隙<其の八>


「さあ、改めて話を聞こう」
 少し場所を変え、仕切りなおした利吉と魔界之小路は互いをじっと見据えていた。魔界之小路は(サングラスで隠れていて見えないが、恐らくは)挑戦的な瞳を利吉に向け、唇をちろりと舐めた。
「きみがわざわざこんなところまで来るなんて――よっぽどの用事なんだろうね?」
 利吉は魔界之小路の視線をじっと受け止めた。意識的に、落ち着いた声を紡ぎ出す。
「ええ。あまり長々話を延ばすのも好ましくありませんので、早速お願いしたいんですけれど…」
「ツキヨタケの件ならお断りするよ」
 利吉は数回、目を瞬かせた。魔界之小路は、してやったりといった表情でこちらを見ている。
「おや?その表情を見ると当たりかい?適当に言ってみたのだけれど」
 そう言う魔界之小路の口の端はつりあがっていた。利吉は心の中で舌を打つ。
 ――全く、どこまで知っているんだこの人は…
 利吉は何とか魔界之小路の表情を探ろうと、睨むようにして彼を見た。しかしその飄々とした表情は『余裕』で覆われており、その真意を汲み取ることは難しい。
 もしかしたら彼はツキヨタケの城主交代のことだけを知っていて、学園を狙っていることは知らないのかもしれない。勿論、後者の情報も掴んでいる可能性もある。ただ、学園が狙われていることを知らなかったのであれば、動揺を見せてしまったのは大きなミスだ。ただでさえ難しい交渉が余計に困難になる…
 ――でも、この人の場合…全部知っていて私をからかっている可能性もあるし…
 利吉はとめどない思考に襲われていた。ことは慎重に運ばねばならないが、迷いは禁物だ。自分を落ち着かせようと努める利吉だったが、少し焦りが出始める。
 そんな利吉の心中を知ってか知らずか、魔界之小路はあくまで余裕の表情で、むしろ楽しげに利吉を眺めていた。
 ――ええい!
 利吉は首を左右に振って、迷いを振り飛ばした。今更自分の行動を悔いても仕方がない。反省会は後にして、今は交渉に集中しなければ――そう自分に言い聞かせる。
「――ご存知でしたか。ならば話は早い」
 できる限りの綺麗な笑みを浮かべ、利吉はそう言ってみせた。魔界之小路の表情は相変わらずのまま――強がりがばれたのか、と弱気になりそうな自分をすみに追いやりつつ、あくまで冷静を装う。
「貴方の上役――ドクタケ城主か、例の『校長先生』に伝えていただきたいのです。『ツキヨタケが手薄だ』と」
「私が?」
 魔界之小路が発したその声には驚きではなく、嘲笑の色が濃く見えた。利吉を見下ろすようにして、魔界之小路は続ける。
「買いかぶってもらっては困るね。私には少なくとも――ドクタケの方針に対して口出しするだけの権限はないよ」
「そんなことはありませんよ。貴方の言葉には『校長先生』の部下のそれより、はるかに説得力がありますから」
「仮にそうだとしても」
 魔界之小路はそこで一度言葉を切り、利吉をじっと見た。先程までの笑みは口許から消え、声にはいつにない真剣さが宿る。
「――そんなドクタケの利になりそうにないことを、私がするはずはなかろう」
「でも貴方にとって利になるなら、貴方は動くでしょう?」
「……」
 困ったように眉を下げる魔界之小路に、利吉はふわりと微笑みかけた。
「確かにドクタケにとって利はありませんが…少々出費があるくらいで害にはならないでしょう。まして貴方にとって利があるのですから、悪い話ではないと思いますが?」
「――何を…」

「貴方は自分の利を犠牲にしてまで彼の城を守るほど…忠誠心を持ち合わせていないでしょう?」

 利吉は一気に畳み掛けた。魔界之小路はふう、と溜息をつくと弱ったなあと呟いた。
「――詳しい話を聞こうか」
 言うその口の端が少し吊り上っている。魔界之小路のその表情は、完全に共犯者のそれだった。利吉はぐっと拳を握りしめる。
「正直に言いましょう。今、学園はツキヨタケに狙われています。ご存知の通り、学園は今夏季休業中――守りが手薄で、正直苦しい状況です。それで、ドクタケに兵を用意して頂き…」
「ツキヨタケを牽制せよ、と?」
「ええ」
 利吉は魔界之小路をじっと見た。魔界之小路はじっと足元を見て――それから、くすりと笑いを漏らした。
「――迂闊だな、利吉君。その情報を聞いてドクタケが素直に従うとでも?素直に従って兵を用意すると見せかけて――そのまま学園を襲うかもしれないよ?秘密裏にツキヨタケと手を組んで」
「それはありえないでしょう」
 利吉はきっぱりと言い切ってみせた。おやおやという表情をした魔界之小路に構うことなく、言葉を繰り出す。
「この情報は貴方にしかお渡ししません。貴方がその情報をどう伝え、どういう助言を加えるかは貴方の胸一つです。そして貴方にとっては――学園がなくなることは百害あって一利ないことでしょう。ですから貴方は学園を襲う方向に進まぬような、巧い助言をなさる筈です」
「――百害あって一利ない?学園がなくなることが?」
 そんなことありえないよと言わんばかりの口調で魔界之小路は言ってくる。個々が勝負どころだ。利吉はすう、と深呼吸した。

「――貴方の本職は何ですか」

 今までの厳しい口調とうってかわった柔らかな口調で、語りかけるように利吉は言った。二人の間を一陣の風が駆け抜け、二人の髪を大きく揺らす。
「…教師だ」
「そう言って下さって安心しました」
 怪訝そうに自分を見る魔界之小路に、利吉は微笑んでみせた。
「教科書、指導体制、設備…あなた方の『忍術教室』は多くの面で学園を参考にして来られたはずです。まだ完全には写し取れていないようですが、お手本を失ってこの先やって行けますか?教科書はまだ一年生の分しか入手できていないようですし、高学年の実習もまだ偵察されていませんよね?」
「それは…」
「そして何より学園の喪失は、彼ら『ドクたま』たちにとって好敵手の喪失でもあります。好敵手がいるといないとでは物事の習得度が全然違うということを――貴方は知っているでしょう?貴方が教師だというのなら、そのような不利益なことは阻止したいと願うはずですが?」
「なるほどね」
 まるで他人事のように頷いて、魔界之小路は表情を和らげた。
「確かに、今学園に消えられては都合が悪いかもしれないね…あの子達にあまり精神的負担もかけたくないし、学園には存続してもらった方がこちらも何かと便利だし…でもね」
 突如飛び出した逆接の言葉に、利吉はどきりとした。魔界之小路はその隙を狙うように間合いをつめ、利吉の耳元で囁く。

「私としては別に学園でなくてもいいのだけれどね」

「――ッ!!」
 利吉は咄嗟に身を翻し、懐から取り出した小刀を構え、後ろに飛び退いた。鮮やかなまでの殺気を放つ利吉を見て、魔界之小路はやれやれとばかりに手を挙げる。
「…やだなあ。何もしないよ。ただちょっと忠告しただけだ」
 魔界之小路は敵意がないことを示すように、手を挙げたまま数歩後ろに下がった。
「こちらをなめてもらっては困るよ。学園がなくたって彼らの教育は出来るし、好敵手だってそこいらにいくらでもいる。寧ろ色々と邪魔をしてくれる学園なんてないほうが安心できるんだよ…『ドクタケ』はね――」
 魔界之小路は『ドクタケ』とわざと強調して言い、手を挙げたままの姿勢で続ける。
「ただ、私個人として――そして幼い子供を預かる身としては確かに都合の良くない事態が起ころうとしているようだ。だから」
 利吉は目を見開いた。魔界之小路はにっこりと笑う。
「今回は君たちの策略に乗ろう。上には――そうだな、兵を用意させるだけ用意させて、出撃直前に何とかやめさせるような小細工をしておくよ」
「…信用して、いいんですか」
 利吉は相変わらず警戒したまま問うた。魔界之小路はゆっくりと頷く。
「――勿論だ。それにどうせ、手のひらを返して学園を攻めようとしても、こちらの軍備が整うまでには学園が次の手を打っているだろうしね」
 じゃあ私は早速行ってくるよと言うと、魔界之小路は唖然としている利吉の方に向かって歩き出した。すれ違いざま、二人の視線がぶつかったそのときに魔界之小路は再度口を開く。

「これは貸しにしておくよ?利吉君」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべて、魔界之小路は森の向こうへと消えていく。その気配が背中から消えるまで、利吉は動けずにいた。
「――ッ!!」
 漸く呪縛から解き放たれた利吉は、声にならないうめきを漏らして地に身を投げ出した。依頼を遂行出来たとはいえ、交渉内容では完全にこちらの負けだ。
 ――もともとこっちの要求を呑むつもりだったくせに変な理屈でかき回して…ッ!!
 苛立ちをぶつけるように地面を殴りつけて、それから利吉は身を起こした。この上なく悔しい思いをした上に借りまで作らされてしまった――が、仕事は仕事だ。完了の報告をしに戻らねばならない。
「…今度会ったときは、必ず…ッ!!」
 小さな呟きを残して、利吉は地を蹴る。二人が去った後の森には、利吉が殴りつけて少しへこんだ地面と――この椿事を知らぬまま夏休みの計画を楽しげに語り合う、小屋の中の4人の子供だけが残されたのであった。



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