■軍備に関する補足(1930年代前半まで)

■国内産業全般について
 ここからは少し1933年頃の日本の工業力と軍備全般にわたる事柄を紹介していきます。

 まず、国家予算面ですが、史実とまず大きく食い違っているのが、何度も先述している通り国家予算です。おおよそ35億円前後の国家予算を、巨大な国債などに頼らずに編成できています。そしてこれは、平均して日本人一人当たりの国民所得が2倍になってる事をになります。ただ、戦前の経済環境を考えると、都市部と農村部の格差が史実よりさらに広がっている可能性も高くなります。政府が工業偏重の政策ばかりを行っているのでほぼ確実です。ですが、そのおかげで鉄鋼生産、造船能力を中心に生産力が著しく増大している事になります。
 国家予算などから、簡単にこの当時の国力を表せば、それは史実日本の大東亜戦争開戦直前のそれとほぼ同じかそれを若干上回ると言う事になります。しかも、これは日華事変も行っていない健全な財政状態での話しです。その上、この世界では満州にも朝鮮半島にも、政府の大きな資本投下はされていないので、その分国内開発(インフラ整備)が行われています。
 また、大海軍の建設により、重工業も鉄鋼、造船に特に特化したものとなります。さらに、日本の主力輸出商品の一つに兵器産業が大きなウェイトを占めるようになっているので、この状態をさらに助長するものとなります。ちなみに、鉄鋼は重工業の基本中の基本であり、造船業は労働集約型産業ですので多数の労働者が仕事に従事する事ができ、重工業が未熟な時点でのこの分野での産業発展のメリットは図り知れません。
 さらに、国内的には樺太全土を領土としているので、比較的近在の北海道などでは、製油業も盛んになっており、これも無視できないものとなります。
 加えて言うなら、円ブロック以外に英スターリング・ブロックにも若干食い込んでいるので、史実より英国の関税障壁は低く、繊維産業などで食い込む余地はさらに広くなります。

 では、ここからは、このような前提を踏まええてそれぞれの軍備の詳細を見ていきたいと思います。

■軍備概要

■海軍
 日露戦争後、政府の政策を受けて、陸軍程ではないが軍縮が行われる。この時、兵器の輸出第一号として、ロシアから賠償で受けた戦艦の一部を韓国などに売却している。
 その後、代艦建造程度しかしばらく軍艦は建造されなかったが、第一次世界大戦前後に始まった太平洋を挟んでのアメリカとの建艦競争の激化と、第一次世界大戦への参戦により急速に兵力が増大し、1930年頃には、念願の八八艦隊を初めとする巨大な海軍が建設される事となる。これは、国庫に大きな負担を強いることとなるが、半ば国家政策でもあった事と、国民からの支持も強かったことから八八艦隊完成後の海軍予算もそれ程削減されていない。
 だが、膨大な予算を投入したその装備は世界第一級のもので、大艦隊を以て日本のプレゼンスが維持されているのは疑いない。

■陸軍
 日露戦役後の政府の軍縮政策を受けて、肥大化した師団数が19個師団(27万人)体制から戦後15個(21万人)、そして大正軍縮の時に13個師団(18万人)体制に縮小している。(日露戦役後の陸軍の場合、実際は兵員数的に現状維持ができないのが大きな理由となっている。)大陸での兵力の不足は、韓国、のちに満州軍により肩代りされている。
(注:史実のように朝鮮守備のための2個師団増設はされていない。)
 その為、大正軍縮の前後にその兵力不足を補うため、増大した国力を背景に陸軍全体の火力増強が進められ、新たな戦力である自動車や戦車などによる師団の機械化と航空装備の研究、開発が進んでいる。見るべき成果としては、大戦参加の折りの戦車の活躍を見た事から、戦車の開発、生産も熱心に行われ、専用の部隊の設立、運用実験が繰り返されている。ただし、後者については、まだまだ技術的に発展段階にあり、目立った成果はほとんど見られない。
 また、大正軍縮の前後に大幅な火力増強がされたことと、戦略単位である師団増設から3単位制導入が積極的に行われ、さらに、ソ連成立による北方警備のため1920年代は13個だった師団は、昭和6年に改変により最終的に18個師団(20万人)に改変されている。
 なお、師団数については、満州国成立による駐留軍の増大により1933年に2個師団が増設がされ、太平洋戦争では20個師団(準動員体勢状態)体制となっている。

■技術的視点

■全体
 日露戦争後と大正時代の軍縮により受注の減った企業を救済する目的で中国、韓国など亜細亜地域を中心に武器輸出を行うようになる。その後の第一次世界大戦でも大量の武器を連合国相手に売りさばき、その後国を挙げての政策となる。
 さらに、国内社会資本の整備に伴いそれにより基礎工業力が大幅に伸張し、多数の大型工場が出現し、それらを中心として国家全体の重工業化が押し進められている。
 そして、軍需輸出の好調と海軍中心の軍備拡張を史実以上に推進したことと、陸軍が防衛的な陸軍となったことにより軍事工業技術自体も変化している。

■海軍兵備
 重工業の進展、貿易の拡大と海軍の拡張により、民間、海軍の大量の受注をさばくため、特に第一次世界大戦の影響で大規模民間造船所が各地に建設され、民間の工廠の能力が大幅に拡大している。
 また、海軍工廠も八八艦隊建設のため、各鎮守府にて全面的な改修が行われ、特に大型船渠が多数誕生している。さらに、1918年から新たに大神海軍工廠(10万頓船渠2本、5万頓船渠2本)の建設予算が八八艦隊建設の別枠予算で組まれ、大規模公共事業の一環のような形で推進され、軍民あげての突貫工事により1926年に一部実働開始。太平洋戦争ころの1930年代前半には、世界有数の艦艇造修施設を持つに至る。
 装備そのものは、基本的に大艦巨砲主義に従った、大型戦艦など砲撃戦、それを支援する雷撃戦を前提とした艦艇の建造が中心であり、新たな装備である航空機と、それを運用する航空母艦の主に予算面の都合もあり、開発と空母建造には戦艦の建造ほど熱心ではない。
 なお、大艦巨砲主義以外にも、第一次世界大戦の戦訓から対潜戦術と潜水艦戦には、以前とは比較にならないくらい熱心になっており、対潜水艦戦備は、海軍兵備の二本柱とされている。ただし、装備はやはり二線級は否めず、海軍の艦隊決戦偏重を窺わせている。

■陸軍兵備
 明治の建軍以来、歩兵が主兵科とされていつた陸軍だったが、日露戦争で火力戦に対する理解が生まれたが主に予算の都合から戦後は果たせなかった。その後の政府の方針により、武器が外国に輸出されるようになると、主な顧客への武器輸出の主力商品は陸軍の軽装備中心だったので、輸出による大量生産により生産単価の低下したその部門での近代化が進んでいる。つまり、歩兵部隊の重武装化が推進されることになる。
 また、同じく輸出により、単価の低化した種類の弾薬の増産・備蓄も進み、それに従い、軍内部でも機関銃や自動小銃に対する関心と需要、装備化が急速に進んでいる。
 日本の火力依存傾向は、第一次世界大戦の陸戦への参加でより強固なものとなり、少ない予算の中から欧米並の装備を施すべく努力が続けられている。さらに、人件費の面から大幅に削減され歩兵戦力の小数精鋭を実現するために、火力装備による兵力減少の補完をしようとしたり、機甲装備によって補おうとする方向により先鋭化しつつある。(ただし、兵力そのものは、殆ど大陸進出が起きていないので、正面兵力は先述のように比較的少ない。)
 なお機甲戦力は、一番の脅威だあるソ連に対抗するため、対ソ決戦戦車として主に満州で運用するための重戦車・中戦車が主力とされ、開発が急がれている。
 そして、3単位制導入と平行して戦車部隊、航空隊の増設などが行われ、戦略単位の増大など努力が払われている。
 部隊面で特筆すべきは、戦車と機動力を持ったその他の諸兵種統合の実験旅団が1933年に作られ、機甲戦術の戦技実験が繰り返されている。
 また、航空部隊も少ない予算の中から、可能な限りの増強が行われており、徐々にその成果が現れつつある。

■各地の軍用大型造船船渠(船台)数
 ここでは、1933年当時の日本にある軍艦を建造するための施設の概略を紹介します。これを紹介するのは、八八艦隊を中核とする大海軍がいかに建造、円滑に運用されているかを示すためです。ですが、小型船渠については、それが建造用なのか改修・整備用なのかはあえて記載していません。
 なお、大神海軍工廠は、八八艦隊計画の別枠予算として1918年に建設が始まり、1926年に一部実働を開始したが、15年を経てなお建設中で、八八艦隊建造については、最終の13号艦の建造から関わっている。

■海軍工廠

呉鎮守府 10万頓クラス船渠
10万頓クラス船渠(艤装・改修・整備用)
3万頓クラス船渠
1万頓クラス船渠×2
3万頓クラス船台
大神
鎮守府
10万頓クラス船渠×2
5万頓クラス船渠×2
2万頓クラス船渠×4
横須賀鎮守府 10万頓クラス船渠
5万頓クラス船渠(艤装・改修・整備用)
3万頓クラス船渠
2万頓クラス船渠
1万頓クラス船渠×2
3万頓クラス船台
2万頓クラス船台
佐世保
鎮守府
10万頓クラス船渠
(艤装・改修・整備用)
3万頓クラス船渠×2
2万頓クラス船渠×2
1万頓クラス船渠×2
舞鶴
鎮守府
2万頓クラス船渠
1万頓クラス船渠

■軍艦用大規模民間造船所
 ここで紹介するのは、海軍工廠と共に軍艦を主に建造してきた民間建造施設です。
 このうち、川崎の神戸造船所と三菱の長崎造船所が日露戦争で初めて実働し、以後あまたの軍艦を建造してきた。それ以外の民間船渠は、第一次世界大戦の好景気のさなか、民間独自や海軍からの援助金などにより建設され、八八艦隊建造にあたっては、いくつかの造船所が計画後期の艦の建造を行っている。
 また、艦隊建造後は、戦後の不況もありそれ程の大型艦を建造する事も少ない事から、改修や整備のため使用される事もある。
 もちろん、これらの造船所が使う鉄鋼資材を生産できる製鉄所が各所に存在する事は言うまでもない。
 それらを統合して、一種の大規模公共事業の形を成している。
 なお、民間用は主に戦艦など大型艦が建造もしくは入渠できるもののみを紹介している。これ以外にも民間船の建造を行う大型船渠、船台は各地に何カ所か存在している。

川崎造船:
10万頓クラス船渠(泉南)
3万頓クラス船台(神戸)
三菱造船:
10万頓クラス船渠(神戸)
5万頓クラス船台(長崎)
三井造船:
10万頓クラス船渠(東京)
日立造船:
7.5万頓クラス船渠(因島)
藤永田造船:
7.5万頓クラス船渠

※造船能力を分かりやすく言えば、大型空母が同時に1ダース以上建造可能と言うことです。(長門級戦艦だと技術的問題から10隻程度が限界か?)

■開戦時の代表的兵備
 この当時の軍艦以外の代表的な新装備が、ほぼ名称だけの紹介となるが、おおよそ以下の通りとなる。

◆戦車
91式重戦車 主砲70mm砲 前面装甲30mm 26頓
92式重戦車 主砲75mm砲 前面装甲50mm 32頓
89式中戦車 主砲57mm砲 前面装甲17mm 11頓
89式中戦車改 主砲57mm砲 前面装甲25mm 14頓

◆航空機
海軍 陸軍
三式(艦上)戦闘機
90式(艦上)戦闘機
一三式(艦上)攻撃機
89式(艦上)攻撃機
92式(艦上)攻撃機
94式重陸上攻撃機(試作数機のみ)
(4発爆撃機 積載量2頓) 
90式水上偵察機
94式水上偵察機

88式戦闘機
91式戦闘機
92式戦闘機

88式軽爆撃機
93式双発軽爆撃機
92式重爆撃機(4発爆撃機 積載量2頓)
92式重爆撃機(2発爆撃機)
92式偵察機


■1934年頃の日本軍戦備
 太平洋戦争開戦時の陸海軍の数字の上での正面戦力は、おおよそ以下の通りとなる。
 最後にこれの紹介を持ってこの項を終了し、次へと譲りたいと思う。

◆海軍
戦闘艦艇 支援艦艇 海軍航空隊
(艦船・母艦機含む)
戦艦    :12隻
巡洋戦艦  :12隻
大型航空母艦:1隻
小型航空母艦:5隻
一等巡洋艦 :16隻
二等巡洋艦 :21隻
防護巡洋艦 :3隻
一等艦隊型駆逐艦:78隻
二等艦隊型駆逐艦:51隻
護衛駆逐艦 :64隻
潜水艦(大型):35隻
   (小型):46隻

高速給油艦:16隻
給油艦:18隻

水上機母艦:1隻

特設水上機母艦:4隻
潜水母艦:4隻

給兵艦:1隻
給糧艦:7隻
工作艦:2隻

戦術航空戦隊:2個
対潜航空戦隊:1個
母艦航空隊:3個

戦闘機:200機
軽爆撃機:100機
水上機・飛行艇:100機


■陸軍
実戦部隊数 兵器数 陸軍航空隊

・(歩兵)師団:20個
(重砲各36門)
・独立戦車旅団:1個
(戦車各種50両 重砲各12門)
・独立戦車連隊:1個
(戦車各種36両)
・重砲兵旅団:4個
(野戦重砲各110門)

地上総兵力:
33万人(準動員体制中)

・重戦車:10両

・中戦車:50両

・軽戦車:30両(装甲車)

・野戦重砲:
1100門(75mm以上)

・飛行集団(航空師団):3個
(各120〜150機)

総計:約350機

戦闘機:200機
軽爆撃機:100機
重爆撃機:30機
他:20機


◆同盟国軍
■韓国軍 ■満州国軍

・陸軍(半数が未動員、一部が満州進駐)
歩兵師団:5個
砲兵旅団:1個
総兵力 :9万

・海軍(大半は日本からの払い下げ)
旧式戦艦 :2隻(日本からの払い下げ)
軽巡洋艦 :2隻(5500t級の輸出)
旧式駆逐艦:4隻
旧式水雷艇:10隻

陸軍(編成途上、紙上の戦力)

歩兵師団  :4個
国境警備旅団:13個

総兵力:12万(実数6万程度 殆ど動員不能)

海軍(編成上実戦部隊は存在せず)


 


File04 : 歴史転換点・各重要点の詳細  File06 : 海軍艦艇建造計画『八八艦隊計画』