十人十色<其の一>
その日は、とても暖かく、まさしく小春日和だった。
「春眠暁を覚えず、か」
少年は、そんな言葉を口にしながら木陰に腰を下ろした。肌は雪のように白く、紙は墨を流したかのように黒い。彼が木にそっと背を預けると、滝が流れるかのように髪が流れた。普段は鋭いその眼差しを、ふと緩める。
「たまにはこういうのもいいだろう」
小さく呟くと、少年は目を閉じた。
周りの時間がゆっくりと流れていく…
「あ、仙蔵だ」
小平太と長次がその場を通りかかったのは、ちょうどそのときだった。小平太は右手を大きく振った。
「おーい!!せんぞ…」
小平太が叫ぼうとすると、長次は、徐に背後から手を伸ばし、小平太の口を塞いだ。小平太は一瞬目を見開き、しかし直後に長次の手を振り解いて抗議の目を向ける。
「いきなり何すんだよ!!長次ッ!!」
「…………」
長次の口元が何やら小さく動く。本人は何やら言い返しているらしいが、理解できない。小平太は眉をひそめた。
「長次。それじゃわかんない。一体何を…」
長次を問い詰めようとする小平太だったが、彼の代わりに答えるものがいた。
「邪魔するな、って言ってるんじゃない?」
「伊作」
小平太は突如現れた友人に、やや驚いた様子だった。伊作は背中の荷物を軽く背負いなおすと、軽く微笑む。
「あの仙蔵が昼寝なんて、きっと疲れてるんだよ。そっとしてあげよ」
「…………」
長次も相変わらず無言のまま口の前で人差し指を立てる。小平太はむう、とむくれた。
「ちぇ、つまんないの………そだ、伊作、これから…」
ヒマ?そう聞こうとした小平太に、伊作は笑顔のまま荷物を見せた。
「手伝ってくれたら、その後宿題でも買い物でも付き合うけど?」
「ま、委員会、頑張れよ」
やっぱり。
力なく溜息をついた伊作の背から、トイレットペーパーが1ロール、ころりと転げ落ちたのだった。
ちょうどその時。
軽く寝息を立てていた仙蔵の眉が、ピクリと動いた。
風がそよぐ。木々の葉がざわめく。
はらり。
何気なく落ちてきた一枚の木の葉が合図だった。
「!!」
これが今まで寝息を立てていた人物だろうかと思うほどの敏捷さで、仙蔵は地を蹴った。先ほどまで仙蔵がいた場所に、同じく体重を感じさせない動きで、男が降り立つ。手には苦無が握られており、その先が地面に深々と刺さった。
「流石」
男――文次郎は、そう言うと、顔をあげてにっと笑って見せた。仙蔵は構えを取ったままで、この上なく不機嫌そうな顔をした。
「まあ、そう怒るな」
「殺されかけてもか?」
「お前を殺せるヤツはそういないだろう?ってか、お前って殺しても死ななさそうだし」
文次郎は、くく、と笑った。仙蔵はすごみを帯びた目で文次郎を睨む。三年生以下なら飛んで逃げる程である。
「わざわざ喧嘩を売りに来たのか」
「違う違う。ちょっと面白い話があるもんで」
「面白い話?」
仙蔵は眉を少し寄せた。文次郎に催促の視線を送る。
「ああ。ちょっと耳貸せ」
「普通に話せばいいだろう?」
「何処でどんな敵が聞いてるか解らんからな」
文次郎は仙蔵の同意を待たずに、耳元でぼそぼそと呟いた。仙蔵の切れ長の目がさらに鋭さを帯びる。
「どうだ?仕入れたてほやほやだぞ?」
「まあ、お前に聞かせたのはわざとだとして…話自体の信憑性はかなりあるな」
仙蔵はさらり、と言ってのけた。文次郎は少し肩を落とした。
「やっぱりわざとか?」
「ああ。お前に気付かぬ者が、この学園で教師をやっていけると思うか?」
文次郎は苦笑いを浮かべた。仙蔵の、相変わらずのストレートな言いぐさに、呆れる反面、尊敬の念さえ抱いてしまう。
「ちぇ…まあいい。他のヤツにも伝えてくるよ」
走り出そうとして、文次郎はぴたりと足を止めた。
「あ、仙蔵」
「なんだ」
文次郎は急にまじめな顔をした。そして、一言。
「お前ともあろうものがあんなに無防備に昼寝して…敵に襲われたらどうするんだ?以後気を付けろよ」
「ほう…その敵というのは…お前のことかッ!?」
仙蔵の目がカッと見開かれる。
ぷちり。
その時、とても小気味の良い音が、文次郎の耳にも届いたのだった。
ドォ…ン…
遠くで聞こえる爆音に、最後の補充が終わった伊作は溜息をついた。
「仙蔵の寝起きが悪いことくらい、みんな解るだろうに…」