《白鳥の湖》台本

この台本の基本的コンセプトは、チャイコフスキーの音楽を、削らず、追加せず、順序を変えずに演出するためのものである。

【時・場所】18世紀のドイツのとある小さな領邦
第1幕:城の中庭 夕方
第2幕:湖のほとり その日の夜
第3幕:城の大広間 翌日の午後
第4幕:湖のほとり その日の夜

【登場人物】
第1幕:
領主権を持つ女公 Sovereign Princess
ジークフリート(彼女の息子) Prince Siegfried(her son)
ヴォルフガング(ジークフリートの家庭教師) Wolfgang(his tutor)
ベンノ(ジークフリートの幼友達であり彼の小姓) Benno(friend of the Prince and page)

4人の村娘たち(貴族の娘たちの変装) 4 village girls(actually disguise of aristocratic daughters)
オデット(実はオディーリア) Odette(actually Odilia)
グレッチェン(実はマルグレーテ) Gretchen(actually Margrete)
トルーチェン(実はゲルトルート) Trutchen(actually Gertlute)
クレーヒェン(実はクララ) Clairchen(actually Clara)
ロートバルト von Rothbart
騎士たち Knights
伝令官 Messenger
女公付き侍女たち maids with Princess
村の若者たち(男女) village youth

第2幕:
ジークフリート Siegfried
白鳥の女王オデット Odette(Queen of the swans)
白鳥たち swans

第3幕:
女公 Sovereign Princess
ジークフリート Siegfried
ヴォルフガング Wolfgang
ベンノ Benno
式部長 Master of Ceremonies

4人の花嫁候補とその家族・従者 4 bride candidates and their parents, followers
ロートバルトと彼の妻・従者 von Rothbart and his wife, followers
オディーリア(彼の娘) Odilia(his daughter)
ゾマーシュテルンと彼の妻・従者 von Sommerstern and his wife, followers
マルグレーテ(彼の娘) Margrete(his daughter)
シュタイン男爵と男爵夫人(彼の妻)・従者 Baron von Stein, The Baroness(his wife), followers
ゲルトルート(彼の娘) Gertlute(his daughter)
フライガー・フォン・シュヴァルツフェルスと彼の妻・従者 Freiger von Schwartzfels and his wife, followers
クララ(彼の娘) Clara(his daughter)

招かれた貴人たち Gentry of both sex
召使 servants
ラッパ手 3 buglers

第4幕:
ジークフリート Siegfried
白鳥の女王オデット Odette(Queen of the swans)
白鳥たち swans
白鳥の子供たち cygnets


《白鳥の湖》に様々な演出がある理由

《白鳥の湖》は、バレエの舞台では初演以来様々に演出されて来た。オペラなどでは考えられないことである。、チャイコフスキーの音楽をそのまま、すなわち『何も差し引かず、何も加えない』状態をコンセプトとして舞台で上演するためのシノプシスを提示するためである。

【@《白鳥の湖》をチャイコフスキーが作った動機からくる無理】

 まず第一には、作曲者側の理由、すなわちバレエ好きであったチャイコフスキー自身の、作曲家にはどうすることも出来ない舞踊の分野にまで踏みこんだ無謀なまでの理想の追求にあったことは疑いのないところだ。彼は、踊りを見せるための単なる口実に過ぎなかったそれまでのバレエ作品のずさんな筋立てに飽き足らず、もっと内容の濃い、深い含蓄を有する物語を、高度な作曲技法によって作られた音楽を中心とした幻想的なドラマに仕立て上げる、いわば『舞踊付交響詩』あるいは『交響的バレエ音楽』を目指し、《白鳥の湖》を構想したのであった。

 チャイコフスキーは若いころからバレエをこよなく愛しており、特にロマンティックバレエの頂点に位置し、現在でもよく上演されるアダンの《ジゼル》が特に好きであったと伝えられている。彼は大好きなバレエ作品を彼自身も作ってみたいと常々願っており、まず、《シンデレラ》というバレエ作品に1870年に着手したと伝えられているが、これは作曲途上で破棄されてしまったと見られ、全く痕跡は残されていない。また、1873年の劇付随音楽《雪娘》では部分的にバレエが取り入れられており、これは現代でも上演されていてCDでも聴くことができる。《白鳥の湖》は、彼のバレエの完成第1作であるとはいえ、事前の試行錯誤は十分になされていたのだ。チャイコフスキーはロマンティックバレエの作曲法、特に調性関係や主題関連法を深く研究し、その成果を《白鳥の湖》のなかに充分取り入れた。また、当時の最新の音楽界の動きにも敏感であったチャイコフスキーは、ヴァーグナーがオペラを楽劇というような新しい形に発展させようとしたように、バレエの世界にもそういった改革を実現しようと、新たな方向性の追求を目論んでいたに違いない。それは単に従来から上演されてきた『幻想的バレエ』の焼き直しではなく、バレエという表現形態を媒体として、持てる作曲技術を存分に駆使しながら音楽で人間の根源性を追求するドラマ、すなわち『交響的バレエドラマ』として世に問おうとしたのではないだろうか。言い換えれば、『踊りの合間に劇をやる』のではなく、『音楽による無言劇の中に踊りを取り入れる』という、バレエ関係者に言わせると本末転倒的考え方であっただろうと推測される。このことは《白鳥の湖》のスコアを詳細に検討してみると、作品の隅々からひしひしと感じられる印象なのである。

しかし、このことは作曲家一人で成就するわけではなく、チャイコフスキーと同等の才能と創造力を持った構成作家、振付家、演出家の協力がぜひとも必要であったにも拘わらず、当時のルーティンな活動に終始していたバレエ関係者にはそのことがまったく理解されず、また、その能力も無かったため、彼らの方法に無理やり修正された上で上演されたのである。当時のバレエ関係者の立場から言えば、音楽は舞台装置や大道具・小道具あるいは舞台衣装と同様バレエ上演に欠くことのできない要素の1つであり、より立派である方が望ましいには違いないが、その役割を超えたものであっては困るだ。いくら立派な衣装であっても踊りに支障を来すデザインでは踊れないのと同様に、彼らが目指す舞踊世界を超えた音楽は、そのままでは到底受け入れられなかったのである。「過ぎたるは及ばざるが如し」というわけか。


【Aクラシックバレエとのギャップ】
 第二の理由は、当時の意欲的バレエ指導者が目指していたものは、筋書きや音楽の多様化、複雑化ではなく、舞踊そのものの完成すなわち、洗練された舞踊スタイルの確立と高度な様式化にあった。そもそもチャイコフスキーとは方向の違ったものを目指していたのである。すなわち《白鳥の湖》においては、チャイコフスキーと彼らの間は「同床異夢」の状態にあったのだ。より具体的に言うと、クラシック音楽の世界は古典派からロマン派へと展開する2つの時代にその最盛期を迎えるのであるが、バレエの世界では、逆にロマンティックバレエからクラシックバレエへ発展するのである。ロマンティックバレエとは、幻想的な夢幻的な物語を素材として、その中で踊りの場を設定してバレエを見せるものであり、様式化したマイム(身振り)による無言劇とさまざまな地域で踊られている多様なステップの踊りを発展させたものの組み合わせとして成り立っていた。それに対して、クラシックバレエは、踊りの部分をよりレヴェルアップし、パドドゥを中心として体系化、高度化をはかり、定型化、形骸化したマイムの部分を踊りに直結したものとしてスリムにし、出来得るものは踊りに融合させ(パダクション)、全体を『舞踊を中心とした劇』として完成度の高いものに変貌させた。その違いは、たとえば《白鳥の湖》第2幕の湖畔の場のNo.13《白鳥たちの踊り》が、プティパやイワノフによって、どのように音楽の組み替え変更がなされ、様式化されたダンスに変貌したか、を比較してみることで一応の理解が得られるだろう。

 もちろんこのチャイコフスキーの目指したこと、すなわちロマンティックバレエの音楽的、劇的な面での充実・完成は、当時のバレエ関係者がクラシックバレエの様式を完成させようと努力していたこととは、いささかその方向性を異にしていたのであるから、バレエ関係者は彼の音楽をそのままの形では受け入れるはずはなかったのだ。そのため、この作品は失敗と見なされ、そのままでは使い物にならないと断じられた。しかし一方で、その音楽の素晴らしさと、物語の着想のバレエとしての適合性については誰もが認めるところだったので、それを生かして《白鳥の湖》をクラシックバレエとして再構成しようとする動きはチャイコフスキー生前からあった。改作を求められたチャイコフスキーは、それに同意したにもかかわらず結局はその約束は果たされず、彼の死後、プティパ等によって本格的に作り変えられたのが、いわゆる[プティパ=イワノフ版]である。これがバレエの世界では唯一の原典として、その後のさまざまに変更を加えられた多彩な演出の『おおもとと』なって現代に続いているのに対して、チャイコフスキー自身が創造した元の姿はバレエにはふさわしくないものとして、バレエ界ではほとんど無視されてきたのである。

【B現代におけるバレエ志向】
 第三の理由としては、バレエを制作するのは結局のところバレエ関係者に尽きるということである。オペラのようには音楽関係者がバレエ制作にはタッチしないのである。それはダンスの都合が最優先するからだろう。
モンテカルロ・バレエに見られるような、伝統的な演出と一線を画したコンテンポラリー的な風味で独自の物語を展開する方法である。初演時の振付は一切忘れられてしまっているが、プティパ=イワノフ版以来






【B現代では原譜が使用されない理由】

 《白鳥の湖》をポピュラーにした最大の『発明』は、第3幕で踊られる《黒鳥のパドドゥ》に違いない。ところが、これは『発明』と述べたように、バレエの演出の中で編み出されたものであって、実はチャイコフスキーの原曲には存在しないのである(詳しくはソベシチャンスカヤ伝説とチャイコフスキー・パドドゥの項参照)。現代のバラエティーに富んだ様々な演出の《白鳥の湖》が、このドグマから離れることが出来ず、また離れると成功はおぼつかない(現実的にそれは非常に困難な挑戦となるだろう)ことが、チャイコフスキーの原曲に準拠した演出が現われない最大の原因であると思われる。

とはいえ、チャイコフスキーの原譜をそのまま上演しようという試みはロシアを中心として何度となく試みられてきたことも確かであり、それらの中でもっとも成功し、今日まで影響を及ぼしているものが1953年に発表された[ブルメイステル版]である。ブルメイステルは、チャイコフスキーのスコアの曲順にほぼ即した形で全く新しくバレエを組み立てたのであるが、細かい筋立ては別として、彼は原曲上演としての決定的ミスを2つ犯してしまった。そのひとつは、第3幕に原曲にはないパドドゥを導入したこと。今ひとつは、当時の政治状況にも影響されてのことだが、『崇高な自然賛美』であるはずの全曲の結末を、『矮小な人間ドラマ』と化したハッピーエンドにしてしまったことである。

ただ、バレエとして見た場合、この2つのミスは、この版が現在まで命脈を保つことが出来た理由でもあるので、単なるミスとして切り捨てられるものではなく、一定の評価がなされるべきだろう。第3幕において、諸国の踊りは単なるディヴェルティスマンとしてではなく、ドラマに上手く組み込まれていること、すなわちロートバルトの策略として、彼の手下達が王子を籠絡するために踊り、その頂点にパドドゥが配されていることは、ドラマとして非常に説得力がある。プロローグのオデットが白鳥にされた理由とハッピーエンドによって彼女が元の人間に戻ったという結末も、非常に解りやすい物語として受け入れられやすかったことである。

 この[ブルメイステル版]は、初演の当初こそ一定の評価を得たが《白鳥の湖》演出の主流とはならなかった。この版の当初の形は、その後かなり改訂されて現在ではその改訂版でしか見ることが出来ないため、どのようなものだったかは想像するしかないが、第2幕は[プティパ=イワノフ版]とほとんど同じものに替えられ、他の3つの幕も相当ドラスティックな削除が行なわれため、現在では[プティパ=イワノフ版]より更に原曲より遠い形で上演されている。いみじくも、伝統的な台本に基づいて、ただ単に音楽だけを作曲された順番に並べても、チャイコフスキーの意図したとおりの『幻想的ドラマ』にはなり得ないことを証明してしまったとも言えるのである。その最大の原因は第1幕にある。もし原曲通りなら、第1幕だけで1時間を要する長丁場となる音楽に、初演台本やプティパ=イワノフ版のために作られたモデスト・チャイコフスキーの台本に基づいた、物語的に貧弱な内容で構成しようとしても、それは観客には耐えられないものしか出来ようがないというわけである。