■長編小説「煉獄のサイパン」

●第十一章 1

1945年3月某日

「この場で話された事の全てに対して秘守義務が生じます。まずはその事を再確認させていただきますが、皆様よろしいでしょうか」
 司会進行役の男が、ゆっくりと周囲を見渡すように視線を走らせる。
 場所は分厚いカーテンで締め切られた会議室。壁が木製でない事から丈夫な建造物で、構造からも防諜に秀でた施設であることが伺い知れる。恐らく壁には鉛が挟み込まれ、カーテンにも同様の措置が執られていると考えるのが自然だった。
 時間はほとんど分からないが、恐らくまだ日中。カーテンのごく僅かな隙間から日光による光が、夜でない事をけなげに自己主張していた。
 中には書類に目を通せるよう十分な照明が施されていたが、カーテンの隙間の光がなければ夜中と言われても納得しそうだ。
 そして部屋の中には十数名の男達が一つの大きなテーブルを囲んで鎮座している。それぞれの前には、分厚い書類とグラスに水差しが置かれている。
「さて皆様、今から行われる議題について秘守義務は生じますが、その他一切の責任は発生いたしません。忌憚ない意見を是非ともお願いします」
「もう分かった。で、どこから始めるんだ。2月に『モビーディック』を最初に見つけた辺りか。それとも敵艦隊の出撃時か。まあ、敵の艦砲射撃開始後だと、こっちとしては助かるがね」
 慇懃な進行役に痺れを切らしたように、一人の男が口を開いた。海軍少将の階級章を付けた軍人だ。そして彼に限らず、室内の半数が軍人だった。
 進行役は人々をじらすことに飽きたのか、それとも既定の方針だったのか、とある海軍少将の言葉を受けたかのように口を開いた。
「私は議事進行に過ぎませんので、詳細についてはお答え致しかねます。また、お手元のレポートを順に見ていただく役割も担っています。まずは、資料2の損害集計に目を通し下さい。
 ザラ、ペリ、ペラリ。紙を扱う様々な音と共に、密室の男達が悪魔の収支決算に視線を落とした。概容は以下の通りだ。

 3月14日現在
 マリアナ諸島及び硫黄島周辺でのダメージレポート
 アメリカ合衆国統合参謀本部作成

 当報告書は、現地時間3月9日夕刻から12日にかけてマリアナ諸島及び硫黄島周辺で発生した、アメリカ、日本双方の損害をまとめたものである。

・各基地の損害
サイパン島
 イセリー飛行場、コプラー飛行場、北飛行場、東飛行場、タナパグ水上機基地、タナパグ港、イセリー基地群壊滅。暫定復旧には3ヶ月を予定。完全復旧には5ヶ月を予定。
※第27師団関連施設の損害は、簡易宿舎を含め極めて軽微。ただし港湾備蓄及び船舶積載物資の被害は壊滅的。
テニアン島
 北飛行場、西飛行場壊滅。復旧には3ヶ月を予定。
※西飛行場増勢中の工兵隊に被害甚大。復旧遅延の大きな理由でもある。
硫黄島
 南部飛行場壊滅、海岸部橋頭堡壊滅。兵站物資の36%喪失。
 第四海兵師団12%損失、第三海兵師団3%損失。死傷者約3200名。
※硫黄島での3月11日までの損害累計は、死傷者約27000名。

・航空機の損害
 B29:385機中、全損313機、損傷54機
※健在機のほとんどは、グァム島で整備不良だった十数機のみ。サイパン島、テニアン島のB29の健在機は、出撃中の数機を除き皆無。
 B24:約160機中全損113機、損傷9機
 P38:48機中39機他損傷、P47:48機中全損43機他損傷、P51:28機中全機全損、P61:12機中全機全損
 飛行艇:サイパン島のPBM、PM2Y総数21機全機全損
 艦載機:各種37機損失(帰艦後破棄含む)
     損傷約50機

・艦船の損害
 戦艦「サウスダコタ」大破。損傷復旧に三ヶ月
 護衛駆逐艦11隻沈没、3隻大破
 潜水艦1隻沈没、2隻損傷
 魚雷艇8隻沈没
 大型タンカー、輸送船、LSTなど合計63隻約40万トンの船舶が大破、沈没。

・サイパン島で海没もしくは破壊された遺棄物資
 沖縄作戦用11万トン、B29用3万トン、他約1万5000トン
※島内の一般貨物倉庫の80%が健在のため、原住民や捕虜を含めた短期的な食料供給に大きな問題なし。但し、医薬品並びに医師、看護婦、看護兵の不足は極めて深刻。

・同期間の人的損害の累計(3月13日現在)
 戦死者/約1万4300名
 負傷者/約1万8500名
 (うち重度負傷者(全治二ヶ月以上)7割)
 ※うちB29を含む搭乗員の損害、戦死者3000名、負傷者1200名。
 ※硫黄島の損害含む。

・被害総額/暫定5億ドル以上
 ※硫黄島の損害含む。

・3月9日以前への復帰予定
 サイパン・テニアン両島の航空基地群/4ヶ月
 硫黄島攻略作戦/1ヶ月半
 B29の展開数/2ヶ月半
 沖縄侵攻スケジュール/2週間

・日本軍に与えた損害
 戦艦コンゴウクラス1隻撃沈(大破座礁)
 戦闘機約30機撃墜(※未確認含む)
※未確認情報ながら、敵大型空母1隻撃破。他損傷多数。

「死傷者3万人に5億ドルの損害、か。近年希にみる大敗だな」
「それだけじゃない。太平洋戦線での戦死者の数は、この3日で一気に50%増し。イオージマと合わせると、それまでの戦死者数を上回る」
「言われなくても知っているさ。新聞はこぞって政府と軍を非難しているんだぞ。しかも、まだ情報開示しろという状態で、だ。先が思いやられる」
「他にもあるぞ。戦死者の遺骸どころか遺骨がほとんどないんだ。遺品すらな。全部灰さ。これを知ったら、遺族はデモ行進しかねないぞ」
「喜んでいるのはボーイング社ぐらいか」
「かもしれん。だが兵站関係者は、B29関連も真っ青だよ。基地は、人員共々作り直しに等しいからな。それに沖縄作戦の兵站担当者が一人、さっそく過労で倒れたらしい」
 列席する男達が、紙面をめくり終わると口々に雑談を始める。タバコも禁止されたこの室内では、そうしなければ精神の均衡を保ち辛いからだ。議事進行役もしばしの雑談を止めようともしない。むしろ、雑談の中から何か有意義な言葉が出てこないかと耳を澄ましている風にすら見える。
 そして雑談も続く。男達は、もはやここがサロンでもあるかのようで、そのうちタバコを出す人物も出そうな雰囲気だ。
「で、どうする。まずは責任問題か?」
「誰がこれほどの責任を取る。それに、サイパン島の指揮官の半数以上は行方不明、つまり戦死だぞ」
「誰もいないわけじゃあるまい? 取りあえずだが、爆撃隊指揮官辺りでが生き残っていた筈だ。確か少将だろ」
「ルメイか、あれはダメだ。欧州での戦歴もあるし、落ち度は少ない。それに基地を復旧させて爆撃を再興するには、ヤツの手腕と力量、それに馬力が必要だ」
「じゃあ、奇襲を防げなかった海軍は?」
「海軍も、奇襲後は最善は尽くしたと言い張っている。なあ、責任どうこうよりも、敗北を誤魔化す勝利の方が先に必要じゃないのか」
「誤魔化すなど、あからさまに言ってくれるな。だが、勝利は必要だな。できれば一週間以内に」
「無茶を言うな。これを見ただろう。どこも作戦は一ヶ月以上遅延するのが確実だ。物資がないんだから戦争にならん。片っ端に吹き飛ばしていやがる」
「いや、一つあるぞ」
「やはり《ヤマト》を沈めるのか」
「ああ。当面はそれしかあるまい。連中の海軍のシンボルだし、ステイツが殴られっぱなしでないと言う強いアピールにもなる。それに機動部隊を動かせばいいだけだから、何とかなるだろう。どうせ沖縄作戦はまた延期だ」
「その件については、既に海軍で作戦が動いている。やはり追求されるべきは、責任問題だろう。状況がどうあれ、けじめを付けねばならない。我々がここに呼び集められた事を含めてな」
 ここ2年ほど大きな敗北に馴れていない男達は、敗北が記された紙面を前にどこか悲観的だ。すると、議事進行役の男が立ち上がるなり、大らかな口調で語り始めた。
「皆様、何か大きな勘違いをされています。この会合の目的は責任追及では有りません。無論、責任を皆様が取ることもありません。ここで議論すべきは、眼前の敗北に対して何ができるか、何をすべきか、これから我々の往くべき道がどこなのかを早急に示すことなのです」
 そして彼は、語りながら黒板の前へと進むと、箇条書きに単文を書き始める。

・日本艦隊に対する報復攻撃の有無
・マリアナ基地群の再建
・日本本土爆撃の再興
・硫黄島兵站の再構築
・沖縄作戦スケジュールの調整
・今後の対日戦争方針

「大きくは以上のような事について議論していただくようお願い致します。なればこそ、ご列席の皆様の中に経済、対日政策、兵站業務の専門家もお呼びしているのです」
「で、最初の質問に戻るが、本当のところ我々に何をさせたいのかね? 反省会なら他でも色々しているだろう」
 ダブルのスーツを着こなした中年紳士が問いかける。髪をきれいに撫でつけ、いかにもウォール街にいそうなイメージを伝えている。
 そして進行役は答える。
「我々が最終的に望む答え。それは、日本との戦争をどうすべきか、と言うことです」
「今少し具体的にならないのかね」
「はい。……そうですね、日本との戦争をどこまで続けるべきか。どの作戦を行うべきか。何をすれば日本が降伏するか。どうすれば、ステイツの利益を優先しつつ被害を軽減しうるか、と言ったところでしょうか」
 総力戦研究に近いな。ビジネスマンスタイルの男はそう言うと沈思した。他の者も、目の前の議論についての主題を与えられため、資料を読み返したり同じように沈思していく。もともとはインテリジェンスに優れた人々であるだけに、目標を与えられれば後の話は早かった。特に、日本との戦争終結方法について示す事が伝えられたのが大きかった。誰もが、今回の集まりが部外秘なのを納得する顔になっている。そして同時に、自分たちが行おうとしている事が、祖国の歩くべき道標になると知っているだけに、なお一層の真剣さを見せている。
 そう、この会議は現大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトが自らの権限で集めた非公式の会議であり、後にこの会議こそが対日戦終戦のガイドラインとなっていくのだった。
 会議は、議事進行役が黒板に書いた通りの小さな議案について順番に進められた。もっとも、日本艦隊に対する報復攻撃の有無については殆ど議題とされなかった。3月14日現在既に海軍の作戦が動き始めており、彼らが議論するに値しなかったからだ。それでも議題とされたのは、ほぼ既定の未来が与える影響についてだった。 
 そして復讐よりも優先されるのが、これまで順調に進められていた各戦線の再構築だった。
 特に問題とされたのが、マリアナ基地群の再建の再建だった。同基地群に属する航空基地のうち、サイパン島、テニアン島の飛行場は完全に壊滅していた。工事は基礎的な部分以外一からやり直すより他なく、しかも瓦礫、死体の撤去など復旧の前にやるべき事は山積みだった。そして中でも問題だったのが、人的資源の問題だった。
 二つの島の航空基地には、合計3万名以上の基地要員、整備兵、搭乗員が詰めていた。他には海兵隊の1個連隊が警備についてサイパン島の奥地に潜む日本の敗残兵と追っかけ合いをし、沖縄侵攻に備えた第27歩兵師団が待機していた。また日本人捕虜と原住民の合計約2万3000名が二つの島に分散して収容されている。
 これらを合計すると8万人近い人々が二つの島にいたわけだが、戦死者の殆ど全ては航空基地とその周辺部、そして港湾部に集中していた。
 そしてB29約300機のクルー3000名の殆ど全てと、基地要員、整備兵の約半数が戦死するか負傷していた。つまりマリアナの基地群は、人材の面からも完全に壊滅していたのだ。
 最も再建策は皆無ではない。
 人的被害を含めて、本来なら取り返しがつかないほどの損害だが、遅れが4ヶ月で済むのには理由があった。日本軍の攻撃の有無に関わらず、当初の予定では3月以降毎月200機のB29が補充され、6月には1000機体制が整えられる予定だったからだ。
 つまり損失した機体とパイロットだけなら、増強分を揃えれば2ヶ月で補充可能だ。しかも各地の飛行場も大幅に拡張予定だったため、基地資材の収集も通常のスケジュールで行われている分である程度カバーできた。
 加えてグァムの北飛行場が健在で、さらにグァムではもう一つの飛行場が4月から稼働状態に入るので、現状でも偵察など小規模活動は継続して可能だった。それでも以前ほどのまとまった規模の爆撃が再開できるのは、早くても5月に入ってからと見込まれた。
 やはりと言うべきか、一番の損害が熟練したB29クルーと、サイパン、テニアン両島の基地要員の多くを失った点にあったからだ。人材の再建ほど難しいものはなく、司令部の側でもまさか基地要員が根こそぎやられてしまうとは全く予測していなかっただけに、その後に与えた損害が大きかった。
 無論、基地増設と共に基地要員も増員される予定だったが、仕事に慣れた者が大量に失われた失点は大きい。効率が落ちるのはもちろんの事、事故発生の確率も格段に上昇する。しかもこの場合は、戦死でなくても重傷というだけで人的資源面では大損害だ。何しろ専門技術者なので、歩兵部隊のように換えは利かないのだ。
 しかも、当面グァムの基地を利用すると言っても、グァム島は日本本土からさらに200キロ遠い。加えて、元々整備基地群として建設されつつあったので、ここを攻撃用の基地として用いるのなら改造が必要だし、加えてどこかに機体整備のための基地を設けなくてはならなかった。B29とは強力な兵器ではあったが、最新兵器であるだけに維持、整備が非常に厄介だった。
 そしてB29と運用基地の損害以外にも、大きな損害がある。サイパン環礁での船団の全滅と硫黄島の損害だ。特にサイパン環礁で壊滅した船団の一部は、硫黄島への補給部隊であり、当然ながらサイパン島は硫黄島の兵站拠点、後方拠点ともなっていた。
 そして日本艦隊による硫黄島攻撃では、完成したばかりの飛行場の他に海岸堡の破壊が重視されていた。おかげで、日本軍守備隊と死闘を演じている海兵隊三個師団は明日の食事にも困るという有様だ。無論文字通りの意味ではないが、燃料、弾薬、そして衣食住の著しい不足は彼らの士気を低下させ、進撃を止めるに十分なものだった。
 加えて、日本艦隊の艦砲射撃により、それまでの戦いで既に撤退を考えていた第四海兵師団の損害が遂に破断界を超えてしまい、代わりの部隊が必要となってしまっていた。
 このため硫黄島の現地司令部は、兵站の再構築と交代部隊の到着までは現時点での進撃停止を上層部に打診し、既に9日以後の前進は完全に停止していた。
 同島での人的損害も、レポートが示すようについに3万人を突破。戦死者の数も1万人に迫っている。このため、艦砲射撃を受けて以後一日は、精強を以てなる海兵隊が士気崩壊していたほどだ。現在でも、沖縄侵攻部隊から割いてでも有力な艦艇を包囲部隊に加えるようにと、脅し紛いに打電し続けている。海兵隊司令部も、自らの存亡がかかっている戦場だけに、沖縄侵攻部隊である第3水陸両用軍団から1個海兵師団を抽出するかどうかの議論に入っている。
 一方沖縄作戦については、それほど詳しく議論されなかった。
 なぜなら、海軍の作戦により機動部隊の沖縄作戦投入が最低でも二週間遅延することが既に決まり、サイパン島での兵站物資壊滅の補充の目処が付くまでどうにもならなかったからだ。加えて、海兵隊の兵力引き抜き問題も絡んでいる。
 それに沖縄作戦は、まだ発動されていない。この点が大きかった。
 そして会議の出席者が一番白熱したのが、最後の議案、「今後の対日戦争方針」だった。
 無論現時点で終戦や停戦について具体的な話ができる筈もなかったが、この議案が持ち上がったこと自体、ルーズベルト大統領が大きな方針変更した事が伺い知れるし、自分たちの意見が反映される可能性が高いと皆が踏んでいた。
 そしてルーズベルト大統領は、陸軍が強硬に主張する日本本土戦も辞さないとする無条件降伏派、通称ハードピース派ではなく、降伏条件緩和により戦争の早期終結を目指すソフトピース派に意見を大きく傾けたと考えられた。
 無論可能性の一つではあるだろうが、そこには陸軍航空隊であるB29兵団の壊滅が政治的にも大きな影響を与えたのではと考える者がほとんどだった。
 故に彼らは熱く論じた。
 サイパン壊滅は、日本本土に対する無差別爆撃計画の大幅な遅延だけでない。一時の勝利により日本軍部の抗戦意欲が昂揚し、連合国側の絶対無条件降伏の方針が日本の降伏を遅らせ戦争を長引かせ、最終的にはソ連のアジア(日本、中国)への浸透を大きくさせるのではという懸念が強まったと。
 そして彼らの言葉にあるように、ソ連に対して否定的で中国に思い入れがない点も集められたメンバーの特徴だった。
 この点において、後世の判断は様々だ。
 一般的にルーズベルト大統領は、親中国、親共産主義的だとされる事が多い。アメリカ中枢部の共産党スパイやチャイナロビーの多さは、後世の資料が示すとおりだ。だが彼は、何を差し置いてもアメリカ合衆国大統領だった。当然ではあるが、ステイツの利益を大きく損なう可能性は出来る限り避けるようにも考えている筈と結論される事が多い。また彼が優れた政治家である事は疑いなく、情勢に対する眼力は非常に優れたものだった。
 そして、この日集まった者達は、サイパン壊滅による戦争スケジュールの混乱が、ルーズベルト大統領に政策の転換を決意させたと認識していた。この考えは、後世の視点から見た場合概ね外れてはいなかった。
 ルーズベルト大統領は、ヤルタの会談では当時の病状の悪化により思考力、意志力が低下してアメリカの国益を損なったことを内心後悔していたとされる。
 そして大統領は、この会議の四日前、サイパン壊滅の翌日には戦時情報局エリス・ザカリアス大佐の「1/45計画」、日本に国体護持を匂わせる謀略通信に承認を与えている。この集まりは、アメリカの中立的な思考から何が導き出されるかを図るものでもあったのだ。
 そして連合国軍から日本に対して、無条件降伏ではなく国体護持による無条件講和の道が開かれたのだが、無論、合衆国自身が日本との条件付き講和に動き出したことも意味していた。
 なお、ザカリアス放送の内容は、「日本(枢軸国)は降伏をすれば、大西洋憲章で謳われた「すべての国民がそれぞれの政府の形態を選択する権利」を享受することができる」と述べたものだ。これは「無条件降伏」が、国家や民族の全ての権利まで奪わないとするメッセージであった。つまり、日本の政府、元首を選ぶ権利は日本国民に残されていることを示唆していた。
 しかし、アメリカはどこまでもアメリカだった。というより、アングロサクソン的だったと表現すべきかもしれない。
 彼らは平和ばかりを求めるのではなく、即座に復讐の剣も抜きはなっていた。


●第十一章 2 へ