Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.9.23

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■大塩の乱前後の動き■

和田義久

  
「ドキュメント大塩の乱」レジメ
(99年歴史セミナー 大塩平八郎を学ぶ 第1回)

1.歴史背景

^天保の飢饉

_大坂町奉行の異動
天保7 7月27日 跡部山城守、大坂東町奉行として着任
9月 西町奉行矢部駿河守参府
天保8 2月2日 西町奉行堀伊賀守利堅が大坂に着任

`幕府官僚の腐敗

2.大塩平八郎の思想と組織

^陽明学

_洗心洞塾

3.決意

天保7 8月25日 将棊嶋ニ有之候囲籾之内、三百俵御売渡相成候ニ付、当町惣代御立会被仰付候事
11月 大坂市中在米確保のため所積制限令
11月 跡部山城守与力内山彦次郎と謀り江戸へ廻米
12月23日 亀山町河内屋佶之助借屋和泉屋久佶外九十名、店売之白米下直ニ売出候段奇特ニ付、御褒美被下候事
天保8 1月28日 全蔵書1241冊を売り払う。620 両
6日 施行、安堂寺町御堂筋南江入、東側本屋会所で引き換え
7日 施行
8日 施行
2月1日 本屋、施行札10,000枚と版木を返す

4.準備

  
天保7 9月 砲術の演習をさせ、密かに火薬、木砲、鉄炮など準備させる
12月 檄文成る
天保8 1月 大塩与党の者血判盟約
2月5日 志村周次小川村を出て、大坂に向かう
7日 ゆう・みね・いく及び弓太郎と下女りつ、般若寺村へ赴く
15日 ゆうら5人、伊丹伊勢町の紙屋幸五郎方へ移る
18日 大塩平八郎、建議書発送

5.返り忠

天保8 1月27日 河合郷右衛門、三男謹之助を連れ出奔
2月17日 平山助次郎が東町奉行跡部良弼に密訴する
18日 平山助次郎暁七ツ時、大坂表出立
跡部山城守が堀伊賀守へ平山の密訴を談す
19日 ○七つ時(午前4時頃)吉見英太郎・河合八十次郎は、吉見九郎右衛門の密訴状と檄文を持って西町奉行堀利堅に訴える。
19日 ○大西与五郎・善之進、近親に謀反人が出ては罪科脱れ難しと、西ノ宮まで落ち行く
19日 ○竹上万太郎、所持の鉄鉋を携えて駆け付けながら、我が家に引き返し、前非後悔し家名相続の願書を同僚に託し播州路へ逃げる。
19日 ○前日曽根崎村に立ち退いていた吉見九郎右衛門、西町奉行所に呼び出され、取り調べの上江戸評定所へ引き渡される
29日 夜平山助次郎、江戸表矢部駿河守役宅へ着く
3月1日 平山助次郎、大岡紀伊守忠愛へお預け

6.1日の反乱

  
天保8 2月18日 夜渡辺良左衛門・近藤梶五郎・庄司義左衛門・白井孝右衛門・橋本忠兵衛・柏岡源右衛門・柏岡伝七・茨田郡次等、相会して平八郎父子と酒宴を催す
19日 ○六つ時、堀伊賀守が跡部山城守へ密訴の件で手紙を遣わす

○東町奉行所は泊り番瀬田済之助と小泉渕次郎を召し捕ろうとするが、小泉は斬られ、瀬田は逃げ帰り、決起が露見したをことを大塩平八郎に報告、時に午前5時過ぎ。

○大塩「扨は裏切之もの有之候と覚候間、銘々用意可致」と叫び、挙兵の準備に入る。当初の午後4時挙兵の計画が早まる。

○7時頃、屋敷内で宇津木矩之允が大井正一郎に殺され、岡田良之進、矩之允の兄の家来大森権之進に遺書を届けるため彦根に向かう。

○五ツ時頃(7時頃)、屋敷の塀を引き倒して繰り出し、向屋敷の朝岡助之丞宅へ大筒を打ち込み、天神橋筋の長柄町へ出て、天神橋へ出る。300 人に膨れ上がる。

○九ツ頃、天神橋筋を西へ進んで、天神橋を渡ろうとしたが、橋板が跡部山城守の手で破壊されているので引き返し、大川に沿って難波橋を南へ渡り、北浜2丁目に出る。

○船場の豪商の屋敷を焼き払いつつ、二手に分かれ、今橋筋・高麗橋筋を東へ進み、東横堀川を渡り、再び合一して、南へ進む

○堀伊賀守ら島町筋を西へ御祓筋辺りまで進んだ時、大塩党が高麗橋を渡る時で、打ての合図で発砲。その銃声で伊賀守落馬。

○内平野町の交戦(跡部隊が骨屋町筋から内平野町を西へ進んだ時、大塩党は平野橋の東詰に折、山城守の纏を目当てに木砲を打つ。山城隊も応戦。一党離散して百余人。大塩党に死者1名。庄司義左衛門負傷。

○大塩党、平野橋を西に渡り、南に折れて淡路町を西下。山城隊は思案橋を渡り瓦町を西に進む。伊賀守隊は本町橋を進む

○堺筋淡路町の交戦(金助が打った丸は坂本鉉之助の陣笠に当たる。鉉之助、最初から狙いを付けていた大砲方を撃つ(梅田源左衛門)山城守従者に命じ梅田の首を切り、鎗先に貫いて歩行させた。もう一人倒れていた(志村周次?)

○七つ時頃(午後4時)、大塩父子ら14人八軒屋から小舟に乗る。

○暮六ツ時(午後6時)、与党の一部上陸する。

20日 ○夜五ツ半時ころ鎮火
○夜から翌日正午にかけ、大風雨

7.手配

天保8 2月19日 ○町奉行の指図で、尼崎藩留守居から廻文が発せられる

○夜、城代は各藩蔵屋敷に大塩平八郎ら6人の人相書を配布

8.逃亡

       
天保8 2月19日 ○夜四つ半、忠兵衛と作兵衛、伊丹の紙屋に着、顛末をゆうに語る

○白井孝右衛門・杉山三平、伏見豊後橋で逮捕される

20日 ○暴徒守口町に屯集の風聞に、尼崎藩の藩兵ら守口に赴く、
そのあと吹田へ行き宮脇志摩宅を包囲。宮脇切腹するが果たせず、
家を飛び出し、翌日溜池で水死を発見される
21日 渡辺良左衛門田井中村で自殺(25日発見)

瀬田済之助恩知村で縊死(22日発見)

22日 川口出入りの船舶を点検、摂播の津々浦々に触れ茨田郡次、
古河藩陣屋の平野役所へ自首
23日 摂津神峯山に立て籠もるの風聞あって、京都町奉行梶野土佐守良材、 山崎を固める
24日 大塩平八郎父子、大坂油掛町の美吉屋五郎兵衛方へ着く
25日 高野山から下山の高橋九右衛門・柏岡源右衛門銘々支配役所へ自首
27日 橋本忠兵衛とゆう・みね・弓太郎らが京都の木賃宿で逮捕される
3月−庄司義左衛門奈良で召し捕らえられ、5日大坂にて揚屋入り
9日 近藤梶五郎自殺
3月− 大井正一郎・河合郷左衛門の人相書配布
3月27日 油掛町美吉屋五郎兵衛方で、大塩父子放火自決
3月−大井正一郎・新兵衛京都で召し捕られる
4月2日 深尾才次郎、能登の福浦村の船宿で自殺
5月9日 西村利三郎、江戸にて病死

9.判決

天保8 6月7日 幕府、評定所一座へ大塩一党の吟味を命ずる
7月16日 評定所一座、第1回の審問を開く(8人召喚)
9月10日 吉見英太郎・河合八十郎を江戸に召喚
9月14日 大塩の従弟の大塩善之助を江戸に召喚
評定所一座は、下役山本新十郎・白石十太夫を派遣、多数の百姓・町人を吟味する
12月25日 平山助次郎、酒井大和守忠詞へお預け
天保9 閏4月8日 評定所一座、老中に罪案を上申
6月27日 朝七ツ半時、平山助次郎、自殺(33歳)
8月21日 大塩一党への裁決、大塩父子ら19人が磔、その他の処刑者750 名

鎮圧に功労のあった大坂城代以下の顕彰、褒美を発表

10.影響

天保8 2月22日 尼崎藩留守居の名にて払米促進の廻状が出される
3月9日 各藩留守居役奉行所を呼び出し、廻米増加を説得
4月 備後国三原で「大塩平八郎門弟」の幟をたてた農民一揆起こる
6月 生田万の乱
7月− 尼崎藩留守居を通じて、各藩へ「銭買い」を依頼する
7月11日 歌舞伎俳優中村仲蔵らが大塩の乱後の景気の沈滞を一掃しようと、盆踊りを挙行、翌日から堂島の相場下がり始める。
7月− 摂津能勢山田大助一揆

  

大塩平八郎の門人

                  
大塩平八郎 45 元与力 美吉屋にて自刃す
大塩格之助 27 東組与力・西田青太夫実子 美吉屋にて死す
瀬田済之助 25 東組与力 河内恩地にて縊死す
大井正一郎 23 玉造口与力伜 京都にて捕はる
庄司義左衛門 40 東組同心養子・東瓜破村助右衛門実子 奈良にて捕はる
渡辺良左衛門 41 東組同心 河内田井中にて切腹す
近籐梶五郎 40 東組同心 自宅焼跡にて切腹す
小泉渕次郎 18 東組与力養子、
郡山柳沢甲斐守家来春木弥之助実子
東町奉行所にて斬らる
竹上万太郎48 弓奉行組同心 不参加、捕はる
河合郷左衛門 同心 蜂起直前に出奔
平山助次郎 32 東組同心東町奉行跡部良弼に密訴す
吉見九郎右衛門 47 東組同心西町奉行堀利堅に上書す
橋本忠兵衛 41 摂津東成郡般若寺村庄屋 京都にて捕はる
柏岡源右衛門 摂津東成郡般若寺村年寄 支配役場へ自首す
柏岡伝七 摂津東成郡般若寺村百姓代 自宅にて捕はる
木村熊次郎 摂津東成郡猪飼野村庄屋倅 不参加
木村司馬之助 摂津東成郡猪飼野村百姓 捕はる
上田孝太郎23 摂津東成郡沢上江村百姓 捕はる 死罪
白井孝右衛門 49 摂津守口村百姓兼質屋 伏見豊後橋にて捕はる
茨田郡次 河内茨田郡門真三番村百姓 支配役場へ自首す
高橋九右衛門 河内茨田郡門真三番村百姓 支配役場へ自首す
深尾才次郎 河内交野郡尊延寺村百姓 能登にて自殺す
西村利三郎 河内志紀郡弓削村百姓 江戸にて願人となり病死す
横山文哉 肥前三原村の人、森小路村の医師 不参加
宮脇志摩 摂津三島郡吹田村神主 自宅にて切腹入水す

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