その2

 冬の日本海 年が明けて石川県の和倉温泉まで巾物。巾3.2m重量2枚で200kg。物が軟らか過ぎて
着いた頃には原型が変わっているのではないかと言われた難儀な荷物だった。配達先は
改装中の旅館。受取りに来たのは工事関係者だった。何に使うのか聞いたら「傘です」
……傘?後日テレビで特番を見てたら例の旅館が映っていた。
目玉は大宴会場の天井に下がる直径6m余りのシャンデリアだった。
 巾物超特急 しばらくしてまた巾物の仕事が入る。西淀川積込、2日後に千葉県柏市着。積込の際荷主が
ポツリと「明日つけるのは無理だろうねえ」作るのが遅れて納期は明日だったとか。
まだ向こうには出た事を連絡してないと言うので「行けたら行きます」と返事して夜出発。
思ったより順調に走れ国道1号線岡崎を移動していたのは日付が変わる前。少し考えたが
意を決して岡崎インターから東名突入。荷物には幅広を示す赤ランプが着けてあるがこれを
消灯。警戒のためのパトライトも消して走る
。誰かの車があたって事故になれば全てが
おしまいだ。サービスエリアに寄る事もできない。さて、乗ったは良いが何処で降りるか?
東京料金所は通れない。当然首都高も。考えた末横浜で降りて16号を走り柏へ。現地着は
朝6時。横浜料金所のおじさんがびっくりして飛び出してきたのを思い出しながら仮眠する。
とりあえずこれは荷主の印象を大変良くしたらしくその後しばらく仕事には困らなかった。
 バースト…… 岐阜の鋼材屋にH鋼29トン積んで京都の外環状線を走行中駆動輪2本が突然のバースト。
おりしも場所が消防署の目と鼻の先だったのでガス爆発と勘違いした署員が様子を見に
来てくれた。とりあえず謝罪して引取ってもらってタイヤ交換に入る。さすがに重量が
重量なのでジャッキ1本では上がらず、2本使って上げたがそれだけで2時間使い交換にも
1時間近くかかった。幸い同僚のトレーラーが通りかかったのでタイヤを分けてもらった。
その後暫くそこには雨が降ると四角い水溜りができていた(笑
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その5
祝日をからめて連休になったので四国へツーリングに出る。岡山→宇野→宇高フェリー→
高松を経て大歩危→祖谷のかずら橋→高知(泊)翌朝駐車場が只のうちに桂浜に行き竜馬の
銅像を見て出発。大山田から竜河洞に至る道が(道か?)川原のようでラグビーボール大の
石がごろごろしていて結果振動に負けてバイクのフルカウルが割れた。やむなく針金と
ガムテープで補修して大鳴門橋を渡る。淡路島を走行中白バイに止められて「側道走ったら
駄目だよ」「どうしてです?」ずーっと大阪で暮した私はすっかり交通規則が抜け落ちていた
ようだ。ナンバー見て「まあ大阪じゃしょうがねえかなぁ」と、とても悲しそうに言われたのが
辛かった。関西人の運転に何時の間にか染まっていたらしい。
 乗りかえる。 先述の先輩が退職したので代りにその車に乗る事に。「調子はどうや?」と先輩達。「うーん
なかなか良いみたいです。なんたってブレーキ踏んだらスピード落ちるし」……今までのは
……?(笑)ところで私が今まで乗ってたトラックは新人が乗る事に。仕事先に事務所から
連絡があって「あの車、バッテリー上がってた?」「いいえ」「セルモーターが回らんそうだが…」
行って見たら原因は予想した通りだった。昔のトラックにはバッテリースイッチっつーもんが
あってそれを入れなきゃ回らんのだよ。……って事務所に座ってるのはそんな事も
忘れたんかい!?こっちよりはるかに先輩だろうに。
 壊れる。 ところでこの乗り換えた車、よく壊れる。箱根でラジエーターパンクして1日泊まらせられたり
生駒の山の中でダイナモが焼きついてみたり走行中に妙な音がするから調べてみれば
マフラーがどこかに行った事もある。前に乗った2台よりはスピードと力は上だったが。
 小人さん、出現 三菱造船香焼工場(一部の人にだけ受ける話だな)へ船体部品を納品に。2日運行の荷物を
翌日の昼過ぎにはすぐ近くの岸壁まで運んでしまい、某友人に電話をするとジープで迎えに
来てくれる。その夜は食事と寝る所を世話してもらって翌朝納品に。帰り道岡山県の水島から
倉敷付近を走行中睡魔に負けて一瞬意識が飛んだ。……と思っていたら突然目の前の
風景が違う
のに気がつく。「岡山バイパス?」距離にして20kmほど、時間で30分過ぎていた。
時間とスピードを考えると途中いくつかあった信号をきちんと止まった、と言う事なんだろうが
……他の車にぶつかったりしてないだろうな……とか。少しビビリながら帰った。
その後は寝なかった(爆
 早い。 トラックのメーターは普通120kmで切ってある。オプションなら140kmと言うのがあるが、
そもそも高速でさえ80km制限の車に何故そんなものがあるのだ?それはともかく私の
乗っていたそれは実はスピードだけはあった。コンディションが良ければメーターを振り
切って走っていたほどだ。神奈川県の茅ヶ崎から枚方までその日のうちに帰って積込した
事があるが3時間半でついた。途中静岡県警の高速パトを含めて3回ほど「スピード落とせ!」
と走りながら怒られた(笑) この日牧の原付近で突然スピードメーターの針が戻った
ケーブルが切れたかと思いSAで点検したが何とか無事だった。
 台風、再び 巾物積んで小山へ。今回は岐阜から碓氷峠を越えて行こうとしたが台風の中を走るはめに。
松本から山越えの最短コースをとろうとしたら頂上付近のトンネルが通行止め。入り口付近に
鋼材を埋めて電柱のように並べて車が通らないようにしていた。出口の向こうまで歩いて
見に行ったが崩れて崖になっていた。やむを得ず林道に頭を突っ込んでバックで車止めを
蹴倒してUターン
、松本へ戻る。「通行止めなら表示しとけよな」とか文句言いながら国道まで
来たら何やら倒れた看板には「この先台風のためトンネル通行止め」の文字が……
倒れていたとは気がつかなんだ(笑)結局現場着は昼前だった。
現場に遅れたのは初めてだった。
 崩御 年明け、京都地下鉄の工事に行く途中ラジオのスイッチを入れるとその頃はまだやって
なかった時間帯にNHKFMが音楽を流していた。朝7時、現場の前に車を止めていると
天皇崩御」のニュースが。その日の荷物だけは降ろしてくれたが公共工事はその日から
全てストップ、しばらくひまだった。
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その6
それから約1ヶ月後、漫画界の神様 手塚治虫 死去。突然過ぎる、早過ぎる
死だったと誰もが思ったろう。氏は今頃雲の上で漫画界の衰退をどう思っているのだろうか。
 通勤途中 バイクでトラックの車庫に向かう途中右車線から追い抜いたタクシーが突如割り込みVTを
蹴飛ばす。バイクは半壊、私は、と言うと足を腫れ上がらせて立つ事もままならない状態。
原因は客を見つけたタクシーが確認しないまま左に寄った事。骨は折れてなかったが右足は
完全に動かせない状態。
病院から会社に報告したら「で、後の仕事はできるのか?」と……ちょっと殺意が湧いた(笑
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その7
以前書いて渡した詩に長崎の先輩たちのバンド「LEGATO(レガート)」が曲をつけてくれた。
実はリーダー(先輩)とシンセサイザー(同級生)の二人以外会った事が無かったので
メンバーに会うために夜行バスで長崎へ。
女性を含む残りのメンバー全員が申し合わせたように驚いた。
「えーっ!?男の人だったんですかぁ?」……悪かったよ、女みたいな詩を書いて(笑
 悪夢 仕事中に工場で積み上げていた鉄骨が崩れて1.8トンの鋼材の下敷きになった。
倒壊する鋼材から逃げるために頑張ったが結局両足のすねを直撃されほぼ切断状態。
神経系統もほとんどやられておかげで痛みも余り無くてタオルを噛んで救急車を待つ。
正式傷病名は「両下肢開放性粉砕骨折」その日に組織縫合と潰れた筋肉を伸ばす
手術を受ける。最悪の場合は切断。あさっての方向を向いていた足が元の位置に
戻されたがつないだ血管を血が通い始めるや見る間に足は腫れ上がり貧血状態(爆)
何故か手術中に目を覚ました私は「あ、仕事行かなくちゃ…」と言ったらしい。
 痛い話 何とか足が繋がりそうなので金具を入れる手術を受ける。しかし飛び散った骨が一部
見つからないし筋肉も充分伸びないので足が2cmほど短くなる事に。「どうせなら長く
なりませんか?」「駄目です」その後手術の跡が風邪を引いたばっかりに化膿してしまうが
いきなり処置室に連れて行かれて糸を切って(まだ抜糸も終わってなかったしくっついて
ない)傷口を開いて生理食塩水で洗われた
。(泣)ちなみに麻酔は無い。後で看護婦さんに
「歯、折れてない?」と聞かれた。タオル噛んで耐えたから。
 寝たきり3ヶ月 普通の骨折なら金具とボルトで固定すれば理論上はその日から歩けるらしいがボルトを
入れるにはスペースが無かった私の場合は骨の中に丸パイプを入れて形を保つだけ。
ベッドから降りる事すらできないので「装具」を作る事に。装具とはギブスのような物で
足に負担をかけず歩ける優れものだ。当然、高い。片足12万円(汗)理論的には膝で歩く
ような物だが詳しく知りたい人は直にどうぞ。慣れれば松葉杖無しでも歩けるようになるが
音がガチャガチャうるさいので入院している子供達から「ロボットのおいちゃん」と呼ばれる
はめになった(笑)それでも最初のうちは歩くどころか立ちあがる事もできず「何でこんな
思いして歩かなきゃならんのだ」と悪態をついたりした。使わない筋肉は短時間に落ちて
しまう。既に足は棒っきれのようになって骨と皮だけになっていた。
 床の感触 5ヶ月目の9月半ば、片足の装具が外れる。自分の足で歩く練習が始まる。
忘れかけていた床の感触、冷たさ。第一歩は無論体重の半分もかけられないがそれでも
……痛い……平行棒のような補助具に掴まって一歩目を踏み出したまま泣きだした。
涙がとめどなくあふれた。痛みと嬉しさ。痛いのは紛れも無く自分の足がある証拠なのだ。
そしてこれは一生忘れない思い出になった。
 ねこーねこー(笑 病院の敷地内に公園があって捨て猫とかがたくさんいる。いつも散歩に行く(車椅子もこう
言うのか?)途中に立ち寄るがオフ会の「ねこだいすき」どころではない。膝の上に居座る、
服の中にもぐりこむ、背中に登る、肩に乗る、頭にも乗る(^▽^)
おかげで毎日出かけるはめになる←おバカ
 トラックとは直接
 関係ないけど
 その8
11月、退院。リハビリ通いが続く。年明けに労災が入ったので車を発注。
これが現在の愛車、デリカスターワゴンである。私がデリカを「両足の代償」と呼ぶのは
このためである。足がこんな状態なのでオートマを勧められるが頑としてマニュアル
こだわった。が、この年発生した湾岸戦争のおかげで納期が延びると言われた。
なんでも4駆車両は砂漠地帯を走るために需要が高いとか……結果40日ほど遅れて
誕生日の翌日納車。自分に出したもっとも高価な誕生日プレゼントになった(笑
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