乾坤一擲<序章>
「雷蔵」
5年生の不破雷蔵は、廊下で不意に呼び止められて、振り返った。
その先にあったのは自分の顔。
「三郎」
もうすっかり慣れきってしまった所為か、雷蔵は少しも驚かずに級友の名を呼んだ。
「何か用?」
「用ってなあ」
三郎は呆れたような表情を見せた。『雷蔵』は決してしない表情である。
「明日の作戦会議。決まってるだろ?」
三郎は紙切れを取り出すと、無造作に雷蔵の方へ差し出した。雷蔵は無言でそれを受け取る。
「遅刻厳禁。欠席不可。それから――」
三郎はすっと視線を廊下の向こうに移した。六年生が急ぎ足で通り過ぎるのが見える。
「招かざる客の入場は禁止だからな」
雷蔵はこくりと頷いた。自分だけに見えるようにそっと紙に目を移す。
いつもの場所。いつもの顔ぶれで。時間はいつも通り。
紙にはただそれだけが書かれていた。雷蔵には十分すぎる内容だった。
「これなら別に口で言っても大丈夫じゃないか?」
「念には念を入れろっていうだろ」
同じ顔から繰り出される素っ気ない答えに、雷蔵は思わず苦笑したのだった。
「…三郎」
夜、三郎の部屋に『いつもの顔ぶれ』が集結する。
それぞれのクラスから2人ずつ。いずれ劣らぬ優等生達だ。
「これで全員だな」
三郎はメンバーに目を走らせる。三郎は、自分が変装を得意とするだけに、目の前の人物が本人かどうか、直感で分かるのだ。
――どうやら全員『本人』のようだ…
三郎は胸をなで下ろし、早速紙と筆を取り出す。
「それじゃ、始めるか」
三郎の一言で、無言の話し合いが始まった。ただ筆の走る音だけが部屋の中に響く。
『ところで三郎』
作戦がつらつらと書かれていた紙面に、新しくそんな文字が加わった。『何だ』と書く代わりに三郎はそれを書いた本人を見る。それを書いたのは雷蔵であった。
『こちらばかりでいいのか?六年の偵察はいいのか?』
雷蔵はそれだけ書くと、無言で筆を三郎に突き出した。三郎は口の端を少し上げてからそれを受け取り、筆を走らせる。
『六年の作戦会議は今じゃない』
三郎はそう書いて残りの皆を見た。残りの5人は『どういう意味だ』と言わんばかりの視線を投げかける。三郎はそれを確認すると、再び筆を動かした。
『今までの実習の傾向から見ると、大抵、作戦を練っているのは立花先輩だ。前日まで彼が綿密に計画を練り、当日に的確に指示を下していく。だから――』
三郎は思わせぶりにそこで筆を止める。『じらすな』という視線を感じ、三郎はいたずらっぽい笑みを浮かべて5人を見上げた。
『いいからさっさと続きを書け』
5人の視線がそう物語る。三郎は『ハイハイ』と口を動かし、筆に力を込めた。
『こちらはその足下を崩す』
それだけ書いて三郎は筆を置く。その瞳は闘志にみなぎっていた。
5人はそんな三郎を見て、一斉に首を捻ったのだった。