麟子鳳雛<其の四>

 伊作の背で寝息を立てていたきぬは、ふと目を覚ました。
 伊作もその気配に気付いたのか、視線をこちらへ向けた。
 きぬの目に映ったのは住み慣れた自分の家。しかしそれは既に忌まわしき場所になっていた。
 きぬは何も言わずに俯き、そして小さく震えていた。伊作は小さく溜息をつく。
(きっとここで何かあったんだ――)
 と、目の前の家の影でさっと何かが動いた。一瞬五人は身構えたが、その影は自分たちから離れていく。長次は小さく目配せすると、そちらへと向かった。
「あれ、何だと思う?」
 伊作は仙蔵に小声で問うた。仙蔵はふむ、と少し考えて、そして口を開いた。
「解らない…が、鍵を握っていることは確かなようだ。もしかしたら――」
 仙蔵はそこで一度躊躇うと、先程より声を低くして言った。
「ドクササコ…かもしれないな」
「やっぱり…そう思う?」
 伊作はちらりと背中の少女を見た。そして再び仙蔵に視線を戻す。
「…入ってみる?」
「ああ。――小平太、文次郎」
 仙蔵の呼びかけに二人は頷き、そして裏に回った。
「じゃあ、伊作はここでその子と…」
「私も」
 急に口を開いたのはきぬだった。伊作も仙蔵もそちらを見る。
 きぬは口を真一文字に結んでこくりと頷いた。
 仙蔵と伊作は目を見合わせると、同じように頷いた。
「おきぬちゃん、絶対に手を放しちゃダメだよ」
 それだけ言うと、伊作は戸の前に立った。

 長次は、目の前を駆ける“影”を必死で追っていた。
 差は少しずつ縮んできてはいるものの、なかなか追いつけない。長次も少しばかり焦っていた。
 と、ちらりと“影”がこちらを振り返った。振り返りざまに手裏剣が次々と放たれる。
「!」
 長次はかろうじてそれを避ける。避けている間にも差を少しずつ縮めていった。
(後もう少し――)
 そう思った長次は鯉口を切る。しかし、その瞬間、目前の“影”が足を止めた。
 長次は驚き、思わず足を止めた。“影”はがたがたと震え、そしてその場にへたり込んだ。
 お陰で、長次の目にもその光景はしっかりと飛び込んできた。
 ――隠れ家が一つ潰されていた――
 という表現が正しいだろうか。折り重なるようにして倒れている“影”の仲間。そしてその脇で血刀を提げて佇む一つの影。その影がゆっくりとこちらを向いた。
「う…うわあああああッ!!」
 “影”は叫び声を上げて、逃げようとした。その退路を阻むべく立っている長次を斬って。
 発狂した“影”の刀が払われ、その先には長次がいた。が、長次は冷静に己の刀でそれを受け止めた。暫くしのぎを削っていた二人だったが、急に“影”は倒れた。
「…利吉さん」
 長次は呟いた。利吉はにっこりと笑って言った。
「怪我はない?」
「…はい…何者なんですか、こいつら」
 長次は足下の“影”を見下ろして言った。
「ドクササコ、だよ。全ての元凶の、ね」
「全ての…?」
 訝しがる長次だったが、利吉はふっと笑みを浮かべた。
「後の処理は私たちに任せて。君は速くあっちを加勢してあげなきゃ」
「中在家」
 血刀を提げた伝蔵も口を開く。
「何かあったときは――四人で善法寺を支えてやれ、な」
 長次がその言葉の意味を飲み込むのは、かなり後のことだった。

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