自縄自縛<其の一>

「ったく、どういうつもりだったんだよ」
 蘿は利吉を木陰に引っ張り込むと、いきなり問いただした。
「もしあのガキが本気だったら…」
「絶対にそれはないと思っていたよ」
 利吉はふわりと微笑んで言った。
「あの子はそんなことが出来る子じゃない。そんな気がしたんだ」
「『気がした』って…そんなことで!」
 蘿は少し声をあらげると、ふと黙り込んだ。
「――蘿?」
 利吉は蘿の顔を覗き込んだ。蘿は利吉の視線に気付くとふいと顔を背けた。
「…一瞬…一瞬焦ったんだからな」
 蘿はそれだけ言うと、木立の間に消えて行った。
「蘿?」
 利吉は首を傾げて、いつもとは違う友人の背中を見送っていた。

「…利吉…馬鹿」
 蘿はいつもねぐらにしている炭焼き小屋の床に寝転がってそう呟いた。
「私は――凄く…凄く…」
 心配だったのに。
 蘿はその言葉を出しかけてぐっと詰まった。
 頬が紅潮しているのが自分でも解った。
 慌てて飛び起きると、小屋のすぐ側を流れる川で顔を洗う。
 冷たい水の飛沫が顔に当たる度に、蘿は自分に言い聞かせていた。
 ――私はもう女を捨てた。
 ――自分は男なんだ。
 蘿はふと川面に映った自分の顔を見た。
「…もう戻らないって決めたのに…」
 ――そういえばあの時も…こんな風に川を見ていたっけ…
 蘿の視界の中で川面がきらりと光った。

「ふう…疲れた」
 少女は小川に歩み寄ると清水を手にくみ取り、口に運んだ。
 ほう、と息をつくと少女は川の中に足を浸す。
 早春の川はまだ冷たくて、少女は一瞬身をすくませた。
「今頃兄様は…」
 少女は兄に思いを馳せた。自分より5歳も年上で、術も上手くて…兄は少女にとっての憧れであった。
「兄様なら絶対に大丈夫だわ」
 少女は前夜に兄に言ったのと同じ言葉を繰り返した。まるで自分に言い聞かせるように。
 と、背後に気配を感じて少女は徐に振り向いた。
「爺」
 背後から歩み寄ったのは顔に相当の年輪を刻んだ老人だった。
「兄様の資格審査、どうだった?勿論合格でしょ?」
 無邪気にはしゃぐ少女を見て、老人は言葉に詰まった。少女は老人の態度を見て声を落とす。
「――爺?」
「――落ち着いて聞いて下され」
 老人は震える手を少女の肩にのせた。ただごとではない雰囲気に、少女は怯えつつも頷く。
「…蘿様が…落とされておしまいになった…」
 少女の顔に戦慄の表情が浮かぶ。
 後に“蘿”として生きることになるこの少女はまだ七歳だった。

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