■解説もしくは補修授業「其の弐拾六」

 ・・・ハァ、やっと終戦まで来ました。
 これでも超特急で鏡の向こうの大東亞戦争を追いかけてきた筈でしたが、ここまでかかってしまいました。
 いや、よしましょう。
 これ以上書くと、自分自身に対する愚痴になっちゃいますからね(苦笑)

 さて、当時の日本人に停戦(もしくは講和)を決断させるには、やはり「原爆」と「ソ連参戦」が是非とも必要でしょう。しかも、「カミカゼ」をやらかすまで追いつめられた後に、です。
 こればかりは、聯合艦隊が頑張ったところで、どうなるもんでもありません。日本人は、負け方を知らないのです。
 ただこの場合、上記したファクターが発生すると言うことが最も重要であり、規模の大小はそれほど重要ではないと思います。
 「カミカゼ」は追いつめられる段階を越えた心理状態の象徴で、「原爆」は抵抗を無意味なものとする象徴であり、「ソ連参戦」は日本有利の講和の望みを絶つ象徴だと判断するからです。
 本来ならここに「ドイツ停戦(敗戦)」というファクターがやってくる筈なのですが、史実を見る限り政府上層部ですらドイツに対しては「期待」という程度の考えしかもともと持ってません。実際、ドイツ降伏でも日本で何か具体的な動きがあったという記録はほとんどありません。だから、ドイツが無条件降伏しようが停戦しようが、心理的な面でのショックは他より低いと判断できるのではと思います。人間、直接的に殴られなければ、なかなか気付かないものなのでしょう。そう言う意味でも、「原爆」と「ソ連参戦」は大きな意味があると思います。

 また、日本本土に対する無差別爆撃こそが、日本国民に敗戦(日本軍の無条件降伏)を受け入れさせる準備期間となったとよく言わます。おそらくその通りだと思います。
 ですが、ここでは日本国そのものが、水入りによる俵一つ残しての引き分けです。本格的な本土攻撃がなかったとしても、日本側に敗北が受け入れられる素地はあると思います。それに、規模ははるかに小さいですが、日本の半分以上の地域にB29が入り込んで機雷をばらまいたり散発的な爆撃しています。日本人の過半が自らの事実上の敗北を受け入れる素地は十分かと思います。
 なんだか「思う」と言う主観ばかり書いてしまいましたが、多分に日本側の心理に関する問題が多いので、チョットした要素で変わる余地が多く、断定しにくいとお考えください。

 なお、私個人として、史実の大東亞戦争は、マリアナ沖海戦で日本軍全体としての組織的戦争能力が失われていると考えます。
 この時点で軍事的敗北は決定しており、あとは幾人かの著書にも見られるように「戦うための戦争」であり、国家としては「敗戦処理」でしかないと考えています。
 野球で言えば、コールドゲームのあとも、負けが決まった側が試合を続けようと言っているようなもんです。
 そして、今回の想定の中での「敗戦処理」への移行は、マリアナ沖海戦ではなくレイテ沖海戦であり、それ以後は史実と大きな流れの変化はないと思います。
 だから書いていても、何故か刹那的になるんですよね。史実の大東亞戦争ばかり見ている人が、「末期戦患者」になるのも分かるような気がします。私は否定しますけどね(苦笑)

 あ、そうそう私なりのこの世界の戦後については、この後で詳しく書いていきますので、ここでは特に触れません。
 なお、ここで当初予定の26話分かかってしまいましたから、これ以後はアフターを見ていく為のオマケ、もしくは外伝みたいなもとお思いください。
 まずは、ご静聴ありがとうございました。

■フェイズ二七「総決算」