綿裏包針<其の六>

「なつ、ちょっといいかい」
 母親が土間からひょい、と顔を出した。なつは利吉に軽く会釈をして立ち上がる。
「薪を割るのを忘れていてね…頼めるかい?」
「あ…はい」
 なつは少しどもった。焦りの表情が一瞬浮かぶ。母親は気にせず――それとも気付かなかったのだろうか――続けた。
「すまないねえ。お父さん、腰を少し痛めてしまったんだよ」
「いえ、いいんです」
 小さな声で、なつは答えると表へ出て行った。その一部始終を見ていた利吉は、徐に立ち上がる。
「おや、どちらへ」
 横に座っていた父親が利吉を見上げて言う。利吉はにっこりと笑うと言った。
「お手伝いさせて下さい。あんなにか弱い女の子では薪を割るのは大変でしょうから」
「そんな、お気遣いなさらずに」
「お手伝い、させて下さい」
 利吉はもう一度、力を込めていった。父親が何か言おうとするが、利吉はその横を通り抜け、なつの後を追って外へ出て行った。
「――行ったぞ」
 利吉が出て行った瞬間、父親は小さく、そして重い声を発した。
 すると、その背後に『影』が降りてくる。
「面白いものが手に入りました。恐らくアレの仲間ではないかと」
 『影』は『面白いもの』を肩に担いでいた。『父親』はそれをちらりと見て、ふっと不気味な笑みを浮かべた。
「あそこにでも放り込んでおけ」
「――始末しないでも宜しいので」
「そうだな――いや」
 『父親』は一度言葉を切ると、『影』に振り返った。
「生かしておこう。何かの役に立つかもしれん。最後の切り札としてとっておけ」
「御意」
 密談を終えると、『影』は姿を消したのだった。

「手伝おうか」
 なつは不意に背後からかけられた声に振り返った。
「あ…えっと」
「利吉、だよ。まだ名乗ってなかったよね」
 利吉はそう言うと、微笑んだ。普通なら見ず知らずの人間に本名を言うなどもってのほかかも知れない。しかし…
 ――しかし、こちらが本当のことを言わなければ本当の答えはもらえない…この子なら、あの『違和感』の正体を教えてもらえるかも知れないのだから…
 利吉の中で、そのような考えが芽生えていたのだ。
「一人じゃ大変でしょう?私が手伝うよ」
「あ、そんな、結構です」
 なつは慌てて言うが、既に鉈は利吉の手の中にあった。
「留めて頂くんだから。このくらいの事はしなくちゃね」
「……」
 なつは薪割りを始めた利吉をぼんやりと見ていた。
 こんなにいい人なのに。
 ――私は見捨てようとしているの?
 この人は何も悪くないのに。
 ――私は巻き込もうとしているの?
 この人を、見殺しにして…いいの?
 ――そんなの…ダメに決まってるじゃない。
 なつは小さく頷いた。拳をぎゅっと握りしめ、一度軽く深呼吸をする。
 そして、一歩。
「あの…利吉さん」
 なつが口を開こうとした瞬間、なつの視界は急に真っ暗になった。

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