裏切り<其の二>
――どうやら利吉があちら側についているらしい。
そうした噂が教師達の間に流布するのにそう時間はかからなかった。実際に学園長が襲われた前後に利吉の姿を見たものも多い。緊急招集を受けた教師達は、緊張した面持ちで一室に会した。
「早速ですが・・・学園長」
五年生の教師、木下鉄丸が切り出す。幸い、学園長には怪我はなく、被害は学園長室の障子だけで済んでいた。
「本当なんですか」
主語を言わずに鉄丸は問うた。所在なげに視線を宙に浮かし、ちらりと伝蔵を見る。伝蔵は鉄丸の視線に気づいていないようだった。それは、伝蔵が動揺している紛れもない証拠であった。
「解っておる」
学園長は重々しく答えた。学園長が軽く『事務のおばちゃん』の方を向くと、彼女は紙をそっと取り出し、皆に見える位置においた。教師達の視線がそれに集中する。
「申し訳ございません」
『事務のおばちゃん』は、深々と頭を下げた。先程彼女が取り出した紙は『出門表』である。その最後の欄には整った字で『山田利吉』の署名があった。
「私の指導不足です。彼は堂々と正門から出たようです」
教師達の間から大きな溜息が聞こえた。皆、若い事務員の姿を思い浮かべていたのであった。
「とにかく」
学園長が口を開いた。教師達は皆そちらに視線を移す。
「こちらも何とか対応せねばなるまい…土井先生」
「はい」
学園長は年若い教師の名を呼んだ。
「杭瀬村へ走ってくれ。大木先生に探索の依頼を」
学園長に言われて、半助は緊張した面持ちで頷いた。それを見ると、学園長は他の教師に視線を移す。
「木下先生と野村先生、松千代先生は情報の収集を。安藤先生、斜堂先生、厚木先生、日向先生は学園内の警護を」
「はい」
呼ばれた教師達は頷き――そしてちらりと伝蔵のほうを見た。伝蔵の名は呼ばれない。
「学園長」
伝蔵は、たまらず切り出した。学園長がゆっくりとした動作でそちらを向く。
「今回のことは私の不始末です。私も――」
「ならぬ」
学園長は、伝蔵の言葉を遮った。教師達は固唾を呑んで成り行きを見守る。
「山田先生には待機しておいて頂く。少なくとも現段階で要員に加えることは出来ん」
学園長はそう言って伝蔵を見据えた。伝蔵は、先程動けなかったことを咎められているような気がして――そして、出来ることなら我が子と戦いたくはない、という心理を見透かされたような気がして口をつぐんだ。学園長は大きく溜息をついた。
「先生方――くれぐれも念頭において頂きたい。今回のわれわれの敵はサンコタケじゃ。先程の騒ぎも、サンコタケの使わした一人の青年が学園内に侵入した、それだけじゃ」
学園長の言葉に、教師達は頷くしかなかった。学園長の言葉には、『山田利吉』を『伝蔵の息子』ではなく、一人の青年として扱え――つまりは遠慮は一切無用、といった含みがあった。
「…辛いですね」
伝蔵の耳に、ふと聞きなれた声が聞こえた。伝蔵は、ちらりと横の同僚――半助に視線を移す。半助は正面を見据えたまま、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「――行ったか」
村はずれのボロ小屋で、男――サンコタケの使者は、ゆっくりと目を開けた。その向かいに座っていた利吉は、頷いて同意を示す。
教師達が会合を開いた3日後――利吉はサンコタケと接触していた。それを雅之助が見ていたのだ。雅之助の気配が遠ざかったのを認め、男は話を切り出した。
「先日、学園長の暗殺をしくじったそうだな」
「しくじった?まさか」
利吉は、挑発的な口調でそう言い放った。どこか馬鹿にしたようなその言い方に、男はむっとした。
「何をしらばっくれている。学園長は未だ健在。お前の仕事を監視していた者の報告もある」
男は、どうだ、と誇らしげに言った。今や売れっ子となった利吉をやり込めたという自負があったのだろう。利吉は視線をつい、とそらすと溜息をついた。
「これだから困る」
「何を!?」
利吉の言葉に激昂した男は、思わず掴みかかろうとした。途端、流れるような動きで利吉の手は動き――次の瞬間には、男の喉下に短刀が突きつけられていた。男は動きを止めた。少しでも動けば、自分の喉から鮮血が飛び出すことが解っていた。
「いいですか。貴方達は学園を甘く見すぎているんです」
諭すように、しかし有無を言わせぬ口調で、利吉は続けた。
「頭が一人いなくなったくらいでは、あの学園は傾きませんよ。恐らく年齢と経験から言って、山田伝蔵が指揮を執り、一丸となってサンコタケを撃退するでしょう」
「――随分偉いもんだ…お前の親父は」
男はそれだけ言って、口をつぐんだ。利吉が短刀を男の首に押し当てていた。
「あの学園の人たちは、忍びにしては情に厚すぎるんですよ…だから、それを利用します」
利吉は乱暴に男を突き放した。男は恐怖に身をこわばらせた。自分を貫く利吉の視線に、この上ない危険を感じたのだ。
――いったいどうすりゃ、こんな目が出来るんだ…
震え上がる男を、利吉はちらりと見やった。
「私が敵方にまわったことを知れば、どうしても山田伝蔵の周りに溝が出来ることでしょう…あの学園の教師達には、『山田利吉は学園とは関係のない一人の忍びだ』と完全に割り切ることは出来ないはずです…そうなったとき、どんな混乱が起こるか――」
楽しみですね。そういって、利吉は男に微笑みかけた。
その笑みを返す余裕は男にはない。
ある筈なんてなかった。
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