかない。だが巨大砲弾特有の運動エネルギーと炸裂時の破片だけで、大量発進間際の基地は死に体寸前に追い込まれていた。
 爆風と直接的な破壊で、有線電話の幾つかは既に寸断しており、原因不明の電波障害で無線、レーダーが使用不可能なのが混乱に拍車をかけていた。
 もちろん、米軍も手をこまねいていたわけではない。
 爆撃部隊の司令官ルメイは、開始当初可能な限りの指示を下しており、それが被害を抑えているのは確かだった。また、個々の兵士でも献身的な活躍を示す者は一人や二人ではなく、小さな悲劇をいくつも回避してもいる。
 だが、日本海軍によりもたらされた破壊は、もはや神や悪魔の所行であり、人一人の活躍で回避できるものではなかった。
 それをサイパン島、テニアン島の全米軍将兵に教えたのが、零式通常弾による砲撃開始だ。
 もっとも、第一遊撃部隊司令部が立てた作戦計画は、いたってシンプルだ。
 サイパン島西南西海上、旧アスリート飛行場からの距離3万5000メートルで砲撃を開始。
 水平線の影からの砲撃で、敵に対する完全な奇襲効果を実現し、滑走路を短時間で使用不可能にすると共に初期の混乱を呼び込む。
 次いで距離3万メートルで、正確に重要施設を砲撃。敵の指揮系統を破壊する。
 そして距離2万5000メートルからは、零式通常弾を中心にした砲撃を行い、基地施設及び機体の全てを破壊する。尚この際の砲撃は、ガダルカナル島砲撃を参考とする。
 つまり、砲撃区画は碁盤の目状に区切られ、一定間隔に砲弾を送り込む形になる。
 サイパン島の砲撃区画は、第一目標が二つの飛行場を中心にした長辺6キロ、短辺2キロの区画。これを1区画500メートルで区切り、中心部の区割りから順に各1回の斉射を送り込む。つまり《大和》が砲撃した場合、48斉射、432発の砲弾が送り込まれる事になる。
 一方のテニアン島北部に対する砲撃は、《榛名》が担当する。完成して間のない二本の滑走路を構えた北飛行場を中心に3・2キロ四方1区画400メートルで区切り、これを64斉射、《大和》より早いペースで砲弾を送り込む事になっている。
 その後、破壊から漏れた滑走路などの硬度目標、地下深くに設置された弾薬庫、島の飛行場以外の重要施設を適時砲撃。事後、サイパン水道を通過してより左舷回頭しつつ島を大きく迂回。一路日本本土を目指すというものだ。
 その間妨害に出てくると予測される敵戦力に対しては、敵艦隊が巡洋艦以下なら第二水雷戦隊で対処。敵航空機は、《信濃》航空隊で対処。戦艦はあくまでサイパン、テニアン島飛行場破壊に全力を尽くすとされている。
 そしてメインイベントへと移行しつつあるその時、事態は日本側優位に進んでいる。
 米軍は日本側から見た場合、余程大規模な攻撃隊の発進直前で、面白いように破壊されていたからだ。
 おかげで、初期の砲撃の間に当初予測の半分以上の効果を挙げ、既にガソリンとナパーム弾により巨大な火焔を形成しつつある各飛行場に零式通常弾の炸裂が色を添える。
 零式通常弾による最初の砲撃は、各飛行場滑走路上空で行われた。《大和》の第一、第二砲塔がイセリー飛行場を狙い、第三砲塔の砲弾がコプラー飛行場上空で炸裂した。
 単純な危害半径は、散布を広げて行われた砲撃により飛行場のほとんどを覆い尽くしており、文字通り鋼鉄の雨がメイドインUSAの機体と施設、そして人間の頭上に降り注いだ。
 1分後に次の砲弾が送り込まれるまでに、灼熱化した鋭利な刃物となった断片は頑丈なB29の機体を切り裂き、時には体内深く傷つけた。
 そして体内深くに入り込んだ砲弾の破片は、自らの高温により容易にM69集束焼夷弾内のナパームを引火させた。約6トンの焼夷弾全てが爆発する様は、さながら地上の太陽のごとくだった。もしくは、炎の悪魔が地獄から召還されたかのようでもあった。
 そして初期の徹甲弾による被害の時同様に、B29による二次爆発は周囲の被害を拡大させ、逃げまどう米軍将兵と次々に炎の腕に抱きかかえていった。
 また、運悪くB29に突入できなかった多くの破片は、基地のそこかしこに降り注ぎ、B29よりはるかに柔らかい人間へも突進して切り裂き魔と化すものもあった。
 他にも周辺施設に降り注ぎ、テントなど可燃性の高いものへと炎の接吻に成功するものもあり、被害の規模と範囲は初期の砲撃の比ではなかった。
 しかもこれより以後50分間は、1分間隔で同様の破壊が各飛行場を襲う事が日本側の予定表では確定しており、砲撃と殺戮、破壊を止められるか否かは、迎撃に出撃した各米軍部隊に委ねられることになった。
 そして彼らが日本戦艦の砲撃を止められない限り、B29のクルー約3000名と、飛行場要員約2万人は、刻一刻とその数を減らしていった。
 その攻撃は、砲撃を続ける日本艦隊からすれば、乾坤一擲、起死回生の一打。戦争中盤以後、米軍の物量戦の前に倒れていった友軍将兵への鎮魂歌だったが、破壊の激しさと規模は戦争という名の悪魔の所行に他ならなかった。
 そして、その悪魔の所行を止めるべく、米軍最後の守護天使達の迎撃が、サイパン島西南西海上約15キロの海域で本格化している筈だった。

「敵1番艦、行動停止を確認」
「敵2番艦、沈みます」
「敵3番艦、既に姿が見えません」
「ヨーソロー。次のお客さんが迫っている。陣形の再編と魚雷装填を急げ」
「ヨーソロー」
 午後5時50分頃、第2水雷戦隊旗艦《矢矧》は、久しぶりの勝利に酔うと共に次なる獲物を求め、また《大和》《榛名》を何としても護るべく奮闘を続けていた。
 《大和》砲撃開始から約5分後、最初に目視発見した敵艦隊は既に断末魔にあり、今また様々な方角から数隻の駆逐艦が接近中なのが判明していた。
 このため司令官の古村啓蔵少将は、麾下の部隊を分割していた。
 すでに、第41駆逐隊の《冬月》《涼月》を《信濃》の護衛に割いていたので、残りの駆逐艦は7隻。これを、軽巡洋艦《矢矧》が直率する第17駆逐隊《磯風》《浜風》《雪風》と、第7駆逐隊《響》《霞》、第21駆逐隊《朝霜》《初霜》の2つのグループに分割。それぞれ、戦艦隊列の南北前方に展開する形で、接近中の米駆逐艦を迎撃しようとしていた。
 なお、最初に接敵してきたカント級護衛駆逐艦3隻は、「にすいせん」の総掛かりでなぶり殺しに近い形で葬られていた。
 もともと基地警備を担当する二線級部隊であり、しかも僅かな魚雷と貧弱な火砲しか持たない護衛駆逐艦と、度々の戦闘をこなしている「にすいせん」では役者が違いすぎた。潜水艦相手ならともかく、水上戦闘では格が違いすぎた。
 この時「にすいせん」は、戦艦部隊の前方5000メートルを進んでおり、《大和》の砲撃開始と距離2万5000での敵艦隊視認はほぼ同時だった。
 しかも日本側は奇襲攻撃という形で戦闘に望んでおり、目視がほぼ同時でも態勢も心理状態も違いは歴然だった。
 そして相対速度が時速80キロ近いながら、20ノットほどでノロノロと接近してくる米駆逐艦3隻に対して、発見から約9分後に距離一万で理想的なT字を描いて先頭艦を激しく砲撃。これを開始数分で火災に追い込む。そして敵が堪らず転進したところに、各艦1基4発の発射管から統制雷撃戦を実施。雷速48ノットに設定された32発の酸素魚雷は、砲撃で射すくめられた敵駆逐艦3隻と6分40秒後に到達。
 2番艦に1発、3番艦に2発が命中して役目を果たした。そして先頭艦には当初から砲撃が集中しており、戦闘開始から僅か10分、《大和》からわずか19分で勝負を決めていた。
 敵艦載砲および魚雷の射程が短く、ほとんど一方的な戦闘だった。
 そして今、古村たち「にすいせん」の眼前には、南北双方の東方海域から、こちらに1隻、あちらに1隻、遠くに1隻という分散した形で、先ほどと似たような形のやたらと角張った小柄の駆逐艦が近づいてくる。辛うじて隊列を組んでいるのは、一番奥にいる2隻の隊列だけだ。
 双眼鏡で様子を観察した古村少将は、それぞれ各個撃破する事に決めていた。
「迎撃に出て来るのは、低速の小型駆逐艦ばかり。まるで狐か狸にバカされているみたいですね」
「誰も騙していないだろう。島は、我々全てを飛び越えていく砲弾であの惨状だ。これが今出せる米軍の全てと考えるべきだ」
 内心の不安を幕僚の一人が口にし、参謀長がそれをたしなめる。古村は、大柄な体格を微動だにする事なく前方を見つめ続ける。
(本当に、これが米軍の全力だろうか。飛行機も、上空を五月蠅く飛ぶ飛行艇がいるだけ。ここ一年の戦闘を思えば確かにバカされたように思うのは当然だな)
 そこまで思ったところで、砲術参謀が伝える。
「距離一五〇(1万5000メートル)です。本艦だけでも砲撃しますか」
 彼の声は、格下以下の相手など《矢矧》1隻で十分と言いたげだ。その声でピンときた古村は、一計を案じる。
「それなんだが、距離距離1万で砲撃開始だ。ただし、第17駆逐隊が南西の「い」へ、《矢矧》はその斜め後ろの「は」へ一斉に砲撃をかける。これで後ろの相手には奇襲できるんじゃないか」
 なるほど。膝を打ちそうなほどの勢いで頷いた砲術参謀は、古村の声を即座に作戦へと組み上げていく。
 今のところ、古村にとっての戦闘も順調そのものだった。第一遊撃部隊は、望外の幸運と人間の努力によりサイパン島へたどり着く事が出来た。《大和》は砲撃を開始して、今やサイパン島南部とテニアン島北部は閻魔様や羅刹ですら逃げ出すほどの灼熱地獄だ。
 自らの指揮する第二水雷戦隊も敵駆逐艦隊という敵手とまみえ、鎧袖一触で勝利する事ができた。
 今接近しつつある新たな敵も、必死の雰囲気こそ伝わるが統制はなく、日本最後の戦力を集めた「にすいせん」にとっては獲物と狩人の関係でしかない。
 そして、《大和》が零式通常弾を10斉射までした時点で、次の布石が打たれる事になり、すでに半分の斉射を終えている。
 その布石が効果を発揮する頃には、自分たちも次の獲物に食らいついている頃だ。
(うむ、今のところ順調だ)
 そう結論した古村は、力強く周囲に号令を発した。
「全艦隊、最大戦速。敵駆逐艦を撃滅せよ」

 眼前で友軍水雷戦隊が、調整のとれない攻撃を行う敵駆逐艦への攻撃を再開していた。
 彼の乗艦も順調なペースで任務をこなしており、目標となっている地域は今や阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
 時刻は既に6時を周り、南洋とは言え三月初旬の太陽は水平線へと没しつつある。
(逢魔の時、気を付けないとな)
 戦艦《榛名》吉村真武大佐は、夕闇と自らの炎で燃え盛る二つの島を見つつ、自らもその破壊の魅力に飲まれないように自戒の念を新たにした。
 その瞬間、自らの乗艦が十数回目の斉射を繰り出す。
 《金剛級》巡洋戦艦の主砲は、基本となった英国製という事もあり、発射速度は《大和》の46センチ砲より早い。その気になれば30秒に1回の間隔で射撃を続けることができるが、今は45秒に一回の斉射をテニアン島北部に繰り出している。
 零式通常弾は、基地の真上で炸裂するたびに、花火の三勺玉ほどの球形を形作る。ただし、その爆発半径内と爆発の真下のエリアは、遠慮解釈ない破壊で花火のように眺めているわけにはいかない。
 遠望できるテニアン北部には、2本の巨大な重滑走路と60基もの巨大な援退壕を備える軍用飛行場があるが、すでに自ら吹き上げる炎で巨大な松明。
 その中へと14インチサイズの零式通常弾が、遠目には地味な花火のような彩りを添える。
 事前の情報では、敵の1個爆撃群60機のB29が駐留しているが、どうやら出撃間際だったらしく、一度だけだが白銀色の十字架が空高く放り上げられる様が双眼鏡で確認できた。今も、砲撃の有無に関わらず誘爆が続いている。
「?」
 吉村は小さな違和感があった。時間をずらしつつ砲撃していたが、《大和》の砲撃が少し止んだからだ。
「《大和》による、サイパン島の北と東飛行場に対する攻撃です。敵攻撃機を警戒した予防攻撃です」
 通信長が察して言葉を挟む。
「将棋や囲碁と一緒だな。常に先手、先手だ」
「はい、今回ほどこちらの打つ手が決まる戦は、開戦時以来です」
「うん。敵がそれだけ油断していた証拠だ。こちらも足を掬われないようにしないとな」
 大きく通信長が頷くが、今のところ問題はないという顔をしている。続いた言葉も、「それにこの《榛名》は、ガ島で艦砲射撃は経験済みですからね」だ。作戦があまりにもうまく行きすぎているので、今までの苦戦の反動から少しばかり慢心が広がっているという感覚が吉村の心の一部を支配していた。
 しかし、彼の内心を無視するかのように、《榛名》はさらなる斉射弾をテニアン島に向けてたたき込んだ。距離はイセリー飛行場まであと1万8000メートル。基点の一つとなるアギンガン岬までだと、15キロほどだ。
 そしてさらに内心の不安を吹き消すように、《大和》が強装薬で斉射弾を送り出す。主砲の仰角が大きく、遠距離への砲撃であることが伺える。
 その様は、激しく炎上するイセリー、コプラー飛行場の破壊はもう不要と言いたげなほど自信に満ちているように思える。
 しかし、吉村の危惧は的中した。
「敵魚雷艇急速接近! 方位左三〇、距離一六〇」
 突然の叫びが、燃え盛る米軍基地に浮かれていた全将兵を現実に戻した。
 吉村は矢継ぎ早に指示を飛ばす。
 同時に方角に双眼鏡ごと向くと、夕闇迫る海面を白く引き裂きながら、7隻の魚雷艇が急接近してくるのが視界に入った。
 速度は40ノットほど出ているらしく、相対速度を考えると1分で1500メートルほど距離が詰まる。交差するまで10分強、魚雷艇の必中距離を考えると7分ほどで射程圏内だ。
 それに対してこちらが使える火砲は、《大和》の15・5センチ砲6門、《榛名》の15センチ砲4門、距離が縮まれば高角砲が合計18門加わる。
 本来なら前衛の「にすいせん」が迎撃する筈だったが、彼らは駆逐艦の迎撃にはまり込んでおり、そのスキを突かれた格好だ。
 駆逐艦の接近は完全に阻止しているが、簡単に喜べる事態ではない。
 しかも各戦艦の副砲が射撃を開始するが、距離と速度もあって虚しく水柱を吹き上げる状態が長らくつづく。両艦の主砲だけが、依然として順調に島の破壊を続けている。日米の攻防が逆転しているのも奇妙な現象だが、これもまた奇妙な現象だった。
 距離1万を切ろうという頃、ようやく1隻が吹き飛ぶ。まるで虫にパチンコを当てたかのように砕け散る様が、双眼鏡に飛び込んでくる。
(あと6隻)
 そう呟くが、数はいっこうに減らない。
 変化が訪れたのは、距離9000メートルで高角砲が派手な弾幕を張り巡らせ始めてからだ。
 急接近する魚雷艇の周囲に吹き上がる小さな水柱の数は一気に3倍、頻度は5倍以上になった。
 見る間に2隻が被弾、脱落する。
(あと4隻)
 吉村が祈るように双眼鏡を見続けていると、さらに1隻が砕け散る。しかしそこまでが限界だった。
 魚雷艇の周囲で砲弾とは違う水しぶきがあがり、魚雷艇自身は急速転舵した。距離は8000メートル。ややへっぴり腰の雷撃だが、3隻から投射された12本の魚雷は十分脅威だ。その報いを受けるようにさらに撃破されるが、吉村にとってもう関心事ではない。
 吉村は、先を走る《大和》の転舵命令を待つ。
 すると即座に、左15度に進路変更。5分後に現進路に復帰すべく右15度に変更すると伝えていた。
 電文は素っ気ないものだが、魚雷への暴露面積を減らす進路に交差直前だけ向けて、砲撃は可能な限り計画通り続行するという気概が伝わってくる。
 吉村も、信号を伝えられると決意を改め、まずは魚雷を回避すべく指示を下す。
 そして十分に進路を変えた6分後、交差時間がやってくる。目を凝らしてみれば、通常魚雷特有の白い気泡が筋となっているのが何本も見える。
 見張りは吉村以上に見えているので、矢継ぎ早に報告を送る。
「敵魚雷群、《大和》を通過」
「本艦まであと15秒」
「魚雷1本が進路変更。本艦との直撃コース」
「左舷急速回頭!」
「間に合いません!」
「っ!」
 《大和》通過直後に、大和の作り出す航跡に飲まれた魚雷のうち1本が突如進路を変更し、《榛名》の艦首左側で激突。大きな水柱を吹き上げた。
 咄嗟に付近のものに捕まった吉村は倒れることは避けたが、艦内で最も揺れる第一艦橋は一瞬大混乱になった。他の部署からも、何事かと問いかける声が殺到し、《榛名》全体が一瞬パニック状態となった。
 吉村はすぐさま立ち直ると、全艦放送で被雷した事を告げる。応急処置はすでに副長が命令を下しているので艦長がこれ以上言うべき事はない。
 問いただしたのは一つだ。
「砲撃は可能か」
 砲術長は深く頷き「速度が維持されるなら、艦砲射撃には問題ありません」と結ぶ。
 吉村はそれに頷き、続行を命じる。だが、副長から艦内電話で伝わってきた重大な損害報告を前にして、次なる決断をすぐさま迫られる事になる。
「速力18ノットに低下。応急完了まで12ノットを希望。応急完了には10分を要す、か。通信長、事態をありのまま司令部に伝達。指示を仰ぐ。それと、艦砲射撃が一時的に不可能になった事は十分にお伝えしろ。だが、砲撃可能の件は念を押せ。いいな」
 先ほどまで雑談していた通信長がしゃちほこばった敬礼と共に動き、《大和》からは報告を待っていたとばかりにすぐさま返答があった。
「貴艦ハ任務達成ヨリ艦ノ保全及ビ無事ノ帰投ニ全力ヲ尽セ。無理ハスルナ。以上です」
 当の《大和》は、返事は不要とばかりに斉射弾を間断なく送り続けている。それに対して《榛名》も、テニアン島に対する砲撃を再開する。吉村の命令により、今度は急斉射、30秒に1回のハイペースで矢継ぎ早に14インチ砲弾が繰り出される。
 しかし応急からは、応急作業完了後も16ノット以上出すことは自殺行為だという連絡を寄越してきた。しかも、できれば激しい砲撃も控えて欲しいと。高速発揮時の水圧で隔壁が破れるというのだ。
 その報告を聞きながら、吉村は腹を括るべきだと決意を固めた。
 その瞳と決意に満ちた吉村自身を見た艦橋のスタッフも、自然自らの行くべき道を悟った表情と態度へと変化する。全てを察した通信長が、全艦放送の準備をすぐさま整えマイクを吉村に渡す。
 それを受けた吉村も静かにうなづき返し、マイクを受け取った。
「達する、こちら艦長。本艦は敵魚雷の被雷により、現在出しうる速力は12ノット。艦隊追従が不可能となった。加えて修理後も出しうる速力は16ノット。誠に残念だが、敵の本格的反撃が始まれば、本艦の内地帰投の可能性も極めて小さいものとなる。そこで本艦は、沈没だけは避けるべく、これよりサイパン島環礁に突入。爾後環礁内にて座礁。そして弾が尽きるまでサイパン島の米軍攻撃を行い友軍を援護。全主砲、副砲弾の射耗をもって任務完了としたい。以上だ」
 放送終了の瞬間艦全体が震えるような錯覚を覚えたが、実際怒声とも歓声とも言えない雄叫びが上がるのが、耳の鼓膜を刺激した。
 もともとが決死の作戦であっただけに、誰もが万が一の時を覚悟していた何よりの証だった。



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