Я[大塩の乱 資料館]Я

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◇大塩平八郎終焉の地碑◇

碑 文


大塩平八郎終焉の地

大塩平八郎中斎(1793〜1837)は、江戸時代後期大坂町奉行所の与力で、 陽明学者としても知られ、世を治める者の政治姿勢を問い、民衆の師父と慕われた。 天保8年(1837)2月19日飢饉にあえぐ無告の民を救い、政治腐敗の根源を 断とうとして、門人の武士・農民等を率いて決起した。

乱後大塩平八郎は・格之助父子は、この地に隣接した靱油掛町の美吉屋五郎兵衛 宅に潜伏したが、同年3月27日幕吏の包囲のうちに自焼して果てた。民衆に呼び かけた檄文は、密かに書き写され、全国にその挙を伝えた。大塩の行動は新しい時 代の訪れを告げるものであり、その名は今もなお大阪市民に語り継がれている。

決起160年に当たり、全国の篤志を仰いでここに建碑する。

     1997年9月
                                         大塩事件研究会

終焉の地碑

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