自縄自縛<其の五>
“蘿”と利吉が再び出会うまで、そう時間はかからなかった。
しかし、出会った瞬間に今まで言おうとしていたことは全て二人の脳裏からは消えていた。
何を言うでもなく、二人は黙ったまま対峙していた。
「――さっきはすまなかった…折角…」
重々しく先に口を開いたのは“蘿”の方だった。利吉ははっとして“蘿”を見る。
「…折角慰めてくれたのに…な」
「ううん…私の言い方も悪かったよ」
かろうじて話題は繋がるが、そこから先は出てこない。
二人とももどかしい一方だった。
“蘿”は待っていた。利吉がもう一度『自分の意志で生きろ』と言ってくれるのを。
その一言があれば、自分は“藜”に戻るつもりだった。
利吉は待っていた。“蘿”が自分から『自分として生きる』と言うことを。
そうでなければ蘿は永遠に束縛されることになる、そう思っていた。
二人の意志はすれ違ったまま、しばしの時が流れた。
「――ははッ」
どれくらいの時が経っただろうか。不意に、“蘿”が声をあげた。
利吉はその声に顔を上げる。
“蘿”の肩は小さく震えていた。笑っているのだろうか、それとも泣いているのだろうか。声も震えている。
「降参だよ」
“蘿”は下を向いたまま言った。利吉は何も言わずに“蘿”を見ている。
“蘿”は徐に自分の髪に手を伸ばすと、髪を結わえていた紐をすっと引いた。
いつしか傾きかけた陽が黒髪を紅く照らす。
利吉は思わずその光景に見とれていた。
“蘿”は顔にもかかったその髪をかき分け、利吉を見据えた。
その時には――もう“蘿”は“藜”になっていたのだ。
「本当は――」
ぼんやりとしていた利吉はふと、引き戻された。
「本当は私は“蘿”として生きたくなんかなかったんです――なのに…皆に“蘿”として生きることを進められるうちに考えるようになったのです。…私に…私に兄の身代わりになる以外の存在意義が有ったのだろうか…と」
「………」
利吉は相変わらず黙ったままで“藜”を見た。“藜”の頬には僅かではあるが涙の後が残っていた。
「でも…漸く吹っ切れました。もう私は兄としている理由なんてないし、まして――」
言おうとして、“藜”は瞬時ためらい――しかし、決心したように前を見据えて言った。
「まして、里に束縛される必要もないんです」
言い切った“藜”の顔は晴れやかだった。“蘿”だった頃の翳りはもはやもう見えない。
目の前の人物の大きな『変化』に戸惑っていたのはむしろ利吉の方だったのかも知れなかった。