平成24年10月分


10 月31日(水) 福島区仏教会の旅行。滋賀県湖北の十一面観音像が安置されてある向源寺と
  湖東三山の一つ金剛輪寺。十一面観音像は国宝ということだったが、思っていたより巨大で保存
  状態もよく、平安時代の作と言われておられたが、よくぞ現代まで言っては悪いがこんな田舎の
  土地で保持されてきたことに感心した。村の人々の心のよりどころとなっておられた仏さまだったの
  だろう。京都や奈良だけでなくこんなところにこんな素晴らしい仏像があるとは。この仏さまに出会えた
  ことだけで満足した。

10 月30日(火) 午後から別院で建築関係の物故者追悼会に楽で参勤。この法要も来年からどうなるか
  わからないらしい。コンクリートから人へということで公共関係の工事が減っているので、この業界も
  大変だろう。ということでこういうところから経費節減となってしまうのだろう。

10 月29日(月) 御遠忌を勤められるお寺に最終的な打合せ。もうお花もぼちぼち活けられ、準備が整い
  つつある様子。やはり数十年に一度の行事となると大変だ。

10 月28日(日) 午前中法事。難波の報恩講も日曜に重なるとなかなか出られない。まあ自分が出る幕でも
  なくなってきたが。

10 月27日(土) 午後から別院の結願逮夜に内陣出仕しようと思ったが、中陰のお参りがあったり
  して断念。いやむしろ長時間座って足の方が不安になったので回避したというのが真相。

10 月26日(金) 別院のお朝事に出て、帰ってから6軒お参りに行き、午後は再び別院で助音の
  仕事を済ませてから遠方2軒。ハードなスケジュールだったが、思いっきり声は出せた。

10 月25日(木) 難波別院の修復奉告法要に参勤。お経や漢音小経にはついていけなかった。
  もっと練習が必要か。

10 月24日(水) 今日も休みだったので、家にこもって寺報の原稿書き。休みだからといって出かける
  こともなくなった。

10 月23日(火) また雨。秋雨というのかしとしととよく降る。朝晩の冷え込みもあるので今年の紅葉
  はきれいになるような気がする。もっとも太陽がこの時期昼前から当たらなくなる寺の楓は、残念
  ながら赤くなることはなくなった。

10 月22日(月) インターネットで色々な予約したりするのは便利だが、問い合わせしようと思っても
  電話番号が出ていないことがよくあるという話に。確かにアマゾンでも商品について訊こうにも、
  電話の受付が無い。DVDなど日本で見れない仕様もあるのであやしいものには手が出せない。

10 月21日(日) 青草人の会。今日は「天親菩薩論註解」のところ。天親菩薩の「浄土論」を曇鸞さまが
  解説されたことによって、信心の教えの要となった。これは法然上人は取り上げられてなく、親鸞聖人
  独自の受け止め。浄土を人間が死んでから行く理想の世界と捉えるのでなく、龍樹の「空」の教えを
  ひかれながら、私たちの心の世界の有り様と受け止め、信仏の因縁によって明らかにされる、という
  話に。

10 月20日(土) 神戸方面に行って11時までに帰ってこないといけなかったので、朝交通情報を見たら
  西行きが混んでいた。早い目に出たら案外早く行けた。ところが渋滞の表示のなかった東行きで緊急
  工事がおこなわれていて込んでいた。結果的に早い目に出て正解だった。

10 月19日(金) 夜 楽の練習。報恩講シーズンだけに出席者は少なかった。

10 月18日(木) 今日もまた雨。午後から声明の講習の指導に平野区のお寺に。ご門徒の方との講習という
  ことで、正信偈草四句目下と同朋奉賛だった。簡単なようでこういうのはかえって難しい。こちらも毎日
  勤めているので、自分の癖がついて

10 月17日(水) 朝から雨。ちょうど今日は休みだったので、家にこもってしなければならないいろいろな話の
  原稿やらの準備作業に没頭。

10 月16日(火) 夜 別院で報恩講の声明の練習。別院の広間は鉄筋コンクリートの建物で天井が高く横幅が
  狭いので、声がよく通る。ここで思いっきり声を出すと気持ちがいいが、本堂ではそれほど響かないので、
  声の出し方に注意がいる。

10 月15日(月) 昨日の道を昼間通ったが、山間の景色のいい道で、秋の風情を楽しめた。マツタケやら栗拾い
  やら食欲をそそられる看板が多かった。収穫の秋でもあり、食欲の秋でもあった。

10 月14日(日) 名張の方に行って帰りは夜になった。遠回りだが上野に出た方が道はわかりやすいいが、
  地元の方に伺うと針のICに出る方が早いということでそちらを通ったが、夜の山道でカーブもあり、四苦八苦
  しながらICにたどり着いた。信号もほとんどないので早かったが、イノシシでも出て来ていたら、事故っていた
  と思う。それでも久しぶりに運転したという感じはした。

10 月13日(土) 報恩講。今年は休日に当たったがかえってこの時期いろいろな行事もあって、
  いつも来ていただく方の欠席のおことわりも多かった。それでも例年に近いご参詣でほぼ用意した椅子席
  は埋まった。参照に今年の配布物を公開しておきます。

10 月12日(金) 報恩講の準備。といってもお荘厳はできていたので、座敷のセッテイングほかもろもろ。
  坊守はおときの用意など大変。

10 月11日(木) 昨日免許の更新。いまだ2時間コース。30分で終われる日がくるのだろうか。いやこないだろう。

10 月10日(水) 報恩講の荘厳を少し早いがもう済ませた。今年も立派な松が入ったので
  見栄えがする。

  

10 月 9日(火) ノーベル賞を日本人でIPS細胞を発見された山中教授が受賞された。
  子供のころから関西で育たれ、その後の活動も関西を中心に最先端の研究をされていた
  だけになにか身近に感じられ喜ばしいことだ。しかもこれまでの物理や化学の分野は
  どういう応用の仕方があってそれが我々にどれだけ役に立っているかわかりにくいところ
  があったが、医学の分野ということでもありいろいろこれから人類のためになるような研究
  だけにそれを日本の方が発見されたことを世界に認められて余計に誇りに思える。

10 月 8日(月) 組内の報恩講が始まる。今年はこの時期秋の気配でそんなに暑くなく、
  心地よい一日だった。他の人は報恩講はここが最初ということで声の調子がつかめない
  ということだったが、こちらは先日天満で声を出したので自然と声は出た。

10 月 7日(日) 亀岡の方からの帰り、箕面の方へ抜ける道を通った。途中くねくねしている
  ところはあったが、走っていて気持ちのいい道だった。この時期まだ彼岸花が咲いている
  ところもあれば、ススキが穂を出していたり、コスモスが咲き乱れているところもあった。
  途中の看板には栗拾いやイモ掘りなど自然豊かなところが大阪から1時間足らずでこんな
  ところがあるのはうれしい。

10 月 6日(土) 明日福島区のある地域で町内会対抗の運動会が開かれるようで、その応援
  の幟の字を書くのをご門徒の方が依頼されたようで、広い場所がいるということで本堂をお貸し
  した。なかなか大きな字を書くのは難しいがその方はその道のプロでもあるので、バランスや
  読みやすい字のかたちを考えて書いておられた。

10 月 5日(金) 最近古い録音のクラシック音楽がデジタルリマスターされてCD化されている。
  かつてはノイズがひどくて、どんな有名な指揮者の演奏でも聴く気がしなかったが、ノイズが
  除去されてしかも2000年以降のリマスタリングは音の伸びも忠実に再現されて、昔の名演を
  楽しむことができる。そういうのを聴いていると、昔の方が壮大で間の取り方も巧みだったこと
  がよくわかる。いい時代になった。

10 月 4日(木) 天満別院の報恩講に助音で出仕。だんだん高い声が出にくいというか、
  のびなくなってきた。ちょっとすっきりしない今年の初陣となった。

10 月 3日(水) 散髪に行った。頭の上の方の髪をあまり切っていないようなので、もっと
  短くと言ったら、この髪を後に流した方がいいですよ、と言われた。自分では見えない
  ところで危なくなっているということだろう。

10 月 2日(火) 一昨日が雨の影響で、今日がこの地域の小学校の運動会。といっても
  今はあまり音が外に聞こえないようになっているし、町全体にハレの空気が感じられない。
  どうもこの季節は行事が多く、毎週のように何かあって、盛り上がりに欠ける。行政の
  縦割りの影響もあるのだろうが、なにかをすればいいという発想はそろそろ変えた方がいい。

10 月 1日(月) だいぶ涼しくなってきた。高層階のお宅にお参りしたら、昨日の台風の
  風の音が大変だったとか。しかし現代の建築ではすきま風が入りこむということはなさ
  そうだ。