先程から城内が騒がしい。
甲高い笛の音はひっきりなしに聞こえてくるし、男の怒声も絶えることが無い。
「侵入者発見!!兵士は直ちに侵入者を捕縛されたし!!侵入者発見!・・・・・・」
その声を聞いて男たちが群れをなして走り行く。
鼓膜に直接響いてくるような笛の音は、きっと忍びの者への合図だろう。屋根伝いに黒い影が蠢いているのが見て取れる。
―異常― 普通ならば、これほどに混乱することはまずありえない。それなのに、すでに情報が混乱している。現に「侵入者は本丸にいる」だの、「食糧倉に侵入して毒薬をばら撒いた」だの皆言っていることがバラバラだ。要因の一つは、巻物の件でマイタケ城との戦に備え、農民上がりの兵士を大勢雇ったということであろう。大方その者たちが情報を混乱させている元、ということに間違いは無い。
「戦が始まったぞ!」などと言う者がいるのだから、城内全体がパニックに陥ってしまっていた。
その中に三の蔵に向かって走る四人の兵士たちの姿があった。
「長次大丈夫かなぁ?」
「伊作ちゃんは相変わらず心配性だねー」
「こへは心配じゃないのかよ、長次のこと!」
「そりゃ心配だけど…いつも囮役やってるし、たいていは無事で帰ってくるじゃん?」
「そーそー、あいつだって自分ひとり守れるぐらいの力はあんだろ?実技の成績いーんだし」
「もんじの言うことも最もだけどさ、この城の忍者ってかなり強い奴ばっかりだって聞いたことあったから・・・」
「今は気にしてても仕方がないさ。それより、長次のおかげで蔵の前は見張りが二人だけだ。いくぞ!」
音があふれすぎている人ごみの中では、誰一人として彼らの会話を聞いた者はいなかった。
数分前、―四人が城に入る前―
前方からまた六人の兵士が歩いてきた。
四人は木に飛び移った。ちょうど、兵士達が四人のいる木の真下を通り過ぎた時。
彼らの前後にすっと下りてきた。
「なんだっ!?おまえた・・・」
鳩尾に文次郎の拳が入り、どさっという音と共に後方の一人が崩れ落ちた。
一瞬の出来事に残った五人が呆気に取られる。その隙を見逃すほど六年生は甘くない。
続けざまに一人、二人、三人と地面に崩れ落ちていった。
残り三人。
「この野朗・・・っ!!」
残った兵士が刀を抜いた。
一人が仙蔵に向かって刀を左薙に振り下ろす。殺れる・・・と思った瞬間、仙蔵が男の視界から消えた。
「えっ・・・?」
その男の頭上で、月光に反射した漆黒の髪が揺れている。
男が空を見上げた時にはもう遅く、下りてくる仙蔵の蹴りが男の後ろ首に入っていた。
また、どさっと地面に落ちる音。
「お見事。」
伊作が仙蔵に笑いかけながら言う。
「そっちだって。二人倒しただろ?」
「うん。まぁ三人で、だけどね。」
小平太と文次郎は、すでにのびている男たちを森の中に運び込み、彼らの服を剥いでいた。
伊作と仙蔵も後を追って森の中へと入っていく。文次郎が服と刀を二人に投げた。
「はいよ。この服着てりゃ、侵入するのは容易いな。門からだって入れるぜ?」
「門から入る人間は門番が一人一人チェックしているらしいから無理だな。戦が始まるかもしれないって皆かなり神経過敏になっているようだからね」
文次郎の問いに答えつつ、伊作は手渡された服を着ていた。
服を着終わった小平太が仙蔵に尋ねる。
「こいつらどうする?」
「起きてこられたら面倒だな・・・」
渡された刀をすっと抜いて気絶している男たちの前に立った。
一呼吸置いて、一振り。
男たちの首をかっ切った。一瞬の出来事。
飛沫血すら浴びていないといのはさすが彼、というところか。仙蔵は血震いして納刀した。
「行くか。」
皆無言で頷いて、また城へ向かって走り出した。
三の蔵はかなり開けた場所にあった。そこにだけぽつんと蔵がある。
蔵の前の見張りに、伊作と文次郎が声をかけた。
「見張りの交代だ。」
「もうそんな時間か?」
文次郎の問いに見張りが月を見た瞬間、目にも止まらぬ速さで刀を抜刀して右に切り上げた。
声一つ漏らさずにその男は崩れた。
もう一人がその光景を見て呆然としているところに、伊作が喉元に刀の切っ先を突きつけた。
「マイタケ城から盗んだ巻物知ってるよな?そこまで案内しろ。」
押し殺した低い声。普段友達や下級生に話す時の優しい声からはとても想像出来ない声だった。
男は唯、こくこくと首を振って懸命に答えた。
中は完全に手薄になっていた。見張りの者など一人もいない。きっと侵入者の騒ぎで皆そちらに向かったのだろう。
五人が蝋燭の灯を頼りに暗い廊下を歩いていく。
暫くして、ある部屋の前で男がぴたりと止まった
「ここです」
声がかなり震えている。
「中に警備の者は?」
刀を男の背中にあてたまま伊作が訊ねた。
その問いに男が無言で首を振る。
そうか、と小さく言ってから伊作は刀を振り下ろした。
「あっ・・・」と男は小さく声をあげただけだった。
納刀して蔵の戸を開けた。空けた瞬間に、蔵独特の湿った空気が顔に触る。
探している巻物はあっさり見つかった。その部屋の中には、巻物が数本しかなかったため、当然と言えるだろう。ちゃんとマイタケ城の落款が押してあるのを確認して、伊作が懐の中へ入れた。
四人が蔵から出てきた。
最初に見えたのは十人位で何かを囲っている人だかり。囲っている人間は兵士たちだ。
その中心にいるのが何だか見えた。
「長次っ!」
伊作が小さく悲鳴に似た声をあげる。
「行くぞっ!!」
仙蔵の言葉に、人だかりに向かって駆け出して言った。
皆、意識が円の中心に向いている。後ろから斬りかかって来ることなど微塵と思ってもいない。
一人斬られて漸く気付いた。兵士たちは刀を抜いて応戦体勢にを取る。
「もんじ後ろっ!」
小平太が敵の刃を押し返しながら文次郎に呼びかける。
「わかってる!」
小平太と同じ様に、前の敵の刀を押し返していた文次郎は前方の敵を足で払って倒し、後ろから飛び掛ってくるもう一人を右薙にして斬った。
残り数人となった。伊作がそのうちの一人に刀を振り下ろそうとする。
「ま、待ってくれっ!俺には家に残してきた家族がいるんだ!俺がいなきゃあいつらは飢え死にだ・・・頼む!見逃してくれ・・・っ!!」
拝み倒してくる男に伊作の刀が止まった。感情を優先してはならないことぐらい判りきっている。でも、必死に手を合わせてまで懇願してくる男に刀を振り下ろせなかった。
鼓膜が破れそうな笛の音で、伊作は我に帰った。その音は目の前の男の笛の音だった。
頭上で止まっていた刀が反射的に男に向かって振り下ろされる。とたんに、笛の音がやんだ。
崩れた男が子どもの名をつぶやく声ははっきりと伊作の耳まで届いた。
「いたぞ!こっちだ!!」
その声に何十人と兵が集まってくる。次から、次から・・・。
「くっそ・・・」
文次郎がつぶやく。小平太は顔をしかめ、仙蔵は舌打ちをしていた。
「おい!伊作!ボーっとするな!前からきてるぞ!」
そういって仙蔵が横から伊作の肩をゆする。それに漸く気付いて目線が彼へと向けられる。
「おい長次、立てるか?」
文次郎は返事を聞く前に刀を投げた。
「自分の身はなるべく自分で守れ!」
そう早口で伝える。
その時にはもう、刀を振りかざすものが目前にいたから。