仙姿玉質<前編>

 学園長、大川平次渦正。
 若い頃は天才忍者といわれた彼だったが、今となっては――

「運試し週間?」
 小平太は顔をしかめた。隣で仙蔵がため息をつき、左斜め後ろで文次郎が目を輝かせる。伊作は、たまたま風に吹かれてやってきた足元の『お知らせ』を拾い上げた。
「なんでも、学園長の突然の思いつきで、この一週間は演習もテストも食堂のメニューも、みんな運試し・・・つまりはくじ引き形式にするんだって」
 ふうん、と小さく頷きながら伊作は『お知らせ』に目を通す。小平太もそれを後ろから覗き込んでいる。
「全く、なんの役に立つというのだ」
 仙蔵が付き合ってられないとばかりに頭を振る。その台詞に、文次郎は敏感に反応した。
「何言ってんだよ仙蔵。忍者たるもの、日頃のあらゆることが修行の一部であってだなあ・・・」
「はいはい」
 仙蔵は文次郎を軽くあしらいながら、伊作の手からその書付を奪う。滝のように流れる黒髪をさらりとかきあげながら、それにさっと目を通した。
「ま、そんなに固く考えることないんじゃない?今まで気まぐれは5年間、たっぷり味わってきたわけだし」
 小平太が軽い口調でそう言う。そのわずか半日後、事態は急変したのだった。

「で?結局こうなったわけか」
 半日後。先ほどの4人と長次は教室で円になって座り、ため息をついていた。その円の中心には『指令書』と書かれた紙が置いてあった。
 話は少しさかのぼる。
 運試し週間の一環として、予告通り、くじ引き形式の演習が六年生に対して実施されることになった。六年生全体をくじで6つのグループに分け、それぞれに課題を与える、というものだった。無作為に引いたはずのくじ引きだったのだが、見事に件の5人が同じグループになってしまったのである。
「まさかあのくじ引きでこのメンバーになるとはね」
「腐れ縁ってやつかな」
 やや不満そうに4人をみる文次郎に、伊作は苦笑しつつ答える。その後、ちらほらと他愛もない会話が続いたが、やがてみんな黙ってしまった。そしてその視線は、円の中央にある未開封の『指令書』に集中する。
「なあ」
 小平太が徐に口を開いた。皆の間に緊張感が走る。そっと『指令書』に手を伸ばした小平太の手を、伊作が横からつかんだ。
「待って」
 伊作は軽く息をつく。
「すごくいやな予感がするんだ・・・なんていうか・・・心の準備が、まだ」
「しかし」
 伊作につかまれて宙に浮いたままの小平太の手の下に、長く綺麗な指がさっと走った。川が流れるように、とても滑らかに、とても自然に、その指は『指令書』をすくい取った。
「いつまでも課題に取り組まないわけにもいかないだろう」
 仙蔵はあくまでも冷静に『指令書』を開いた。

「じゃーん!!ついに始まりました!立花仙蔵の女装講座!!」
「うるさい黙れさっさと支度しろ」
 仙蔵に小突かれて、小平太はむう、とふくれながらその場に腰を下ろした。目の前には女物の小袖、化粧道具一式、鏡とどれをとっても年頃の男の子の持ち物ではありえないものが、山を作っていた。
「だって・・・俺こういうの苦手なんだよね・・・文次郎もでしょ?」
 げんなりとした表情で小袖を見つめながら、小平太は文次郎を見た。文次郎も紅とのにらめっこをしている。
「確かに気が引けるが・・・しかしコレも立派な忍びとなるための修行のひとつ!!たとえ」
「口はいいからさっさと手を動かせ」
 仙蔵は盛大に文次郎をはたいた。件の仙蔵は、すでに品の良い小袖に身を包み、髪もまとめ終えている。後は化粧を施すだけ、といったところだ。
「それにしても・・・」
 伊作は紅の色を選びながら口を開いた。
「いやな予感、的中しちゃったね。『女装して偵察に行って来い』なんて」
「笑い事じゃねえ」
 文次郎は、なにやら楽しげにさえ見える伊作を軽くにらんだ。手元のくしゃくしゃに丸められた『指令書』を開く(ちなみに、くしゃくしゃになっているのは、初めに読み終わった瞬間、仙蔵が握りつぶしたからである)。
「『最近、近隣の村の娘達を次々と雇い入れているサンコタケの目的を、女装を用いて偵察し、報告せよ』・・・か。こんなもん、伝子さんに任せりゃいいだろうが」
 け、と小さく悪態をつくと、文次郎はその書付を乱暴に放り投げた。その書付はこつり、と長次に当たる。
「ああ、当たっちまったか長次。悪かっ・・・」
 謝ろうとして振り向いて、そのまま文次郎は凍りついた。残りの三人もどうしたのかと長次の方を見て、そして同じく固まった。
「ねえ」
 伊作が目を泳がせたまま言った。
「『女装を用いて』って書いてあるだけだしさ、全員が女装する必要ってないんじゃない?」
「あ」
 伊作の一言に、皆の心は決まった。
 ――女装は少数精鋭で!!
 文次郎たちが一体何を見たのかはご想像にお任せしたい。

「で?やっぱりこうなるわけか」
 少し不機嫌そうな顔をして、仙蔵は髪をかきあげた。品の良い小袖に、薄く施された化粧。ぱっと見ただけでは、誰も彼が男だなどとは思うまい。ただ、仙蔵本人はあまりそれを認めたくないらしく、ずっとふくれていた。
「お望みとあらば俺達も女装するが?」
「・・・いい。遠慮する」
 恐ろしい冗談を言う文次郎を、仙蔵は疲れきった表情で制した。
「まあまあ。僕も行くから安心してよ」
 背後から、こちらも女装した伊作が仙蔵の肩に手を置く。仙蔵を『洗練された』美しさと形容するなら、彼には『素朴な』美しさがあった。仙蔵を見つめるその視線には同情の念がこもっている。
「頼むぜ?二人とも。俺達は裏から入って援護するから」
 笑いをかみ殺すようにしながら、文次郎はそう言った。
「まあ、二人で色仕掛けでも何でもすりゃどうにでもなると思うがな」
 ごん。
 いい音を立てて文次郎を一発殴ると、仙蔵は伊作を引きずるようにして、目指す出城の方へと歩いていったのだった。

「ええ?そんな・・・もう採用は終わってしまったのですか?」
 愛らしい少女の声が、門番の鼓膜を振るわせる。件のサンコタケの出城の門番は、突如として現れた二人の美少女相手に困惑していた。
「いやあ、悪いね娘さん。昨日で採用を終わりにしてしまんだよ」
 しどろもどろな口調で門番は言う。二人の少女は顔を見合わせた。
(どうする?引き返そうか?)
(いや・・・あまり使いたくはないがあの手を使おう)
 絶妙なアイコンタクトで意思疎通をすると、二人は意を決したかのように、門番に視線を戻した。視線を向けられた門番は、一瞬たじろぐ。
 と。
 突然、茶色い髪の方の少女が目を潤ませた。
「そ・・・そう・・・ですか」
 少女はやっとのことでそれだけ言うと、黒髪の少女の胸に顔をうずめる。黒髪の少女は、すすり泣いている少女の髪を優しくなでて門番に言った。
「この子・・・お父さんが病気で、その薬を買うために働こうとしていたんです・・・それであちこち当たっていたんですが、どこも駄目で・・・あのう・・・」
 黒髪の少女は上目遣いで門番を見上げた。
「この子だけでも働かせてあげてもらえませんか?」
「うっ・・・」
 門番は、どうしようかと迷っているようだった。視線が宙に浮いている。
(もう一押し!)
 黒髪の少女の口元がゆっくりと動いた。何か言葉をつむごうとして、途中であきらめて目を伏せる。
「・・・ごめんなさい。迷惑・・・ですよね。困らせてすみませんでした」
 物憂げに伏せられたまつげ。門番は背中を押された気がした。気づいたときには、ゆっくりと背を向けて去ろうとする少女達を呼び止めていた。
「・・・待ちなさい。二人くらいなら何とかなるかもしれん」
 背を向けたままの二人の少女は、心の中で口の端を吊り上げたのだった。

「どうだった?文次郎」
 突如、木の上から降ってきた友人に目もくれず、小平太は当たり前のように言葉をかけた。地面に手をついて着地した文次郎は、口元を見ただけで笑いをかみ殺しているのが見て取れる。
「お前達にも見せてやりたかったぜ?あの二人の名演技。特に仙蔵のやつ、ありゃ男やめたほうがいいかも知れんぞ」
「そりゃ見てみたかったな」
 楽しげに話す文次郎に、小平太は相槌を打つ。その横で、長次がじっと城の様子を見張っていた。
「・・・行けそうか?」
「巡回の兵士が5人・・・」
 文次郎に話しかけられて、長次はぶっきらぼうに答えた。文次郎はそっと草むらから顔を出し、裏門の付近の様子を見る。
「どうする?」
 小平太は少し声のトーンを落として尋ねた。文次郎はそんな小平太の額を、ぴん、と弾いた。
「何言ってんだよ。あの2人だけに働かせるわけにはいかねえだろ?」
 でないと俺達に点数がつかないからな。喉元まで出掛かっていた後半の台詞を、文次郎はごくりと飲み込んだのだった。

 至極簡単なことだった。
 本来なら門前払いのはずだったのに、いつの間にか、仙蔵と伊作(女装中)は既に、人事を取り仕切っている人物の前にまで来ていた。それまでに5人ほど、中間管理職のような人物に会わされたが、全て『お仙ちゃん』の流し目ひとつでさらに上官への紹介を取り付けたのである。
(忍者の三禁に『女』が入っているわけが良くわかる・・・)
 ただ横についているだけ、の状態の伊作は心の中でそう呟いた。ちらりと仙蔵のほうを見ると、顔は非常ににこやかだが、心の中は相当荒れているのが見て取れる。逆にこれほどまでに上手くいくことに、いらつきを覚えているのではなかろうかと伊作は思った。
「で?そちたちはここで働きたいわけか・・・」
「はい。是非ともお願い致します」
『お仙ちゃん』は必死の眼差しで訴える。仙蔵に任せっぱなしではいけない、そう思って、伊作も同じく懇願の視線を浴びせかけた。
「仕方がないなあ・・・」
 人事担当者は頭をかきながら視線をそらす。よし、と二人が心の中でガッツポーズをしたときだった。人事担当者の口からとんでもない提案がなされたのである。
「でもねえ、あの仕事はもう定員に達してるんだよ・・・そうだ!それじゃあ、殿の身の回りの世話を」
「・・・!っそんな・・・恐れ多い・・」
 伊作は大げさに言ってみせた。もともと『何をやっているか』を調べるのが役目だ。働くことが目的ではない。それに、そんな仕事をやらされては、女装だとばれる可能性も高いのだ。先程よりも懇願の視線を強くする二人を見て、人事担当者はため息をつく。
「・・・仕方ないなあ・・・それじゃあ、今働いてくれている娘さんたちに食事やらを運ぶ仕事ならどうだい?」
「・・・それなら・・・!」
 仙蔵も、伊作も、心の中では小躍りしていた。これなら容易に何をしているのか探ることができる。
「それじゃあ早速、次の食事から頼むよ」
「はい!!」
 二人は元気よく返事をすると、ぺこりと頭を下げた。別のものに案内されて、仕事場へ赴く。人事担当者はしばらくその様子を見守っていたが、二人の背中が見えなくなると、視線はそのままで、口を開いた。
「誰か」
「はい」
 呼びかけに応じて、ひとつの影が彼の後ろに降り立つ。
「あの二人から目を離すな」
「御意」
 影は短くそう言うと、あっという間にその場から消えたのであった。


とりあえず、前編アップです。
っていうか、キリ番で前後編なんて初めてです。
なんだかだらだらと続いてしまっていますが、今しばらくお付き合いくださいませ・・・

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