■21世紀初頭の国力・経済力・国家略歴1

■日本国概要(2007年統計)

人口

 総人口:1億5080万人 
  (ほか中長期外国人居住者:260万人)
 ※2012年度統計では、先進国でアメリカに次ぐ順位となる。

 地域別人口
日本本土:約1億1950万人
北海道 :約730万人(千島列島含む)
南樺太 :約150万人
台湾  :約1800万人
沖縄  :約100万人
南洋  :約60万人

在外邦人:約110万人

在外日系人:約695万人
 東亜連邦:約450万人
 アメリカ合衆国:約100万人
 ブラジル:約110万人
 その他:約35万人

構成民族比率
 日本系:86%
 台湾系:11%
 中華系(在台湾):1%
 移民系:1%(ブラジル、東亜連邦系)
 その他:1%未満(ほとんどが、マレー・ポリネシア系民族、琉球、アイヌも含まれる)

 ・公用語
国語 :日本語
地方語:台湾語、上海語、他

国土面積

本土 :37 万7837km2
(※本州、北海道、四国、九州、沖縄とその周辺地域)
外郭地:7万9265.61km2
 詳細
南樺太:面積36090km2(樺太全島:約7.6万km2)
台湾 :36190km2
南洋諸島
 ミクロネシア:701km2(奄美大島とほぼ同じ)
 パラオ   :488km2(屋久島とほぼ同じ)
 北マリアナ :477km2(屋久島と同規模)
千島列島(北千島=得撫島から占守島まで):
        5319.61km2(※南千島:3129km2)

総陸地面積=45万7102km2 (※スウェーデンとほぼ同じ面積)

※「排他的経済水域」では、南洋諸島を含めた場合世界第3位となる。

経済/財政
(2007年)

日本本土(10州・47都道府県(沖縄含む))
南樺太・千島列島=北海道州に属する
台湾=台湾自治政府(6県に分立)
南洋諸島=南洋自治政府(北マリアナ、パラオ、ミクロネシアの3地方に細分化)

 ・経済/財政(2013年)
 通貨=円、銭
 為替レート:1$=平均11円台前半

 日本国の国家予算(2013年)
13年度:約108兆円(約9800億ドル)
 国防予算
国家予算比15・5%、対GDP比約1・9%
  =1兆6740億円(約1530億ドル)
 (※軍人恩給除く)
 宇宙開発予算(宇宙開発事業団)
13年度:約485億円(約44億ドル)

 国内総生産(名目GDP)(単位は兆ドル)
 2010年の世界のGDP(名目)
  世界:約63・1
  日本:約8・8(13・9%)
 ※( )内は対世界比率

・GDPトップランキング常連国
 (2010年から20012年)
 上位国(順位順 順位はほぼ不動)
 *アメリカ、*日本、*ドイツ、*イギリス、*フランス、東亜連邦、イタリア、中華民国
 次点(順位は入れ替わりがち)
スペイン、カナダ、*ロシア、*インド、*ブラジル、オーストラリア、メキシコ、オランダ

※「*」印付きは国連常任理事国
※2005年を挟んだ前後3年ほどは、グローバル化、資源高騰などを受けて、ロシア、インド、ブラジルなど新興国の伸びが著しい。

・G9(主要国首脳会議参加国)
アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、東亜、カナダ、(+ロシア)

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 ・

 ・

 日本国内情

政治(内政)
 政治形態:議会制民主主義(立憲君主制)
 元首:天皇(憲法上「象徴」と定義されている名目君主)
 首相:内閣総理大臣(実質的に最も高い政治権力を持つ。軍の最高司令官も兼ねる)

 明治維新で近代政府が成立して以後、憲法と議会を持つ立憲君主国として発展した。しかし、第二次世界大戦前の軍国化による政治的混乱で、民主政治は後退を余儀なくされる。
 第二次世界大戦での実質的敗北により、連合国指導のもと大規模な政治改革が断行される。大戦以後の冷戦時代は、戦前からあった政友会(後の日本自由党・外交重視)と立憲民政党(後の日本民主党・内政重視)による二大保守政党制を維持していた。これを国内では、「五十五年体制」と呼んだ。
 議会は、衆議院と参議院(旧貴族院)による二院制。
 先に挙げた自由党と民主党が、冷戦時代は議席の九割程度を有していた。他には、日本社会党が左翼系政党として存在した。だが、長い間の共産党非合法政策(敵視政策)により共産主義、社会主義活動そのものが国家レベルで抑制されていた。
 92年に共産党が合法化されて日本共産党が誕生(復活)したが、共産主義的、社会主義的な考えそのものが廃れた事もあり、政治的影響力は持っていない。
 また、戦後の憲法改革時に天皇象徴化に伴う政教分離が必要以上に強調・法律化されたため、キリスト教圏のような政党や、東亜連邦の公明党のような特定の宗教との関連性が強い政党は存在を許されていない。
 冷戦崩壊後、「五十五年体制」は終わりを告げ、混乱の中で政治改革と政党再編成が開始される。その中で、国民中心の改革を訴えた社会党右派勢力が一時的に台頭。勢力分裂があった民主党のうち左派と合併。さらには一部新規政党と手を組む形で社会民主党として躍進。一度だけ政権獲得をしている。しかしその後、政党は度重なる重大な失政と民心喪失もあって安定せず分裂と統廃合を繰り返す。現在は、様々な統廃合の結果、新たな形での民主党として再編成され第二党の位置にある。一方自由党は、社会民主党との選挙に敗北して以後に民主党右派と合同し、自由民主党を結党。約一年で政権を奪回。政党が安定した90年代半ば以降は、長らく政権政党としての位置にある。なお、冷戦崩壊以後は様々な政党が生まれては消え、今現在は自由民主党と民主党に大きく二分されている。
 一方、戦後拡大した地方自治だが、戦後連合国の指導で台湾、南洋が自治地域として強化され地方分権が進む。さらに台湾、南洋などの外郭地の地方自治拡大と共に地方分権が加速された。この流れは、2005年に自民党の強力な指導のもとで道州制が実現された。これにより、47都道府県あった日本本土は、10の州として再編成され地方自治能力を強化した。
 また台湾、南洋庁、北海庁は、80年代末には実質的な連邦国家として政府の体裁を持ち、道州制採用と共に自治州へと変化。南洋庁、北海庁は消滅した。また各地は、日本本土よりも高い自治を得ている。

 なお、明治時代に形成された貴族や財閥、大土地所有者など上流階層は、戦後もそのかなりが生き残った。身分制度の実質的解体や各種税制(累進課税、固定資産税、相続税)、貴族院廃止などにより政治力をなくしたと言われる。だが、伝統的な影響力を保持した支配力は明らかで、資産家・政治家など国家の中枢に関わる者も多い。華族制度も、特権のほとんど全てをなくすも名誉称号として残されている。

政治(外交)
 第二次世界大戦終了と日本の敗北と共に、実質的にアメリカ合衆国の影響圏に強く組み込まれる。特に崩壊寸前だった経済状態のため、戦後長らくアメリカ従属の性格が強くなった。
 国際連盟に続いて、国際連合においても常任理事国に選ばれたが、これも日本がアメリカの政治的コントロールを受けやすくなった証拠と言われた。停戦後の日本は、それほどアメリカの政治的干渉を受けたと言える。
 そしていわゆる『冷戦』時代全般では、アメリカを中心とする『西側』陣営のアジア最重要の国として位置づけられ、またその役割を果たすことになる。
 日本の外交が再び独自性を帯びてくるのは、冷戦が本格化して実質的な再軍備が進んだ「中華戦争」以後になる。そして「ベトナム戦争」の頃には、親米路線、西側陣営であることを柱としつつも、独自性を強くしていく。これは皮肉なことに、日本国内での反米意識の低下、親米意識の上昇と正比例している。
 そして、核戦力の整備など軍備の充実、経済の躍進と共に国家としての意識も上昇し、様々な分野でピークに達しようとしていた頃、冷戦終末期を迎える。
 冷戦崩壊後すぐの湾岸戦争において、日本は自らの石油戦略もあって、いち早くイラク討伐を打ち出し、英米などと連名で国連軍の派遣を総会で要請した。これをアメリカからの脱却の証だとする事もある。また、プラザ合意でのアメリカの日本に対する仕打ちを以て、日本の本格的な自立の始まりとする説もある。アメリカ債権を、ドル建てではなく円建てで購入するよう強く要請した事がその象徴とされる。
 そして、地球規模での南北対立(格差)、中東問題、民族対立が浮き彫りになった90年代以後は、アジア随一の大国として振る舞うことを求められ、期待に応えるえるべく様々な活動をしている。
 特に、半世紀前に自国近隣で見事な統治を行った事は高く評価され、直接的な軍の派遣(PKF)よりも支援活動(PKO)での活動での活躍や国際災害救助が目立つ。
 なお、近年は近隣諸国との対立が激化しており、欧州各国が軍縮に傾いている中、アメリカともども軍備の維持・充実が続けられている。

 ※戦後日本の宗教と政治
 第二次世界大戦前の頃に、天皇を中心とする疑似軍事独裁のため「国家神道」が各地で強制されるが、戦後の民主化により連合国の手によって解体。通常の神道に戻される。
 また、戦後の強い政教分離政策の影響で、政治影響力を持つ団体の政治参加が徹底して否定された。このため宗教団体は政治から身を引くか、日本人社会が生き残っている満州などへ移転していく。
 特に、平成に入って発生した「オウム真理教」による無差別化学兵器テロは国内外で大きな議論を呼び起こし、対テロ法の強化のみならず、同宗教に対する徹底した責任追及と解体を行っている。同時に、宗教に対する締め付けは強化され、政治への参加はさらに抑制されている。
 なお、有名な国外脱出組には、海外でもカルトと認定されている創価学会などがある。
 いっぽうで個人としての信教の自由がより多く保証される憲法が制定された事から、新興宗教が数多く勃興した。しかし、一神教に対する宗教心の薄い国民性から、大規模な宗教団体が出現する事は難しい。

経済
 産業人口比率(%)
第一次:第二次:第三次=3:29:68
 年間平均労働時間=
1700時間(欧州平均:1500〜1600時間)

 21世紀初頭の現在、先進国の中でも重化学工業、各種加工業、製造業が盛んで、産業の空洞化が叫ばれながらも依然として三割もの第二次産業の人口比率がある加工業を中心とした工業大国である。特に鉄鋼・造船産業で長期にわたり世界のトップクラスを維持している事は、先進国の中では珍しい事例の一つとなっている。
 反対に、地理的問題から日本国内に農地が少なく、また人的コストがかかるため、食糧自給率が先進国の中でも極端に低くなっている。このため、アメリカ、東亜、オーストラリアを始め世界中からの輸入に依存している。これは、各種資源の輸入においても同様である。
 食糧自給率については、問題視されるようになった80年代より政府が中心となって対策を行っているが、海外との価格差に加えて貿易摩擦や国内での価格差問題や農業従事者減少の問題もあって、思ったほどうまくいっていない。バブル期とアメリカ低迷時代の外交合戦の副産物として、若干歯止めがかけられた程度である。
 近年は、企業化の促進、高価値商品作物の輸出、休耕地(休耕田)の大規模な再開発、飼料米を中核とする飼料作物栽培の拡大、北海道、南樺太での大規模農業開発が緩やかに進んでいる程度である。食料自給率は、2000年代で概ね50%程度である。
 また日本の最大の懸案である資源問題だが、21世紀に入ってから激しくなった資源高騰問題では他国同様為す術が無く、資源輸入国である日本の停滞が大きくなると言われている。反面、海洋資源、航空宇宙産業に熱意を傾け出しており、日本が未来の資源に対して何を見ているかを物語っていると言えるだろう。
 いっぽうで、日本の輸出基幹産業である工業部門では、鉄鋼・造船のみならず、自動車、電化製品、先端工業品など様々な分野で高い数字を示している。特に高価値製品の分野では、依然として圧倒的優位を持つ。民間、政府による研究費投資も継続的に多く、欧米との特許取得合戦が続いている。また近年では、デジタル関連産業に加えて日本のお家芸であるロボット産業が急速な勢いで成長している。
 また第二次世界大戦後、一時的な停滞を余儀なくされた軍需産業と航空宇宙産業だが、同盟国アメリカが大規模な戦争を起こすたびに復活、再編、そして肥大化へと進む。そして80年代には、アメリカ、ロシア(ソ連)、フランスと並ぶほど発展し、輸出大国となっている。
 特に、世界で三番目に有人飛行を成功させた航空宇宙産業は、アメリカなど近隣同盟国と連携する事で高いレベルを誇る。

 純粋な産業以外での経済面、特に資金面だが、プラザ合意以後の急速な円高により、一時は世界を席巻するほど「円」の力は巨大となった。これは、21世紀初頭の世界の金融事情の先駆けのような動きであったが、日本一国での現象だったため世界規模では一時的でしかなかった。だがその後の経済失速が最小限だとされたため、日本経済と「円」は依然として世界経済の重要な一角を担っている。
 そしてプラザ合意以後に、国際決済をドル建て一辺倒から円建てを増やす後方に動き続けており、21世紀に入ると円の国際価値上昇が注目されるようになっている。
 また近年、日本市場の閉鎖性が取りざたされて外資が敬遠しがちというが、高い技術と生産力を持つ日本経済の価値は高く、当面その地位は揺らがないと考えられている。
 なお、社会全般において貴族・豪族・富農系地主・企業家・投資家など新旧裕福層の比率が低く、所得格差が欧米先進国の中でも低い点は、特筆に値するだろう。金融市場が全般で投機を避け、閉鎖性が高いとされる一因が富裕層のミニマムさにある。
 このためか、「小市民大国」と呼ばれる事がある。

文化・民族・習慣
 過去の歴史の例を見るように、明治維新による近代化以後の西欧化、第二次世界大戦後のアメリカ化など、時代ごとに自らの文化に異文化を取り込みながら変化・発展している。
 このため特に都市部では、古くからの木造建築を主体とする街並みと、明治・大正から戦前にかけて都市中心部で発展した西欧風(主にビクトリア風)建築、戦後昭和期に発展した近代建築、そして平成以後急速に増えつつある建築物が混ざり合うハイブリッドな景観を作り出している。平成以後は古い建築物の保存運動も盛んなため、尚のこと渾然とした佇まいを現しつつある。景観としては、アメリカ諸都市よりも、欧州のそれに近いだろう。
 ただし、近隣アジア系の文化は、一部をのぞいて表面的なもの以外あまり入り込んでいない。多少例外なのが、少数の華僑と日本風にアレンジされ観光資源化した中華文化ぐらいである。無論、台湾、南洋などの文化や景観は日本本土と大きく違い、それぞれの文化風土が保存される向きが強い。近年では連邦化促進の影響で、環オホーツク地域全体でのアイヌ文化の保護・復興に力が入れられている。
 人種的には、日本列島では「日本人」と定義される、ほぼ単一民族で統一されている。一方で台湾島や南洋諸島各地は、ネイティブが主になる。さらに台湾島には、中華戦争終了頃までに流れ込んできた多数の中華系民族が居住している。
 ただし、中華系のごく一部をのぞく住民のほとんどが日本に帰化しているため、広義の意味での日本人に変わりないし、過半が日本語を日常会話として使用して、国民意識も日本人としての価値観を有している。
 一方で、近年人口構造の変化による労働力の不足から、なし崩し的に事実上の移民の受け入れを行うようになりつつある。主に、日本人とつながりが深く日本語も通じやすい日系人、とりわけ東亜連邦人が大量に流れ込んでいる。このため近年では、移民に関する枠組みと、条件づくりが本格化している。
 文化的には、一般に「日本文化」と呼ばれる独自の文化・芸能・芸術体系は、長い間熟成を重ねたため国際的評価が高い。また、アジアでいち早く近代化を果たした事、欧米各国との大規模戦乱を経験した事、貿易大国として世界各地に優秀な日本製品が溢れている事なども手伝って、世界的認知度も比較的高い。
 なお、戦後発展したマンガ・アニメ産業、80年代以後急速に拡大したゲーム産業などの映像・娯楽産業を含めたコンテンツ産業が近年大きく発展している。これを、海外に向けての大規模な輸出が加速しているのが、近年での文化的特徴になる。

 ※※日本の宇宙開発※※
 日本の宇宙開発は、戦後連合国の厳しい軍縮の中、新たな国防、気象観測の二つの流れから始まる。
 国防の方は、誘導兵器の推進装置としてのロケット開発が主で、当然ながら兵部省が深く関わっていた。
 また中華戦争頃になると、文部省が東大を中心に新たなプロジェクトチームを作り、純粋な学術目的としての開発も始まる。
 そして1957年の「国際地球観測年」に際して、大気圏突破ができるロケットが必要になった事から、日本の全ての組織を結集して本格的なロケット開発がスタートする。
 初期のロケット開発は、日本海側の秋田で行われていたが、61年には打上により有利な場所を求めて、鹿児島そして沖縄へと移動する。
 当時沖縄は、中華戦争の影響もあって戦中に作られた陸海の基地がいまだに多数軍の所有物として運用されていた。中でも原爆爆心地となり更地状態だった場所の一部(といっても相当な面積)が、軍から国へと移管される。
 これが、「KADENA・BASE」の始まりだ。このため、現在の「嘉手納宇宙基地」の業界通称を「グラウンド・ゼロ」と言う。
 なお沖縄は、本土から離れている事の不利はあったが、広大で平坦な場所がすでに確保されている事、軍事施設だったため最低限のインフラが整っている事から、発射施設、工場、司令センターなどの建設は順調に進む。
 そして、日本の高度経済成長に沿う形で、宇宙開発予算も増額される。また宇宙からの偵察を目論む軍が予算を割いたため、さらに潤沢となった予算を使い、次々にロケットが開発、打上されていった。
 ロケット自身は、初期の頃は世界の趨勢に逆らって、固体燃料ロケットが主流だった。当初国内には、固体燃料しか材料がなかったからだ。だが1965年に、ソ・米・仏に次いで第4番目の人工衛星自力打上げ国になる。
 しかし、日本が主力とした個体燃料ロケットは、様々な問題から打上能力に限界があった。
 そうした中、1965年「宇宙開発事業団法」が成立して、通産省、科学技術庁の下で新たな宇宙開発が始まる。
 そしてこの組織成立と共に、それまで宇宙開発にあたっていた東大(+文部省)を中心とする開発グループ(宇宙科学研究所)は、各省庁の力関係とさらに政府上層部と軍の意向もあって宇宙開発事業団法の下に統合される。
 これ以後、日本全体で統一された組織となったNASDA(宇宙開発事業団)は、「N1」などの液体ロケットの開発を精力的に進めるようになる。
 同組織は、その後アメリカから技術を導入する事で技術開発のリスクを回避しつつ、開発速度を上昇させる。そして81年までに、「N」シリーズの開発・運用を終了し、より大型の「H」シリーズへと移行する。
 なお、日本初の液体燃料(ケロシン)ロケットとなる「N」シリーズは、継続的な通信衛星、偵察衛星打ち上げという目的もあって、都合50回近く行われる。また、これとはまったく別に、軍が導入した戦略原子力潜水艦が運用する潜水艦発射型弾道弾(ポラリスSLBM。後にトライデントSLBM)の実験の一部も請負っていた。
 そして、液体ロケット、大型弾道弾というアメリカの技術の多くを吸収した上で次のステップである、完全国産ロケット「H」シリーズへと移行する。
 「H」シリーズの特徴は、国産であることが強調されるが、既存技術の集大成による人的資源の削減と安全性の向上、量産によるコストダウンにある。つまり最初から商業利用と有人飛行を考えていたと言える。
 このため、西側世界の趨勢だった液体水素を推進剤とする事を次の世代の課題として、ロシアと同じアルコール系燃料の非対称ジメチルヒドラジンを用いている。
 当面、液体水素を諦めた背景には、短期間での有人飛行を成功させるためには、安全性を優先しなければならないという理由もあった。そしてその裏には、自力の有人飛行実現による国威発揚という、冷戦時代特有の機運が存在していた。
 なお、「H」シリーズには、打上能力の差によって二種類ある。大型のものを単に「H」シリーズ、小型のものを「H・Jr(ジュニア)」と呼ぶ。見た目での差は、エンジンが双発クラスターか単発であるかにある。
 前者は、低軌道に有人ポッドを送り込めるほどのペイロード(低軌道に15トン・静止衛星軌道に4〜6トン)を持つ大型ロケット。後者は、小型の探査衛星や偵察衛星を、迅速かつローコストに打ち上げるためのものになる。
 「H1」は、1984年に運用が開始され、86年12月には、ついに日本単独での有人飛行を可能とした。
 その後94年には、念願の大型水素エンジンに換装して打上能力を強化した「H2」が開発される(低軌道に20トン・静止衛星軌道に6〜8トン)。そしてさらに、コストダウンを行った「H2A」が21世紀に入ると就役し、欧州勢力を上回るペースで打上を続けている。
 そして、「H2」就役からは、ISS(国際宇宙ステーション)の建造にも本格的な参加をするようになる。ここからも、日本の宇宙開発が世界のトップクラスであると同時に、重い責任を持つことがうかがえるだろう。
 事実、ISSモジュール運搬及び物資補給の3割は、日本が担当したほどだ。
 その後NASDA(宇宙開発事業団)は、03年に独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)となり政府組織も整備され、日本の宇宙開発の完全一元化と民間化を実施。
 次世代型ロケット(※H2B・クラスターロケット)の開発も順調で、これは非常に大きなペイロードを誇り、その目標はもちろん月面だ。

 なお東亜連邦が、1970年代より日本に資金と人材を提供する形で開発に参画している。これは年を追うごとに拡大され、21世紀初頭の段階では事実上の共同開発と呼べるまでになっている。このため、「JAXA(Japan Aerospace eXploration Agency)」という名の改称が近年言われるようになっている。(JAXA(ジャグザ)=AXA(アクサ))へ。
 ちなみに、東亜連邦の予算を加えた場合のNASDA(現JAXA)の運用予算は、NASA(アメリカ航空宇宙局)に次ぐまでになっている。

■21世紀初頭の国力・経済力・国家略歴2