隙<其の三>

 伝蔵の仕事は早かった。
 学園中を駆け回り、目に付く教師には庵に集まるように伝え、委員長を見かければ生徒名簿の提出を指示した。声をかけられた教師や委員長は、言われなくても他の教師や委員長へ連絡を行う。かくして、程なく、学園長の庵には学園に残っていた教師全てが集った。
「…これで全員ですかな」
 学園長は、集まった面々を見回した。
 合宿を行っている会計委員会、作法委員会、保健委員会、体育委員会、図書委員会の顧問である安藤夏之丞、斜堂影麿、新野洋一、日向墨男、厚木太逸、松千代万。そして宿直のため学園に留まっていた伝蔵と、食堂のおばちゃん、某事務員の失敗の後始末で残っていた吉野作造…それに学園長を加えたこの十人が、今学園に留まっている全教員だった。
「では手短に」
 学園長は、利吉の報告をかいつまんで話して聞かせた。教師達はある者は腕組みをしてじっと目を閉じ、ある者は身を乗り出して話を聞いた。
「…実は、この情報は少し前に別の方面から儂の耳に入っておった」
 さらり、と付け加えた学園長に、皆が目を丸くする。少々睨むような視線を送って場を鎮めると、学園長は徐に口を開いた。
「情報の確認のために幾人か潜り込ませたところじゃ――勿論、学園の卒業生や元教師以外の人間を、な。報告を待つつもりであったが、どうやらそうもゆっくりしておられんようじゃ…早急に先生方を呼び戻し、学園の守りを固めねばならぬ」
「潜入組はどういたします?」
 口を挟んだのは万だった。普段は恥ずかしがる彼も、非常時には聡明な策士となる。学園長はちらとそちらを見た。
「任務内容を内部からの妨害工作に切り替えよう。そちらへの指示は儂に任せてもらいたい。それより誰かに先生方を呼びに行ってもらわねばならぬが…」
「そのことですが」
 伝蔵が口を開いた。
「現状の人数を鑑みるに、一人たりとも減らすのは得策でないと思われます」
「ならばどうする」
 もったいぶったような伝蔵の口調に、学園長はせかすように返した。
「もし宜しければ、私にお任せ下さい。学園を出ることなく、教員に召集をかけましょう」
「…出来るのか」
 学園長は問うた。重々しい、威厳に満ちた口調で。伝蔵もまた、力強い頷きを返した。
「はい」
 ならば任せる、と学園長はすんなりと許可を出した。他の教師達が一体どうするつもりなのかと首をひねる中、伝蔵は頭を下げる。学園長は咳払いを一つした。
「…こちらの問題はここまでとして、今日の夜から早速警戒態勢に入ってもらおう。先生方には二組に分かれてもらい、一日三交代で警戒を行う。一の組は安藤先生、斜堂先生、山田先生。今日の夜を頼む。二の組は日向先生、厚木先生、松千代先生。明日の朝をお願いする。一の組は朝に休憩した後、明日の昼の警護を。以後交互で巡回することとする」
「御意」
 名を呼ばれた六人の教師達は頭を垂れた。
「新野先生は保健委員とともに保健室に待機。食堂のおばちゃんはいつも通りに過ごしてくれ。吉野先生は武器庫、火薬庫の点検を頼む」
「承知いたしました」
 教師陣に仕事を振り与えると、学園長は小さく頷いた。それを合図に、教師達は一斉に庵を後にする。
 普段の御気楽な雰囲気は、そこにはなかった。


「団蔵」
「あ、山田先生」
 会計委員会の合宿場から部屋への帰り道、団蔵は伝蔵に呼び止められた。
「なんでしょう」
 返事をする団蔵に、伝蔵はなにやら小さな紙を取り出した。
「鳩はまだ使えるか」
「鳩…?」
 伝蔵の意味するものが、最近新しく馬借業務で始めた伝書鳩だと気づくのに、少々時間が流れる。団蔵は得心して頷いた。
「ああ、伝書鳩のことですね。勿論、すぐにでも飛ばせますよ」
 自身をもって答える団蔵に、伝蔵はほっとしたような表情を見せた後、先程の紙を手渡した。
「これを加藤村に」
「はい、解りました」
 団蔵は笑顔でそれを受け取る。『笑顔で接客』は馬借の基本だと清八が言っていた。そして、『お客さんの秘密は絶対厳守』だとも。手にした手紙の中身が気になる――しかし、その内容を伝蔵に問うことは許されなかった。
(僕の成績がとっても悪いとかそういう話だったらどうしよう…)
 思わず手紙を広げてしまいたくなる手を抑え、団蔵は鳥小屋に向かう。小さな筒に手紙を押し込むと、その鳩をそっと抱いた。
「じゃあ、頼むぞ。父ちゃんのもとに届けてくれ!」
 団蔵はそう言って、鳩を空へと放つ。
「間に合ってくれよ…」
 伝蔵の小さな呟きが、空に吸い込まれていった。



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