■「悪役令嬢の十五年戦争」
■ 006 「鳳財閥」
家で簡単に見られる情報から、鳳財閥の事を知るのは苦労した。 ゲーム上での知識を前提として、屋敷の人から聞いた話、屋敷の中を幼女のワガママを通して探索、ではなく探検した中で見つけた記録などからの推測するより他なかった。
私の5代前のご先祖様に当たる鳳 玄一郎(げんいちろう)は、マフィア時代の資金と、明治維新で手に入れた財とコネで商売を広げて明治の早い時期に財閥を形成。そして長州閥として新政府に取り入る事で、政商としてそれなりに成功。 その頃には元服していた曽祖父の蒼一郎(そういちろう)と共に、鳳財閥を大きくしていく。
だが、素性が知れない事、阿片売買に手を染めている事、大陸の裏社会と繋がっている事、基本的に成り上がりである事、などなどのマイナス要因により、あまり評判はよろしくない。 しかも時には汚い手も使った為、一部の財閥と関係が悪い。 三菱、安田など維新後に成り上がった財閥と似た立ち位置にあるが、同列には扱ってもらえない。
そして新政府としては、鳳一族が排除もできない存在なので、維新での活躍という建前で諸々の口止め料と合わせて子爵の位を与えた。 一体どれだけ新政府や維新志士の後ろ暗い事を知っていたんだろうと思わせる一幕だ。 しかし官営工場や官営鉱山の払い下げはもらっていないので、鳳の立ち位置が分かろうと言うもの。 ただし払い下げがないのは、ゲームデザイナーが史実と変えるのを面倒がった結果だとインタビューで語っていた。 それとこの世界が同じとか、かなり理不尽を感じる。
その後、曽祖父の蒼一郎は財閥当主から貴族院さらに枢密院に。元勲に匹敵する政治家の一人として、かなりの政治権力を手にしている。 一方で祖父の麒一郎(きいちろう)の軍人としての活躍が高く評価され、鳳の家は爵位が伯爵に進んだ。 その一方で北樺太での主な開発権を得ているのだから、抜け目もない。
だが祖父麒一郎は、若い頃から切れ者で陸軍の一部では有名らしく、中でも謀略戦に長けていたらしい。そして騎兵もしていた関係からか、満州の現地有力者ともコネがあるらしい。 その辺りは、その後色々調べたが、屋敷にある情報で知る事はできなかった。ゲームにも似た情報は出てこない。
今でも上海に鳳商事の大きな支社があることからも、鳳一族と大陸とのつながりの深さ、そしてヤバさを感じる。 屋敷の探検で見つけられない程度に秘密があるのだから、少なくとも表沙汰にできない関係があるのは確実だろう。 しかし私の記憶は、「鳳大人(フォンターレン)」という言葉を聞いている。何も知らない幼女の前だとはいえ、少し迂闊と言えよう。
それはともかく、その後も祖父の麒一郎は帝国陸軍の軍人として務めを果たすも、シベリア出兵では鳳一族として何か行動をしていたらしい。 それを私が知るには、私の伴侶が一族の当主か財閥総裁にでもならないといけないだろう。
そして今、お家は混乱へと突入しつつある。 何しろ関東大震災で、財閥総裁が大怪我で入院し、次の一族当主の資格を有する私の父の麒一(きいち)が死亡した。 ここで問題なのは、私は長女だが兄も弟もいない点だ。 私が娶(めと)る誰かが、一族当主となる路線が確定してしまった。これはゲームでも同様で、ゲームでは一族の再興と財閥の再建を賭けて、私は一族内ではなく他の財閥の御曹司と結ばれるべく奮闘する事になる。 それをゲームの主人公と攻略されたイケメン男子に邪魔されたのだから、怒っても良いはずだ。 それはともかく、鳳一族は揺らいでいる。 関東大震災が無ければ、磐石とは言わないまでも大きな問題も無く、無難に進んだだろう。
財閥総裁の龍次郎が地震の怪我で入院したが、一族当主もご隠居も健在だ。次の次の世代の事を考える為の時間も十分にある。 何しろ私はまだ3歳児だ。
「麒一の通夜は明日の夜。葬儀は明後日。どちらも密葬で行う。それと龍次郎の入院の経過を聞いてから、今後の方針を決めよう」
一族当主の麒一郎が、朝食の席の最後あたりで淡々とした口調で方針を伝えた。 皆、この言葉を待っていたのだ。 その証拠に、すでに食事を終えていた者が席を立ち、今日の活動を開始するべく食堂を後にする。まだ関東大震災から1日しか経っていない。 こうして平穏に朝食を取っている事の方が少しおかしいくらいなのだ。 なお、曽祖父の蒼一郎は、食事以外は離れの日本家屋で過ごす。曽祖母はすでに他界。 祖父の麒一郎は日中は軍務。祖母の瑞子(たまこ)は、食事には来ていたが自室にこもりがち。華族の家柄なのだが、あまりパッとしない公家の出なので、成り上がり者の家には色々と思うところがあるらしい。 大叔父達や叔父達は基本的には他の家に住んでいて、女子は他の家に嫁いでいる。それぞれ屋敷に滞在できる部屋もあるが、日常的には使われていない。
だが大人達の話を聞いたところ、それぞれの家もしくは屋敷は、かなりの損害を受けたらしい。これは他の一族の者も似たようなものだとも話していた。 私の元の主の記憶にある従兄弟達、つまり未来の攻略対象達が無事か心配なところだ。 そして私と同じ世代だが、この時点では誰も居なかった。 ゲーム上では、一族の困窮による物件の整理などもあって皆この屋敷に住んでいたのだが、この時点では違っていたらしい。
あとは屋敷に仕える使用人達になる。 しかしその数は多く、一族当主に仕える筆頭執事から末端まで含めると30人くらいになる。まだ、便利な家電製品があまりない時代なので、これくらいの人数がいないとお貴族様の生活が維持できないのだ。
その後の私は、隙を見つけてはかくれんぼや探検と称して屋敷の隅々を徘徊した。少しでも情報を手に入れる為だ。 私は通夜には出ず、出るのは葬儀だけだ。 そしてみんな色々と忙しいので、屋敷の中に居ると分かっていれば、意外に自由に行動させてもらえた。
もっとも、私の行動は理由付けをしているが、要するに現実逃避だ。 私にとっては単なる記憶の中の父でしかないが、やはりこの体に魂なりが引っ張られているのを、何かをする事で誤魔化そうとした。 そしてそれが理解できるからこそ、自分が行うべきと思った行動を続けた。
一方で、関東大震災の余震が続いている。怖いと思うより、感覚が麻痺して慣れるほどだ。だから私のお屋敷探検も、大震災の翌日は控えて部屋での読書に費やした。 かくれんぼや探検に出られるようになったのは、余震も収まって来た一週間ほどしての事だ。 それまでに私の父の通夜も葬儀も終わった。葬儀で私はまた泣いていたが、今度は意識がはっきりしていた。悲しみなどの感情もかなり感じる事ができた。この体もしくは魂か、何かが結びついてきたような感じだ。
そしてまだまだみんな地震の対応や後始末などで忙しいので、私は大人しくしている限り放免状態だった。 そこでお屋敷探検に勤しんだ。 そして祖父の部屋やみんなが使う書斎というか図書室のような部屋、仕事部屋などで色々なものを「発見」した。 もっとも、本当に大切なもの、見せられないものは、部屋ごと鍵がかかっていたり、机や戸棚の鍵のかけられた中、さらには金庫の中だったが、私が欲しい情報は誰にも見せられない情報じゃない。 この世界が、この一族が、この屋敷が、どれだけゲームと同じかどうか、どれだけ私の転生前のこの時代と同じかどうかを知りたいだけだ。
そして一族構成は、ほぼゲームと同じと分かった。違うと言えるのは、時代が違うせいで存命の人が沢山いる事だ。 何しろゲーム開始時点では、曽祖父をはじめとして多くの人が既に故人として扱われていた。登場しても、過去のエピソードの中だけ。 一方の財閥だが、系列企業の系譜や組織図を見つける事に成功した。 誰かの手書きで凄く分かりやすい。 そして鳳財閥は、こういった物があった方が良いほどの規模を有していた。
「創業は1869年の鳳社中で、今は持株会社の鳳会社。つまりこの時代の財閥の本体ね。けど、一族は東京なのに、財閥の実質的な本拠地は廣島中心か。そういえば、ゲームでもそうだったなあ。うわ、この時代にニューヨークとロンドンに商社の支店開いてるじゃない。フランクフルトにも」
そんな感じで把握に努めていく。 以下が、その系図の概略だ。
・中核会社 (※「→」の左側は創業時、右側は現在の名称)
・蒼家管轄 鳳会社(財閥本体。持株会社)
鳳商店 → 鳳銀行(機関銀行) 鳳証券 鳳保険 鳳不動産
鳳商会 → 鳳商事(石油や鉱石中心) 皇国新聞 (マイナー新聞・宣伝より情報収集中心) 鳳廻船 → 鳳商船 (タンカーなど保有するが小規模) 鳳総合研究所(シンクタンク・情報分析)
・重工業系(20世紀に入る頃から第一次世界大戦頃にかけて拡大。( )は創業年) 鳳鉱業 (1884年)(石炭、一部の鉱石の採掘) 鳳石油 (1906年) 鳳製油 (1908年) 鳳化学 (1911年) 鳳機械産業 (1919年) 鳳自動車(フォードのノックダウン生産)
・紅家管轄 鳳製薬 鳳病院(総合病院)
鳳学園 鳳大学(総合大学。医学部、工学部など学科多数) 鳳学園(初等科、中等学校、高等学校、看護学校、師範学校) 鳳専門学校 鳳技術学校
「銀行がナンバーじゃないのは、流石財閥というべき? それにしても色々してるのね。石油が強いのは北樺太開発のおかげ、自動車なんて作ってるのは大叔父の虎三郎さんの影響ね。 分家が管理してる製薬や病院はともかく、学校経営の独自奨学金制度って、社員というか家臣団育成システムじゃない。時代錯誤も良いところね。けど、これで本家と分家のバランスを取っているのね。 それにしても、これだけの規模があっても財閥としては精々中規模なのか。三菱とかってどんだけよ」
そんな事をしているうちに、数日が過ぎていった。
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持株会社: 財閥支配の要。関連会社の株を全部持っている場所。 戦後は元機関銀行が似たような役割を果たし、財閥一族は経営から遠のく。
機関銀行: 戦前日本特有の銀行。それぞれの財閥の為の銀行。 自前で持っていない財閥も多い。
銀行がナンバーじゃない: 戦前の日本は、第一銀行などのように地域名や財閥名ではなく、設立順に番号が振られた。 鳳の銀行も、最初はこのナンバリングされた銀行のどれかに当たるが、途中で改名している筈。