その1

 初めて乗った 
 トラック 
高卒で電気工事の仕事に就職。トヨタの2トンダイナバンのダブルキャブ仕様。班員6人と
全ての道具を積んで走る。……これがまた重たい。
重量もさる事ながら、ハンドルの重さは群を抜く。今時の「自動車」しか知らない人のために
補足するが昔の「車」には「パワステ」なんぞと言う親切なものはついてなかったのだ。
その当時の車と言うものは「力でねじ伏せる」物だった。乗用車でさえ
停止状態でハンドルを切るなんて無茶も良いところだったのだ。←故障の素(笑
 電気屋の仕事は
 トラックだらけ
 (笑)
仕事用には「作業車」と呼ばれる先述の車と「材料車」と呼ばれる2トントラックがあった。
当然材料車は仕事が終わればたいてい空車になるのでとても楽なのだ。が!
私は何故かダイナの2トンを好んで乗った。後輩が入ってからも、である。
後には特殊車両専用員として高所作業車やはしご車、クレーン等を運転した。
 故郷へ帰る。 訳あって電気工事屋をやめて故郷へ帰って全然別の仕事についたがそこにあったふそうFK 
(4トントラック)はほとんど私が使っていたような気がする。
長崎造船所・立神工場や島原ドック等に荷物を運んだものだ。(一部にしか受けんなあ)
 ああ、失業! で、その会社は造船不況のために(それだけではないが)倒産。失業手当を貰って色々仕事を
探すがなかなか見つからない。(現在の状況に似ている)
期間の3ヶ月が過ぎようかとしていた時偶然見つけたのが職安推奨の「職業訓練・運転科」の
張り紙。早速申し込んで自動車学校に通いながら大型免許を取得。これが約3ヶ月。
もちろん費用は無料、おまけに手当てまで延長されて学校に行った日は交通費の上乗せまで
あるという……そして卒業後さらに1ヶ月の手当て支給。
いいじゃん。今はやってないのかな?う〜む、失業バンザイ!\(^o^)/
 現在の地へ 訳あって(またかい)大阪へ引越し。現在の住まいからさほど遠くない場所から大阪市天保山の
近くの運送会社へ就職。一台だけ空いてたのがふそうFK4トン。しかもロング車。
これに関してはたいした逸話は無い。せいぜい走行中にクラクションが止まらなくなったとか
場内運搬をしていた時に18トン積んだら板バネが反対に曲がったとかそんな程度である。
半年ほど勤めたが約束の社会保険に入れてくれないのでやむなくやめた。
(歯医者に行きたかったんだが……)
 そんな会社の
 後輩達
雑貨貨物の会社なんて物は入れ替わりが激しいらしく半年の間に何人かの後輩が入社しては
辞めて行った。その中の一人の逸話。毎日の車の整備に余念が無い。勿論良いことなのだ。
が、入って10日程して「出先で故障した」と電話が。
行ってみるとエンジンからオイルが溢れ出していた。「ちゃんと点検整備したか?」と私。
「ええ、勿論。毎日水もオイルも入れてました。」とその運転手。
……お前な、いくらトラックでも入れ過ぎっつーもんだ、そりゃ。その後この男はT字路を
右折する時に中央分離帯に乗り上げて退職して行きましたとさ。チャン、チャン。
 トラックとは直接
 関係ないけど
先程の会社を辞める少し前、正月に食事していたら治療していた歯の被せが取れてしまい、
さらにその歯が割れてしまい半分が歯茎からぶら下がると言う事態に。
このままでは食事もままならずさりとて医者に行く金も無く正月に開いてる歯医者など聞いた
事も無く……意を決して道具箱からラジオペンチを取り出しブランと無残にぶら下がった
歯の欠片を引剥がした。口中から聞こえる肉の剥がれる音と気絶すらできない中途半端な
痛みは今も身体に染み付いている。会社を怨んだのは勿論だが。
 さて、
 ついに大型へ
ちょっとだけ失業して新聞広告で別の運送会社へ。選んだ理由は「家に近かったから」(笑)
そうしたら近いのは事務所だけで車庫ははるか14キロ先の大阪北港。
車を持たない私は会社のミニキャブを借りて通勤する事に。
これで通勤手当貰うってのもあつかましいと言えそうだが。(笑
与えられた車は「誰も乗りこなせない」とまで言われたイスズトラック。直列6気筒265馬力。
今なら4トンでさえもう少し馬力の高い車がある。10トンでこれだもの。
ちなみに最高速度は90キロ。今ならトレーラーがそんな物だが(笑)名阪国道をくだっていたら
タイヤの回転にエンジンがついて来れなくてクラッチが滑った
(爆)
 初めての
 長距離へ
それまで大阪はおろか愛知県に住んでいた頃から通算しても東の方は静岡の県境を越えた
事すら無かった私に入社して10日目(…位だったかな?)長距離の依頼が。行き先は千葉市。
しかも荷物は巾3.2メートルと言う代物。初めての10トン、初めての巾物、初めての長距離、
しかも2日間かけての運行だった。もうドキドキ。そんな頃もあったんだわねえ(^^) それでも
1日目の夜にどうにか箱根の頂上まで到達。行程の70%をクリアした。何と言うか無我夢中、
と言う言葉がぴったりで特にトラブルも無し。道を間違えたくらいで(駄目じゃん・・・
 先輩に
 ついて行く
大阪市内で鉄骨の建方があった。狭い道を「私が生まれる前から運転手してる」先輩について
現場へ向かっていると向こうから乗用車。普通広いところで離合するものだがどう言う訳か
乗用車がそのまま前をふさいで「邪魔だ、下がれ!」と言い出した。すると先輩、
「あほかおどれは!あとから来たもんがさがるのが当たり前やろが!」ごもっとも。「ここは
大型通って良い道か!」と、乗用車。あのー、工事車両は許可取ってから来るんですが(笑)
さて、業を煮やした先輩「がたがたぬかすな!とっととさがれ!さがらんのなら押すぞ!!
「ざけんなコラ、押せるもんなら押してみやがれ!」次の瞬間凄い音と共に乗用車はトラックに
5mほど押し出されて素直にバックしましたとさ。その後事故処理がなされたと言う話は聞いて
いません。教訓・バンパーは丈夫な方が良い。(違うだろ!)
 ある雨の日 高槻市の道を走っていたら左の路地からいきなり乗用車が右折しようと飛び出してきたので軽く
アクセルを緩めたら排気ブレーキが強すぎて後輪がスリップ、道路反対側の食堂の駐車場まで
流れて行った。出てきた乗用車も行く道を塞がれてしまったが平謝り。いや、あんただけの
せいでは無いんだけどね。総じてイスズのトラックはブレーキとクラッチには定評があるのだ。
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その2
ある日の事仕事が終わって会社から通勤用に借りていたミニキャブで帰宅途中、何となく
ミッションの調子が悪いのに気がつくが夜も遅かったので明日修理屋で見てもらおう…とか
思いながら走ってたら3速に入れた途端に手元からバキッと言う音が。「バキ?
私の左手には床から切り離されたシフトレバーがぶらぶらしていた。「はい?」動転した私は
折れたシフトレバーを穴に突き立ててぐりぐりしてみたけれどそんなん何の意味のない
事だわねえ(笑)のーみそがパニクった夜であった。疲れてたのよ。
とりあえず、「自分の車買わなくては」と思うきっかけにはなったけど(爆
 台風が…… 上越市(新潟県)まで巾物の依頼。前にも出てきた言葉だけど「巾物」とは大型の巾(2.5m)を
超える大きさの物を言う。今回の荷物は巾3.6m、高さ4.2m。普通はトレーラーの荷物だが
同じ台数ならトラックの方が安いだろうと仕事が来た。初めての3日運行。夜の8号線、日本海の
夜景を見ながら北へ向かう。…が、途中で台風に追い越されてしまい金沢で8号線通行止めの
事態に。1日泊まるが復旧せず。やむを得ずあとから出発して追いついた4トンと合流して金沢
トラックステーションで宴会。(オイ)すると事務所から連絡があって「地図で見たら松本に抜ける
道がある」と言い出した。それは一体?
 台風が……(2) 先輩が地図を確認。「誰かこの道知ってるか?」と聞くので「はい」と私。それは安房峠を越えて
上高地に至る3桁国道
であった。「どんな道?」「えっと…観光マイクロバスが切り返さないと
回れないカーブと乗用車しか離合できない道
です」……全員一致で「事務所のバカヤロウ」
その夜雨の中を隊列を組んで出発。富山から41号を下り岐阜県瑞浪市で21号、そして19号へ。
500km近い迂回をして朝7時過ぎに現地到着。ちなみに我々が中津川を通過していた頃
8号線は開通したそうな(泣)後年、難所の安房峠はバイパスになるトンネルが完成、
良い道路になったと聞くがまだ通ってない。
 真っ暗。 貨物船のハッチを積んで高知市の造船所へ向かう途中、夜中の2時頃池田市付近の猪鼻峠で
突然運転席のセンターコンソールから煙が!どうやらあまりの古さに配線が燃えたらしい。
幸いその頃のトラックは配線がとんでもエンジンは停まらないので道路の端へ寄せて
懐中電灯を頼りに配線を引き直す。全ての灯火が消えているのでとても危険。まずはライトより
先にハザード、そしてライト関係。最後にメーター周りその他。今の車じゃできない芸当だ。
電気屋の経験が役立った夜であった(笑
 乗り換え。 年が明けて車を乗り換えた。馬力は少しだけ上がって295馬力。しかしエンジンはまだしも
ブレーキとクラッチには悪評高い日野のトラックだったので荷物によっては死と隣り合わせ。
この頃運送料金は今よりかなり安くて採算を取るためには過積載しか手段が無かった。
30トン積んで名阪を走る時は(積むなよ)ポケットに遺書を忍ばせていた事すらあった。
ブレーキ踏んでも停まらん恐怖は味わった事が無いと想像もできないだろう。前に割り込む
乗用車は自分の後から40トン近い鉄の塊が突っ込んできたらどうなるか、なんて
考えてないんだろうけど死にたくなければ近づかないで欲しい。
 九州へ 乗り換えて最初の長距離は九州・飯塚市。こんにゃくを作る機械を積んで行ったのだが
地図は無く行き先の住所だけを目指して行った。ところでこの頃やたらに長距離の仕事が
あったのは若いから、だけではなくて大抵の所に間違い無く到着すると言う実績が
あったからである。現場近くに行ってもさほど迷う事無く着いてしまう。
土地感が無くても地理感はある」と言われていた。飯塚の現場は周りに殆ど何も無い
田舎だったが道を走っていて橋が見えた時何となく「ここ曲がろう」と曲がったら
タクシー会社が。そこで聞いたら「3軒先だよ」と教えてくれた。確信は何も無かったのだが。
 北へ その当時4トンユニック(車載クレーンが付いた奴ね)に乗っていた人が「歳だから長距離は
しんどい」等と言うので代りに出かける。目的地は岩手県北上市。積込が昼頃に終わって
出発。「時間が無い」と言う理由で全線高速を走る許可を貰う。名神高速を豊中から入り東へ。
途中休憩も無しに足柄迄一気に走る。その後、夕方の渋滞につかまりながら首都高を通過。
ところがこの当時東北道はまだ首都高に繋がっておらず大宮バイパスで降ろされてしまう。
午後11時頃出発後初めての食事をとる。この時初めて関東の「リンガーハット(長崎名物
ちゃんぽんのチェーン店)」に入ったがこの頃はまだちゃんとした味だった。
 北へ(2) 東北道久喜インターから高速へ。北上まで400km弱。開通して間も無いこの道を通る車も
夜中では殆どいなくて降りるまでに出会ったのは対向車が1台、追い越して行ったのが2台
今ではとても考えられない(笑)ちなみに車がいないせいか半数以上の外灯が消えていて
速度感が湧いてこない。おかげでどんどんスピードが落ちて行く。メーターを見て慌てて
アクセルを踏んだりして(笑
それでも午前6時、現地着。18時間かかった。店の人がご飯を食べさせてくれた(感謝!)
 北へ(3) 機械の据付と試運転を終えて現地を午後1時過ぎに出発、さすがに帰りの高速代までは
出ないので4号線をひたすら下る。3月の東北は少し涼しいけれど気持ちの良いドライブができる
……はずだった。宇都宮で1軒だけあった「丸善」のスタンドが閉まっていて給油ができない
事態に。雨も降り出す。「コスモ石油」になる前の丸善石油は東に弱くて何度か泣かされた
ものだ。幸いまだ燃料の残りは結構ありそうだったので「東京を越えれば」と決意、
そのまま走る。無謀(笑)
 北へ(4) 大宮バイパスから首都高へ。料金所の係が「東名、雪降ってるぞ」と……嘘ッ!?急いで西へ
向かい東名高速東京料金所。係に聞いたら「まだ通れる」と言うので入って走り出す。横浜を
過ぎる頃から猛吹雪になり、足柄SAの先富士急ハイランドの前あたりでタイヤ半分まで雪に
埋もれて立ち往生
。しかも残りの燃料が危ない。やむを得ず除雪されるまでエンジン止めて
ビバーク
(泣)足柄まで歩いて食料確保に行った人もいたが帰ってこなかった。
(いや、遭難したわけではないが……多分。
 北へ(5) 夜明け直前、小降りになった雪を蹴立てて除雪車が通過、後をついてのろのろと走る。沼津まで
走ると既に雪は無く普通の道になった。定速で淡々と走り岡崎で1号線に降りてやっと給油。
それからはずーっと一般道を走り、車庫に帰りついたのは北上を出てから36時間後であった。
なかなか素敵な誕生日だった……(怒
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その3
ようやく自分の車を買う。日産キャラバン、6人乗り、ロング車。後部のカーゴスペースには
当時乗っていたVT250Fを積んでいた。しかし会社には内緒にしていた。
ミニキャブに乗ってる限り経費は会社持ち、おまけに交通費が出るのだから。つぶれるまで
乗ろうかな、と言う訳で。←せこいぞ、俺!(笑)
でも実際キャラバンのローンは交通費で全部まかなえた。今だから言うの。ゴメンネ(笑)
 道路の定義 岐阜県瑞浪市のゴルフ場の造成工事に行く。積載品は鋼矢板20トン。(違反だ…)現地に
着いたら「工事関係者はクラブハウスに近づかないように」と言う立看板が。俺達はゴキブリか
何かか?(怒) 仕事が始まると山の斜面をバックで下れと言う。あのー…これは道ではなく
「崖」って言うんじゃないんですか?仕方なく下がろうとすると造成した土は前夜の雨も手伝って
地滑り状態。ブレーキなんて効く筈も無くあわや崖下に転落しそうに。
やむなく反対の斜面にいた200トンクレーンにトラックごと吊ってもらって荷降し地点に到着(笑)
帰りはブルドーザーに引っ張ってもらって上がろうとするもワイヤーが破断。
サンダーバードがいたら呼びたい心境だった。「大変です、助けてください。」とか(爆笑
 長距離の
 行き倒し
初めて行った千葉の某会社に再び巾物の荷物を2日運行で運ぶ。帰り荷は品川から積んで
翌日大阪。その日大阪で積込、翌日福島県いわき市に行って帰り荷を横浜で積んで翌日
尼崎へ。その足で市内配送をして尼崎で積込、翌日愛知県知多市に荷物搬入、そのまま
小牧市へ回り、荷物を積んでその日のうちに堺で降し。そして翌日朝6時、私は荷物引取りの
ために下関市の現場に到着していた。……何キロ走っただろう…(笑) 
さすがに帰りは途中で寝た。
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その4
少し余分に休みがもらえたので(笑)↑のおかげか?バイクで長崎へ帰省する。人の住まない
実家は既に悲惨な状態になっていた。同行した当時長崎在住の(え?今でもそう?)
某(笑)友人が「ついでに」近くの山に遊びに行き絶壁のような岩山にジープで登ってくれた。
360度のパノラマ展望……それは私を「4駆」に誘うには充分過ぎる
デモンストレーションだった。実行はしてないが(爆
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