四. 太平洋戦争前夜

 南北戦争以後、19世紀末から20世紀前半にかけての国内問題のおかげで、列強間の植民地獲得競争とその後の中華大陸市場参入に出遅れてしまったアメリカ連合は、満州に進出することには何とか成功し、さらに第一次世界大戦により世界、とりわけ中華大陸市場に大幅に進出することにも成功した。
 大恐慌という一時的な躓きはあったが、このまま世界の市場に食い込めばアメリカの発展も当面は安心でき、本来ならここで一息といった所だったが、このアメリカの強引な進出を嫌った東洋人達の手により、中華大陸から叩き出されることとなった。
 「満州事変」の勃発である。

 アメリカは、満州帝国成立とその前後の日系国家の東洋的な無定見な陰謀により大半の中華大陸市場を失うこととなったのだ。
 そして、この当時の彼らの考えを要約すれば、以下の様なものとなる。
 彼らは焦った。最後の希望たるカーナン(理想郷=自由になる巨大市場)を失ってしまったと。
 自分たちの経済的な覇権は、南北アメリカ大陸だけではいずれ頭打ちにになることは明らかであり、このままでは国の発展は出来なくなってしまう。また、国の南北国境の向こうには、常に寝首を掻かれないよう気を付けねばならない日系に支援された好戦的な有色人種の国がある。しかも、本来なら自分たちのものになるはずだったアジア、太平洋地域は、すでにJシスターズ(日本帝国を指してアメリカ大手大衆新聞が付けたニックネーム)が大半を押えている。
 かといって、二度目の欧州戦争で揺れているとは言え、老獪な政略を得意とする大英帝国と大西洋方面の覇権を争うなど以ての外だ。経済的な事を目的とした相手としてはあまりにも部が悪すぎる。しかも共闘すべきとされるフランス、イタリアは全くアテにならない。共産政権のソ連との連携は、自分たちにとって価値のある儲け話ならともかく、国家戦略的に連携するなど論外だ。それに神に選ばれた国とその市民にとって、旧弊に捕らわれたり忌むべき思想を持った国との共闘は不要だった。
 つまり、目指すべきは最後のフロンティアである東洋、中華大陸しかなかったのだ。
 そう、アメリカン・ウェイを実践(覇権を拡張)すべき場所は中華大陸であるはずだったのが、それを失ってしまったのだ。
 そして、その行く手を阻むJシスターズの国力、軍事力は近年急速に増大しており、彼らの近隣同盟諸国の市場規模、鉱工業生産能力と埋蔵資源を加味すれば合衆国を凌駕する国力すら有するようになっているとするレポートも提出されていた。また、Jシスターズとその一党の国々の大半は海によって繋がっており、大量輸送のコスト面でステイツに対して極めて有利な状態を作っていた。
 しかも由々しき事態として、東洋人を退ける為の肝心の海軍力に関しても、条約時代からずっとステイツの劣勢であり、今より先は造船力の差でさらに劣勢になる事は明らかだった。
 さらに悪いことに、昨今その悪辣な東洋の帝国は、自分たちよりも強大なその海軍の力を見せびらかすような示威行動をする事もしきりだった。
 経済でも軍事でも劣位に立った国家が、経済的、軍事的に優位にある海洋国家には決して勝てない。これは、古今東西歴史が証明してきた事実だった。このままでは、悪辣な東洋の帝国とその一党のために、神に選ばれた筈のアメリカは滅びてしまう。もし、それが避けられたとしても、近いうちに東洋人の経済植民地となり、資源供給地としての、アフリカの植民地のような三等国に転落する事は明らかだ。
 事ここに至って、彼らは方針変更することにした。
 いや、決断した。
 新たに覇権を奪回・伸張すべき地域を、ステイツの国力(生産力)の拡張に合わせて中華大陸だけでなく太平洋、シベリア、アジアとするのだ。
 当然、仮想的国はオレンジ(日本)とイエロー(アイヌ王国)である。こうなったら、短期全面戦争をしかけて東洋人どもを粉砕するのだ。これは、人類の希望であるアメリカを守るための聖なる戦いである・・・と。

 時のアメリカ大統領F・D・ルーズベルトは、議会で熱弁を振るった。「旧態依然たる帝国主義国家である太陽の旗を持つ帝国によって支配されている太平洋、アジア諸国を開放せよ。立て国民よ。それを実行できるのは、自由の守護者にして、神に選ばれたアメリカ国民だけである。」と。
 しかし問題がない訳でもなかった。国力は結束力、国土的密集度という点も加味すれば今のところ優位であったが、短期的に侵攻するには太平洋はあまりにも広大すぎた。しかも自国の長大な国境線には、常にインディアン共が変なことを考えないように大量の兵力を張りつけておかなければならないし、日本人共には幾多の衛星国・同盟国がある。
 だが、彼らは自国の未来のために決断した。
 『距離は仕方ないが、戦力の方は、北太平洋方面(アイヌ王国)を無視して日本皇国のみを主敵とし、しかも彼らの戦争準備が整う前に一直線に日本本土を目指して叩き潰してしまえばいい。一年後には星条旗が東京湾にへんぽんと翻っているだろう。そして日本本国を降伏させてしまえば、帝国の中枢と資源地帯を断たれ彼らの経済は壊滅し、他の構成国も勝手に白旗を揚げるに違いない。』と。フロンティア・スピリッツを旨とする実にアメリカ人らしい果断な決断だった。
 また、アメリカが開戦を決意したもう一つの理由は、日本帝国全体が対ソ連戦備のため多数の兵力をシベリア方面へと移動しており、さらに欧州の戦乱に対応してインド洋などに海洋兵力を派遣しつつあり、南の要のオーストラリア連邦も、大兵力を地中海へと投入していた事が挙げられる。
 つまり、太平洋の軍事的空白が現出しつつあったことが、彼等を安易な戦争へと誘ったと言えよう。つまり、枢軸国が考えたような戦略をアメリカも泥縄式に考えたため、自分達の戦争準備が十分整っていないのに戦争を始めてしまったのだ。
 ちなみに、もし欧州での戦争が発生しないかソ連が動かなければ、開戦は2年は遅くなっていたと後世の史家は分析しており、その時点で泥沼の大戦争が発生しただろうとも予想している。

 『アメリカは、手前勝手な理由で日本との短期全面戦争を欲している。』
 1941年春、日本帝国の外交、情報組織、総合商社からの情報の全てがその兆候を示していた。
 この情報を事前に察知した日本政府は恐怖した。
 当時の日本政府は、アメリカの急な動きに対応できなかった。少なくともそう判断していた。それはソ連が欧州での失敗を極東で取り返そうと、一度成功した極東での成功再びとばかりに局地的な軍事行動の準備をしている可能性が極めた高いと判断されており、その集結しつつある戦力と配置は、最終的には北亜細亜のキーストーンである満州全土を目標としていることまで判明していたからだ。しかも、ソ連の属国共産モンゴルと満州帝国の緊張は再び高まっていた。つまり、ソ連はロシア帝国の借りを返すため、欧州の混乱でドイツが自分たちに目を向けられない間隙を縫って、極東での局地全面戦争を欲していたのだ。
 日本政府首脳は苦悩した。『アメリカとソ連との二正面戦争など出来る訳がない。だいいち我々の国力では、たとえ亜細亜諸国と団結しようとも、米国だけとの戦争に勝利することすら難しいだろう。しかも、現在帝国内と亜細亜同盟諸国は、少し前の皇国陸軍の暴走に未だ不信感を持っている』と。これは、その頃の外交官を初めとする上級官僚や大臣達の狼狽ぶりが、個人的な日記などにより知ることができる。
 しかし、アメリカとの戦争が不可避と察知した段階で、自分たちが生き残る方法を模索した。日本人たちは、愚劣かも知れなかったが、民族の存亡がかかっているだけにその行動だけは早かった。
 だが、今の時点での答えは一つだった。
 アメリカ人たちに先に手を出させ、戦争の正義を確保したのち、彼等に自分達との戦争は全く得にならないと思わせる程の損害を与えて早期講和するしかなかった。アメリカ市民の中にまだ残るとされる良識に期待したものではあったが、それだけに確実と判断された。
 そして、正面海軍力と造船力で優位に立っていた事が、日本政府を強気にさせる事になっていた。つまり、余程の事がない限り、敗北する事はないと。だが反対に、日本帝国はまだアメリカとの全面戦争を行える国力はないと判断されていた。
 だからこそ日本は、短期全面戦争でアメリカとの戦争をドローに終わらせ、戦略的優位を今後10年確保する必要があると判断し、この時の行動となったのだ。

 このため日本の政治・戦略面での戦争努力は、当初から戦争をどう手打ちにするかに全ての努力がそそがれる事になる。
 そう言う点では実に奇妙な戦争だった。
 まず、講和派のシンクタンクは、アメリカを内政的に非戦方向に国民感情を持っていくために西海岸に多数存在する親日派議員やJロビー(日系ロビーとユダヤ系ロビーを合わせた通称)に議会に対し工作し、また、アメリカ大陸を戦場にしたのでは、現在の国力では収拾不能の戦争になるのが分かりきっていたため、半ば同族国家であり友好国でもある諸部族連合とアズトラン連合王国に対しては、完全な局外中立の約束を取り付けられた。
 もちろん、枢軸全ての国から支援の約束を取り付け、さらに日本に好意的な国家からのさらなる好印象を受けるための努力も行われた。
 全てはグランド・ストラテジーの為だった。
 そして、最も重要な要素である「アメリカ連合に先に手を出させる」ため、一九四一年に入るとハワイ王国オアフ島の「真珠湾」には日本皇国の東太平洋艦隊と、アレウト列島東端のイヌィトマリの「幻影湾」にはアイヌ王国の北太平洋艦隊と言う二つの有力な艦隊が駐留を開始し、アメリカ軍をあからさまに挑発した。当然、シベリア戦線と関係のない日本帝国の各海軍は、完全な戦時態勢を取るべく急速に体制を整えつつあった。
 また、いまだに自らのシビリアン・コントロールに不安を持つ日本皇国政府と一部軍部の方は、目に見える勝利による軍部の独走を抑制するために、精神的に絶対的な存在とされる天皇家に対するチャンネルが確保され、不測の事態が発生した時には、決定的瞬間にアプローチする方向で調整が行われた。
 そしてもう一つの終戦材料として、今年(1941年)後半に入って本格化している欧州枢軸国による北アフリカでの攻勢が上手くいけば、米国内の世論も孤立主義が蔓延して厭戦気分の醸成に役立つだろうと考えられた。
 そしてそうした、日本の戦争を終わらせるための努力がピークに達しようする直前、全世界を驚愕させる方法でアメリカ連合は日本との戦争を開始した。


◆五. スニーキー・アタック(太平洋戦争1)