裏切り<其の七> 「さて…そろそろかな」 利吉は空を見上げた。夜明けまではあと少し。利吉は溜息をつくと自分の手元に目をやった。彼の手は火薬壷の上に置かれている。ゆうに建物がいくつも吹き飛んでしまうような量である。 彼は今、サンコタケの火薬庫にいた。許可は取っていないが、誰にも見つからないだろう。今、サンコタケは出陣準備でおおわらわなのである。それに、仮に見つかったとしても利吉はサンコタケ側の人間だ。『作戦に使う』とでも言えば、見逃してもらえるだろう。 利吉は再び溜息をつき、目を伏せる。 ――この仕事が終わったら…きっとただでは済まないだろうな… 利吉は自嘲気味な笑みを浮かべた。火薬壷に、静かに指を這わせる。暫くして、利吉は意を決したように口元の笑みを消し、唇を固く結んだ。同時に火薬壷の蓋に、手をかける。 もう、後戻りは出来なかった。 「――全く、何を考えているのか…」 半日前と全く同じ言葉を呟いて、雄三はちらと学園長の庵の方を見た。空は白々と明け始めている。 昨日、日が暮れてから雄三はずっと庵の前にいた。他にも木下鉄丸、戸部新左ヱ門といった教師の中でも指折りの手練が、ぐるりと庵の周りを固めている。もうかなりの時間立ち通しだというのに、彼らの顔には微塵の疲れも見えてこない。緊張の糸は、ぴんと張られたままだった。 雄三は、庵を凝視した。中では動きは全く見られない。庵の中では、外と同じく昨夜から徹夜での警護が行われているはずだ。 ――それが何故、我々でないのか。 学園長が警護の人員配置を発表したのは、幾人かの生徒が庵に呼ばれた直後のことだった。勿論、その人事に教師達のほとんどが反対した。 「納得が出来ません」 真っ先に言ったのは雄三だった。他の教師も同意の姿勢を見せる。 「納得するも何もこれは学園長の警護だろうが。学園長の決めたとおりにすればよかろう?それに、お前は学園長の決定に口を挟むつもりか?雄三」 雄三は部屋の隅に視線を走らせた。腕を組み、胡坐をかいてこちらに挑発的な視線を送っている好敵手が、そこにいた。 「雅之助、貴様…」 「落ち着け」 今にも決闘を始めそうな二人を、学園長が制止した。二人は睨みあったまま、拳を収める。 「野村先生、それに諸先生方も解って頂きたい」 学園長が言うと、教師達は静まり返った。 「わしが庵内に先生方を配置せなんだのは、先生方を信頼していないからではない。むしろその逆じゃ。先生方を信頼しているからこそ、先生方が庵の外で『彼』を止めてくれると信じているからこその配置じゃ」 わかるな?――有無を言わさぬ視線が教師達に注がれる。 「いくら『彼』でも空を飛べるわけではなし、必ず庵周辺のどこかに現れる筈じゃ。仮に地下から侵入したにしても、床下の警備が行き届いておれば食い止めることも不可能ではない。庵内に総力を結集したところで、庵内で戦うにも限度がある…庵内の配備は言わば保険じゃよ」 そう言って、学園長は笑みを浮かべて見せたのだった。 ――あの時は納得してしまったが、どうも誤魔化されている気がする。 雄三は眉を寄せた。やはり合点がいかない。学園長が何かを隠しているのは間違いなかった。おまけに、庵内に雅之助が配置されたことを考えると、さらにその疑いは確実なものとなる。 ――あやつ、一枚かんでいるな… 雄三は好敵手の顔を思い浮かべた。彼と学園長が結託して何かをやろうとしているのなら、尚更納得がいかない。 ――そんなにも我々教師は信頼されていないのか? ――我々教師よりも、元教師や生徒のほうが信頼できるというのか? 雄三の中でそんな思考が渦を巻き始めたそのとき、ふと人の気配がした。 「誰だッ!?」 「私ですわ」 思わず叫び、振り返った雄三の目の前に、妙齢の女性が現れた。 「山本先生?」 雄三は警戒を解かずに女性の名を呼んだ。女性はふと微笑むと、指で複雑な形をいくつか作って見せる。それを見て初めて、雄三は安堵したような表情を浮かべた。シナが見せたその指の動きは、変装の得意な『彼』と味方を識別するために、雄三が発案して決めたものだった。 「――で?どうなさいました」 「先程、情報が入ったのです」 シナは、強いまなざしで雄三を見据えた。 「サンコタケ軍が、出城を後にしてこちらへ向かっているとのことです」 「何!?」 雄三は思わず声を荒げた。幾人かの教師も聞き耳を立てている。 「それで?今どのあたりに」 「それがもうすぐそこまで」 雄三は唇をかんだ。学園側としてもそうした事態を想定してはいたものの、ここまで行動が早いとは思っても見なかったのである。 情報伝達が遅れたのも、痛かった。学園から比較的近いところに、サンコタケの出城がある。そこから出撃すれば、さほど時間はかからず学園に接近することが出来る。今までは学園が常にきめ細かい監視を行っていたため、それなりに相手の動きを封じ込めることが出来ていたのだが、昨今の緊急事態でそれが疎かになっていたことは否めない。人員のほとんどが防衛に充てられていたためだ。 しかもサンコタケ軍がそこまで迫ってきているということは、学園長と学園を同時に守らねばならないということでもあった。いくら今の学園が厳戒態勢にあるとはいえ、それをこなすのは至難の業である。どう見ても人数不足なのだ。 「どうします」 珍しく、雄三は焦りを見せた。シナは強い視線を保ったまま、言う。 「とにかく、学園長にこのことをお知らせします。状況によっては、近くの城に援軍を要請する必要があるかも知れませんし」 雄三は頷き、シナとともに学園長の庵を見る。 「ん?」 雄三は思わず目を凝らした。庵の中で、誰かが動いた――ように見えた。 次の瞬間。 庵で、爆発音とともに火の手が上がった。 ●次へ ●戻る |