裏切り<序章>
――困ったのう・・・
元忍術学園教師、大木雅之助は心の中でぼやいていた。どこか投げやりになりそうな気持ちをつなぎとめ、じっと前を睨む。雅之助の視線は、長らく人の住んだ形跡のない村はずれの一軒家に注がれていた。
雅之助が学園からの知らせを受け取ったのはつい3日前のことであった。
「大木先生!」
いつものようにラッキョの手入れをしていた雅之助は、声をかけられてふと顔を上げた。畦道で、見慣れた顔がこちらを向いている。
「おう・・・土井先生じゃないか。どうした」
気軽に声をかけながらも、雅之助は少し表情を硬くした。普段は柔らかい表情をしている半助が、唇を固く結び、真剣な眼差しでこちらを見ている。そのただならぬ雰囲気に、雅之助は鍬を置き、足早に近づいた。
「どうした」
辺りに気を配りながら、雅之助は声をかけた。半助は同じく周囲を警戒しながら、懐から書状を取り出した。
「これは?」
雅之助は受け取りながら尋ねた。半助は右手に軽く握った小さな袋をそっと雅之助に握らせると、声をひそめて言った。
「学園長からの緊急の用件です。書状を御覧になったら早速動いて頂きたいとのお達しです」
「そんなに急な用件か」
「はい」
驚く雅之助に、半助は真剣な表情で答えた。半助は、先程袋を握らせた雅之助の手に、上からそっと触れる。
「それは当座の活動資金だそうです」
そこまで言ってから、半助は初めていつもの柔和な笑みを見せた。雅之助は深く溜息をつくと書状と袋を懐に仕舞い込んだのだった。
学園長からの書状には、最近サンコタケの動きがおかしいので、その動きを早急に調べてほしいという内容が書き連ねられていた。
――しかし・・・あの御仁はここまで知っておったのか。
雅之助の背を冷たい汗が流れていく。心臓の音が大きく鳴り響いているかのように感じられた。草むらの中で様子を見守る雅之助の視界の中で、一人の青年が件のボロ小屋へと歩み寄る。
と、一瞬彼の視線が雅之助を射抜いた――かのように感じられた。
咄嗟に雅之助は頭を引っ込め、息をついた。すでに心拍数は跳ね上がり、汗が頬を伝って落ちていく。
――落ち着け・・・落ち着け・・・
雅之助はゆっくりと呼吸をして、平常心を保とうとする。
――見られたか?
雅之助はそっと気配を探る。青年の気配はすでになく、どうやら小屋の中に入ったようだった。
――いや・・・あるいは、たまたまこちらを伺っただけで、視線が合ったように感じたのは気のせいだったのかも知れん。
雅之助は何度も自分に言い聞かせた。頬を流れた汗を拭う。深追いは危険と判断した雅之助は、その場をそっと離れた。
――しかし、これでは危険手当も貰わんとワリに合わんな。
かなり余裕を取り戻した証拠であろうか。雅之助はかすかな笑みを浮かべてそう考えた。
――他にも農業を出来なかった分の埋め合わせと、それに・・・
とりとめもないことを考えていた雅之介であったが、ふとその頭に先程の青年の顔が蘇った。雅之助ははたと立ち止まり、今度は自嘲気味な笑みを浮かべた。無意識のうちに、彼のことを考えずにいようとしている自分に気づいたのだ。
――困ったのう・・・
雅之助は今日幾度目かのぼやきを心の中で呟いた。サンコタケと接触していたあの青年――山田利吉のことを報告すべきかどうか、本気で悩んでいる自分がいることを感じていたのである。
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