■長編小説「煉獄のサイパン」

●第十章 2

1945年3月11日

「何の音だ?」
 『ビッグ・レディ』クルーの一人が、空を見上げるように呟いた。彼らは今、大型のテントの中に待機しており、もう間もなく起床する事になっている。もっとも安眠にはほど遠い。周りの環境が彼らの安眠を著しく妨害していたからだ。その証拠に、言葉に反応した数人が上体を起こしたり、寝た姿勢のまま耳を澄ます仕草をしている。
 誰もがどこか不安げだが、それは彼らが戦場の中の飛行場に降りていたからだった。
 東京空襲を形だけでも成功させたB29『ビッグ・レディ』は、爆撃終了後に日本軍夜間戦闘機の銃撃を受けた。
 銃撃後に何とか敵機は振り切ったが、初手で斜め後方から殺到した火矢の群れは、第三エンジンに十数発が命中。2250馬力のライトサイクロンエンジンは火を噴いてしまう。幸いにして、合衆国の誇る技術によって自動消化に成功し、頑健な翼が折れるような事もなかった。だが、被弾とエンジン1基の停止によってマリアナ諸島帰投が難しくなる。しかも彼らが飛び立ったサイパン島イセリー飛行場ではなく、200キロも遠いグァム島北飛行場へ向かうように連絡を受けており、なおさら帰投は難しかった。
 そしてクルーの多くが気持ちを沈める中、一つの朗報が入る。硫黄島に着陸可能という知らせだ。
 不時着水を覚悟していたクルー達は一転して元気を取り戻し、損傷した機体を何とか操って硫黄島の飛行場へ着陸することができた。『ビッグ・レディ』も最後までダダを捏ねることなく、優しく彼らを大地に降り立たせ、その後機体の修理にすら回される事になった。
 そして彼らの降り立った場所は、かつて千鳥飛行場と呼ばれ、アメリカ側は南飛行場と仮称していた。滑走路は日本軍のものを修理拡張してだけで6000フィートしかなかったが、何とかB29でも着陸可能だった。
 彼らが降りると、既に五本の指で数えられる程度だが他のB29も着陸しており、全て損傷しているのが見て取れた。
 降りてさっそく聞いてみると、何とか東京まで行こうとしたものの、サイパン島上空で損傷を受けた後も進撃を続けるも断念を余儀なくされたものだった。また、グァムから飛び立ったB29のうち、任務を続けて東京上空に入ることができたのは僅かに5機。全体の一割でしかない。しかもグァムの隊は既定の進路を選んだためか、日本軍夜間戦闘機の激しい邀撃を受け、少なくとも1機が東京上空に入るまでに撃墜された。しかも迎撃には、ナチスと同じジェット戦闘機が加わっていたと彼らは声高く主張していた。
 そのせいでもないが目的地に侵入できた編隊数も、たったの3機。計画の僅か1%。しかも投下先は、本当に爆撃目標だったかは不明。そして何機が無事任務を終えることができたかについても不明という事もわかった。同じ第73航空団の僚機についても当然ながら不明だ。
 状況そのものについては、爆撃作戦を中止しなかった事をいっそ誉めるべきかもしれないが、全く満足できない結果に終わったことはよく理解できた。
 だからという訳ではないだろうが、硫黄島の彼らへの対応はどちらかと言えば冷たいものだった。
 先にサイパンから進出していた戦闘機隊の面々こそ同乗の言葉などを投げかけてくれたが、硫黄島の海兵隊はサイパン島の現状を問いかけるばかりだ。特に司令部の兵站幕僚と医療部門は顔面蒼白の状態だった。と言うのも、硫黄島から一番近い拠点はサイパン島であり、兵站や傷病兵治療の多くをマリアナ諸島に頼っていたからだ。
 そして彼ら海兵隊は、全飛行場、サイパン港が壊滅したと知ると、上層部への連絡の後にその日の攻撃をほとんど中止してしまい、正確な情報が手にはいるまで事態の静観へと入った。
 しかも、硫黄島包囲艦隊の多くも、艦砲射撃の支援任務を中止した。そして駆逐戦隊ごとに集合を開始し、サイパン島から日本本土へ向けて移動している日本艦隊の警戒へと入った。一部の駆逐艦と輸送船、それに病院船のうち1隻については、サイパン島救援のためさっそく硫黄島沖を離れた。ハワイの司令部から、サイパン島救援に向かうようにとの指示があったからだ。
 サイパン島が壊滅したのに、既に大勢が決した硫黄島などどうでも良いとでも言いたげな状況だった。
 おかげで硫黄島に着陸したB29は、聞き出せる情報を全て聞き出すと、現地の人間からほとんど放置状態とされてしまう。
 食事と寝床こそ可能な限りのものが提供されたが、それ以上ではなかった。後は飛行場から出ないよう、特に戦場となっている北部やそこら中に空いている穴の近くへ行かないように言われただけだった。
 無論『ビッグ・レディ』のクルー達は、飛行場から出るつもりはなかった。予想外の破局と決死の任務を終えて虚脱状態に近かった事も、彼らの行動を緩慢なものにしていた。
 本当なら今頃サイパン島で仲間達と勝利の祝杯を挙げている筈なのにと小さく罵る者もいたが、言葉にした時点で自ら沈黙してしまったほどだ。
 そして、断片的な情報が入るたび、クルー達はもちろん、硫黄島の戦意も急降下を続けた。
 サイパン島、テニアン島の全飛行場壊滅。サイパン島環礁内の艦船の全滅。環礁内の敵戦艦の撃破。B29の損害300機以上。B24による敵艦隊追撃失敗。判明せる死傷者2万人以上。第58機動部隊、いまだ敵艦隊を捕捉できず。敵艦隊ロスト。
 入ってくる情報はほとんど全てが悪いものばかり。士気が落ちるのも当然だった。
 結局3月10日の硫黄島は、ここ一ヶ月で最も静かな一日となった。
 だが『ビッグ・レディ』クルーの疑問の声から数秒後の3月11日午前5時3分、20平方キロの小さな島に激震が訪れる。それは一ヶ月ほど前、米軍によって人工的に起こされたものと極めて似通っていた。
 唯一の違いを求めるなら、一回当たりの音と振動がより大きいが数は少なく、発生の間隔がやや開いていた事だろう。

「だんちゃーく、今」
「3弾の着弾を確認」
「千鳥飛行場に火災発生」
 高い集光率を持つ高倍率双眼鏡に張り付いた見張り員から、30キロメートル彼方の破局が次々に報告される。
 そして報告の合間も砲撃は続く。発砲間隔は1分丁度。交互撃方なので、初弾着弾の報告の少し後撃ち出された砲弾の数は、再び3発。30キロ彼方の着弾には90秒近い時間を要するが、《大和》は気にすることなく砲撃を続ける。
 何しろ、今度もどこに撃とうとも敵地に等しい場所だ。正確な着弾や多少の誤差を気にする必要はほとんど無かった。しかも夜明け前なので既に明るくなりつつある。
 そして彼らの眼前には、硫黄島を守るべき駆逐艦を主体とした米軍の防衛艦隊はいなかった。
「完全に嵌ったな」
 有賀艦長がご満悦とばかりに、砲撃の様子を眺めている。口にした言葉も、誰かに言ったと言うよりは単なる独白、独り言だ。
 しかし、彼の思いは司令部以下第一遊撃部隊将兵一堂の気持ちを代弁したものでもあった。
 それを代弁するかのように、森下参謀長も双眼鏡を掲げつつ口を開いた。今は殆どの者が双眼鏡をかざしているので、異様と言えば異様な光景だ。
「全くだな。硫黄島を包囲していた艦隊は、殆どが東寄りで大慌て。近いものでも30キロ以上彼方。こっちがわざわざ島の西側に回り込むとは予測していなかったらしい」
「当然でしょうな。我々は夜這いを成功させた間男のようなもんですからな。本来なら旦那が怖くて、逃げるに任せている筈ですよ。まさか二人目を狙うとは誰も思いませんよ。お、大きな火柱。揮発油タンクをやったな」
「うん。言い得て妙だな。けど、せめて二匹目のドジョウを狙うとでもしてくれないか」
「確かにそうですな。けど、二匹目ドジョウも網にかかっていますよ」
 二人はしばし景気の良い会話を続ける。だが他の者も、取り立てて急ぎの任務のない者は、二夜連続となった破壊の見物人と化している。同じように雑談をしている者も一人や二人ではない。
 流石に司令長官の伊藤は口を真一文字に結んで双眼鏡を掲げるのみだが、戦果に満足しているのは雰囲気からも察することができた。
 第一遊撃部隊による硫黄島攻撃という正規の作戦になかった作戦が成功しつつあるのには、有賀と森下の会話の通り彼らが再び奇襲攻撃を成功させたからだ。そしてその作戦案を急ぎ持ち込んだのが山科だった。
 彼は妹との会話のすぐ後資料の整理を始め、二時間後司令部へ作戦の意見具申を行った。
 曰く、「硫黄島では既に飛行場が修理され、敵戦闘機1個大隊以上の展開が判明しております。これを撃滅する事は、第一遊撃部隊の帰投を有利とするばかりでなく、日本本土に対する敵の圧力を軽減し、さらには今なお同島で戦う友軍の援護ともなるでありましょう」と。
 最後の一言で眉をひそめた伊藤長官だったが、最終的には山科の作戦を裁可した。
 理由は、もともと作戦の中に、首尾良く進んだ場合に好機居たらばという付帯条件付きながら硫黄島攻撃が盛り込まれていた事。そして山科が、現状に則した作戦案を提示した事が影響していた。
 作戦の骨子は、極めて単純だった。
 現進路を取れば硫黄島の東側を通過し、当然敵もそれを予測している。敵の目から見ても、硫黄島を攻撃するよりも、内地へ帰投する事が第一遊撃部隊の任務に等しいからだ。そこで逆手を取って、進路を大きく西側にずらして硫黄島の西25キロ海上に展開。爾後、24ノットの高速で島の沖合を通過しつつ、艦砲射撃を射耗するまで行うというものだ。
 この際第一遊撃部隊は一切減速せず、帰投に際して支障が出ること事を最小限とする。
 そして進路自身が西にずれた事を敵はこちらの攻撃で知り、追撃部隊が西寄りに追撃するようにも促す。だが第一遊撃部隊は敵を振り切った後、進路を再び東寄りに移して一気に手近な横須賀へと入ってしまう。
 帰投先を、当初の呉から横須賀に変更する理由は、燃料問題。二度の作戦により駆逐艦の燃料が危うくなるのが原因だった。
 そして以上が山科が修正した作戦の骨子だ。
 一方サイパン壊滅で混乱する米軍は、面白いように第一遊撃部隊の予測通りの行動をしていた。
 高速の艦隊型駆逐艦を中心としていた硫黄島包囲艦隊改め防衛艦隊は、多くが島の南東部に展開。西側は、少なくとも島の沖合25キロはほぼ無防備状態だった。いるのは哨戒駆逐艦が一隻だけ。
 第二水雷戦隊は念のための警戒配置に就いていたが、24ノットで島の沖合を駆け抜ける間に米艦隊主力が追いつくのは不可能だった。しかも、《信濃》は例の「ブロッケン」を作動させており、電探による探知や追撃は不可能。斥候任務の艦がいても無線が用をなさず、近づくまでの道中が闇夜なので潜水艦や航空機も手も足も出なかった。事実第一遊撃部隊は、米哨戒駆逐艦の脇をすり抜けていた。
 そして間もなく夜明けだが、グァムから再び爆撃機が飛来しても、夜間離陸という危険を冒さない限り午前10時頃の到着になる。島のさらに外周を移動中の《信濃》艦載機による迎撃は十分可能。最重要の敵機動部隊は、依然サイパンと硫黄島の中間海域。日本本土の制空権内に入るまでに、横須賀に逃げ切れるというのが第一遊撃部隊司令部の判断だった。
 そして11日午前5時から約2時間の間、約2分の間隔で46センチ砲弾が硫黄島に断続的に降り注ぐことになった。
 もっとも、艦隊と硫黄島との距離は最短でも23キロにしかならないように進路を設定しているため、第一艦橋にでも詰めていない限り、硫黄島の状況を詳しく知るのは難しい。それは、司令塔に詰めている山科兄妹にとっても同じで、彼らが画策した攻撃がいったいどのような短期的結果をもたらすのかを、全く知ることは出来なかった。

「何の音だ?」
 その時、『ビッグ・レディ』クルーと同じ言葉を発した者の数は数多に上った。それは残り僅かに撃ち減らされた日本帝国陸軍第109師団においても例外はなかった。
 第109師団師団長栗林忠道中将も、その日早朝に聞こえてきた巨大な地響きと遠雷に似た轟音に疑問を感じた一人だった。
 彼の兵団は、2月19日の米軍上陸以来、海兵3個師団6万人以上の地上兵力、無数の艦船航空機に対して、約2万名の兵団と幾重にも張り巡らされた地下陣地、日本陸軍としては比較的豊富な砲弾を用いて勇戦敢闘を続けいた。
 しかし月の変わる頃には組織的抗戦が徐々に限界に達していた。既に戦線中央は突破され、栗林の握る残存兵力はわずかに1500名ほど。3月7日以後は日本軍自体島の北部に追いつめられ、東部にいると思われる残存勢力との合流も適わない。他にも数千名が各地で潜伏している可能性が十分にあったが、これも同様に連絡手段がない。後は、米軍にとっての残敵掃討に近い戦闘へと移行しつつあったのだ。
 そうした中で、不意の変化が訪れる。
 大地を揺るがす轟音は島の北部で始まり、その後北西部の海岸付近へと移っていった。だが、島の高地どころか地上のほとんどを失った日本軍に詳しく知る術はなく、栗林が詳細を知るのは奇妙な轟音が始まってから20分近くが経過してからだった。
「ゆ、友軍の砲撃です。聯合艦隊の艦砲射撃です!」
 開口一番。決死の偵察任務に出ていた将校が、帰るなり叫ぶように報告した。中尉の階級章を付けた泥だらけの顔は自らの涙で既に濡れ、彼の言葉が嘘ではないことを彼自身が証明していた。
 だが栗林は、感化されることなく冷静な口調で状況確認を急いだ。
「規模及び戦力は?」
「不明であります。しかし戦艦級の大口径砲弾が、千鳥飛行場を最初に砲撃。現在は、西部海岸の米軍橋頭堡を激しく砲撃中であります。砲撃は約2分の間隔で継続されており、1回当たり3ないし6発の着弾を確認。既に50発近い大口径砲弾が着弾しております」
「《大和》だ……」
 3ないし6発の着弾という言葉で、同席していた海軍の市丸少将がピンときた。そのような砲撃をする日本海軍の戦艦は、既に1隻しか存在しない。そして2分間隔の砲撃というのは、遠距離から着弾を測定しながら腰を据えて砲撃を行っている証のように思えた。
 市丸の言葉は周囲に伝播し、たちまち明るい空気となる。
 口々に、聯合艦隊主力が来援した。大本営が奪回作戦を発動させたのか。などと口々に言い合ったりした。国民には秘密にされている筈の《大和》だが、軍の多くの者は知っていた。《大和》が帝国海軍の新たな象徴であると。
 だが栗林は、幕僚達の浮ついた言葉を沈めると、静かに口を開いた。
「諸君、今現在友軍による大規模な艦砲射撃が行われているのは事実のようだ。だが私は、これが大本営の本格的な硫黄島への攻撃だとは考えない。
 恐らくは、先日行われたと言うサイパン島攻撃に連動したものではないかと思う。今現在、サイパン島を一撃で壊滅させうる戦力は《大和》しかないだろう。
 そして彼らの帰投途中に、この硫黄島がある」
「行きがけの駄賃とでも言うのでありますか」
 幕僚の誰かが気抜けしたように口を開く。
「いや、硫黄島に敵飛行場があれば帰投の障害となる筈だ。彼らはそれを破壊するために砲撃しているのだと私は理解している。最初に千鳥飛行場を砲撃した点からも、その事が伺える。他に意見は」
 はい。誰かが挙手する。
「今現在《大和》は、飛行場ではなく橋頭堡を砲撃しています。昨日も敵の攻撃及び進撃はほとんどありませんでした。何か硫黄島に対する大きな反撃があると判断できないでしょうか」
「大本営からは、何も言ってきていない。それにサイパンの港や飛行場が壊滅すれば、この島の米軍が不活発になるのは道理だろう。あそこは、硫黄島から最も近い敵の拠点だ。《大和》による橋頭堡攻撃も、飛行場復旧を遅らせるためと考えるのだ妥当だろう」
 理路整然とした栗林の言葉に、何かを発言しようとした他の幕僚達も押し黙ってしまった。
 そうしてしばらく重苦しい空気が司令部に漂ったが、大きな地響きで再びどよめいた。
「今度は何だ」
 その問いかけには、数分後の伝令が答える。
 敵橋頭堡にて大規模な誘爆を確認。大量の燃料もしくは弾薬が炸裂せると認む。現在西海岸内陸部の敵橋頭堡は、活火山のごとくなり。
 聯合艦隊の意図や栗林の予測はともかく、これは硫黄島守備隊にとって久しくない朗報だった。
 しかも朗報は次々に舞い込む。夜明け直前の少しばかり弛緩したところに攻撃が行われたのが予想以上の効果を発揮しているようだ。
 島の各所に潜んでいる兵士達も、最前線や司令部からの言葉が漏れ伝わって、外の振動と衝撃、轟音が何であるかを理解し、地下壕全体が歓喜に震え初めていた。
 そして朗報の極めつけは、《大和》砲撃開始から約1時間が経過した頃に訪れる。
 伝令を寄越したのは、西竹一中佐だった。彼の率いる第26戦車連隊は、すでに戦車無き戦車隊だが、司令部と合流後も最前線で勇戦敢闘を続けていた。
 そして西から寄越された伝令は言った。
 友軍艦砲射撃、敵最前線に着弾を確認せり。朝食前の敵兵右往左往し、逃げ惑う以外の手段を知らず。我、これより敵が放棄しせる陣地にて、彼らの残したる朝食を取らんとす。
 最後の言葉冗談だろうと分かるものだが、司令部の空気を明るくするには十分だった。橋頭堡の破壊と敵軍への艦砲射撃は、例え規模が十分ではなくても、米軍の性癖から数日、場合によっては一週間近く敵の攻撃が緩む事は間違いない。しかも砲撃は継続中であり、少なくとも今しばらく抵抗を続ける事はできそうだった。しかし、こちらから大きく反撃するのは藪蛇になる。艦砲射撃が稼いだ時間で態勢を立て直すことに全力を尽くすべきだろう。
 栗林が冷静なまま今後の短期的な見通しを考えていると、今度は周囲から少しばかり違ったどよめきが押し寄せてきた。
 洞窟陣地全体を揺るがすような音。今なお生き残っている日本軍将兵数千人よる、万歳三唱のどよめきだった。

「畜生。ヤツら勝ち鬨をあげてやがる」
「無駄口を叩くな。舌を噛んでも知らんぞ」
 辛くも難を逃れ、日本軍の壕を手直しした防空壕へと駆け込んだ『ビッグ・レディ』クルーは、機長以下十一名が欠けることなく北飛行場(千鳥飛行場)から数百メートル離れた場所で小さく縮こまっていた。
 時間を見る余裕はないが、すでに1時間以上が経過し、《大和》は硫黄島から離れる行動へと移っていた。砲撃も飛行場やすぐ近くの橋頭堡から、島中央部の海兵隊陣地へと移っている。夜明けの太陽によって、方々で立ち上る図太い黒煙が照り返しを受け、その中を多数の将兵がうごめいている。
 だからこそ『ビッグ・レディ』のクルー達が悪態をつく暇もあるのであり、30分ほど前だと地面にひざまずいて主に祈りを捧げるだけの者もいたほどだ。
 しかし、喉元過ぎれば何とやら。機長のたしなめも聞かずに、クルー達は雑談を続ける。雑談でも続けなければ、恐怖を紛らわせられないからだ。
「今、《モビーディック》はどの辺りを砲撃している」
「《モビーディック》はキャリアーだ。砲撃してるのはミステリアス《ヤマト》さ」
「で、その《ヤマト》は何を撃ってる。橋頭堡は誘爆してるから、もう飽きたのか?」
「らしいな。誘爆している辺りには、戦車を始め車両用の燃料廠があったらしい」
「弾薬庫じゃないのか」
「弾薬庫は、海岸の深い場所に穴掘って作っているそうだ。狙い澄まさないと誘爆はしないさ」
「けど、凄い火災と爆発だぜ」
「そりゃ、6万人分の兵站物資が誘爆して火災で燃えているんだ。凄くもなるさ」
「で今は、その6万人そのものの頭数を、わざわざ減らしてくれているってわけだ。今日の夕食を巡って、俺達が同士撃ちしないで済むようにってな」
「至れり尽くせりだな。流石、イセリーを丸ごと吹き飛ばした連中だぜ。それより、俺達の『ビッグ・レディ』は大丈夫かな」
「分かるわけないだろう。みんなでここに逃げ込んだんだぞ。けど、銀色のB29は目立つ。破壊されたと考えるのが妥当だろう。真っ先にP51の駐機場所にオンターゲットさせた連中だぜ。抜かりないさ」
「畜生。せっかくイセリーじゃ難を逃れたってのに、ついてないぜ」
 会話は延々と続くが、機長も必要以上にとがめ立てはしないようになっていた。艦砲射撃は依然断続的に続いており、機長もクルー達の会話を聞くことで砲撃の恐怖から逃れているのが現状だったからだ。
 そして《大和》による硫黄島に対する艦砲射撃は、午前7時に彼らが水平線の彼方に消えるまで続けられた。
 撃ち込まれた砲弾の数は、おおよそ250発。これは、《大和》が弾薬庫に残していた砲弾のほとんど全てであり、出撃前積載した1門当たり120発、合計1080発の殆ど全てを撃ち尽くした計算になる。
 無論この程度で硫黄島の米軍の全てが壊滅する筈なかったが、損害は無視できるレベルを超えていた。故に以後しばらく、日本列島から約1000キロ離れたこの小島も、少しばかりの静寂が支配する事となる。
 そしてまたも戦況を覆してしまった《大和》以下第一遊撃部隊は、一路日本本土を目指して朝靄の中へと消えていった。


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