裏切り<其の四>

 仙蔵たちが退去するのと入れ替えに、足早に学園長室に駆け込んだ者があった。元忍術学園教師、大木雅之助であった。
「学園長!!」
 雅之助は勢いよく庵の扉を開け放つ。学園長は、何事も無かったかのようにゆっくりと顔を上げ、間の抜けたような声で答えた。
「おう…雅之助か。騒々しいのお…どうした?」
「どうしたもこうしたもありませんよ、学園長!」
 雅之助は乱暴に障子を閉めると、その場にどかりと腰掛けた。いつも結んでいる鉢巻が、一瞬遅れてふわりと舞う。
「言われたから偵察に行ってみたものの…死ぬかと思いましたよ。まさかあちらに――」
 雅之助は言葉を切ってちらりと学園長を見る。学園長は、続きをせかすように、首を振って見せた。雅之助は学園長を睨みつけ、声を殺して言った。
「利吉が――ついているなんて」
 雅之助の言葉には、批判の感情がこもっていた。
「――どうする、おつもりです」
 一言一言区切るようにして、雅之助は学園長を問い詰めた。どれだけ言われても、学園長が口を割らないことは雅之助とて解っている。しかし、問い詰めずにはいられなかった。
「利吉を…斬るのですか」
 学園長は身じろぎ一つしなかった。そのかわり、ただ無言で脇にあった槍をツツと引き寄せる。
 雅之助は身構えたが、次の瞬間には、その槍は、目にも留まらぬ速さで畳に突き立てられていた。くぐもったうめき声が床下から聞こえる。
 ――これが…
 雅之助は思わず息を呑んだ。若いころ天才忍者と呼ばれていた目の前の老人に畏敬の念を抱くとともに、動揺していたとはいえ足元の敵に気づかなかった自分の未熟さをかみ締める。
「…のう、雅之助や」
 学園長は相変わらずの調子で言いながら、右手で槍を掴んだ。そっと槍を引き抜くと、畳が槍についていた血を吸って見る見るうちに朱に染まっていく。同時に、床下になにやら重いものが落ちる音が小さく聞こえた。槍で突かれた間者が絶命したのは明らかだった。
「もう少し――落ち着かんか」
 引き抜いた槍を、学園長は自分と雅之助の間に横たえた。雅之助は無言で頭を下げ、謝罪の意を示す。
「…知りたいか」
 呟くようにしていった学園長の言葉に、雅之助はゆっくりと頷いた。学園長は、血がまだわずかにこびりついている槍の先を見つめながら、ゆっくりと口を開いたのだった。


「伊作君」
 時を同じくして、保健室では伊作が新野洋一に呼び出されていた。他に人のいない保健室の中、保健委員長たる伊作は緊張した面持ちで、洋一に向かい合っていた。
「――少し、お話があります」
「はい」
 洋一の表情は、張り詰めた空気とは裏腹に穏やかなものだった。この空気さえなければ、世間話だと伊作も思っただろう。穏やかなその表情そのもののまま、洋一は伊作に語りかけるようにして言った。
「まず初めに言っておきましょう。君にはしばらく私の助手として動いてもらうことになります」
「――え?」
 伊作は洋一の意図するところがわからなかった。洋一はそんな伊作を見ながらも、淡々と続ける。
「君はしばらくの間、授業に出なくて宜しい。――と言うか、授業に出ないで欲しいのです。ずっとこの保健室に留まって頂きたい」
「――どういう、意味ですか」
 伊作は慎重に言葉を選んだ。いくら保健委員長とはいえ、授業に出ずに保健室に留まれとはどういうことなのか。そこに潜んでいるであろう大きな理由に、伊作は無意識のうちに警戒していた。
 一方の洋一は、そこで漸く姿勢をやや崩し、小首を傾げた。どこまでを言うべきか、彼なりに思案しているのであろう。
「…そうですね。一言で言ってしまえば、これから暫くの間に学園内で怪我人が出る恐れがある、ということです。君は6年間、保健委員としてたくさんの経験を積んできました。その腕を、是非私に貸してほしいのです」
「――それは…それはつまり…」
 伊作は視線を落とした。
「『これから暫くの間』に『怪我人が出る恐れがある』ような緊急事態が発生する、ということですか」
「そういうことになりますね」
 洋一は、即答した。伊作はハッとして一瞬顔を上げ、それから再び節目がちになって言った。
「――ひとつ…聞かせて下さい」
 伊作はぐっと息を飲み込んだ。
「僕を…僕を保健室に留まらせておく、というのは本当に僕の治療技術を買って下さっているからですか…?本当は――本当は僕が足手纏いになるから、ではないのですか?」
「伊作君…」
 洋一は伊作を見た。伊作の声は震えている。
「新野先生、僕には本心をお聞かせ下さい。僕は――僕は…」
「自信を持ちなさい、伊作君」
 洋一は、伊作の言葉を遮るようにして言うと、伊作の肩に手を置いた。伊作は、洋一を見上げる。
「君が足手纏いになる、なんて誰も思っちゃいませんよ。そんなことをするのなら、一年生はみんな保健室詰めになってしまう」
 でしょう?――洋一はそう言って、伊作に微笑みかけた。
「『緊急事態』のことを知っている人間は、教師を除けばこの学園にはほとんどいません。教師達が――学園側が本当に信用できる、そして腕のたつ一部の生徒にしかこのことは知らされていないのですよ。伊作君、君もその一人です」
「新野先生…」
 伊作は、胸の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。それをぐっと飲み込むと、伊作はきりりとした表情を取り戻した。
「先生方のご信頼に報いることが出来るよう――精一杯、頑張ります」
 力強く言った伊作に、洋一は満足そうに頷いた。
「早速、始めましょう」
「はい」
 伊作はてきぱきと動き始めた。別の舞台で奔走しているであろう、友人に思いを馳せながら――

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