■ホノルル講和会議(1935年3月交渉開始)
さて、今時太平洋における戦争の後始末、講和会議です。これなくして近代戦争は本当の意味での終戦にはなりません。 場所は、節題にもある通り、この時点で日本の占領下にあるハワイ諸島の中心都市ホノルル市で開催されます。この地が選ばれた理由は、当初は合衆国側がアメリカ西海岸のサンフランシスコを、日本側が東京を予定していたため、これを知った両者がこの件で揉めるのもバカバカしいと言う事で、互いの中間点であるハワイ諸島が選ばれました。 なお、日米が他国の都市を使用しなかった理由は、あくまで日米間の問題として事態を解決しようとした努力のあらわれと言う事になり、あえてホノルル市が選ばれたのは、他国の干渉を恐れた米国の意向が大きなものとなります。 もちろん、日米の艦隊がハワイに入港しており、緊迫した中での講和会議となります。
では、まず最初にアメリカ側から提示される講和条件をご覧ください。もちろんこれは初期提案に過ぎず、同時に日本が出す事が分かりきっている過酷な講和条件との歩み寄りを見せることで、最終的な講和条約の締結に向かいます。 なお、講和会議は、太平洋に利権と植民地を持つ大英帝国とフランス共和国がオブザーバーとして仲立する形をとっています。もちろん、オブザーバーとして中心的役割を果たすのは大英帝国です。 また、ここでどのような講和会議が行われるかで、その後の世界情勢が大きく変化してきます。
◆講和初期案 アメリカ案
アメリカ側の初期提案は、負けようが国内が不景気だろうが、経済的にも国力的にも大国である事を自認していますし、有色人種に対して権高に出るのは、白人国家として当然の外交態度ですので、たとえこてんぱんに負けていても最大限譲歩してやったぞと、恐らく最初はこんなもんでしょう。もちろん、国際的に見ても完全な戦勝側の日本側が提出するであろう、過酷な要求に対抗するための作戦でもあります。 これを見た瞬間、日本の講和使節団は口をあんぐり開けている事でしょう。 (初期提案に、本来上位に記載すべき事が下位におかれているのはそのためです。)
なお、特筆すべき項目を少し採り上げると、「上海事変のアメリカへの攻撃の謝罪」は、まだアングロ国家らしいとも言えますが、「アジア・太平洋の包括的な平和条約と経済同盟の締結」、「日本の満州・支那市場の解放」が強烈でしょうか。 戦争に負けた側が勝った側に、戦争の原因である日英同盟を撤廃し市場開放しないと講和はできないと高慢に言ってきているのです。
では次に日本から提示される、講和条件を決定します。 講和条件は案件を作る側から「2」つ提示されます。 単純に言えば、強硬な「甲案」と穏健な「乙案」です。 その中から、あなたがこの戦争の日本の勝利に相応しいと思われる条件を、アメリカ代表団に提示してください。 しかし、それは日本が望んだ未来へと続いているとは限りません。ただ、それにより以後の歴史が決定します。 なお、先ほどと同じ事を書きますが、全てのルートはこの後発生するであろう、第二次世界大戦の一応の決着がつくまで追いたいと思います。(できれば、「八八艦隊」が完全に姿を消すまでしたいですが。) そして、今後もあなたが選ばれる選択によってルートがさらに分岐する事もあります。 また、ルートが未開設な場合は、単に管理人がまだ執筆が終わっていないからに過ぎません。 お望みのルートが閉じている方は、今しばらくお待ち下さい。
では、どちらの案をアメリカ側に提示するかを選択してください。 ◆講和初期案 日本案