●謎の彗星群

 西暦2187年夏、月軌道で天体観測していた民間の天文台から、緊急というメッセージ付きで奇妙な報告がもたらされた。同様の報告は、他の観測所、宇宙船などからも少し遅れて無数にもたらされた。
 報告で一致していた事は、彗星の巣(オールトの雲)辺りから多数の彗星が太陽系内惑星軌道に入りつつある事。速度が異常に速い事。そして何らかの要因で、自ら軌道を変更した可能性が極めて高い事、だった。
 すわ異星人襲来かと、一時は騒がれた。だが、詳細な観測の結果、飛来しつつあるのはかなりの大きさだがただの石の塊にすぎない事が判明した。少なくとも異星人のUFO群や大艦隊ではなかった。調査の最終結果も彗星群と判断され、近傍の恒星の移動もしくは彗星の巣内での小惑星同士の衝突の影響ではないかと考えられた。
 人工的な軌道変更も、ほぼ同じ超高速で同一方向に多数が移動する彗星同士による、移動速度の差がもたらした衝突の影響ではないかと考えられた。また、小惑星崩壊もしくは衝突による影響という仮説は、太陽系内に急速に飛来しつつある彗星のほとんど全ての放射線濃度が異常に高い事によって補強された。彗星自身の密度の高さも、かつては小惑星の中心核付近の物質だったのだろうと判断された。
 だがこれこそが、人類が初めて体験する「遊星爆弾」だった。
 地球人類で後に「遊星爆弾」名付けられる彗星を最初に目撃するのは、木星開発者達だった。ガミラス側のデータ不足と計算ミスにより、木星の重力に捕らわれた「遊星爆弾」のいくつかが肉眼で確認されたのだ。
 木星の大気に触れて真っ赤に加熱しながら落下していく彗星は、いまだ平穏を疑うことを知らない地球人類全てのお茶の間に届けられた。
 この時地球人類全てが異常な彗星群に関心を向けたのには、大きな理由があった。それは彗星の八割以上が、地球に落着する恐れがほぼ確実だとされる軌道を飛んでいたからだ。
 最初にそれが確認されたのが、彗星の地球落着の約二週間前。彗星が地球に落下した際の爆発威力は、TNT火薬で100メガトン(TNT火薬1億トン分)級のものばかり。落下確実の数は、最低でも3ダース。地球全土に惑星規模の災害を引き起こすのに、十分な規模と威力だった。
 当然、地球人類の各国家連合及び宇宙で唯一公的に武力を持つことを許された国連及びその組織である宇宙保安機構は、全力で災害阻止の行動に出た。
 とは言え、相手は最大直径数百メートルの巨大な彗星群。メガトン級の核弾頭程度では、進路変更すら難しいものもある。最も有効なのは、小惑星帯などに存在する貨物射出用マスドライバーを転用した小惑星を砲弾とする「狙撃」だと結論され、急ぎ実行に移された。毒を征するには毒を用いよというわけだ。
 しかし超高速で移動する彗星全てを、ピンポイント照準が難しい機器と小惑星を用いて破壊もしくは軌道変更するには限界があった。また時間的制約も酷く限られていた。
 結局、国連の軍事組織である宇宙保安機構が絶対防衛線とした小惑星帯突破を許し、火星軌道へと至った段階で阻止第二弾作戦が開始される。これは様々な核兵器など弾頭を使用した各種ミサイルによる、破壊と進路変更を画策したものだ。
 中には試作的に製造された「反物質爆弾」や「レーザー水爆」も存在しており、彗星群阻止に効果を発揮した。特に「反物質爆弾」の威力はすさまじく、彗星の爆発威力以上の破壊力を発揮して、使用した人類側を驚かせている。
 だが、各種爆弾を用いた破壊工作も、彗星群全てを阻止するには至らなかった。初期の三割近くは、依然として地球に向けての行程を消化しつつあり、地球に近づくにつれて継続されていたマスドライバーによる「狙撃」もしづらくなっていた。地球軌道付近には多数の人工物があり、既にマスドライバーによる二次災害が発生しつつあったからだ。
 そして人類側は、動員できるだけの戦闘用艦艇ととある切り札を二つ、地球軌道上に急ぎ用意する。切り札の一つは、この当時宇宙開発用に数基建造された、超大型の宇宙基地、いわゆる「スペース・コロニー」を用いたものだった。
 スペース・コロニーは、宇宙空間においては法外なほどの熱を帯びるため、常に大規模なレーザー通信を用いて廃熱しなければならなかった。しかも最大規模のものは10兆トンもの質量を持ち、相応の人数が生活していた。当然ながら、生産される熱量も膨大だ。今回は、このレーザー通信用の設備を転用し、瞬間的に超高出力で放出する超巨大レーザー砲にしようというものだった。
 この「レーザー砲」の威力は、当時開発されたばかりの最大威力の軍事用各種レーザー砲(荷電粒子砲がほとんど)の数十倍の威力があり、超大型の彗星を貫通・破壊する事が可能なエネルギー量を有していた。
 またもう一つの切り札は、当時月軌道(ラグランジュ1)で建造中だった、次世代型超大型恒星間探査船群だった。惑星改造能力を強化した同船は、全長は20キロメートル近くに達し、密度が高いため総重量もキロメートル単位の小惑星に匹敵した。そして移動可能な巨大な人工構造物が、すでに3隻自力で動かせる段階にまで艤装が進んでいた。この超大型恒星間探査は、航行中のデブリ対策のため数百メートルもの岩塊をものともしない0Gチタンと、新たに土星で発見された新合金コスモナイトによる装甲を船首付近に備えていた。しかも熱転換型の「防御」装置も備えられており、その石頭は人類史上最強であった。また、構造物の重量そのものも彗星よりはるかに大きいため、ある程度の速度で稼働さえすれば、運動エネルギー差で彗星の地球落着阻止が可能だった。
 無論船が失われる可能性があったが、背に腹は代えられなかった。
 また地球上では、比較的早くから人口密集地帯での疎開が開始され、特に落着予測地点での疎開は活発となった。しかし人類は、このとき気づくべきだったかもしれない。彗星落着地点の多くが、地球上で最も重要な場所ばかりである、という事に。
 だが人類は、飛来しつつある彗星が人工的なものであると気づく事なく、彗星の地球到来の日を迎える。
 事実上の戦闘とすら言われた、地球圏での彗星の落着阻止「作業」は熾烈を極めた。途中、多数の死傷者と損害を出しつつも、懸命に続けられた。英雄的行動も一つや二つではなく、この時後の「地球防衛軍」の前身である「国連宇宙保安機構」の「提督」であった沖田十三の機転と活躍は後の語りぐさになったほどだ。
 しかし人類は、全ての彗星の地球落着を阻止できなかった。
 原因はいくつかある。
 最大のものは、当時の人類の許容量を超えた「災害」だった事。もう一つは、当時地球上で最重要拠点だった場所に落ちると予測された彗星のいくつかが、ほぼ同じ軌道に並んで落ちていった事だ。このため後ろに位置していた彗星の破壊に至らない事が多くなったのだ。
 結果、直径約200メートルの彗星4つがほぼ無傷で流星となって地球各地に落着し、破壊されるも破片となった無数の岩塊が、地球全土に降り注いだ。
 この時彗星が無傷で落着して破壊された都市及び地区は、欧州ライン川河口部流域、アメリカ東海岸北部、中国揚子江河口近辺、パナマ運河地帯になる。
 どこも、落着地点は直径約2キロメートルのクレーターがうがたれ、半径十キロ以内の地上物は消滅し、半径数十キロ四方が壊滅的打撃を受けた。しかも爆心地を中心に極めて高濃度の放射能汚染をもたらし、グラウンドゼロから半径50キロメートル圏内での生命の生存は不可能となった。安全圏を考えれば、どれほどの努力を行っても半径100キロメートル圏内が居住不能範囲となる。
 また、彗星の小さな破片の多くが地表の多くに落着して、縮小再生産された被害を地球のほぼ全土にもたらした。地球全土の人的被害は、一次的なものだけで死者2000万人。被災者の総数は、10億人にも達した。しかも、いずれも地球上での経済重心だった地区の壊滅の痛手は大きく、特にアメリカ地区は行政府と経済の中心が破壊もしくは居住不可能になったため被害は深刻だった。この時首都も、臨時にアメリカ西海岸に移されているほどだ。
 しかし人類は、未曾有の災害に敢然と立ち向かい、その多くを克服していった。そしてこの時の「災害」での一番の成果は、国連が地球人類規模の組織として初めて本格的に活動した点にあり、以後数年で人類の政治重心を一次的に宇宙へ、そして国連へと移す大きな役割を果たした事だろう。
 また、再び彗星群がこないとも限らないので、「宇宙防衛」のための大威力破壊「兵器」の開発及び配備に拍車がかかった。つまり、それまで最低限とされていた宇宙兵器開発の、大きな準備期間として機能した点も無視できないだろう。
 ただし人類は、大きな問題を一つ見落としていた。
 彗星が人為的に地球に飛来した可能性の追求を、遂に行わなかった事だ。
 そして、この地球人類規模での「災害」対応を、宇宙の深淵から注意深く観察している者達がいた。
 大ガミラス帝国移民局、銀河系方面辺境派遣部隊の一員達だ。


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