第一節 王家の名前

 まずは、国の基本となる王と王家から順に見ていきたいと思います。
 アイヌ国は古くからいくつかの集団として区切られていましたが、特にその地域の長となるものはなく、何かあった時はその時最も影響力のある長がまとめ役となる程度でした。それが「元」の統治時代に代官制度が敷かれ、まず役職としての統治者として一般的に認知されるようになります。そして、アイヌ建国の際に追放された「元」の代官に成り代わり建国の功労者が『王』として治めるようになり近代に至っています。これが所謂『根元氏族八王家』と呼ばれるものです。
 また、王家の由来となった言葉はアイヌ古語ですので、それを少し紹介しておきましょう。

王家の語源
レプンクル=南クイエ島
チウプカンクル=チウプカ列島
シュムンクル=モショリ西部地方
メシナウンクル=モショリ東部地方
ホレバシュンクル=モショリ南部地方
メシナシュンクル=モショリ東南部地方
ウショロンクル=モショリ北部地方
エミシュンクル=エミシ地方(東北地方北部)

 これが八王家の語源とされます。この王家の名称はその全てが土地名称からきているのがよくわかると思います。これ以外にも代官時代以前はウシュケシュンクルがありましたが、建国時に他との統合で廃止されました。ウンクルというのはアイヌ古語で「地方」を意味し、「王族」を意味する言葉ではありません。ですが、その地域そのものを名前とするところから、命名基準に直線的な傾向を持つアイヌに受け入れられ、そのまま王族を現す名詞とされました。
 また、16世紀半ばのアイヌ国建国王のコモタイン王は、シュムンクル家出身です。つまり彼の正式な名前は『シュムンクル・サンクスアイヌ・チコモタイン』となるわけです。
 そして、名前そのものは、これに後に交易による欧州の大量流入により『名』の変化が始まり、日本文化と日本語の大量流入により漢字表記の名前が普及する事でさらに複雑になります。ちなみに、『サンクスアイヌ』というのが、アイヌ王族であることを現し、最初にくる『姓』がどの地方王家の出身であるかを現しています。また、この各王家の名前はミドルネームとなる事で貴族の出身地域を表すことになります。別に貴族がそれぞれの王家に帰属する事を意味するわけではありません。
 ちなみに、多くの日本帝国人が『アイヌ人』と呼びますが、これはアイヌ語でなく日本語で、彼らアイヌは自分たちの事を『ウタリ』と呼びます。『アイヌ人』にとっての『アイヌ』とはアイヌ古語で『人』を現しますが、建国の折りに『サンクスアイヌ』が英雄でなく、国の代表としての名前として認知された事から『アイヌ』というのを外に対する自分たちの呼称としたのです。この辺りも国を代表するのが王族であるとする職人的アイヌの考え方と言えるでしょう。
 さて、これで王家の名の由来については分かったと思いますので、王家の名前をもう少し詳しく考えてみましょう。現在、アイヌ王家では漢字の名前を持った王族の方がいるのは知っていると思います。これは、アイヌ王国の文字が『ウタリカナ』と漢字により構成されているので、違和感がないと思いますが、これは、16世紀に入り大量の日本人が流れ込んできた事と、16世紀末に当時の奥州の大名伊達氏からエミシュンクル王家に婿養子に来た正宗公からの習わしで、正宗公の婿入り以後、王家の者の『名』は出身民族の命名基準に準じるとされるものです。これはもちろん一般民衆には当てはまらず、士族にすら該当しません。王族と貴族にのみ適用される命名制度としてのみ存在しています。ちなみに、正宗公の正式な名前は『エミシュンクル・サンクスアイヌ・正宗(マサムネ)』です。
 また、アイヌでは、『名』(個人)に重きがおかれ、『姓』(一族)にはあまり重きがおかれていません。これは、王族や貴族、特に王族が王族である事は自体が単なる称号のようなもので、その名を継ぐことに意味があり、どの王家であるのは記号以上の意味はあまりなかった事が伺われます。これは特に古い時代において顕著であり、17世紀に入りようやく姓名として認識されていくようになります。
 もっとも、『名』に重きがおかれるのは、アイヌが元々姓を持たない狩猟民族だった事と、彼らの近代化が同じく姓にあまり重きをおかないモンゴル人によってもたらされたからです。つまり、「サンクスアイヌ」というのはモンゴルの「ハーン」の称号とほぼ同じ意味しか持たないと言え、それが日本人の大量移民で変化し、王家の姓、『名前』として定着したと言えるでしょう。
 また、このころは貴族や王族にそれ以上細分化するような称号などはなく、この当時普及した階級制度の『王族』、『貴族』、『士族』、『衆民』によってのみ分けられていました。今日良く知られている貴族の称号などが取り入れられたのは、領土の拡張により領土格差などで称号を分ける必要の出てきた16世紀以降の事です。
 ちなみに、この王族や貴族に姓がつくようになると、士族や、衆民も同じように『姓』を付けるよう布告を出した辺りが、受け持つ役割以外は全て平等とするアイヌ的と言えるでしょう。しかし、当初士族以下の衆民の姓においては王族や貴族以上にいい加減な姓の付け方が行われ、そのかなりが自分の仕事をそのまま姓としていた者が多く、『姓』を付ける以前とさして変化なかったと言う文献があります。この状態が変化し『姓』として一般化するのは17世紀以降を待たねばなりませんでした。ですが、全ての国民に姓の制定を付けるよう布告したのは、官僚達が戸籍を効率的に管理しようとして王に上告したからだと言われています。アイヌにおいて上告という事はあまり見られないので、この事も文献として残っていませんが、その説が正しいと言われています。



第二節 各王家の特徴