隙<其の七>


「せんせー」
 森の中の小さな小屋で、間延びした声が発せられた。『先生』と呼ばれた男――魔界之小路はゆっくりと背後を振り返る。
「どうしたしぶ鬼」
 魔界之小路は己の生徒を見た。仲良く並んで座った四人の生徒は、そろって覇気のない様子で机に肘をついたりしている。先程声を上げたしぶ鬼が、再び口を開いた。
「なんで僕達には夏休みがないんですか」
「そうですよ、忍術学園は夏休みだっていうのに」
 しぶ鬼の言葉をつなぐように、いぶ鬼も不満を口にする。ふぶ鬼、やまぶ鬼も同様に、抗議するような目を魔界之小路に向けていた。魔界之小路はサングラスを押し上げ、体ごと彼らの方を向く。
「学園の生徒達には農家の家の子が多いだろう?夏は農業にとって重要な時期で――その手伝いをしなきゃならないから、学園には夏休みや秋休みがあるんだ。しぶ鬼達には手伝うべき家業がないから夏休みは要らない。だから夏休みもこうやって勉強するんだ」
 今が忍たまを追い越すチャンスだろう?そう言って、魔界之小路は四人の顔をうかがう。四人はまだ納得のいかない表情をしているが、言い返すべき言葉が見つからないらしい。これ幸いと白墨を握りなおして――魔界之小路はぴたりと動きを止めた。
「――でも、まあ…」
 魔界之小路は白墨を黒板の溝に戻した。教科書を閉じ、白墨の粉がついたてをぱんぱんとはたく。
「このままカンヅメって言うのもよくないかもな。よし。どこかに遠足に行こう。私は地図をとってくるから、行きたい場所を話し合っておきなさい」
 しぶ鬼たちの表情がぱっと華やいだ。はい、と元気に返事して、早速四人で相談を始める。魔界之小路はそれを見て、そっと教室を抜けた。
 魔界之小路はそのまま自室には行かず、小屋を抜け出して森のほうへと歩いていく。たっぷり五十歩ほど、小屋から十分に離れたところで、魔界之小路はくるりと振り返った。
「――授業中にいきなり来るなんてちょっと無作法じゃないかい、利吉君」
 茂みに向かって語りかけるその目は、先程までのそれとは全く違っていた。

 ――これだからこの人は苦手だ…
 利吉は茂みの中で嘆息した。彼と接触しているとどうも調子が狂う。今も、こうして全く逆の方向の茂みに語りかける彼の背を見ているだけで、出鼻をくじかれた感じがする。
 ――わざとか!?わざとなのか!?
 一瞬思いかけて、利吉は考えるのをやめた。こうしてうじうじ考えてはそれこそ相手の思うつぼだ。相手のペースにはまる前に、話を終わらせてしまったほうが得策だと判断して、利吉はすっと立ち上がった。
「魔界之先生――こっちです」
 魔界之小路は慌ててそちらを振り返る。
 その場の空気がちょっと気まずくなった。


 一方の半助は、マイタケ城に来ていた。訪問、というよりは明らかに侵入である。半助は警備の手薄なところを縫うようにして通り――既に城主の部屋の真上まで来ていた。
 ……この城、大丈夫か?
 おせっかいだと思いつつも、首をひねらずにいられない。ここまで侵入するのがあまりにも簡単すぎたのだ。警備の兵もどこかのんびりしていて、堂々と眼前を通っても咎められそうに無いほどだった。あのお気楽な城主にしてこの城の気風、といったところか。
「儂は昼寝をするでのう。皆、下がっていてくれ」
 ふと、下から聞こえた声に、半助は耳をそばだてた。部屋の中にとどまっていた家臣たちがぞろぞろと退出していく。
 ――こりゃありがたい。
 半助は最後の家臣が出て行ってから一呼吸待つと、そっと天井板をずらした。隙間に体を滑り込ませ、城主の眼前にそっと降り立つ。音は一切しなかった。
「土井殿か」
 半助はびくりとした。騒がれないように口を塞ごうとしていた手が、硬直する。てっきり大声を上げたりとんでもなく驚いたりすると思っていたのに、マイタケの城主――佃弐左ヱ門は驚いた様子も見せず、堂々としていた。
「ひさしぶりじゃのう」
 のほほんと言った老人は、半助に敵意のない笑みを浮かべた。半助は一瞬拍子抜けしたように弐左ヱ門を見ていたが、我に返ったように慌てて頭を下げる。
「正規の手順を踏まず、こうしてまかり越しましたこと――お許し下さい」
「硬い挨拶はよい。用件を聞こうかの」
 弐左ヱ門の目に、光が宿った。『お気楽なじいさん』の顔ではない。一武将――そして、一城の主の顔だ。半助は小さく頷いて口を開いた。
「佃殿はツキヨタケ城をご存知ですか」
「勿論じゃ。最近城主が変わったこともな」
 ――侮っていた。
 半助は唇を噛んだ。どんなに抜けているように見えても、流石戦国の世で一城を守り抜いているだけのことはある。先程突然現れた自分にも驚かなかったのも、彼が城主として長年修羅場を抜けてきた証拠であろう。
「――単刀直入に申します。佃殿に、軍勢を用意して頂きたいのです」
「軍勢、とな?もしやツキヨタケを潰す気か?」
 弐左ヱ門は腕を組んだ。眉は寄せられ、今にも唸り声が聞こえてきそうだ。半助は、目の端でちらりとその様子を見て、続けた。
「いえ、学園は決して他の城の領地は侵しません。実は今、ツキヨタケが学園を急襲するとの噂がございまして――」
「それを阻止するため、彼らの気を逸らせるのに協力しろ、と?」
「……仰るとおりです」
 弐左ヱ門の言葉を肯定して、半助はさらに頭を下げた。
「ツキヨタケを攻撃してくれなどと申す気は一切ございません。ただ、出陣の準備だけをしていただきたいのです。後はこちらが万事策を用い、決してツキヨタケの矛先が貴城に向かぬように致しますゆえ……どうか、お聞き届け頂きたく」
「ふむ」
 弐左ヱ門は顎に手を当て、しばし考えるそぶりを見せた。弐左ヱ門の顔色を伺うようにしていた半助と、一瞬目が合う。
「――ひとつ、聞いておきたい」
「何なりと」
 答えながら、半助は緊張に身を硬くした。恐らく、この質問の答えにさえ納得できれば彼はこちらの要求を呑んでくれるだろう。逆に言えば、こちらの返答次第では交渉は決裂してしまう。
「何故我らに助けを求めた?例えば――戦に慣れたチャミダレアミタケあたりなら、喜んで兵を出すであろうに」
「それは――」
 半助は一瞬答えに詰まった。伝蔵からの書簡にはそうした理由は一切書かれていなかった。ここは自分の存念を話すしかない。それに全てがかかっている。
「私の考えではありますが、もしもそうした城に頼んだ場合――本当に戦が起こることが考えられるためと思います。こちらとしては、現在の均衡を崩したくはありません。ツキヨタケの領地は、狭いながらも交通の便がよく、実りも豊かです。どこかの城がツキヨタケを攻め滅ぼし、その地を手にすれば――新たな脅威が、そして戦禍が生まれるやもしれません」
「ならば」
 弐左ヱ門は半助を睨むようにして見た。
「我らがその計画に手を貸し、そちらに万事お任せすれば――学園の領地も、ツキヨタケの領地も侵されることなく事態は解決するのか」
「――はい」
 強い口調で問うた弐左ヱ門に、半助も強い眼差しで答えた。
「……そうか」
 重い声が弐左ヱ門の口から漏れる。どうやら納得したようだ。半助はほっと息をつき、返答を待つ。
「土井殿」
 弐左ヱ門の口の端が小さく上がった。
「――そういうことならば、協力しよう。こちらも学園には借りがある――学園がなくなるのも、ツキヨタケがなくなるのもこちらにとっては不都合じゃし、な。出来る限りのことはさせて頂くと、大川殿にお伝えくだされ」
「――はい!」
 半助は勢いよく頭を下げた。声には嬉しさがあふれている。一刻も早くそのことを伝えるべく、半助はその場を辞した。
 ――後は利吉君、か…
 利吉の側の成功を祈る半助の背後では、城主の指示でマイタケが動き始めていた。



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