〜 本 遇 寺 の あ ゆ み 〜 その2


文化11年(1815年)本遇寺当代住職が奉行所へ提出した文書の写しが残っています。

『一、当寺開基之儀者 辻本治良兵衛と申す者 法体仕り 草庵を立て 法名本遇と申し 
  文明年中に 右法名 寺号に御取置れ被成下 本遇寺と相唱 則蓮如上人え随身仕 
  長享三年酉二月 本遇寺門徒道空え 蓮如上人より阿弥陀如来掛地被下候 
  裏書にも本遇寺と寺号御染筆被成遺候 其後 道空 右掛地当寺え相調候初 
  於今に第一之宝物に仕罷有候 』

 これによると本遇寺の開基は辻本治良兵衛と言い、法体で草庵を建て法名を本遇と
 名付けていたことになります。
 文明年間(1469〜87年)蓮如上人にお仕えしており、長享三年(1489年)酉二月
 本遇寺門徒道空へ蓮如上人から阿弥陀如来のお掛軸の下付を受け、裏書に
 本遇寺の寺号と大谷本願寺 蓮如の署名、願人釋道空の書付があります。

 なお同じく文化十一年に奉行所に提出された文書の写しも残されています。

 『乍恐口上  大岡久之丞御代官所 
          摂州西成郡上福島村    東本願寺末    本遇寺

一、當寺の儀 例年三月廿四日廿五日蓮如上人祥月に付き
     右(上)両日同寺内内拝之品  左(下)之通
        一、南無阿弥陀仏掛地    壱幅
        一、阿弥陀如来 掛地     壱幅
        一、同 裏判   掛地    壱幅
        一、蓮如上人袈裟      壱
        一、同   珠数       壱連
〆五品
        
右之品内拝為致品 例年廿四日廿五日両日 蓮如上人祥月に付内拝為致  (略)
尤も門前張紙の儀は例年相勤む報恩講之節 毎度張置候に付 何卒御赦免奉為成下候 難有奉存候

             本遇寺 住持 玄了    病気に付 代 了念  』

上記の資料により、江戸時代には本遇寺において蓮如上人御祥月法要と報恩講が勤まっていたことがわかります。
また報恩講の告知のための張り紙の許可を奉行所に願い出なければならなかった様子もうかがえます。

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