不撓不屈

 夕刻。
 漸く授業も終わり、昼間の緊張から解放された生徒達はめいめいにリラックスしている。
 件の六年生の五人組もいつもの通り木陰に集まってとりとめのない話をしていた。
「早かったよな。入学してから」
 仙蔵が急に遠い目になって言った。
「入学したのが昨日のことみたいだもんね」
 伊作も遠い目になった。
「お〜い、帰って来〜い」
 小平太は二人の目の前で手を振る。仙蔵と伊作は遠い目のままで素早く蹴りを放った。
「うが」
 小平太は呆気なくこかされる。
「相変わらずだな、小平太」
 文次郎がにやりと笑って小平太の顔を覗き込んだ。小平太はむっとして文次郎を上目遣いで見る。
「…なんだよ」
 文次郎は少し口ごもりながら言った。
 小平太は暫く寝転がったままで文次郎を見ていた。
 瞬間。
「私には未練があるんだ!!!」
「うわあっ」
 小平太はがばりと起きあがって叫んだ。文次郎は思わずのけぞる。
 余りの声の大きさに、黙って様子を見ていた長次、そして遠い世界に行っていた仙蔵と伊作までもが我に返って振り返った。
「何だよ小平太、いきなり」
 文次郎は体勢を立て直すと小平太にくってかかった。
「いやあ、悪い悪い」
 小平太はへらっと笑って誤魔化した。しかし、すぐにまじめな表情に戻る。
「入学してから苦節6年。私は目標を持ち、それを達成すべく日々精進を繰り返してきた」
 小平太は急に拳を握りしめて語りだした。
「目標を達成するためなら何でもやった。晴れの日も、雨の日も努力に努力を重ねた」
 だん、と小平太は大きめの石の上に足を乗せた。思わず、文次郎達4人は拍手をする。
「しっか〜し!!」
 小平太はくわっと目を開いた。はっきり言って迫力があった。長次までもが呆気にとられている。
「私には未だ達成されていない永遠の目標があるのだ」
「あ、解った」
 話の腰を折るように伊作はしゅたっと手を挙げた。
「伊作くううううううん。君なら解ってくれると思ってたよ」
 小平太は伊作の上がっていない方の手を握りしめ、キラ目で伊作を見上げた。
 伊作はにっこりと微笑んで言った。
「もちろんだよ。友達じゃない」
「いさくうううううう」
「こへいたあああああ」
 二人は友情を確かめ合い、涙した。文次郎、そしてあの長次ももらい泣きをしていた。
 しかし仙蔵だけはしらけた顔をしていた。
 ――このままじゃ世界の終わりまで戻って来そうにないな。
 仙蔵は溜息をついて言った。
「はいはい、友情の尊さは解ったから。で、何に未練があるんだ?」
 仙蔵の一言に漸く二人は我に返った。
「そうだった。…では伊作君。友人諸君を代表して言ってくれ給へ」
「何故にそこだけ文語調?――ま、いいけどさ。とにかく言うよ?」
 伊作は小さく咳払いをした。
「小平太…学食のメニュー、制覇してないんでしょう!!!」
 小平太は灰になった。燃え尽きて灰になった。
「あの…小平太?」
 今にも風にとばされそうな小平太をおそるおそる覗き込みながら伊作は言った。
「もしかして…委員の完全制覇だった?」
「ちっが〜う!!!」
 小平太は復活した。伊作は本能的に避ける。
「私の目標っていうのは、三郎の素顔を見ることなんだ!!!」
 小平太の後ろで波が砕けた。伊作は何も言わずにただただこくこくと頷く。
「長次」
「…何だ」
 小平太は急に長次の方を向いた。長次は少しごもった返事をした。
「確か長次は図書委員で三郎の友達の雷蔵と一緒だったよな」
「…それで?」
「雷蔵にこれ、渡しといて」
 そう言って小平太は長次に一通の手紙を投げてよこした。長次は無言でキャッチする。
 ――ふわらいぞうさまへ。
 手紙にはそう書いてあった。
 漢字くらい使えよ!長次はのどにでかかった言葉を思わず飲み込んだ。

「七松先輩からですか?」
 委員会の終わりに、徐に手紙を差し出された雷蔵は思わず目の前の長身の人物を見上げた。
「…」
 長次はこくりと頷く。雷蔵はおそるおそるその手紙を手に取った。
 ――ふわらいぞうさまへ。
 平仮名で書かれたその表書きに雷蔵は一瞬首を傾げる。
 しかし、長次の視線に気付くと、手紙から長次へと視線を移し、ふわりと微笑んで見せた。
「ご苦労様です」
「いや」
 長次はぶっきらぼうにそう言うと、図書室を後にした。

「三郎はどう思う」
 長次と分かれた雷蔵は一直線に、親友である鉢屋三郎を訪ねた。
 雷蔵の変装をしている三郎は、渡された手紙に一通り目を通す。
 ――ふわらいぞうさまへ。
   明日のゆうがた、校舎うらでおまちしています。
      七松小平太
 読み終えた三郎は眉をひそめた。元の通りに手紙を折り畳むと雷蔵に返す。
「クサいな」
 三郎は雷蔵の顔のままで腕を組んだ。
「なんかあるぞ」
「三郎もそう思うか」
 雷蔵も腕を組んだ。
 同じ顔の二人が同じ様なポーズを取っている。端から見ればものすごく不自然な光景だった。
「よし」
 三郎は立ち上がった。
「私が行って来る」
 そう言って三郎はちらりと天井を見上げた。
「しめた…こっちの作戦通りだ」
 天井裏にはそう呟きながらほくそ笑む、小平太の姿があったのだった。

 次の日。
 夕方になると、小平太は勇んで校舎裏へと走っていった。
 その後を、伊作と仙蔵が追う。
「なんかすごく楽しそうだね、小平太」
「…あれは単純だから」
 二人は雷蔵――に変装した三郎――を待ちわびる小平太を木陰から見ていた。
 そう幾ばくもしないうちに校舎裏に現れた影があった。
「先輩、お手紙を頂いたので来たのですが…何かご用でも」
 現れたのはやはり三郎だった。雷蔵に変装してはいるが、執拗に三郎をつけねらっていた小平太にはよく解った。
「おかしいな」
 小平太はにやりと笑って言った。
「確か手紙は雷蔵に渡すように頼んだんだけど」
「バレてます?」
 雷蔵の顔をした三郎はぺろりと舌を出した。
「いえ、昨日天井裏の鼠が私を呼んでましたので」
 一瞬、三郎の目つきが鋭くなる。小平太は思わず後ずさった。
「先輩、勝負しましょう」
 三郎は挑戦的に言った。
「この勝負に私が勝ったらもうよけいな追究は止めて下さい」
「私が勝ったら彼岸を達成させてくれる?」
 小平太も負けじと挑戦的になった。三郎はふう、と溜息をつく。
「ご自由に」
 三郎のその一言が皮切りだった。

「不破!!」
 長次は焦っていた。
 昨日の夜、雷蔵宛の手紙を長次に手渡しながら『なあに、やつの親友の雷蔵に少し話を聞くだけさ』と言ったときの小平太の好戦的な目が忘れられなかったのだ。
「あ、中在家先輩」
 呼び止められた雷蔵は立ち止まり、振り返った。
「鉢屋は!?もしかしてあいつが…」
 雷蔵が本人であることを確認すると、長次は雷蔵の肩を揺さぶった。雷蔵は無言で頷く。
 長次はち、と舌打ちすると雷蔵を置いてその場を離れたのだった。

「はあっ!!」
 気合一閃。小平太は全身の力を込めて強烈な蹴りをお見舞いする。狙う先は三郎の頭部。
 木陰で見ていた伊作と仙蔵は思わず目を覆った。
 あわや、と思ったその瞬間、小平太の足は空を切った。
「!!」
 勢い余ってバランスを崩す小平太の背中を三郎は後ろからちょん、と押した。
 勿論小平太はそのままその場に転倒する。
 ひらりと舞い降りた三郎は余裕の笑みで小平太に近づいた。
「お手をお貸ししましょうか?先輩」
 差し出されたその手を、小平太は払いのける。
「まだ勝負は終わっちゃいないよ」
 言うが早いが小平太は立ち上がり、今度は拳を握り固める。
「今度こそ!」
 突き出されたその拳は簡単に避けられた。背中を三郎にさらけ出す姿勢になった小平太はまたもやこかされた。
「くっ…」
 小平太は三郎を睨み付けた。五年生に手玉に取られている自分が情けなかった。
「駄目、もう見てらんない」
 伊作は木陰から飛び出した。
「小平太、もう止めなよ。人生諦めも肝心だからさ」
 なだめようとする伊作を小平太は制した。
「これは私のわがままなんだ」
「小平太…」
 小平太は再び三郎に向かっていった。伊作はその場に固まったまま何も出来ずに小平太を見ていた。
「はああああっ!」
 再び拳を突き出す小平太。しかしその拳は三郎まで届くことなく途中で止められた。
「!」
「長次…」
「長次先輩」
 間に入ったのは長次だった。
 小平太はうるさそうに長次の手を振り払った。長次は小平太の腕を掴む。
「長次は引っ込んでてくれよ」
 小平太は長次の手を再び振り払おうともがいた。そんな小平太を暫く長次は眺めていたが、急にその腕を捻り上げた。
「いたたたたたたたっっ!!痛い!痛いよ長次!!!」
 小平太は大げさに叫んで見せた。長次は少しも表情を変えず、小平太の耳元でぼそりと言った。
「…止めとけ。お前には鉢屋は倒せん」
「何言うん…いてえええええ」
 くってかかろうとする小平太を長次は容赦なくさらに締め上げる。
「上級生が下級生に喧嘩売ってしかも負けててどうするんだ。下級生の面倒を見るのが上級生の役目だろうが」
「それとこれとは話が別…いてえええ」
 小平太は腕を捻られたまま忍たま長屋に連行されて行った。
「ごめんね、鉢屋君」
「いえ、構いませんよ」
 後に残った伊作はすまなさそうにそう言った。
「可哀相に。長次先輩もあんなにすることないのに」
「いいんだよ。小平太にはちょうど良い薬だったと思うよ」
 伊作は笑ってそう言った。三郎もつられて笑う。
 木陰に残された仙蔵はポツリと呟いた。
「小平太があれで懲りる筈ないけどな」

 翌日。
「行くぞ!三郎!まだ勝負は終わっちゃいない!!」
「またですか先輩!いい加減に諦めて下さい!!」
「そうだよ小平太。人生諦めが肝心…」
 忍術学園では相変わらずそんな光景が展開されていた。
「な?長次。あれしきでは懲りなかっただろう」
「ああ」
 その日、いつも仏頂面の長次が何故か微笑んだのを仙蔵は見たのだった。

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