隙<其の六>


「――最終班は私と綾部、それから笹山。以上が私の決めた班分けだ。今分けた班単位でこれから行動してもらう」
 作法委員会の合宿室にて、仙蔵はよく通る声でそう言い渡した。集められた下級生達は不思議そうな表情をしながらも、『委員長の命令は絶対』の作法委員会規則に則って「はい」と返事をした。物分りのいい後輩たちを満足そうに眺め、仙蔵は続ける。
「明日からは今の班で、学園内に罠を張ること。作法委員会の威信をかけた仕事ゆえ、決して中途半端な仕掛けは作らないこと。ああ、できれば学園の人間が引っかからないようにはしてもらいたいが――まあ、先生方が引っかかることはあるまい。どこぞの間抜けな会計委員長はかかるかも知れんが」
 隣の部屋から、大きなくしゃみが聞こえた。いや寧ろこの人は会計委員長を罠にはめるのが本当の目的でないかと、出かかった言葉を皆飲み干す。
「先輩」
 皆が必死でツッコミを飲み干そうとしている中、喜八郎が手を挙げた。『質問するときは手を挙げて』これも作法委員会規則だ。仙蔵は頷いて、喜八郎に発言を促す。
「学園の人間を引っ掛けるのが目的でないとすると――学園内に侵入するであろう何者かを対象とするということですか?」
「ああそうだ。前提を説明していなかったな」
 仙蔵はぽんと手を叩くと、軽く咳払いをした。
「先程、学園長からお達しがあった。不確かな情報ではあるが、学園を襲おうとしている輩がいるらしい」
 下級生達はざわめいた。仙蔵はさらりと言ってのけたが、事は重大である。
「まずは落ち着け。そして話は最後まで聞け。私たちの役目は曲者を捕らえることではない。私が学園長に仰せつかったのは――あくまでお前達の安全確保だ」
 仙蔵の言葉に、場がしんと静まり返る。仙蔵の声が、部屋の中でいやに響いた。
「判断は各班に任せよう。私はそれなりに対抗できるように班を構成したつもりだが、うまくやれる自信のない班はこの部屋で待機していてほしい。ここにいれば、少なくとも学園内をうろつくよりは安全だろう」
 仙蔵は一度言葉を切って、口許に笑みを浮かべた。
「お前達を全員ここに待機させて、もし敵が襲ってこれば応戦する――というやり方も一つだと思う。しかし、それ以前に敵がここまで入ってこれないようにするのも守り方の一つだ。直接戦うより、罠を仕掛けた方が効率的に戦力を殺げる。まあ、罠を仕掛けている途中に運悪く敵に遭遇せんとも限らんが…それはそれとして、とにかく無理強いはしない。罠作成に協力してくれる班は申し出てくれ。この部屋での待機を選択したからといって咎めはしない。敢えて留まるのも一つの勇気ある選択だ」
「先輩」
 言い終えた仙蔵に応えるように、喜八郎と兵太夫がすっと立ち上がった。
「私たちは行きますよね?」
「僕は勿論行くつもりをしてるんですれど。どうなんです?」
 二人はそう言って、仙蔵を真っ直ぐに見る。仙蔵は満足そうに頷いた。
「その覚悟、確かに受け取った。――礼を言う」
 彼らの背後では、残りの面々が早速班ごとに分かれ、自分達がどうするかを話し合い始めていた。


「学園長?」
 それから少し後。学園長の庵を訪れた作造は、思わず少し語尾を上げた。
「吉野先生」
 学園長は将棋盤から顔を上げるとゆっくりと体をそちらへ向けた。相手のいない盤上には、将棋の駒が綺麗に配置されている。この様な非常事態にと言いたい気持ちを抑え、作造は庵の中へ踏み込んだ。学園長が無言で頷いたのを見て、作造は口を開く。
「各委員会、動きを見せました。作法委員会は数名の班がいくつか、罠作成を始めたようです。保健委員会は保健室にこもって怪我の手当て方法の集中合宿をやるようで――あと、体育委員会は学園内に塹壕を張り巡らせるつもりのようです。既に強行班が作業を始めています」
 ほら、と作造は耳に手を当ててみせた。学園長が耳を澄ますと、やたらと張り切った声と、あきらめに満ちた複数の声が聞こえてくる。庵の床も、かすかに振動していた。
「――埋め戻すのが大変そうじゃな」
「本当に」
 作造は困ったように眉を顰め、それから元の表情に戻る。
「残りの会計委員会と図書委員会は今のところ待機の姿勢を見せています。――まあ、各委員会とも妥当な判断と言えましょう」
「そうじゃな」
 学園長は腕を組んだ。
「――報告、ご苦労じゃった。吉野先生は作法委員会の罠作成に協力してやってほしい。火薬やら道具やら必要なものも多かろう」
「承知いたしました」
 作造は短く返事して、部屋を辞去する。作造の足音が廊下の遠くに消えていってから、学園長はぼそりと呟いた。
「…中の備えは及第点、か。あとは外組がどれだけ頑張ってくれるかじゃが――」
 学園長は盤面に視線を戻した。自陣に敵方の飛車や角が入り込んでいる布陣――王手はかかっていないが、かなり危ない状態である。しかし、学園長は敢えてそちらには構わず、敵陣を見た。
「どんなに自陣が攻められていようとも」
 ぱちり、と音がして、相手の王将の前に金将が打ち込まれる。
「こちらが先に王手をかけて――良い手駒を使ってそのまま王手をかけ続けることが出来れば、必ず勝機は見えて来よう」
 ――さて、あちらの王将はどうするか…
 王手のかかった盤面を見下ろす学園長の瞳に、何時にない輝きが宿り始めていた。



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