裏切り<其の九> 異変に最初に気づいたのは鉄丸だった。塀の上に佇む『影』の隙を伺おうとして、それが目に入ったのだ。 「なんだ…あれは?」 思わず出たその声に、皆そちらの方角を見た。サンコタケの出城のあたりから、もうもうと煙が立っている。つられてそちらを見たのだろう。サンコタケ軍のどよめきも聞こえてくる。 「もしや出城が攻撃されたのでは!?」 「どういうことだ!?」 あちらの混乱が手に取るように伝わってくる。漸く我に返った教師達も、サンコタケ軍のただならぬ雰囲気に戸惑った。 そのときだ。 「くくく…はははは」 『影』が声を上げて笑い始めた。サンコタケ軍も、教師達も一斉に静まり返る。呆気に取られる皆の前で、『影』は左手で前髪を乱暴にかき上げた。 「大当たり。今頃出城は、もう使い物にならなくなってるさ」 「何!?貴様…裏切ったか!利吉!」 大将格の男が激昂して怒鳴る。『影』は見下したような目つきでその男を見た。 「裏切る?何がだ?利吉さんはもともとこっち側の人間だろうが。それに俺は利吉さんじゃねえよ」 『影』は小憎たらしい表情で、ちろりと舌を出した。『影』の口から出た信じられない言葉に、サンコタケ軍は静まり返る。先ほどの大将格の男でさえ、口をぽかんと開けて目を泳がせていた。 「鉢屋!!」 さらりと爆弾発言をやってのけた『影』――もとい三郎に、庵から出てきた仙蔵が何やら投げつける。三郎は、片手でそれを受け止めた。 「ありがとうございます。立花先輩」 言って、三郎はサンコタケ軍を見下ろす。 「いいか?これに懲りて二度と学園攻めようなんて思うんじゃねえぞ?次はこれじゃ済まねえからな」 三郎は、先程仙蔵から受け取ったもの――打竹を左手の指の間に挟んだ。残りの指で、右手に提げた『首級』の髪のあたりを探ると、するりと一本の紐を引き出した。 「俺の尊敬する利吉さんと学園をなめんじゃねえ」 ぞくりとするような視線をサンコタケに浴びせかけると、三郎は先程の紐に点火し、『首級』を宙に放った。それと同時に、三郎は塀の内へ飛び降りる。三郎が着地するかしないかの時、幾分控えめな爆発音が、塀越しに聞こえたのであった。 「お前か?こんな悪趣味な作戦を立てたのは」 塀の向こうを見たまま、雄三は背後に語りかけた。白く長い鉢巻をしたまま、大木雅之助は大胆に頭をかきむしった。 「儂ではない」 雅之助はきっぱりと言った。雄三は溜息をついて振り返る。塀の向こうでは『退却だ』とか『怪我人の搬送を』などと言った怒号が響いていた。 「それでも…その作戦を聞いた上で同意したのなら同罪だろう。何故止めなかった?おかげで寿命が縮んだぞ」 「儂にどうこう言う権利はない。学園長の判断に従うまでだ。それに――」 雅之助は鉢巻の結び目を乱暴に解いた。白い鉢巻が額から離れる。 「発案者も相当の覚悟はしていた。儂は直接話を聞いたわけではないが、とにかく最終的には納得させられたからな。確かにこれが最善の方法だったと今では思っておる」 雅之助は額の汗を拭った。塀の向こうでは次第に怒号は治まり、やがて蹄の音が遠ざかっていく。それを見届けたのか、先程から塀の向こうをそっと伺っていた仙蔵が地面に降り立った。 「どうだ?立花」 雅之助が声をかけると、仙蔵はさらりと髪をかきあげた。 「私を誰だとお思いですか?大木先生。火薬のことなら誰にも負けませんよ。計算通り、皆怪我に留まったようです」 「流石だな」 雅之助は苦笑しながら、誇らしげに微笑む仙蔵を見る。雄三は、事の次第がだんだん読めてくるのを感じた。 「なるほど。それで鉢屋と立花、か。確かにこの二人がいればこと足りる」 「ああ」 雅之助は頷いた。 「あの『首級』は立花が作った。作法委員長だから首実験用の模型を失敬するのも簡単だったし――まあ、斜堂先生も了承したが。おまけにあいつは火薬を扱える。あの模型に細工して、ちょうどいい規模の爆発を起こすような爆弾に仕立てるのは朝飯前…まさに適役だ」 「鉢屋も、だな」 雄三は眼鏡を押し上げながら言った。雅之助は再び頷く。 「そうだ。あいつなら、外見は勿論、動きまで利吉に似せられる。まあ、流石に山田先生には見破られちまうかもしれんから、配置を離してもらったんだが」 ああそれで、と雄三は相槌を打った。学園長が庵警護から伝蔵を外したのは、親子の情を心配してではなく、鉢屋の変装が見破られたらまずいからであったのである。 一息ついてから、雅之助は目を伏せた。 「それに――あいつはどこで覚えたのか、随分冷たい目が出来る。脅しにゃ丁度いい」 「脅し?」 雄三は雅之助に問うた。 「おうよ」 雅之助は目を上げ、にやりと笑みを見せた。 「今回の『悪趣味な』作戦の目的はそれよ」 ●次へ ●戻る |