# 薬物語 #


 何がどうなっているのか、全然わからなかった。
 確か自分は新野先生のおつかいで、薬をもらいに行っただけのはずだ。
 なのに、今自分は苦無を握りしめ、敵と睨みあっている。
 一体自分は、何をしているのだろうか?

 善法寺伊作はかつてない危機に立たされていた。
 学園が荷担する戦に参加したことはあったし、決して実践の経験が無いわけではない。
 だが、抜刀した複数の敵に囲まれた経験はまだ無かった。
 じりじりと、包囲網がせばめられた。
 やばい…。
 伊作は正面の敵を見据えたまま、じっとりと脂汗が噴出すのを感じた。
 四人の敵。その全てが忍び刀を手に伊作に向けて殺気を放っていた。
 こんなところで、訳もわからず殺される?
 それなら少しでも多くの道連れを、と伊作が悲壮な覚悟を決めた時。
 まさにその時、転機は訪れた。

 「伏せろ!」
 知った声に伊作は咄嗟に従った。
 頭の上を何かが飛びぬけて、背後でどさりと音がした。
 「!」
 伊作は駆け出した。正面の敵に飛びついた。
 苦無をその胸に突き立てた。敵は何かうめいて伊作を跳ね飛ばした。
 地面を転がりながらも伊作は敵を目で追った。
 敵は苦無を抜き捨て、叫び声を上げて伊作に切りかかろうと駆け出した。
 素手の伊作は素早く構えた。体術は伊作の得意とするところだ。
 だが。
 敵は伊作に届く前に、糸が切れた人形のようにぱたりと倒れた。
 その背に深々と突き立った小柄。
 伊作は死体を挟んで反対側に立つ青年に声をかけた。
 「利吉さん…」
 山田利吉が、そこに立っていた。
 「怪我はないな?行くぞ」
 利吉は踵を返し、草むらに姿を消した。慌てて伊作が追うと、利吉の背中はまだ見えていた。ほっとして伊作は利吉の緑色の小袖を目印に急いだ。 

 敵は四人いたのだから、伊作が一人に手間取っている間に、利吉は三人片付けていたことになる。
 伊作は利吉の手際の良さに脱帽するも、悔しい思いも感じていた。
 あと半年もすれば、伊作は利吉と同じ土俵で勝負しなくてはならなくなる。利吉以上の腕を持つ忍びとも、戦うことになるだろう。
 伊作は焦りを感じずにはいられなかった。
 わずか三年差のこの青年は、近隣の大名達から頼られ、また恐れられているのだ。
 伊作は前をゆく利吉の背を見つめた。
 その背が歩みを止めた。
 「伊作くん」
 「はい!」
 利吉は振り向いた。
 「取引をしないか?」
 「え?」
 驚いた伊作に利吉は微笑んで見せた。
 
 「この薬が?」
 伊作は胸を押さえて驚いた。懐には貰いたての粉薬が一袋。
 利吉は「この薬こそが火種なのだ」と言った。
 「ある人物から頼まれてそれを探っていたんだ」
 「でも、これただの鎮痛剤ですよ?」
 「表向きはね」
 利吉の言葉に伊作は眉をひそめた。
 「どういうことですか?」
 問いかける伊作に利吉は答えた。
 「その薬の作用が問題なんだよ。普通鎮痛剤には鎮静効果があるだろう」
 伊作は頷いた。
 「それは逆なんだ。鎮痛効果と興奮効果を併せ持っている」
 「な!?」
 そんなものを投与したら…。伊作は背筋が寒くなった。利吉は頷いて見せた。
 「もし心無いものの手に渡れば、量産して戦の際に使われる恐れがある」
 利吉の言葉に伊作も頷いた。痛みを感じない狂気の兵士達が通った後など、考えたくも無かった。伊作は聞いた。
 「それで、利吉さんの取引とは?」
 「うむ、実は私の任務はそれを奪うことなんだ」
 「ええ!?」
 「まあいいから聞いてくれ。君はその薬を学園に持ち帰る役割がある。だが君一人で敵の囲みを振り切ることはおそらく不可能だ」
 ずばりと言われて、伊作は拳を握った。利吉はかまわず続けた。
 「そこで私も君に同行する」
 「…利吉さんが護衛して下さるわけですか?」
 「ああ、ただしタダってワケにはいかないけど」
 伊作はちらりと懐に視線をやった。
 「なにも全部よこせって言ってるわけじゃないよ。ほんの一包みでいいんだ」
 無言で考える伊作。利吉は伊作の返答を待った。ややあって、伊作は溜息をついた。
 「ホントに一包みでいいんですか?」
 「ああ、残りは依頼主から貰うよ」
 「この薬が悪用されない保証は?」
 「私の命では不満かい?」
 ニッと笑った利吉に、伊作は苦笑を洩らした。

 冬の日暮れは早くていけない。
 鮮やかな夕焼けがすぎ、薄暗く闇に呑まれて行く世界。
 宵闇に紛れ、学園を目指していた二人はまとわりつくような視線に足を速めた。
 「来るな…さすがに楽はさせてもらえないか」
 利吉は呟いた。その顔に笑みが浮かんでいたような気がして、伊作は目を瞬いた。
 学園まではたいした距離もない。利吉はちらりと伊作を見た。
 「平気ですよ。実践訓練はクリアしてます」
 伊作の言葉に利吉はにこりともせず、前を向いた。
 感じ悪いよな。
 伊作はそう思った。そう思いながらも、気配を読むのは怠らなかった。
 五つの消えそうな影が日暮れの街道に伸びた。
 利吉と伊作は立ち止まった。互いに背を向け合って立つ。伊作の手には苦無。利吉の手には幾つかの長い針。
 二人を取り巻くように、五つの影が街道に散らばった。
 「…山田利吉だな?」
 影の一人が聞いた。
 「取引をしないか?」
 「取引?」
 怪訝そうに利吉は聞き返した。影は頷いた。
 「お前達が持っている薬。それを渡せば命は取らん」
 利吉はちらりと自分の懐を見た。影が一歩前に出た。
 「連れもいることだし、どうだ?」
 「…」
 無言で胸を抑える利吉。その口元が少し上がった。
 「だったら銃口を外してもらいたいな」
 刹那、利吉と伊作は地面を蹴った。直後に鉛球が地面をえぐった。
 利吉に四人、伊作に二人の影が迫った。
 寸でのところで敵の刃をかわし、伊作は苦無を振った。肉を裂いた感触があった。
 すぐさま振り返り、伊作は大きく後ろに跳ねた。
 視界に敵の全てを収める必要性を感じたからだ。
 「!」
 視界に飛び込んだ映像に伊作は息を呑んだ。
 固まった視線の先、信じられない光景を見た。
 利吉が片膝をついていた。
 冷たく暗い地面の上に。
 「利吉さん!?」
 思わず注意がそちらに向いた。瞬間、伊作の頭上で研ぎ澄まされた鋼が星明かりを弾いた。
 「!!」
 死を直感した。それでも伊作は苦無を振り上げた。受け止めようとした。生きたいと思った。
 煌めいた鋼は伊作の苦無をかすめ、迷走した。
 伊作に襲い掛かってきた影は、刀を取り落としそのまま地面に突っ伏した。その後頭部には長い鉄串のような針が一本。
 「な、」
 伊作はまた、信じられないとでも言いたげな表情をした。
 「何してる!次!来るぞ!」
 真正面からの怒声に振り返る。全身が粟立つ感覚。
 伊作の体は機敏に動いた。脊髄反射で身をかわし、苦無を打ち込んだ。
 嫌な感触がした。
 肉の抵抗感。硬いものに当たった感触。それの割れる感触。
 骨を砕き、肉を裂いた。
 「おおおっ!」
 叫びとともに苦無をさらに押し込めば、それは衝立のように後ろに倒れた。
 「…おみごと」
 さらになった視界。伊作は肩で大きく息をした。四つの死体の囲まれて利吉がふ、と笑みを漏らした。
 緑色に白ニ本線の小袖。その右の脇腹が赤黒く染まっていた。
 「え…?」
 伊作の表情の変化に利吉は首を傾げて、気づいたかのようにはにかんだ笑いを浮かべた。
 「ああ、コレね」
 利吉はひょい、と濡れた小袖を抓まんで見せた。墨でもつけてしまったかのように。
 その仕草が余りにも何事も無いかのようだったから、伊作は顔を青くした。
 「止血しなくては…」
 「いいよ、自分でやるから」
 伸びてきた伊作の手から軽く身をかわして利吉は言った。
 まさか?
 「まさか…利吉さん、薬…」
 蒼白な顔で伊作は聞いた。利吉は少し困った顔をして頷いた。
 「なんてこと!!」
 叫んだ伊作に利吉は苦笑いした。
 「私、薬の類は余り効かないからね」
 「そういう問題じゃ!」
 近づこうとした伊作は利吉の視線に止められた。刺すような、殺されるような視線に、身を引いた。
 「…余りって言ったろ?」
 ぞっとするような声。垣間見た、忍びとしての青年の姿。
 「伊作くんはこのまま学園へ。私も後で行く」
 「利吉さん!」
 「早く行け!!」
 半ば悲鳴じみた利吉の声。背を向けて、利吉はもう一度言った。
 「我々は、忍びだ」
 任務最優先。
 利吉の背中が頑としてそれを語っていた。
 伊作は何かを言いかけて、飲み込んで、踵を返した。
 遠ざかる少年の気配。利吉は軽く溜息をついた。
 「痛くは無い。痛くは無いけど…」
 足元に転がる幾つもの死体。それを蹴飛ばしたくなる。引き裂いてしまいたくなる。
 利吉は舌を鳴らした。
 「気分は最悪だな」
 反対方向に、利吉は駆け出した。


 
 伊作からの連絡を聞いてすぐさま山田、土井両名が学園を立った。
 保健室、伊作は新野医師に包みを渡した。
 今日は疲れた。
 でもきっと眠れない。
 伊作は溜息すらつけずにのろのろと立ち上がり、保健室を後にした。

 遅がけの月が登っていた。
 細い、鎌のような月。
 どこかであの人もあの月を眺めているのだろうか。
 「三年、ね」
 歳の差。それがそのまま経験の差。
 青年の不敵な笑みがふと浮かんで、伊作は口元を緩めた。
 きっと青年はこの月を見ている。
 自分の中の狂気を押し込んで、一人で、独りで。
 そんなチカラは今の自分にはない。
 「負けた」
 完璧に、完膚なきまでに。清清しい位に。
 何故かは分からないけど、利吉は無事だと、そう思えた。
 息をついた。冷たい夜の空気が肺を満たせば、伊作の思考は明瞭になっていった。
 「次にご一緒する時には…もう少しマシになって待ってますよ」
 そう伊作は月に誓った。

 
 
 

                 # 完 #
 

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