●地球復興と地球防衛艦隊再建

 地球人類側の資料で、西暦(地球歴)2192年から始まった「ガミラス戦役」は、紆余曲折の結果西暦(地球歴)2200年4月30日のガミラス本星壊滅によってガミラス帝国は国家として崩壊し、地球人類の事実上の勝利で終わった。
 ほとんど偶然の産物の勝利、奇跡の逆転劇で勝利を飾り絶滅の危機を回避した地球人類だったが、戦争の傷跡は余りにも深かった。
 失われた人口だけでも、総人口の90%、180億人以上に達した。大規模な爆撃を受け続けた地球を始め、太陽系全域での被害も甚大だった。失われた社会資本の被害も極めて大きく、太陽系内に存在する人類側資産の70%以上が、文字通り消えて無くなるか無価値な瓦礫となった計算になる。しかし逆を言えば、皮肉なことに生き残った人類が生きて行くには十分すぎる資産が残されていた事にもなる。
 だが人類には、地球復興の切り札が何枚もあった。しかもほとんど全てがエースやジョーカーばかりだった。
 主なものは、ガミラスとの戦いで得られた様々なオーバー・テクノロジーと、イスカンダルから全面譲渡を受けた完全な形でのオーバー・テクノロジーだ。特にイスカンダルの放射能除去装置「コスモクリーナーD」力と、ついでのような形でもらった環境改善マシン(テラフォーミング・システム)の威力は、もはや魔法的ですらあった。
 地球を中心に太陽系中の放射能汚染は、大量生産された「コスモクリーナーD」により瞬く間に浄化されていった。そして放射能除去を先陣とした地球ならびに太陽系、そして地球人類社会の復興は、光の早さをも越えるのではと感じられたほどだ。
 大量量産された波動機関から得られる無限のエネルギー。イスカンダルからもたらされたテラフォーミング・システムの応用による地球環境の劇的な改善。様々な新型プラント、ナノマシン群、自動工作機械群を用いた急速な建造物の再建並びに新設。そして新たな地球防衛艦隊の編成。全てに、ガミラス襲来以前より数世紀進んだ、場合によっては数十世紀も進んだオーバー・テクノロジーが全面的に使用されていた。
 もともと以前から惑星改造の準備をしていたり、戦争中に努力を重ねていた成果も重なってはいたのだが、それらも新たな力と重なったことで一気に現れた格好だ。
 ではまず地球復興を見てから、次に地球防衛軍並びに地球防衛艦隊に移っていこう。

 地球復興の第一段階は、何をさしおいても「コスモクリーナーD」による高濃度放射能の除去だった。
 これは「ヤマト」帰投中に、旅に同行していた稀代の科学者にして技術者、ドクター・サナダ(※博士号を5つも取得し、後にノーベル賞を3年立て続けに取り、パテントによる収益で莫大な富を築くも、全てを地球人類のために使っている)によって、プロトタイプの製作並びに稼働実験がすでに終了していた。事実、装置を稼働したまま地表へと降り立った「ヤマト」の周囲では、急激な放射能濃度の低下が観測された。帰投直後の映像にも、危険なはずの深度の浅い地下ドックで防護服なしに抱き合う人々の記録が残されている。
 また、プロトタイプ製作の過程で生産の簡易化と同時に改良点も見つかり、「ヤマト」が帰投すると全てを差し置くように大量生産が開始された。確かにコスモクリーナーは複雑な構造のシステムだったが、作り方さえ判ってしまえばそれほど量産の難しい装置ではなかったのだ。
 そして特に設置及び稼働が急がれたのが、放射能の底で通信を絶ってしまった世界各地の地下都市に対してだった。
 これまでは地表の放射能濃度が強すぎて、防護服や宇宙船を用いてすら近寄れない場所が無数に存在していたからだ。ガミラス側が戦争終盤にある程度地下都市上層部を狙ったのも、これに拍車をかけていた。
 そうして通信を絶った場所には、大国の首都地下都市なども多数含まれており、ほとんど決死隊のような救援部隊が2200年10月までに、「ヤマト」が降り立った日本地区から完成したばかりのコスモクリーナーを携え地球各所に派遣されていった。
 なお、「ヤマト」が自らが建造された日本地区に降り立ったのには、いくつか理由があった。
 東京地下都市に地球連邦政府の仮首都がある事、地表に降り立てるドックが日本地区以外僅かしか存在しない事、コスモクリーナーの製造可能なプラントが存在する事、そして日本地区がガミラス戦役全般を通じて地球環境保全のための装置を全力を挙げて生産していた事にあった。そして日本地区が生産、稼働させていた地球環境保全の装置とは、ナノマシンを大気中に散布して塵や水蒸気を正常な状態に戻すためのものだった。
 もともとは火星テラフォーミングのために数十年前から開発され改良が続けられていた装置だが、ナノマシンを使うという点でコスモクリーナーDと似たシステムであった。そしてこの装置を熟知していた「ヤマト」乗り組のドクター・サナダが、日本への着陸を強く具申していたのだった。
 そして2199年11月以後、遊星爆弾が飛来しないようになると、日本地区が主導していた高濃度放射能以外の地球健全化工事は順調に推移していた。「ヤマト」が帰投した2200年9月の段階で、すでに大気中の塵や分厚い雲は半減してスペクトルも赤から徐々に青に戻りつつあった。
 また、地球衛星軌道には月地下工業都市群で新たに建造された超巨大集光ミラー群が多数設置され、地球の気温を元に戻すための荒療治も施されていた。これらの工事のおかげで、「ヤマト」帰還の頃には日光照射の増大に平行して氷河の急速な融解が始まっており、「ヤマト」が帰還すべき元秘密ドックのハッチも後数週間遅ければ海の水が戻ってきていたほどだった。
 そしてこの地球健全化の工事は、イスカンダルからもたらされた遙かに進んだテラフォーミング技術を加えることで大きく進歩し、また復興速度も革新的に上方修正された。これは、地球各地ばかりか月面、火星にもコスモクリーナーが設置され、工業施設、資材、社会資本が再利用されることでさらに加速した。2201年の新年には、地球表面の多くの場所で「初日の出」を見ることができたほどだ。
 しかし、地球の放射能除去と大気の健全化の全てが順調だったわけではない。

 もともと「ヤマト」帰還は、経過はどうあれ地球滅亡のタイムリミットとされたほぼギリギリだった。このため、高濃度放射能に閉じこめられたいくつかの地下都市が時間遅れになっていたのだ。結果、生き残った地球人類の総数は下方修正を余儀なくされ、最終的に死地を脱することができた地球人類の数は、約18億人となった。
 200億人を数えた総人口は、たったの18億人だ。しかも月面を中心に生存していた人々が約2億人含まれるので、地球上で生き延びた人々の生存率はわずか8パーセントに過ぎなかった。
 被害の多くは安定した地盤を祖国としていた地域で、加えて地球赤道面の大規模な陸地を中心に被害が大きかった。国家として完全に滅亡した地域も10や20ではきかなかった。この背景には、ガミラスが最初に入植を考えていたのが、地表の安定地盤上や赤道面だったからだと推察されている。
 一方、環太平洋造山帯、アルプス・ヒマラヤ造山帯のエリア、北極、南極に近いエリアでは、比較的多くの人々が生きながらえることができた。
 特に火山脈、造山帯、地震が集中している日本列島など一部の造山帯集中地域、分厚い氷河がガミラスの関心を下げさせたと思われる欧州北部、ロシア、カナダ並びにアメリカ北部、そして南極での残存率は高かった。
 このため、ガミラス戦役以後の地球人類内の人種構成がかなり変化してしまう。極端な例の一つが日本人の比率で、ガミラス襲来前は、総人口の0.5%以下にまで減っていた比率が、5%近くにまで拡大している。また、残存地区の関係で白人比率もかなり増えていた。これをあえて歴史上に近似値を求めるなら、20世紀初頭の人口比率に近くなっていると言えるかもしれない。ただし、有史以来常に大人口を抱えていた中華地区、インド地区などアジア主要部の人的被害は大きいという表現すら越えているため、完全に近似値を求めうる時代は存在しないのは確かだ。
 ガミラスとの8年間もの戦いは、人類史ばかりか人口史すら大きく書き換えてしまったのだ。

 一方、ガミラス襲来とは関係なく、ずっと以前から宇宙放射線からの防護のため地下鉱山跡に潜って生活していた月面地下都市群の残存率は、地球と比べると比較にならないぐらいパーセンテージが高かった。ガミラス戦役後半は、月面表層の放射能のおかげで活動は著しく停滞していたが、結果的に月面で生き延びた人類の数は約2億人を数えた。
 また、ガミラス戦役以前(特に22世紀初頭から半ばにかけて)から建設されていた贅沢な仕様の人工的な自然や地球から移設された資産も多く、単なる生産活動ばかりでなく、後の復興と、さらに後の移民で大きな力を発揮するようにもなる。
 そして地球上で最後まで抵抗を続け、高度製品の生産も維持した日本地区の地位は大きく向上した。さらに、地球連邦政府の仮首都があった事、「ヤマト」が様々な物理的制約の影響で日本での建造並びに運用による艦であった事、高度な人的資源(宇宙戦士(軍人)含む)の残存率が高かった事などから、当面は日本中心の政府並びに軍隊の運営が行われる事になる。他の地域や国単位では、政府運営や軍隊どころか、その日の生活を何とかする事すらままならなかったのだ。
 この点、本来なら月面の果たす役割も大きくなるのだが、政治的に統一された組織を持たず自立性が強い月面が政治的に大きな力を持つ事が出来ず、また日本地区が果たした役割の大きさの前に全てがかすんでいたと言えるだろう。
 
 「ヤマト」帰還から数ヶ月後、残存地球人類の救援がとりあえず一段落すると、次に行われたのは全ての人々に対する生活の保障を提供する事と、社会資本の復興並びに再整備だった。地球環境の健全化は、引き続き無数のコスモクリーナーDを稼働させ続ける事と、膨大な量の環境改善用ナノマシンを無人でばらまく事、加えて人為的な自然再生プログラム以外は二の次に置かれていた。どのみち環境復興は時間のかかる作業だからだ。
 そして本格的復興に入って大きな役割を果たしたのが、月面奥深くに逃れていた地球人類社会最大級のプラント群と、火星テラフォーミングのため火星に運び込まれ、その後ガミラスによる破壊を免れるも放射能まみれになっていた膨大な資材と自動工作機械群だった。
 ガミラス戦役での人口の激減により、火星のテラフォーミングの必要性は当面なくなっていた。そこで既に火星に投入された資源・資産の全てを、地球復興に使おうというのだ。諸々に必要な工業製品に関しては残存率の高かった月面の各都市で生産すればよく、また火星からの運搬船には丈夫なためガミラスですら愛想を尽かして放置されたままとなっていた、次世代型超大型恒星移民船の生き残りが当てられた。
 超大型恒星移民船には、急造の非ワープ型波動機関が無数に据え付けられ、まるで飛行船のようになった全長20キロメートルの巨大船は火星と月の間を、ほぼ二週間のペースで往復し続けた。
 そして当座の資材や資源が不足してくると、ようやく小惑星、木星、土星へと復興並びに建設の手がさしのべられるようになった。その頃には、輸送船など多数の船舶も就役し、活動を開始していたので、規模の拡大は急速だった。
 そうして地球人類の過半数が、最低限の生活(配給制の人造食料からの(一部)解放)を取り戻すことができたのが、「ヤマト」帰還からおおよそ半年後の事だった。
 そして人々が一段落ついた頃、地球の平均気温はほぼ平常値にまで回復し、海は平均水面にまで戻り、氷河は標準値近くにまで後退し、大地に緑が甦り、空には完全に青空が戻っていた。北半球には春の日差しが優しく降り注ぎ、大地に花が咲き乱れ空には昆虫と鳥が戻ってきた。
 その段階で地球各地に残されていた都市の再生が急ピッチで再開され、またクレーターとならないまでも大きく破壊された地区の再開発事業が一部でスタートした。
 そして、生存から復興へと大きなベクトルを描いた人類の熱意、ある種のレコンキスタとでも呼べる情熱は、さらなる飛躍へと向かおうとしていた。
 その象徴が、装いを新たにした地球防衛艦隊の姿であった。


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