■長編小説「煉獄のサイパン」

●第九章 4

1945年3月9日18時 サイパン島

「《榛名》速力低下。現在15ノット。さらに低下中。なれど、砲撃は依然続行。テニアン北部の被害拡大中」
「サイパン島、北部および東部に新たな噴煙。各飛行場の誘爆の公算大」
「誘爆は、揮発油貯蔵施設の公算大。誘爆及び火災が急速に拡大中。山の向こうなのに凄い勢いだっ!」
「第二水雷戦隊、敵駆逐艦1隻撃破」
「敵魚雷艇全滅。後続部隊の兆候なし」
「進路上に、戦闘可能な敵影なし」
 よし、進路が完全に開けた。
「サイパン島アギンガン岬までの距離、一〇〇(1万メートル)」
「サイパン島沿岸部より噴煙を確認。沿岸砲による砲撃の公算大。規模は大隊程度。口径は十五サンチ砲と思われる」
 次から次へと……。
 《大和》艦長の有賀は、呆れつつも状況に対応。しかし意外に暇な時間が多く、内心色々な思いが泡のように浮かんでは消えていた。
 大丈夫だ、連中はロクな沿岸砲を配備していないのは、彩子さんの話しから確認済み。あの島にあるのはほとんど高射砲だし、撃ってきているのもせいぜい陸軍の野砲だ。
「敵沿岸砲着弾」
 下手くそめ。要塞が聞いて呆れるぜ。
 他の者たちも、必要ない言葉を口にする。
 何、こっちは夕日を背に迫っているんだ。当然だ。
「第一副砲、敵沿岸砲に向けて第一射」
「第二水雷戦隊、砲撃開始。目標は敵沿岸砲」
「サイパン島沿岸部に、着弾」
 戦果確認急げ。
「副砲射撃式所より報告。効果大と認む」
「主砲射撃指揮所より第一艦橋へ。絨毯砲撃は十五射目着弾。なれど破壊効果が大きすぎ、今以上の飛行場中心部に対する砲撃の要無しと認む」
 砲術長は飛行場に飽き、アギンガン岬とオプジャン岬の間の敵弾薬庫を叩きたいらしいぞ。
 だが、いい頃合いだ。見ろ、あの炎の嵐の中じゃ、もう誰も生きていないだろう。損害を拡大させるためにも、今一度硬目標を攻撃すべきだ。
「なら、防空壕に弾薬庫か。伊藤長官」
 参謀長の言葉に、司令長官の伊藤が双眼鏡を構えたまま静かに頷く。有賀も、再び意識を任務に集中する。
「カチからホチへ。何射後に91式の射撃ができる」
「3斉射分は、既に零式が乗っています。その後なら」
「了解。では、このまま零式で3斉射。規定を無視し、炎の少ない所に叩き込め。委細は任せる。その後91式に換装。目標は、南西部弾薬庫だ」
 伊藤の頷きに有賀艦長が応え、《大和》を新たな獲物へと駆り立てる。
 第一艦橋全体にも、《大和》から発散される凶暴さが伝搬し、司令部全員に一種の高揚感をもたらしつつあった。
 しかし、変化は彼らの後ろからやってくる。
「《榛名》より信号旗。不関旗です。進路も大きく左に逸れます」
 地上から約40メートルの高みでは、様々な言葉が矢継ぎ早に飛び交う。大半が日本の優位を伝えるものだ。だが、18時9分に届いた報告が《大和》の第一艦橋を震撼させた。
「馬鹿な、魚雷1発だぞ」
 参謀の誰かが、信じられないという風に呟いた。
「しかし艦首に直撃だ。おかげで艦首が大きくねじ曲がっている。やむを得まい」
「しかし、こっちは金剛級、戦艦だぞ」
「そうだ砲撃を続けていると言うことは、不関旗を掲げる程ではないという何よりの証拠だ。現に進路を逸れたと言うが、北に向けて真っ直ぐ走っているぞ」
「見たまえ、港に突っ込む積もりだ。帰還できないのを悟っての行動だろう」
 双眼鏡を降ろした伊藤長官の言葉と、右手の人差し指が指さした先にその場の全員が注目する。
 確かに《榛名》の目指す先には、夕闇迫る中煌々と明かりの灯るタナパグの環礁地帯が見える。複数の探照灯の中には数十隻の輸送船が停泊しており、懸命にボイラーに火を入れ機関の始動を行おうとしている。中には、ディーゼル機関を搭載した輸送船がいるらしく、いち早く出港しつつある船もある。
 そして、環礁の外に出ようとした輸送船めがけて、《榛名》の主砲弾が突き刺さる。
 環礁出口までの距離は1万3000メートルほど。外す距離ではなく、着発信管だったらしい零式通常弾は、船を中心に地味な大輪の華を咲かせる。
 そして、飛行場とは全く異なる場所で、新たな誘爆が起こった。砲撃した輸送船は揮発油(ガソリン)を積載したタンカーだったのだ。
 見る間に漏れだした揮発油が周囲の海面に広がり、二次被害を拡大していく。
 その様子を見ていると、今の《榛名》の足では30分かかる道のりだが、環礁にたどり着くまでに全ての船を沈められそうな気配が濃厚に伝わってくる。
 火力の差から《大和》が果たしている役割の方がずっと大きいのだが、今まで《榛名》が砲撃していたテニアン島の破壊を合わせると、まさに獅子奮迅という言葉が《榛名》に似つかわしかった。
 《榛名》は開戦からこれまでも、真珠湾攻撃、ガ島砲撃などほとんどの大規模な戦いで様々な活躍を繰り広げてきた。そして帝国海軍、聯合艦隊が終焉を迎えようとしている今この時に、最後の花道を飾ろうとしている。《大和》に詰める人々から見ると、そのように見えてならなかった。
 そして今、自らが作り出した紅蓮の炎めがけ、最後の進路を進みつつある。
 しかも不関旗を掲げている以上、第一遊撃部隊の司令部が命令によって止める手だてはない。
 自然、司令長官の伊藤が静かな敬礼を送り、他も習った。中には、主席参謀の山本大佐のように死に場所を得た友軍を羨むような視線を送る者もいる。
 その間も、《大和》はサイパン島北部に砲撃を送り込み続け、破壊を広げていた。

 ターポッチョ山麓西側では、《榛名》がサイパン島最大の環礁地帯目指して進んでくる様が、まさに大パノラマとなって見下ろせた。
 イセリー、コプラー両飛行場の破壊は、すでに細かな監視ができる状態ではな。そちらには監視と記録に一人ずつ付けると、残りの者は今から始まる《榛名》の討ち入りの観測に入ることになった。
(まさに殴り込み。でなきゃ、討ち入りだな)
 犬神広志中尉は、最上級者として責務を果たしつつ、どこか醒めた目で周囲の状況に内心感想を付けた。
 眼下では、《榛名》が時速30キロ程度の速度で進路を南南西に向けて進み、おおよそ30秒の間隔で主砲を放ち続けている。よく見れば、艦の舷側に4門ずつ並んだ副砲の一部も砲撃を始めており、環礁内の艦船に混乱と破壊、そして殺戮を振りまいていた。
 しかも環礁内は、事故防止のためか探照灯で明々と照らし出されており、既に燃え上がったタンカーや輸送船の明かりも重なって、夕方から夜へと移り変わりつつある闇が作り出そうとしている濃紺のカーテンを台無しにしていた。
 しかし米軍も全てに甘んじていたわけではない。
 炎と煙の中から、1隻また1隻と小さく細長い船が飛び出していく。
 速度は《榛名》と似たり寄ったりだが、反撃に飢えていた米軍将兵の歓声が聞こえてきそうだ。
「騎兵隊の登場ってわけか」
「大丈夫でしょうか、あの金剛級戦艦は」
「ありゃあ、《榛名》だ。もう海軍に、金剛級戦艦は《榛名》1隻しか残っちゃいねえよ」
 はい、申し訳ありません。
「何、誤る事じゃない。それと、相手は駆逐艦にしては足が遅い。恐らく護衛専門のやつだ。こいつは魚雷をあんまり積んでないらしいから、よほどの数に囲まれない限り《榛名》の勝算は高いだろう」
 おおっ。気を取り直した将兵達の声を聞きながら、犬神は冷静な視線を注ぎ続ける。
 男の最後の花道。誰かが見届けてやらねばいけない。そんな気分だった。
(まあ、どうせ見るしかできないんだ。しっかり見届けてやらないとな)
 再び内心で嘯いた犬神は、静かな眼差しのままの視線を《榛名》に注ぎ続けた。
 彼らの眼下では、仰角を低くした《榛名》が前4門の主砲を斉射するのが見えた。目標は、環礁の外に飛び出してきた米駆逐艦だ。
 既に20ノット近い速度が出ているが、それ以上にはならない。よく見れば角張った印象が強く、備えられた備砲には防楯はなく小ぶりだ。
 先ほど「にすいせん」の格好の餌食となった、3インチ砲しか備えていない護衛駆逐艦だった。
 まだ距離が1万メートル近くあるため、米軍の側は砲撃すらできない。すると別の一隻が、前の一隻より少しだけ早い速度で追い越しつつ、砲撃を開始する。目を凝らせば、こちらは防楯付きの箱形の砲塔を前後に1つずつ載せている。12・7センチ砲を搭載したタイプだ。
 これに対して《榛名》は、指向できる3門の15センチ砲で応戦する。しかし敵はその2隻だけではなく、さらに3隻の小柄な駆逐艦が煙と炎の中から出現し、都合5隻となった。
 《榛名》さえ突進して来なければ、側面から《大和》を強襲するか、第一遊撃部隊の帰り際に島を逆方向に迂回して奇襲する事も出来ただろう。だが、今は友軍輸送船団と港を救うため、目の前の強敵に突撃しなければならなかった。
 誰にとっても予想外の戦闘であり、それ故徐々に混戦の度合いを深めていく。
 互いの距離が詰まると、次に《榛名》の89式12・七センチ砲が火を噴く。火線の数が一気に倍増し、米駆逐艦が怯むような仕草を見せるのが目に入る。
 しかも《榛名》の主砲、45口径14インチ砲が、ついに最初の駆逐艦を完全に捉えた。
 満載排水量ですら1500トンに達しない小柄船体のすぐ側で炸裂した零式通常弾は、幾何学的シルエットを一瞬にして海上の前衛芸術へと作り替える。そして次の瞬間、艦の中央部やや後ろよりで大きな爆発。搭載していた魚雷が誘爆したらしく、そこで船体は二つに折れ曲がり見る間に水深の深いサイパンの海へと飲み込まれていく。
 あと4隻。誰かの呟きに応えるように、《榛名》の副砲と高角砲の連携プレーが5インチ砲を搭載した敵を完全に捉える。
 その敵との距離は、既に6000メートル近くに縮まっていたのだが、魚雷を発射する素振りすら見せない所を見ると、対空戦闘に特化した護衛用駆逐艦という事が分かった。
 そしてその駆逐艦からは、5インチ砲以外にもヴォフォースの40ミリ砲すら射撃が始まっているが、鋼の甲冑を着込んだ《榛名》は全てを無視して、敵に数倍する砲弾を浴びせかける。
 その間にも《榛名》の主砲はうごめき、今度は艦首向きだけでなく艦尾に向いている4門の主砲もめい一杯砲塔を旋回させて砲撃を開始する。異なる場所の二つの敵を同時に屠ろうというのだ。
 そして最初の犠牲者を見ても分かるとおり、《榛名》の主砲が発射している零式通常弾は文字通りの散弾。危害半径の半分の範囲内に装甲のない駆逐艦を捉えれば、即座に瀕死の重傷に追い込むことができる。
 そして予想通りと言うべきか、主砲に狙われた2隻の駆逐艦は、2斉射、一分ほどで激しく炎上するだけとなった。船自体はどちらも浮いていたが、乗員にも多大な損害が出ていることは小さく吹き上がる煙と、ボロボロになった船体からも明らかだ。片方など艦橋部分が大きく破壊され、行き足も止まっている。
 だが、全てが無駄だったわけではない。後部主砲に狙われるほど側面に回り込んでいた1隻が、魚雷発射に成功していたからだ。
 犬神達からは流石に目視できなかったが、《榛名》の見張り員には白い航跡が3本40ノット近い速度で突進してくる様子が見えていた。
 ここで《榛名》は、転舵するか増速もしくは減速するかの選択肢を迫られる。そして《榛名》は増速を選択。損傷した1915年生まれの老齢の船に全てを託した。
 緊張した数分間が、ジリジリと過ぎ去る。
 が、《榛名》の賭は成功し、速力を一時的に16ノットから24ノットに増速して魚雷をからくも回避し、突進に弾みをつけた。
 乗員が懸命に隔壁を押さえ付けた効果か、隔壁が予想以上に頑丈だったのか、はたまた《榛名》自身の矜持が耐え抜かせたのか、艦首付近の防水隔壁が破れることはなかった。
 そして魚雷を交わした後に残った抗戦可能な敵は、目の前を進んでくる最後の駆逐艦1隻になっていた。
 備砲は相変わらずの貧弱な対空目的の3インチ砲、魚雷は積んでいるが3本のみ。他40ミリ機銃があるが、距離5000を切らない限り役には立たない。しかも相手は、手負いとは言え排水量で30倍以上の差がある高速戦艦だ。
 しかし怯むことなく突進を続け、僚艦が作り出した時間を利用した。《榛名》が主砲の鎌首を新たな敵にもたげた時の距離は、すでに7000メートル。環礁入口までの距離も1万を切っている。
 距離が近いので、主砲より早く前を指向できる僅か2門の副砲と、逆に真っ正面のため8門指向できた高角砲が射撃を開始する。
 相対速度で70キロ近く出ているため、1分間で1200メートルの距離が縮まる。その間両者はシオマネキのごとく落差のある砲撃を交わしあい、そして駆逐艦の砲は秒刻みで鋼鉄の瓦礫の山へと変化しつつあった。
 だが不思議と艦の指揮所と魚雷発射管が破壊される事はなく、機関も健在だった。
 そして約2分後、そろそろ機銃の射撃をしようかとしていた《榛名》に対して、突如斜めに転舵した米駆逐艦が魚雷を放った。
 しかし暴露面積が広くなった事が仇となって、丁度着弾した零式通常弾が散弾状に命中。至近距離で貫かれた雁のごとく駆逐艦を破壊した。
 5隻の駆逐艦が全滅するまでにかかった時間は、わずかに10分足らず。互いに近づて正確な砲撃を行い、各個投入となった駆逐艦が順次撃破された形での結末だ。《榛名》にとって残された問題は、やや右よりながら正面から突っ込んでくる魚雷が3本。
 距離は5000メートルしかなく、今度は魚雷に対して正対させるしかない。
 先ほどの悪夢が蘇り、《榛名》の乗員全ての身が固くなる。さらに艦首に魚雷を受けようものなら、今度こそ自らの歩みが止まり、こんな中途半端な場所で朽ち果てるしかないのか、と。
 そんな事を思ったが、何とか敵魚雷との正対が間に合い、今度は何の問題もなく魚雷は通過していった。皮肉な事に、速度が落ちていたため、進路変更が易しかったのが楽に回避できた要因だった。
 もっとも、5隻の駆逐艦と殴り合ったおかげで、船体のそこかしこはかなり破壊されている。一番目立つ損害は、左舷副砲射撃指揮所を設置した鉄塔の破壊。他、副砲と高角砲が1門ずつ使用不能になり、無数に設置された25ミリ三連装機銃の損傷数は一つや二つでは済まない。だがそれでも主砲も主機も艦構造物の主立ったものは健在で、返す返すも艦首に突き刺さった魚雷が無念でならない。
 だが《榛名》は、もはや悔やむことも韜晦する事もなく、ひたすら前を目指しての歩みを再開する。主砲の砲撃も再開され、艦首方向の主砲は前方の環礁にたむろする輸送船を狙い、後部主砲は島の中央部各所に設置された米軍施設をピンポイントで狙う。
 犬神たちの潜伏するターポッチョ山もターゲットとされ、山頂のレーダーサイトが3斉射で完全に破壊されていた。
 ただし、《榛名》が全く手を付けないエリアがある。旧オレアイ飛行場やチャランカノアに設営された日本人収容所だ。日本人収容所は、コプラー飛行場からも3キロほど離れているため全くの無傷だった。
 これは第一遊撃部隊に正確な情報が渡っている何よりの証であり、犬神を大いに満足させた。サイパン島からの情報が届いなければ、あり得ない情景だ。
 一方で、容赦のない破壊に晒されているのが、《榛名》が攻撃する環礁内と《大和》が砲撃を続ける飛行場地区だ。今《大和》の砲弾は、島の南西部に集中しているらしく、巨大な火焔の向こうに人工の流星が突き刺さるのが見える。
 そして一瞥した《大和》の攻撃に納得し、視線を再び《榛名》へと向けたとき、大気を揺るがす轟音と少し遅れて地面を揺さぶる振動がやって来た。
 音と振動の震源へと目線を向けると、そこは流星の落ちた先。ターポッチョ山から約9キロも離れた島の南西部だ。
 巨大な火焔の魔人を押しのけて、夕日と炎で赤く染め上げられたキノコ雲が数千メートルを急ぎ駆け上がる様が立体的に広がっていく。
「弾薬庫の爆発だ」
 誰かが呟いたが、他の者もそれ以外あり得ないことは、十分以上に理解できた。呟いた者も自分が音声を発したとは理解していないかもしれない。
 数百トンもしくは千トン単位の爆弾もしくは焼夷弾が誘爆を繰り返しつつもたらした破壊は、それほど圧倒的で暴力的だった。
 この時最初に爆発したのは、地下約15メートルに掘られた弾薬庫に収納された約100トン分のM69集束焼夷弾と僅かな数の通常型の500又は1000ポンド爆弾。それが砲撃により流し込まれた大量の空気のおかげもあって一斉に着火もしくは爆発。巨大な火災と気流を巻き起こす。そして爆圧と気流は付近のもの全てを吹き飛ばして誘爆を呼び、大和の45000トンの運動エネルギーの連打で脆くなった地中を、破壊の炎と爆圧で駆け抜け巨大な誘爆を呼び込んだ。そして悪いことに、横には通常爆弾が数百トン分もあり、付近の地面を残らず吹き飛ばし、弾薬庫一帯を巨大な炎の竈としていまう。後は燃え尽きるまで燃え盛るのみ。ほんの数秒で2000トン、つまり2キロトンもの焼夷弾による火柱となったのだ。
 そして地下深くでの爆発のおかげで、爆破時のエネルギーの多くは上空を目指したが、それこそが巨大なキノコ雲を作り上げる事になった。キノコ雲は、爆発エネルギーが集束した結果なのだ。
 この爆発は、既にサイパン島南西端のアギンガン岬まで7000メートルと迫っていた日本側も驚かせ、《大和》は数分間砲撃を停止し、赤黒くなるまで過熱した砲身を醒ますまたとない機会となったほどだ。
 そしてこの時、爆発に驚きも放心もせず攻撃を続行したのが《榛名》だった。
 《榛名》は、大爆発で生じた米軍側の間隙を突く形で突撃を継続、既に自らの破壊で炎の饗宴と化している環礁内へと躍り込んだ。
 環礁内には、約60隻の外洋船舶が入港していた。
 主力は、戦争中に1万隻も大量生産されたリバティー級輸送船だったが、中には戦車揚陸艦や兵員輸送艦も多く含まれていた。揚陸艦艦艇は一見サイパン島にはもはや不要に思えるが、別の目的で再びサイパン島に集結しつつあったのだ。
 この頃米軍は、「オペレーション・アイスバーグ(氷山作戦)」と銘打たれた沖縄侵攻作戦の準備に余念がなかった。またサイパン島は、硫黄島の最短補給拠点でもあり、往来する船舶も多かった。そしてマリアナ諸島を構成する、サイパン、テニアン、グァムの3島はどれも泊地能力に欠けており、一番能力が大きかったのがサイパン島だった。当然ながら、中継拠点の一つとしてもサイパン島は重宝され、この時も多数の輸送船が、サイパン島北西部の比較的広い環礁を埋めていたのだ。
 そして、環礁を埋める輸送船の半数以上が、「氷山作戦」のため参集していた第二七師団を載せた輸送船だった。何しろ第二七師団は、サイパン島を攻略した時の師団だ。効率から言っても妥当な判断と言えるだろう。
 だが、幸いと言うべきか、硫黄島攻防戦のおかげで作戦が延期されていたため、兵員の乗船は最小限だった。しかし物資の多くは満載状態で船内に置かれており、そこに14インチ砲弾が雨霰と降り注いだのだ。
 それ以外にも、B29用に立ち寄る船舶は、B29が最も必要とする高純度ガソリン燃料、爆弾、焼夷弾を満載してこの島に到来する。
 最初に爆発炎上したのも、いち早く危険を察知して洋上に退避しようとしていたガソリン運搬用のタンカーだった。
 今一番派手に誘爆を繰り返しているのは、陸軍部隊の為の砲弾を満載した弾薬輸送船だ。
 そして環礁内に入った《榛名》は、自ら作り出した破壊からほんの少し離れた、日本人が「軍艦島」と呼んだ、環礁内にある小さな島の側へと強引に突き進みそのまま島を砕くように座礁する。
 そしてこれで《榛名》が沈没する事はなくなり、最低限の水平状態を回復するなり遠慮解釈ない砲撃が再開される。
 環礁内に対しては、主に副砲と高角砲が用いられ、落ち穂拾いを行う。そして今だ健在な連装4基8門の14インチ砲は、まずは島北端の北飛行場を再度砲撃。北飛行場は、最初の砲撃で混乱していた。そこに5斉射以上の14インチ砲弾が炸裂。《榛名》は、戦闘機が駐留する基地を完全に粉砕する作業に専念する。これで、第一遊撃部隊が生還できる可能性が、また一段と高まる筈だ。
 その後も、重要目標にねらいを定めては、3から5斉射程度の砲弾を送り込む。砲弾は、十分有効射程圏内のテニアン島にも送り込まれる。何しろ14インチ砲の射程は30キロほどある。テニアン島全域ですら射程圏内だ。つまり《榛名》は、サイパン、テニアンに突如出現した最強の要塞に他ならず、米海軍工兵隊(シービーズ)が鋭意建設中だったテニアン西飛行場も、工兵隊共々甚大な被害を発生させた。
 そして四方八方に撃ち込まれる《榛名》の砲撃を最高の援護として、第一遊撃部隊は犬神が双眼鏡を向けた時、いまだキノコ雲の残滓が残るサイパン水道へと入ろうとしていた。

 サイパン水道に最初に入ったのは、第二水雷戦隊のうち《霞》を先頭にした別働隊の方だ。彼らは最後まで邪魔をした米護衛駆逐艦を近距離からの雷撃により粉砕すると隊列を整え、一番槍とばかりにいち早く水道へと入った。前路警戒と、先ほどの魚雷艇のような奇襲を未然に防ぐためだ。
 続いて、《矢矧》を先頭にした第二水雷戦隊主力も水道へ入る。今度はサイパン、テニアン両岸にある沿岸砲台と高射砲を、手当たり次第破壊していく。
 何しろ海峡の幅はおおよそ5キロ。水道狭隘部の直線距離は3キロほどでしかないが、ど真ん中を進んでも25ミリ機銃で届くほどの幅しかない。
 しかも第一遊撃部隊の攻撃でサイパン島のB29以外の飛行場は破壊され、一番近いグァムから米軍機が大挙飛んで来るにしても、準備を考えたら最低1時間はかかる。よって今は機銃も開店休業なので、暇に任せてサイパン、テニアンの両岸付近にある施設を銃撃で破壊する。
 無論、各艦の主砲も目に付く残存施設やB29に砲弾を送り込む。《大和》自慢の主砲の出番を奪うほどの激しさだ。
 そして「にすいせん」露払いをとした《大和》が、王者の行進よろしく24ノットの快速でサイパン水道へと豪快に躍り込む。
 既に夕日は没しているが、夕日の名残と水道内は両岸の飛行場が吹き上げる人の手による者とは思えない業火によって赤く彩られ、誰もが赤い照り返しを受けた海の王者を目にすることができた。
 自らの速力で激しい水しぶきを上げながら、満載排水量7万3000トンの巨体が深紅に染まり迫る様は、鬼気迫るものがあると同時にどこか荘厳ですらあった。
 しかもうねりによる水しぶきを上げながら、自らの船体の動揺は殆どなく、海面を巨大な足で押しつぶすようにグイグイと前進してくる。
 上空から見れば巨大戦艦と言えども恐怖感は小さいが、島から見ている米軍将兵から見れば、まさに海の魔獣レヴィアタンが魔王サタンにより召還され、天使の群たるB29を破壊しに現れたとしか思えない。
 現に天を仰いで跪き、しきりに十字を切って錯乱状態の将兵も一人や二人ではない。
 しかも地獄の獣は全身から火焔を投げかけ、巨大な主砲による破壊力こそが今の地獄を作り出した根元だという事を、全米軍将兵に思い知らせる。
 そうした絶望に囚われることなく果敢に反撃する者もいたが、そのほとんどは短時間のうちに倒されていった。何しろサイパン島にまともな対艦火力はなく、高射砲では十分な俯角がとれない。だいいち、火力が圧倒的に足りていなかった。
 それに《大和》に対処する以前に、自らも原因とする巨大な火災に立ち向かう方が先決だったが、最早逃げる以外手がない。基地周辺の各種防衛施設も燃えるに任せる状態とあっては、まともな迎撃ができる筈なかった。
 だが《大和》は、まだ破壊に満足していなかった。
 もうイセリー、コプラー、テニアン北飛行場のどこにも破壊すべきものなど無いとしか思えないのだが、しばし主砲を沈黙させゆっくりと旋回させると、海峡出口のナフタン岬辺りで再び9つの筒先から、火焔を噴き出させた。
 着弾地点は、標高100メートルそこそこのナフタン山を挟んだ向こう側。イセリー飛行場用の弾薬庫がある場所だ。ここには現在、3個爆撃群が向こう一ヶ月間で日本列島に投下する予定のM69集束焼夷弾や通常型の爆弾が備蓄され、全てが爆発できればナパーム爆弾数千トン分の破壊力となる。全てが一瞬で爆発すれば、原爆に匹敵する破壊が発生する代物だ。
 これはB29と飛行場の次に重要な破壊目標であり、《大和》だけが破壊しうる目標だった。
 《大和》の46センチ砲は40秒置きのハイペースで、最初の2射は零式通常弾を、その後は91式徹甲弾を一ヶ所の地面に叩き込み続け、全ての砲弾は大遅延信管によって地中で爆発。地下約15メートルに厳重に設置された弾薬庫を掘り返すように迫る。
 重砲の一斉射や500キロ爆弾程度では揺るがないよう設計された弾薬庫だが、ほぼ同じ場所に戦艦の主砲弾が二度、三度とたたき込まれると、少しぐらい的を外れていても崩壊は時間の問題だった。
 しかも想定していた破壊力がせいぜい1000ポンド爆弾の直撃とあっては、46センチ砲弾の連続した破壊力に抗すべくもない。サイパン島は、敵艦隊の艦砲射撃を受けることなど想定されてはいないのだ。
 そして3射目、ついに破局が訪れる。
 地中16・3メートルに到達して自らの任務を実行した91式徹甲弾は、周りに戸棚を破壊され崩れ出したM69集束焼夷弾が満ちていることに満足するかのように信管を作動。
 炸薬量は僅かに34キログラムだが、膨大な量の灼熱した破片が周囲に飛散。薄い外板だけで覆ったM69集束体の中に躍り込み、次々と六角形のM69内部のナパーム剤を着火点に持っていく。これが一つや二つばらけた状態なら少し厄介な火事で済むのだが、密閉された弾薬庫内にあった無数のM69に着火する。膨大な量のナパームは、一旦は周辺の酸素不足から鎮火の気配を見せるが、そこに40秒遅れて次の砲弾が到来。弾薬庫に大量の酸素をもたらす大穴を穿った。
 数十トンのナパームはこの時点で一斉着火し、膨大な熱量で異常に膨脹された空気は周囲を見えない巨人の手で圧迫。瞬く間に分厚い土壁を押しのけ、連鎖的に他の地下弾薬庫へと災厄を広げていった。しかも別の弾薬庫には通常型爆弾がほぼ同じ量だけ備蓄され、それが熱風により一気に炸裂、誘爆を周囲全体に広げていった。
 そして周囲全てを爆発しさせると、その熱気は一気に天空へと駆け上り巨大なキノコ雲を作り出した。
 しかもこの時発生した上昇気流や熱風は、すぐ側の弾薬庫の扉を難なく吹き上げ、炎の腕を他の弾薬庫にねじ込んでいく。そして周囲数百メートルに等間隔で設置されていた地下弾薬庫が次々と無防備をさらし、そこに《大和》の徹甲弾が仕上げを行う。

「っ!」
 僅か5000メートル先で起きた、小規模な核爆発に匹敵する破壊と爆風、そして巨大なキノコ雲に第一遊撃部隊の乗員全てが息を呑んだ。
 轟々と立ち上る生命の躍動感すら思わせるキノコ雲は、紅蓮の炎の照り返しを受け赤黒く不気味にうごめき、司令塔内の片隅で戦闘の一部始終を見ていた山科法子も圧倒していた。
 《大和》の砲撃がもたらした破壊と分かっていても、今のような情景は全く想像できないものだった。
 目の前の光景は、戦闘や破壊、攻撃という言葉で表現できるものではなかった。戦闘については9ヶ月前のサイパン島攻防戦で知りすぎるほど知っていた筈だが、《大和》によってもたらされた破壊は、どこか別次元の出来事にしか思えなかった。
 最初の火焔が立ち上がった時、敵駆逐艦がブリキの玩具のように破壊された時、《榛名》が被弾し離脱していった時、10分ほどまえのキノコ雲が沸き上がった時、それぞれ大きな心理的衝撃となって法子の心を襲ったが、最後の破壊は衝撃以上のものだった。
 その証拠に、法子は身じろぎや瞬きどころか、内心で何かを考え思う事すら忘れて、破壊の悪魔に魅入られていた。そう、眼前の光景は、人以外の者ののみがもたらす事のできる現象だった。
 この場に第一遊撃部隊と攻撃隊発進直前のB29の大編隊がなければ、決して出現しなかった破壊。必然と偶然が重なったが故の悪夢だった。
 そうして身を固くして司令塔の片隅で外の様子を見つめていた法子の左肩に、人の温もりがあるのがようやく彼女は意識できた。左肩を見ると、見慣れた手が瞳に映し出された。
 兄山科博の手だ。
 山科の手はほんの少し置かれただけだが、さらに少しの間だけ瞳を向けて司令塔の狭い窓へと向き直る。
 しかし、それで法子は冷静さを取り戻せた。
 そして、サイパン島から流れ込んでくる炎の照明で赤く照らし出された周囲へと視線だけをゆっくり這わせる。
 法子が今いるのは、《大和》で最も堅固に作られた施設の一つ、司令塔。本来ならば、司令部と艦長以下艦の主要員が詰めていなければならないが、今は全員が何かを決意したかのように第一艦橋に詰めている。他、夜間戦闘用の第二艦橋もあるが、そこには万が一の事態と作戦後の夜間航行を想定して航海長以下一部の艦要員が詰めている。そしてこの司令塔内には、予備の要員が少数いるだけで、本来ならあまり広くない室内はかなり空いていた。
 だからこそ、山科兄弟が立錐している余地もある。もっとも、二人の事を兄妹だと知る者はいない。知るのは互いのみで、法子など今だサイパン島から情報をもたらした無名の一地方人に過ぎない。
 その一地方人がこうして司令塔に詰めていられるのには、幾つか理由があった。
 一つは、お客さんでもある法子を安全を気遣った伊藤長官の配慮。一つは、法子が自らが伝えた事の結末を一部始終を見たいと訴えた事。そして、山科が自分もただの見物人なので、副官という体裁で連れておきましょうと言ったことが決め手となった。
 もっとも第二種軍装をしていても、そのままでは二十歳を超えた法子は身体の線から女性と判ってしまう。そこで法子は、長めの手ぬぐいを借りて晒し代わりにして胸を締め付け、制帽の中に自慢の黒髪を託し込んだ。また服の方も可能な限りサイズの大きなものに着替え直して身体の線を隠した。
 これで遠目には少しは誤魔化せるようになり、薄暗い司令塔内ならばと認められた。もっとも出入りが許されたのは、戦闘中の司令塔内のみ。終われば即長官室へ逆戻り。以後内地に戻るまでは、事実上の軟禁を受け入れなければならなかった。
 だが今の法子にとって、司令塔は望んだ以上の場所だった。むろん安全性の事を言っているのではない。兄博の背中を見ていられるというの、もちろん違う。
 自分が伝えた結果が、サイパン島に何をもたらすのかを見られる事、それが適うからだ。
 そして午後5時に司令塔に入ってからの情景は、今まで体験してきた戦争という人の作り出した最大級の破壊と暴力に対する認識を新たにするものだった。
 米戦艦複数による艦砲射撃は、大地震と雷雨を合わせたよりも大きな物理的現象だった。だが今回の破壊は、炎が主役だった。
 不気味なのは、《大和》が主砲で砲撃するたびに全身に伝える胃に来る振動と轟音だけしか伝わってこない事だ。司令塔という厳重に護られた場所のせいもあるが、紅蓮の炎、おそらくキロ単位での破壊をもたらしているであろう炎の嵐に関しては、距離もあってまるで総天然色のトーキー(映画)でしかない。
 他、ぐちゃぐちゃに撃破された敵の小型艦や魚雷艇の破壊も、音すらまともに伝わらない。もしかして《大和》の砲撃音で鼓膜がおかしくなったのかと思ったが、周囲で交わされる機械的な会話は聞き取れる。
 時折、ゴロゴロと遠雷のような音を聞いた気がしたが、やはり《大和》自身が発する数々の轟音が周囲の音を全て遮断しているようだった。
 特それは、サイパン水道に入ってから酷くなっていた。《大和》が無数の機銃まで動員して、サイパン、テニアン島を攻撃し始めたからだ。
 機銃の轟音は全周囲からもたらされ、バリバリ、ガリガリ、ドンドンなどありとあらゆる金属的、暴力的な音の豪雨となって押し寄せた。それに加えて、戦闘開始当初から轟き続けている《大和》の主砲が仕上げを行う。
 また、音以外で入ってくる重要な情報は視界に映る情景だが、視覚でイメージできるのは、影になっている暗闇を除けば、赤、紅、朱など赤色ばかりだった。
 夕闇迫る頃から攻撃が開始された事と、サイパン島にもたらされた破壊が作り出した色が影響していた。
 しかも破壊の炎と煙により島の状況を詳しく見届ける事は難しく、辛うじて収容所辺りに被害がないことが分かったのが救いという有様だ。
(ただ見ているだけじゃ、何も分からないのね)
 戦闘を直に見た一番の感想はそれだった。
 そして一番の感想を抱いたまま、島の南東端のナフタン岬は遠くなり、法子達が半年以上過ごした小さな山、ジャングルに覆われたナフタン山はナパーム火災の黒煙に遮られつつも紅蓮の炎の照り返しを受けて浮かび上がり、法子を見送ってくれるように思えた。
 それが法子が見た、サイパン島の最後の光景だった。


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